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三章 激浪に、抗う
第29話 絶望の霧は、晴れるか
しおりを挟む「まずい! ここで抑えないと……外に出しちゃ、だめだっ」
巻き上がる熱風の中片腕で顔を庇いつつ、シュカが青玉を握りしめ葛藤していると、ジャムゥが赤い目を細めてこちらに顔を向けたのが見えた。
それだけで、十分に伝わる。
「! そうか! 風の精霊カルラに教わった、結界!」
気道が焼け、頬が焼けただれるのも厭わず、その歩を前に進めながら宙に魔法陣を描いていく。指先が、じりじりと痛い。
風の精霊カルラは、魔素に風を編んでいた。今は、水を編めばいい――シュカはひたすらに指を、腕を動かす。
「ゲン、さ、……」
「おう! フォルティス・フラクタス!」
ぶおん、と両手で大剣を振り回すヨルゲンは、リミッターを外したようだ。まとわりついてくる炎の波を、ことごとく薙ぎ払っている。
空中を縦横無尽に駆ける竜のように、大量の水が渦を巻いてはキラキラと蒸発していく。
八の字、ウェーブ、太刀筋に合わせて発生する水の太縄が、全員の理性と希望をこの場に縛ってくれているようだ。
なんて心強いんだろう! とシュカは口を真一文字に結んで、目の前の魔法に集中する。
「さがっとけ!」
ウルヒとジャムゥはヨルゲンの指示に従い、『蒼海』の射程圏内に入らないよう部屋の隅まで退いて合流し、懐にそれぞれウルラとキースを庇った。
「い、き……が……」
呼吸が苦しくなり、たまらず床に片膝を突くウルヒに、ジャムゥが寄り添う。
延焼の可能性があるため窓を破るわけにはいかないが、ジャムゥの心を占めているのは、シュカとの『壊さない』という『約束』の方だ。
「ウルヒ。くるしいか」
眉を寄せて尋ねるジャムゥに、ウルヒは汗を垂らしながらかろうじてニヤリとしてみせる。心配させまいとするその態度に、ジャムゥの胸はきゅううと締め付けられた。
助けられなければ『殺さない』に反するからか。いや、きっとこの気持ちはそうじゃない。
「これが、くるしみ……」
鼻の奥がツンとするような不思議な感覚に、ジャムゥは戸惑う。
「キース……でもオレ、壊すしかできない……」
途方に暮れ、話しかけてくる魔王に対し、キースはピルッと鳴いた後で「コワセ」と言った。
「いいのか?」
「イイ」
金色の目が、まっすぐに天井を見ている。キースが許すのなら、とジャムゥは考えた。そしてさらに、もし約束を違えたことになり自身が滅んだとしても、ウルヒが助かるのなら――と。
「わかった」
すく、と立ち上がったジャムゥの腕の中からパタパタと飛び出た白鷹は、ウルヒに抱かれてぐったりと目をつぶっているウルラに寄り添う。
ジャムゥは、赤い目を輝かせたかと思うと、天井を睨んでさらりと唱えた。
「サンヴァルタ・カルパ」
――ドン!
「!?」
意識朦朧としつつも間近で見ていたウルヒは、あんぐりと口を開ける。肌を撫でる清涼な風に誘われ顎を上げたのは、呼吸をするためではない。
頭上に、青空がある――非現実的な出来事を、受け止めきれなかったからだ。
「……魔王……」
たらりと背中を流れる汗は、炎の熱によるものではなく、恐怖が伝ったもの。その冷たさに、身震いした。
頑丈なレンガ造りの建物の一階から屋根までを、一瞬で破壊する。
そんな芸当のできる生き物が、華奢な女の子の皮を被っている。これを魔王と言わずして、なんと表現できようか。
ハッと我に返った時には、切なそうな顔でジャムゥが見下ろしていた。
「オレ、……魔王か?」
「っ! 違う!」
慌てて立ち上がりながら二の腕を掴んで引き寄せ、華奢な体を胸の前にかき抱いた。バサバサとウルラとキースが飛び、近くのガレキの上に留まる。白い羽根が、いくつか舞った。
「ちがう、ちがうよ! ごめん! 驚いただけ! ありがとう! 助かった、助かったよ!」
思わず漏らした呼称に傷つく彼女を慰めるのに、ぎゅうううと力いっぱい抱きしめるしか、ウルヒにはできない。
「そ、か」
胸の谷間に、ふ、ふ、と温かい息が当たる。
くすぐったいな? と胸元を覗き込むと、満面の笑みを浮かべる赤い目がそこにあった。
「ウルヒのおっぱい、やっぱりすごい。柔らかくていい匂い」
「あっは!」
◇
一方。
シュカは懸命に結界の魔法陣を編んでいた。
その脇で『蒼海』を振り回すヨルゲンは、冷静にルミエラを牽制している。
