28 / 51
三章 激浪に、抗う
第28話 我に、返る
しおりを挟む女性は、ジャムゥの拒絶で初めて眉をひそめた。
『……燃えろ、と言った』
「いやだ」
『貴様。なぜ、燃えぬ』
部屋を覆いつくす炎の勢いは、止まらない。
シュカは懸命に魔法防御の魔法を唱えている。いるだけで肌がただれそうなほど部屋全体の気温が上がり、空気を吸い込むと気道が焼けるようだ。
「ガタガタうるせえな!」
痺れを切らしたヨルゲンが、『蒼海』を両手で中段に構えた。
青く煌めく刃から、水がとめどもなく溢れ出ている。
「フォルティス・フラクタス!」
「あっは!」
シュカは思わず口を開けて笑った。
前世で、技の名前を言いたくない(ダサいから)とゴネていたヨルゲンを、思い出したからだ。
「笑うなってええええおらああああああ」
右へ左へ、上から下へ。
縦横無尽に振るわれる『蒼海』の剣先から、じゃばじゃばと放たれる水が、壁と天井を這っている炎を消し、水蒸気となっていく。
白い煙が部屋を覆ったところで、ウルヒが「ウルラ!」と呼ぶと、白フクロウが大きく翼を広げて何度もはためかせ、弱めの風を起こしていく。キースもそれに呼応し、部屋の中をぐるぐると飛び回った。
「シュカッ! キリがねえぞ!」
「分かってるっ」
幸い、シュカが前に喰らった呪いの炎と、部屋を燃やしているものとは、性質が違うようだ。ヨルゲンの技で消えるということは、ただの火である。
「火竜自身に、干渉しなければ大丈夫っ」
「なるほどっ、ねえっ! うおお!」
「ホロッホー」
「ピッ」
ウルラとキースの活躍で、部屋に立ち込めていた水蒸気はかき消された。
だが――メラメラと燃えたぎる女性を取り巻く炎が、だんだんとその物量を増していく。
「やっべ」
「従属を解くには、どうしたらっ!」
さすがのシュカも、前世では全く経験のない出来事に、焦るしかない。
『目障りな奴らめ』
すると、ジャムゥがぼそりとそれに応えた。
「おまえ、さみしいのか」
『!?』
「ウダカも、さみしがってるぞ」
『ウダ……』
「アウシュニャ」
『ちがう』
「ちがくない。おもいだせ」
『ちがう!!』
カッと女性が目を見開くと、部屋全体を爆風が駆け抜けた。
「うぐっ!」
「あっちぃなぁおいっ!」
すかさず両腕と蒼海で自身を庇ったシュカとヨルゲンだったが、戸口にいるウルヒのもとまで吹っ飛んだ。
幸いにも呪いはまだ喰らっていないが、あまりの熱量に、再び近づくのは難しい。
今やジャムゥだけが、女性と対峙している。
「おもいだせ」
『ちがう』
「まだ、間に合う。従属したばかりなら」
ジャムゥの目に、より強い光が宿る。魔力を高めているに違いない、とシュカは身構える。
数々の強大な魔物を従属させてきた魔王という存在が、ありがたいと思う日が来るとは、と苦笑いを浮かべながら。
『ぎぐぐ。もう、おそい』
「じゃあ、もう抗うな。人間に、譲れ」
『ゆず……。……?』
「大丈夫だ。オレたちがきっと何とかする」
コクンと頷いて見せる元魔王に対し、女性は何度かゆっくりと瞬きをした後で、再び口を開いた。
『……われ……わた、わたくし、は――いらない人間なのです』
口調がいきなり変わったかと思うと、真っ赤な両眼から黒い涙を流し始めた。部屋を覆う炎は、徐々に勢いが衰えていく。
ジャムゥとの対話に気を取られている――シュカはこの間にと、次の手を考え始めた。
「いらない?」
『殺されるために、産まれました』
「どういう意味だ?」
『氷の花嫁。それだけのため……ああ、あああ』
天井を仰ぐ彼女の頬から、黒い涙がとめどもなく流れ落ちていく。
ベッドの上に浮いている体が、慟哭に合わせてゆらゆらと上下している。
「ルミエラ! ルミエラ・ヴァロ殿下か!」
ウルヒが、弾けるようにその名を叫んだ。
「ヨーネット王国、第五王女! っ今年の! 氷の花嫁だっ!!」
さすが精霊国アネモスの元国王は、周辺諸国の政治・行事に精通していた。
「氷の花嫁ぇ?」
「二十年に一度の儀式だね。氷竜に花嫁を捧げるっていう」
「捧げるて……おいおい今時そりゃ」
「うん。ゲンさん。時代錯誤も甚だしい、人命を犠牲にする古の儀式だよ」
「ってかよ、氷竜なんて、いるのか?」
「……ほんと、人の欲ってさ。過ぎたら害しかないね」
肯定も否定もせず、すっと細められたシュカの目に怖気を感じ、ヨルゲンはぶるりと身震いをした。
「とにかく、ジャムゥに任せてみよう。ゲンさんは、最悪――斬る覚悟をして」
「……分かった」
「ちっ、死なせたくないねぇ」
「うん。ウルヒ。僕もだよ」
ジャムゥが首をコテンと傾げ、それから――
「変だな。氷竜なんて、いないぞ」
失言としか思えないものを、放った。
「うおい! あっの、ばっか!」
「ウルヒ、最悪は離脱っ」
「あいよ!」
焦る三人。ところが――
