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四章 白虹、日を貫く
第44話 北東会談
しおりを挟むブラハウ伯サイヌスが会談に用意したのは、国境間近にある大きな商館だった。
海洋貿易で訪れる外部の人間たちを出迎える目的で建てられたため、内装は豪華であるし、部屋の機密性も高い。まさにうってつけである。
「大帝国コルセア、レアンドレ・バルバロイです」
「同じく、イリダール・オルセン」
「ヨーネット王国、ヴァルデマル・ヘッグである」
背中まである長い黒髪に切れ長の紫の瞳を持つヴァルデマルは、体の線こそ細いが気配は鋭い。たったひとりの護衛を帯同し、円卓に着いた。
「ヴァルデマル、久しいな」
イリダールが気楽に声をかけると、彼は流し目だけ寄越す。
「相変わらず、葉巻臭い」
「はは」
三十歳であるレアンドレより二歳年上と聞いているが、なかなか堂々とした佇まいだなと感心していると、ふと目が合った。
「……ルミエラ殿下は」
「はい、お元気ですよ」
「そう、か……婚約したというのは、本当なのか」
もう本題に? と思いながら、レアンドレは懐から婚約届の写しを出す。
「どうぞ、署名欄をお確かめください」
「拝見する」
レアンドレがテーブルの上へ書類を置くと、少し身を乗り出してから指先で自身の前まで滑らせる。
「……」
眉根を寄せる様子に、やはり一筋縄ではいかないか、とレアンドレが思案していると――
「確かにこの署名は本物である。殿下の署名は表に出ていない。これをできるのは殿下ご自身のみであり、偽造は困難であるからして、本物と認められる。以上は公のものとして記録して構わない――それから、ヨーネット王国とは無関係の私見であるが、一言言わせていただきたい」
「はい」
「心から、感謝する」
「っ!」
「私は、殿下を幼少の折から知っている。聡明で責任感が強く、常に王国民のことを考える高潔なお方である」
「ええ。少し話せばすぐに分かります」
ふ、とヴァルデマルは肩の力を抜いた。
「イリダール卿とは以前から交流があり、貴殿のこともよく聞いていた」
「わたしのことを、ですか」
「政治は凄腕だが、女性のこととなると途端に役立たずになる、と」
「うわぁ」
「そんな貴殿を見初めたのであれば、殿下のお心は確かなものであろう」
「ものすごく複雑!」
「ふ」
さて、とヴァルデマルは絹でできたガウンの前合わせを、襟を整えるように引っ張り居住まいを正した。
レアンドレは黙ってうなずくと、ブラハウ伯サイヌスに目配せをする。それを受けたサイヌスは立ち上がり「はっは。あっという間でしたな! こんなに早く話がまとまるとは思いませんで……食事の用意を急がせましょう。そこの護衛は、毒混入がないかをキッチンで見張ってくれるか」と笑顔を作り、部屋にはレアンドレ、イリダール、そしてヴァルデマルだけが残された。
ヴァルデマルはソーサーごとカップを持ち上げ、紅茶を一口飲んでから切り出す。
「『氷の花嫁』が棺から出るなど、前代未聞の事態ゆえ、我が国王陛下は事実ごと葬る意向である」
「……はじめから第四王女だった、ということにするわけですね」
「話が早い。つまり」
「大帝国コルセア宰相とヨーネット第五王女との縁談は、以前から決まっていた、と」
「そうだ」
「でないと、グレーン王国が黙っちゃいないわけですか」
静寂は、肯定と同じである。
「ま、そういうだろうと思っていましたよ」
「だから儂が来た。口約束も立派な約束だからな」
イリダールがニヤリとすると、右の口角だけ上げてヴァルデマルは応えた。
「ええ。私は酔っていたので、うっかり陛下へのご報告が遅れた」
「ウワバミのくせに、よく言う」
「まあ、まあ。帝国としても無用な争いは避けたいですから、それには異議ございませんけどもね。ご存じの通り我々は魔教連に懐疑的な立場です。ところが貴国は彼らを受け入れている。それについてはどんなお考えです?」
ちろり、とヴァルデマルはティーカップのソーサーに添えている左手首に目線だけを投げる。
そこには、金彫り細工の見事な腕輪がある。
「……私がそのことに言及できる立場にはない」
「左様ですか、残念です。では、今書き付けた議事の記録をお渡ししますね。こちらの書面に署名いただけますか」
言いながらレアンドレは、静かに紙片を天板に滑らせる。
「? 承知した」
若干首を傾げたヴァルデマルであるが、何かを悟り、素直に従う。
その紙には議事などではなく、ルミエラ自身の手書きによる証言があった。
――人間の命を与えられた精霊は闇堕ちする。ヨーネットは罪の国である。
――レモラが人の命を欲しているからである。火を失いつつある王国に残された手段は、火竜を連れ帰るしかない。
それらを読んだヴァルデマルは顔を歪めると、テーブルの上で両拳をギリギリと握りしめた。
「あ、これは私の独り言ですので聞き流してくださいね。――誰が画策したか知りませんけど、帝国が祀る火竜様を氷の花嫁に従属させ、火を失わせる計画は、失敗に終わりましたよ。我々帝国は、火の巫女を得ました」
「火の、巫女……」
「ええ。精霊の力というのは、魔法を凌駕するものなんですねえ! 感動しました!」
にっこりと満面の笑みを浮かべるレアンドレに、ヴァルデマルは呆然としたまま言い放った。
「精霊が、魔法を、凌駕した……!」
「はい。氷の精霊とて、同じではないでしょうか。人の思いに報いて涙を流し、貴重なものを与え続ける。そんな優しい心の持ち主が、人の命を欲するだなんて、わたしには思えませんけどね」
「レレの言う通りだな。御覧の通り帝国ではもう火が使えるぞ。さあて次はどう出る?」
ぱちん、と人差し指をはじくイリダールは、葉巻に火を点けた。
「いったい何を……、っつ!」
ヴァルデマルの腕輪が、じゅわっと黒ずみ、灰色の煙を立ち上らせる。
「おやおや。相当お怒りですね、賢者様ったら。こわーい」
「煽っておいてよく言う」
「えへへ」
レアンドレは当然、勇者・剣聖・精霊王・魔王・火の巫女との共闘を確約してから、煽りに煽った。
皇帝ギオルグも「自由な海の男を縛ろうとするやつらは、前から好かん。こうなったら、とことんやるぞ」と徹底抗戦の構えである。
「一服しようか。ヴァル」
イリダールに声を掛けられたヴァルデマルは、腕輪を強引に外し、高そうな絨毯の上に落として自身の踵で踏みにじってから言った。
「ブランデーもつけてください」
「おう! とびっきりのをな!」
ヨーネットの辺境伯であるヴァルデマルは、雪国でもっとも戦闘力の高い精鋭部隊を率いている――
◇
「なにが精霊だ……でももう手遅れだよ。千年世界は、終わるんだ……」
無窮の賢者であり、魔教連代表のファルサ・スローシュは、糸のような目で笑う。
「ありがとう、勇者。君のおかげで、召喚できた。終末の獣は、世界の核を欲するものなんだ。君が話してくれたから……ふふふふ……」
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