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最終章 薔薇魔女のキセキ
エピローグ~これ多分、普通の恋ってやつです
しおりを挟む白いドレスは、どの世界も共通なのだな、とレオナは涙で滲む瞳で、ぼうっと見惚れていた。
王都、イゾラ聖教会マーカム本部の大聖堂。
きらきらと降り注ぐ太陽光がステンドグラスを輝かせ、白いイゾラ像が静かに祈りをささげている。
「ジョエル・ブノワ。生涯をシャルリーヌ・バルテに捧げ、愛し守ることを誓う」
「シャルリーヌ・バルテ。生涯をジョエル・ブノワに捧げ、愛し支えることを誓う」
――だめだめ、もう耐えられないっ!
溢れる涙が止まらなくて、ハンカチで何度も押さえるが、無駄な努力だった。
静謐な大聖堂に、レオナの鼻水をすする音が響き渡っている。
隣席のヒューゴーが、新しいハンカチを差し出してくれる。三枚目だ。さらにその隣のテオが、まだまだありますよ! と言わんばかりに、ハンカチの在庫を見せてくれる。
ジャンルーカ、ラザール、ルスラーンは騎士団として出席しているので、別の席なのがまだ救いだ。
絶対に一生からかわれるやつだ、とレオナは涙を止めようと必死だが――ベールを上げたシャルリーヌと目が合って、「まったく、レオナったら」と思っているのが分かって、また涙腺崩壊してしまった。
新郎新婦は向かい合って、お互いの額にキスをする。
ゴーン! ゴーン!
――今、二人の結婚がイゾラに了承された。
「ああああシャルううううう」
大聖堂のガーデンでお茶会が開かれるのは、マーカム王国結婚式の標準な形だ。いわゆる披露宴のようなものはなく、夜に家族だけの食事を楽しむ。
このお茶会が、出席者同士の挨拶の場であるのだが、そこでレオナは号泣してしまっていて、誰も声が掛けられない。
「あーあ」とヒューゴー。ついにハンカチの在庫が切れた。
「レオナさんたら、顔ぐしゃぐしゃですよ」テオが代わりに差し出す。ハンカチ係交替である。
シャルリーヌの輝く笑顔が、うれしくてたまらないのだ。
六歳で出会った彼女は、いつも大人びていて、レオナのために一歩引いていて、自分から何かを! ということは一切言ったことがなかった。
けれども、とレオナは振り返る。レオナを支えるために引くのではなく、並んで立つことを選んでくれたのだと。
そしてそれほど心強いことはない。今既にシャルリーヌは、若手サロンの主として、数多ある商会とのやり取りも開始しているのだ。もちろん、カミーユのコネもふんだんに使って。
「僕、騎士団引退しても、余裕で暮らせるよー」
ジョエルが笑って言う。新郎のハンカチまでレオナに貸してくれた。
「あら、引退する気なんてあるの?」
隣で花嫁が、くすくす笑う。
「あるよー! ずっとシャルのこと、抱っこしてたいもんー!」
「ばか!」
結婚式で罵られる新郎なんて、いるんだろうか。
ゲスト全員が、満面の笑顔でそれを見ている。
そんな中、
「すまんが、仕事があってな」
ローブ姿のラザールが、先に会場を後にする。
「ザール君ったらー。ちゃんと署名するんだよーん」
その背中に声をかけるジョエルに、片手を挙げるだけで答えた。
すっかりリサの愛称の方が浸透してしまったな、と眉尻を下げるラザールは、ほど近い王宮の魔術師団本部へと向かう。
「あら? 副師団長、今日はお休みでは?」
本部にいたのは、第二副長ブリジットだけである。他の団員は、訓練と巡回に出払っているようだ。
「うむ。大事な仕事があってな」
「? なんでしょう?」
ブリジットには、本当に思い当たらなかった。秘書として補佐をしているはずなのに、知らない任務があるとは? などと考えていると――
「ん。この書類を出さねばと」
書類? と首をひねる彼女に対して、ラザールが懐から出したのは。
「!!」
最終決戦前にブリジットから渡された書類である。
震える手で彼女は受け取って、開いて、泣き出した。
「……良いのですか?」
「良くなかったら、署名しないぞ」
ラザールは、いつも掛けている半眼鏡を指で押し上げて、少しためらってから――
「ありがとう、ブリジット。待たせたな」
抱きしめた。
ブリジットが握りしめている書類には、『婚約届』と書いてあり、確かにラザールの署名があった。
「そこで、愛してるって言わないのが、副師団長らしいです」
「むっ……」
「ふふ。!」
言う代わりにキスをしたら。
「ああああーーーーーーー!! っきゃーーーーーーー!! 不潔よおおおおおおおお!!」
――たまたま入ってきたトーマスに、ばっちり見られた。
「……磔にしてやろうか」
ラザールが副長に手を出した挙句、横恋慕した部下を磔にしたらしい、と尾ひれがついた噂が流れて、ジョエルが爆笑したのは後日のことである。
※ ※ ※
「世界を救った者たちへ! 心から謝辞を!」
王宮大ホールで、鷹揚に宣言するマーカム国王ゴドフリー。その横にはガルアダ国王カミーユ、アザリー国王タウィーザ、そしてブルザーク皇帝ラドスラフが立っている。
「全員の勇気をここに称えたい! 特に尽力してくれた以下四人をマーカム代表として、各国からの勲章授与を執り行う! さらに! マーカム王国、新生騎士団の発足も、ここに宣言する!」
わあっ!