「存じております。存じた上で、崇拝しているのです」
浮いていた女性の足が、やがてぺたりと床の上に着地した。それから痛々しい包帯まみれの腕で、カーテシーの仕草をする。
先ほどまで荒々しい炎の化け物となっていたのが嘘だったかのように、一変して王女の気品をまとっている女性の姿に、全員が息を呑む。
「青竜に成りたくとも成れなかった、憐れな氷の精霊レモラ。ブオリ山に篭り、その涙が雪となっています。彼を慰めなければ、ヨーネットでも火は使えないと言われています」
「ふーん。だから竜って呼んでるのか」
「左様です」
「なら、お仕置きだな」
「お仕置き?」
「竜は神聖な生き物だ。神とおなじ。その真似をするなんて、精霊界では大罪のはずだぞ」
ルミエラの目が、まんまるに見開いた。その赤みが徐々に薄まってきているのは、理性が戻っている証拠なのかもしれない。
「たい、ざい……?」
「うん。精霊が人の命を吸ったら、闇堕ちするものだ」
「!」
がくがくとルミエラの顎が震えている。
「そ、れは」
会話を聞きながらシュカは、この出来事は、誰かが意図してルミエラを陥れたに違いないと感じていた。その核心を突くために口を開く。
「ルミエラ殿下」
ルミエラは、返事の代わりにびくりと肩を波打たせ、おびえるような表情を浮かべる。
「殿下に禁呪を施し、火竜を従属にしろと促したのは、誰ですか」
「っ」
「ヨーネットを救うためと言われたのではないですか?」
ヨルゲンとウルヒが、ハッとする。
「そういうことか!」
「はん。くだらないこと考える奴がいるもんだね。ヨーネットに火竜を連れてったって、無駄だよ」
「え」
「ルミエラ殿下。あたしは元・精霊王ガルーダ。その立場ではっきりと言う。竜や精霊は、土地に生きるもの」
「!」
「力があるからって無理やりに連れ帰ったところで、死ぬか暴れるかだけだ」
ぎりり、とルミエラが下唇を噛み「そんなっ……騙され……」と吐き出した。
途端にまた炎が巻き起こる。先ほどよりも苛烈な勢いであることは、すぐに分かる。
「ならば、もうっ……あああああ」
「ちっ」
ヨルゲンが、再び『蒼海』を構え直した。
「頼むぜ、愛剣……」
火竜の炎にさえ打ち勝つための、水を。青竜の加護を。
願う剣聖から立ち上るのは、青く澄み渡った魔力だ。
「俺にっ! 火は効かねんだよっ!」
「アアアアアアアアアア!!」
5
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ
双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。
彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。
そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。
洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。
さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。
持ち前のサバイバル能力で見敵必殺!
赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。
そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。
人々との出会い。
そして貴族や平民との格差社会。
ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。
牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。
うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい!
そんな人のための物語。
5/6_18:00完結!

職種がら目立つの自重してた幕末の人斬りが、異世界行ったらとんでもない事となりました
飼猫タマ
ファンタジー
幕末最強の人斬りが、異世界転移。
令和日本人なら、誰しも知ってる異世界お約束を何も知らなくて、毎度、悪戦苦闘。
しかし、並々ならぬ人斬りスキルで、逆境を力技で捩じ伏せちゃう物語。
『骨から始まる異世界転生』の続き。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します
ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!!
カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる