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二章 緑風、吹き抜ける
第10話 風の巫女
しおりを挟む濃い新緑のような豊かな髪の毛と、翡翠のような瞳を持った少女が、とある小さな村に生まれた。
両親ともに茶色の髪と茶色の瞳。凡庸な見た目の善人な農民であったため、この娘の色には大層驚いた。
精霊からの授かりものに違いない、と大切に育てられた娘は、メイと名付けられる。
物心ついたころ、メイは、風の声を聴くことができるようになっていた。
「あした、あめだけど、おひるからは、はれる」
「きゅうに、さむくなるよ」
「しばらく、おひさまは、でないみたい」
両親が畑仕事をしていたから、そうやってよく天気のことをつぶやいて、そのすべてが――当たった。
「この子は、精霊王に捧げるべきだ」
村の大人どもの勝手な言い分で、小さなメイは両親から無理やりに引きはがされ、精霊国アネモス中央区画へと送られる。
そうして宮殿に入る前の修行のために、森の番人を冠するメロー家に引き取られると、朝から晩まで精霊の祈りを唱える毎日を強制された。
幼いメイにとっては辛かったはずだが、いつか緑竜に身を捧げることを誇りに思っていた。『田舎巫女』とバカにされても、気にしないようにして。
「ねえファロ。メイ、いつまでここに居たらいいのかな」
そんな毎日の中で、偶然メイの護衛についたのが、ファロである。
信心深いファロは、メイの濃い緑の髪色と翡翠のような瞳を見て、『風の巫女』だと確信していた。
「さあ」
「そだよね。あーあ、修行やだな~。メイ、辛いのとか痛いの、ほんとは大嫌い。びゅーんて飛んで逃げちゃいたい」
「……頑張ったら、すげえかっこいい王子が迎えに来るんだってよ。あの絵本みたいに」
「ほんと!? じゃ、頑張る!!」
数少ない名門家から集められた他の巫女候補たちは、無言で粛々と修行に励んでおり、所作も気品に溢れていた。このように無邪気な愚痴を言うのは、メイだけである。
そんな一際目立つ、天真爛漫な姿に違和感を持った有力者たちは、メイを『金目当ての田舎娘』と蔑んだ。もちろんそれは、本人の耳にも入っている。
だがファロの目には、風に愛される少女が映っていた。
メイが笑えば、柔らかな風が吹く。
嘆くと、冷たい風に変わる。
なぜ、大人たちにはそれが分からないのだろうか、と首を捻ることすら許されない。
「はあ……窮屈だよな」
ファロは毎日溜息を呑み込みながら、メイを励まし、護衛していた。
◇
「メイ!」
ファロの呼びかけは、風の檻に捕らわれた巫女には届かないようだ。
「メイ! メイ! くっそ」
腰元の大型ナイフを抜いて構えると、頭上付近にふわふわと浮いているメイへと慎重に近づいていく。
「起きろ!」
刃先でこじあけようとしてみるが、強い空気の抵抗で弾かれる。
びょうびょうと音を立てて渦巻く風の壁は、何度武器を振り下ろしても、斬ることはできない。
ファロからゼイゼイと発せられる呼吸音だけが、響き渡っている。
「せいっ! うらあっ! っし! はっ!」
あきらめず、何度も何度もメイを包む風の檻に挑むファロを、シュカとヨルゲンは離れた場所からじっと見つめている。
「……どうする」
「ゲンさん。手を出すな、だったね」
「お? おぉ」
シュカが、ひたひたとファロに近づいていく。夢中で斬り続ける彼は、それには気づかない。
その証拠に、背後からとんっと肩を叩くと、驚いて飛び上がった。
「な!?」
――グルル、と緑竜が喉を鳴らし目を細めた。
「あ、手は出さないよ」
にこり、と竜の抗議の表情へ微笑みで応えてから、シュカは言い放つ。
「ねえファロ。風に刃は効かない。でも音は届くかも」
「!」
ファロはこくりと頷くと武器を鞘へ戻し、懐に手を差し入れて小さな横笛を取り出した。木を削って作られた、素朴な装飾のものだ。
「やってみます」
下唇に当てて吹き始めたのは、精霊国アネモスに伝わる、風のロンド。踊るような高音と、唸るような低音の旋律を何度も繰り返す、風の精霊に捧げられる伝統曲である。
――ピルルル、ピルッル~
――ピルピル、ピピピ、ピ~ヒョロロロ~
「ほう、達者なもんだな」
正確で滑らかなメロディが岩肌に跳ね返って響き、明るく軽やかなメロディは、気分を高揚させる。ヨルゲンは、つま先でリズムを刻みはじめた。
すると。