「今助けっからな! 姫様よぉ!」
「アアアアアアアア!!」
「落ち着けって! 美人が、台無しだぜええええ!」
ジャムゥの空けた天井の穴のおかげで、苦しかった呼吸が戻ると同時に火の勢いも増す。けれども、ヨルゲンの活躍でシュカに火の手は及ばないし、ルミエラの視界や動きを封じることができている。
「さすがっ! 剣聖っ!」
「っは! ご期待には、応えねえと! なあっ!」
「アアアアアアアアア! 燃えロ! モヤセ、……」
シュカの黒い目に、強い光が宿る。描き終わった眼前の魔法陣の中心部分に、青竜から託された青玉をはめこむ。それから左右両端にある文字に手を合わせ、外側から内側へドアノブを捻るように動かす。左親指で文字の一部を拭いて消すように撫で、叫んだ。
「ナイを、ソトに!! アクア・カヴェアッ!」
――パキィンッ
「ぃよっしゃ!」
「イギャアアアアアアアアアアアア!」
絶叫ののち、発生する濃霧。その上に、複数の人間の姿が映し出され始めた。
青く光る魔法陣内に隔離することはできたものの、ルミエラから発せられる不可思議なものに、全員戸惑いを隠せない。
「これは!」
「なんだぁ!?」
シュカとヨルゲンの背後で、ジャムゥを抱きしめたままウルヒが叫ぶ。
「パトス・メモリアだ!」
「っ、誰かの、記憶ってこと? ……僕の水に共鳴したのか……!」
「おいシュカ、見覚えがある場所だぞ」
「そうだよゲンさん! これ! 火竜神殿だ!」
火竜神殿内。シュカたちが発見した大理石の床に描かれた赤い魔法陣を囲んで、怪しげな儀式をする人間たちがいる。
「しかもこりゃぁ、シュカがやったことと同じじゃねえか?」
「召喚、魔法……!」
ヨルゲンの愛剣『蒼海』の代わりに床に置かれたのは――
「火の指輪だ」
「やっぱそうかよ」
やがて魔法陣の上に、燃えるような赤い竜の姿が現れる。
「あれが、火竜?」
「アウシュニャだ」
「思ったよりだいぶちっせえな!」
シュカ、ジャムゥ、ヨルゲンそれぞれの呟きに、ウルヒが頷く。
「火の精霊、サラマンダーが神格化したのが火竜さ」
サラマンダーは、別名『火とかげ』。人の手のひらに乗るぐらいの大きさであるが、その赤い鱗は常に燃え滾ったマグマのように炎をまとっていて、青く鋭い目と長い舌で、すばしっこく走り回る。
火竜が通り過ぎた後は、全て跡形もなく黒焦げになると言われるほどの、苛烈な火の元である。
映像の中では黒ローブのフードを深くかぶった人物が、手の甲を上にし右手を前に差し出していた。
火竜は首を左右に振ってジタバタと暴れ、嫌がる様子を見せるが、右手首に吸い寄せられるようにして絡まる。
「推測に間違いなかったね。やはりあれは、従属の印だ」
ウルヒの言葉を合図にしたかのように、場面が切り替わる。
「ん? 別の場所か?」
「……おそらく、ヨーネット王国にある氷殿だな。中央に棺があるだろう。氷の花嫁が入るものだ」
「ウルヒの言う通りだと思う。床に描かれているのは、はっきりとは見えないけど、氷魔法の陣だよ」
「プージャナー。人間を精霊に捧げる意味だ。キライだ」
やがて、白ローブのフードを深くかぶった人間たちが、ぞろぞろと棺を取り囲んだ。
それぞれの手には、先端が片翼のような形に装飾された木の大きな杖があり、高く掲げている。
「おうおう、見るからに怪しいじゃねーか」
「ゲン……あの、ローブ……」
ウルヒが切ない声を出し、目を向ける先の人物に、ヨルゲンも目を留めた。
「!」
ぎりぎりと奥歯を噛みしめる音が鳴り響く。
「……んなとこで、何してやがる……ファルサ!」
ウルヒから離れたジャムゥが、キースを胸の中に呼び込んで抱きながら、首を傾げた。
「ファルサって、誰だ?」
「覚えてない?」
シュカが寂しそうな顔で告げる。
「ファルサ・スローシュ。別名『無窮の賢者』だよ」
ウルヒとヨルゲンが、それに続いた。
「世界最高峰の聖魔導士さ」
「そんでもって、魔導士世界教会連合の、親玉だ」
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お読み頂き、ありがとうございます!
影をちらつかせてまいりましたが、九万字弱かけてようやく名前出せました、勇者パーティ最後のメンバー。
今後の展開も是非お楽しみください。
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