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第二章 天使くん、頑張る
14.文化祭
しおりを挟むしらうみ北高祭は、二日間行われる。二日目は夕方五時から体育館ステージで後夜祭イベントがあり、三ツ矢たちが気合を入れているダンスチームや、バンドなどが暴れまくる。
ちなみに去年の僕は、場の雰囲気がうるさすぎて肌に合わないので、さっさと帰っていたし、打ち上げにも(誘われないから)行かなかった。
当日朝七時に登校して会場設営をしているトワは、さすがに顔色が悪い。僕たちの他は、まだアンジと姫川さんしかいない。そのふたりは、空き教室に置いてある残りの材料を取りに行ってくれている。
「大丈夫? 無理してるんじゃ」
と僕がトワに声を掛けると、苦笑いされた。
「うん。だいぶ無理したな。立っているのは辛いかもしれない」
「口出すだけでいいよ、座っていて」
「そうする……ああでも、接続テストをしてしまおう」
学校に機材として置いてあった大型ディスプレイを借りて、USB-C端子とHDMIのケーブルはトワが自費で買った。
トワのラップトップをディスプレイに繋ぐと、画面に姫川さんからデータでもらったポスターの背景画像の、空と海が映し出される。よく見ると、細かい雲や波の飛沫も描かれていた。
「問題ないな」
トワは『しらうみ天国』のコンセプトに合ったスライドショーを、無限ループさせ始める。姫川さんの描いた画像の上を、『ようこそ』『縁を結ぶ天国のお遊び』『楽しんでいってね!』というメッセージが次々再生されていくものだ。
「すごいね。天使くんはパソコンも自由自在」
「そうか? アプリを使えば大した手間はかからない」
「……これ、目を離したら盗まれそう」
僕の目線の先には、林檎がかじられたマークの銀色ノートパソコン。
「ああ、さすがに不特定多数が出入りするからな。ワイヤーロック持ってきたから大丈夫だ」
トワは足元に置いた自分のリュックの中をごそごそとまさぐると、ワイヤーを取り出し、教卓にくくった。先端に、ノートパソコンの横に付けてあるスロットに差し込むシリンダ錠が付いている。
「さすが、抜け目ないね」
「うん。念のため後で開錠ナンバーをメッセージしておく」
「! わかった」
トワは、大事なものを僕に預けてくれた。
僕を信じてくれているのが、とてつもなく嬉しい。やっぱりトワは、僕を寄ってたかって責めた奴らとは、違う――
「ん? ユキは何をそんなに、にやけてるんだ?」
「え!? ああいや楽しみですね」
「ふ。またキャパオーバーか」
「言わないでくださいよ……」
お揃いのクラスTシャツが、なんだか気恥ずかしい。
ところがそんなふんわりした雰囲気を、荒々しく開いた教室の扉の音が壊した。
「やばいっ……またやられたかも」
姫川さんが、教室に入ってくるなり悔しそうな顔をする。手には、トワが背負うはずの『天使の翼』があるが――ボロボロだ。
段ボールと綿素材で作った翼は、ありえない方向に折れたり、欠けたりている。とても直せないだろうし、直したとしても恰好が悪い。
「踏まれた形跡がある」
アンジの静かで低い声が、なんだか死刑宣告みたいに聞こえた。
「噓……なんでこんな」
と思わず漏らした僕に、姫川さんは大きく溜息を吐く。
「嫌がらせでしょ。ガキくさい」
「あ~まあ、ほら、犯人とは断定できないし、やられたことは仕方がない。背負うのはあきらめるさ」
当事者であるトワがそう言ってしまえば、僕らはもう何も言えない。
「気にしないでくれ。Tシャツには元々翼があるんだから、これで十分だ。それに、はあ……」
トワは額から汗を垂らしている。今日はそんなに暑いだろうか? 九月の最終週は、どちらかというと心地の良い気候のはずだ。
「……背負えそうにない」
トワの静かな一言で、僕の心臓が一気にぎゅんと縮んだ。
姫川さんが、目を見開く。
「天使くん!?」
「姫川さん、気にしないで。さあ、タブレットはどこかな? 皆が登校する前に、テストをしよう」
「う、うん」
僕はなぜか、アンジの顔を見つめた。いつも無表情な彼の眉根が寄っているのが気になって、声を掛ける。
「アンジ?」
「ああ。まだ大丈夫だ」
「え?」
(まだ大丈夫? ってどういう意味?)