空中に、小さな風の渦巻きが生まれていく。手のひらほどの大きさのそれらは、クルクルとお互いの渦がぶつからないように回ったり、離れたり。まるでダンスをしているかのようだ。
よく観察すると、渦の中心に小さな人型の何かがいる。薄緑色で、背中に小さな鳥のような翼が生えている、少女のような見た目だ。
――ピルルル、ピルッル~
――ピルピル、ピピピ、ピ~ヒョロロロ~
繰り返される軽やかな旋律に、緑竜も心地よさそうに目を閉じ、耳を傾けているように見える。
「……」
シュカは、風の檻を注視し続けていた。左肩に居るキースも同様に、宙を見つめてじっとしている。
「……」
弾ける音の合間に、少女の吐息が聴こえた気がした。
ぎゅ、と眉間に皴が寄り、もぞもぞと膝が動いている。
「……」
丸まって寝たまま身じろぎをする巫女の姿を見つめながら、ファロはさらに強く吹く。
吹きながら片足ずつでぴょーんぴょんと跳ね、振り上げた足で前を蹴るようなステップをしながら、肘を外に張って肩も左右に揺らす。
ヨルゲンも咄嗟に同じようなステップを踏み、笛を吹く代わりに、跳ねた瞬間パン! と体の前で手を叩いた。
「あは! ゲンさん、さすが上手だね」
ヨルゲンは口の端だけニヤッと上げて、さらに左右に体を揺すりながら、ファロの横で即興で覚えた振りを踊り――様になっていた。
かつては傷だらけの冒険者を労うため、無理やりにでも陽気に振る舞っていた剣聖の姿を思い出して、シュカの瞳が潤む。
音楽とダンスで、ますます小さな風の精霊たちの動きが活発になってきた。
――うぅ~ん! はああ……
ゆっくりと上体を起こした風の巫女が、そう言っているかのように大きく伸びをし、右手の甲で右目をこすりながら周囲を見回す。
「?」
寝ぼけ眼で何度かキョロキョロと首を巡らせてから、ようやく瞳に光が灯る。
緑竜が、再び首をもたげた。
『笛で起こすとはな』
ピーヒョロロロロッ!
「ピイイィ!」
最後のメロディと呼応するように、キースが鳴いた。同時に、宙でダンスを披露していた風の精霊たちの姿も一瞬で掻き消える。
――耳鳴りがするほどの静寂の中、
「メイ!」
笛から唇を離したファロが叫び、元の空気に戻った。シュカは肩の上のキースの嘴の下を撫でてから、ヨルゲンの二の腕をぽんぽんと叩いて、労った。
一方、まだ風の檻の中にいるメイは、眉根を寄せて苦笑する。
「ごめんねファロ。メイ、巫女失格なんだって」
声が聞こえたことにホッとしてから、ファロがにじり寄る。
「誰がそんなこと言ったんだ!」
「メロー様。せめて、緑竜様に身を捧げろって」
「っ!」
メイの身柄を引き取った、森の番人の名を冠する名門、メロー家。
風の精霊、森の番人、泉の管理人、そして花の狩人。精霊国の最大権力である四大家のうちのひとつで、この国では誰も逆らうことができない。
「な、ぜ、そんな、ことを……」
今にも膝から崩れ落ちそうなファロの肩を、ヨルゲンがガシッと掴んで支えた。
「昨日。朝の儀式でね、マフルが、虹を呼んだんだって」
「!」
シュカが静かに
「マフルって誰?」
と問うと、ファロは歯ぎしりしながら
「風の巫女候補のうちのひとりです。花の狩人プーワイ家」
がっくりと首を垂れた。
「……プーワイ」
「なんだシュカ、思い当たることでもあるのか?」
「うん。入り口の役人、狩人の格好してたね」
「おお」
ヨルゲンは、いわゆるお姫様抱っこをした中年男性を思い出して、苦い顔になる。
「僕らのこと呼びに来るの、すごい遅かったよね」
「ああ……」
「なるほどね。虹を呼んだのは、マフルじゃないよ」
「あー! あれか、雷竜の力を試して雨雲をちょっと動かしたやつか」
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「……利用されちゃったかなぁ」
シュカが突然発した冷酷な声に、ヨルゲンの背筋がぶるりと震えた。
その震えは、がっしりと肩を掴んでいたファロにも伝わり、シュカを慰めるようにキースがバサバサと翼をはためかせる。
「ねえファロ。緑竜は、この試練をなんて言ったか覚えている?」
「え? ……『風の巫女を、起こしてみよ』……!?」
「あ!」
驚愕に目を見開くふたりの男が顔を見合わせる一方で、シュカはにっこりを口角を挙げて、風の檻へ近づいていく。
「メイ。聞こえた?」
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