「翼……待ってろ」
ふい、と背を向けてまた教室を出て行ってしまう。
僕が呆然とアンジが出て行った先を見ている間に、姫川さんとトワはタブレットの準備を始めた。トワのアイデア、『リアルラプス』のためだ。
「ねえ天使くん、本当に大丈夫なの?」
「だいじょうぶだよ姫川さん。薬なら持っているし、約束通りならまだ持つはずだ」
「まだ、もつ?」
「こっちの話。さて、同じメーカーので良かった。すぐ繋がったよ。試しに描いてみて」
「う、うん」
躊躇いつつも姫川さんは、自分のペンケースからタブレット用のペンを取り出し、試しに天使の羽根を描き始める。
大きなディスプレイに、滑らかに走っていく線画に見惚れる。トワが、頬を上気させて微笑んだ。
「あは、嬉しいな。ありがとう」
「ううんっ」
◇
「いらっしゃーい!」
「釣りも、ボウリングもできるよ~!」
元気な声でお客を呼び込むのは、クラスの陽キャグループの面々だ。こういう時だけは、役に立つ。
地味メンの僕は、必死にチケットをさばいている。五枚つづり、五百円。千円なら五百円のおつりだし、二人分なら五枚つづりを二セット手渡すし。頭も手も忙しい。
隣に座っている地味子ちゃん、と陰で呼ばれているクラスメイトとは、ほぼ会話を交わしていない。二人して、必死にお金とチケットをやり取りする。特に子ども相手にはアワアワしてしまう。どう接していいのかわからず、笑顔を作って「ありがとう」と言うのだけで精いっぱいだ。
「あ! 見つけた」
「ほんとだ。どれどれ……ふふっ」
「パン屋さんになりたいんだ~へえ」
トワのアイデアである『夢の風船』も保護者の皆さんに好評で、子どもたちが遊んでいる間に探すという待ち時間の有効活用にもなっている。
さらに、大好評なのが――
「次は僕!」
「私も!」
「はい。並んでね、順番だから」
姫川さんの『リアルラプス』だ。
その場で似顔絵を描くと、大きなディスプレイにそれが映し出される。『来てくれてありがとう!』の大きなイラストに、追加されていく仕組みだ。
既に十五人は超えただろう。汗をかきながらせっせとペンを動かす姫川さんは、楽しそうだ。
リアルタイムに似顔絵を描いてもらう過程が画面へ映し出され、メンバーとして加わっていく。トワは本当にすごいことを考えたなと思う。そのトワは、アンジが即興で作った風船の翼もどきを背負ってニコニコしている。白メタリックのハート風船を両面テープでつなぎ合わせた、本当に『もどき』だけれど、お祭り! な感じでとても良い。何よりこれを作ったのが強面のアンジというのが面白くて、僕は見る度笑ってしまう。
会計係を他のメンバーへ交代する時間になり、僕はようやく肩から力を抜いた。
お腹も減ったし何か食べに行こうと教室を振り返ると、入ってすぐの場所でトワが三ツ矢と対峙しているのが目に入る。
「その場で描く似顔絵でしかも、手元と画面が連動している。どうだい、これはAIかい?」
「っ……」
「謝れなんてボクは言わないよ、三ツ矢。でも彼女の絵を描く技術は、今までの努力の結晶なんだ。それをバカにされる悔しさ、君なら分かるんじゃないのか?」
「うるせ。しらねえよ」
ドン! とわざと肩をぶつけ、三ツ矢は教室を出て行ってしまった。
トワの体が揺れ、どさりと床に尻もちを突くその様は、まるでスローモーションのようだ。
普通なら大したことはない。けれど、今日のトワはダメだと、僕の直感が告げている。
「ぐ……」
案の定トワは、胸を押さえて、上体を屈めた。
「トワッ!」
僕は、名前を叫びながら駆け寄った。
縁日の遊びに興じていた周囲が、悲鳴を上げる。
――もう僕は、救急の番号を覚えている。なんて悲しいことなんだろうと思った。
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