湧き上がる歓声。
国王席を仰ぎ見るように並ぶのは、ジョエル、ラザール、ジャンルーカ、そしてルスラーンだ。
「ジョエル・ブノワ!」
「はっ」
優雅な仕草で進み出て。ゴドフリーに対して跪く、麗しの蒼弓。
「騎士団長に、任命する!」
両肩を国王に宝剣でぽんぽんと叩かれ、騎士礼をすると、ひときわ歓声が大きくなった。
宝剣を恭しく受け取ると、観客に対しても騎士礼をし、三人の待つ列へと戻る。
「ラザール・アーレンツ!」
「はっ!」
ジョエルと同様に、進み出て跪く。
「魔術師団団長に任ずる!」
国王から下賜されたのは、代々団長しか持つことが許されない、マーカムの宝杖である。
恭しく受け取ったラザールが立ち上がり、騎士礼ののち一振りすると、神々しい光がぱあっ! と散った。
「ジャンルーカ・ファーノ!」
「はっ」
その美麗な佇まいは健在で、一歩歩く度に令嬢たちが、ほうっと悩ましい息を漏らした。
「騎士団副団長に任ずる!」
「然と」
はじめジャンルーカは、責任を取りたいと固辞したが、国王が認めなかった。彼は表舞台にはいなかったが、王族警護に尽力し、なにより精神的に支え続けた。
エドガーも心を入れ替え、自分が留学して、きちんと勉強して帰ってきた姿を見て欲しいと熱弁して、折れた形だ。
そして、最後は。
「ルスラーン・ダイモン! ダークロードスレイヤー! 世界の英雄!」
わあああ!
ルスラーンは、ひときわ大きくなった歓声に、こめかみをかきたいのを必死で我慢している。
「各国から名誉騎士の称号を授与、ならびに、近衛筆頭に任ずる!」
「……はっ」
ルスラーンもまた、近衛筆頭など恐れ多いし、辺境に戻るし、と固辞しようとしたが、父であるヴァジームから「辺境伯を継ぐだと!? なーにを言うか! まだまだ引退せんぞ! さっさと王都へ戻れバカ息子!」と結局叩き出された。
近衛という立場での人脈と、王都から新たな商流を作るなどしていこう、修行もだな、と色々考えて、結局話を受けることにした。
ルスラーンがぼーっとしてるうちに、サクサクと儀典官が、全員の胸に勲章を付け終わり(ものすごく重い。特にガルアダ。嫌がらせとしか思えない、大きなダイヤが使われている)、皆がしん、としている。
あれ、他に何かすることあったっけ? とルスラーンが来賓席を見やると、深紅の瞳のレディと目が合った。
「あ・い・さ・つ」
声に出さず、口の形だけで教えてくれたので、
「皆に、イゾラ、そしてユグドラシルの加護のあらんことを」
と、ようやく言った。
おおおおお!
んもう、と微笑む彼女は、他の誰よりも美しく輝いて見えた。
そんなレオナはレオナで。
――やっぱり、かっこいい!
と内心悶えていた。
びしり、と式典用騎士服を着こなしている長身のルスラーンは、強面と呼ばれていた頃と比べると、かなり表情が柔らかい。
アメジストのような紫の瞳には、彼らしい実直さと優しさがにじみ出ている。実際、方々から婿に! と縁談が舞い込んでいるらしい。王都を巡回すると、女性たちが一目彼を見ようと群がってしまって、道を塞いでしまう! という苦情が出て、巡回任務から外されたぐらいなのだ。
――忙しくて、全然会えなかった分、いっぱい見ちゃう!
実は、最後の戦い以降、ボロボロになった公爵邸には当然住むことができず、全て取り壊して建て直すことになっていた。
そのため、アデリナたちが避難していた南の別荘地に合流した、レオナとヒューゴー、そしてテオ。
ベルナルドとフィリベルトは、王宮の私室があるので問題ないが、レオナが王都に戻ったのは本当に久しぶりだった。シャルリーヌの結婚式に出るためであり、この式典が終わり次第、再び別荘へと戻らなければならない。
しかも、ヒューゴーはというと――
「は? 今、なんつった?」
「だから、父親としての自覚を」
「はあああああ!?」
最終決戦前に、アデリナとマリーの体調が思わしくないことを心配していたヒューゴー。
別荘に入るや、マリーの体調を心配して声をかけると、「病気じゃない」と素っ気なく返されて、腑に落ちず。
あんだよ、と不貞腐れていたら「そういう、子供っぽい態度はそろそろやめなさい。父親になるのだから」と言われ。
「ち、ち、親? だれが?」
「はあ? この私が、あなた以外の子を宿すと?」
「いや、な、ううううううううううおおおおおおおああああああ!!」
叫びながら、別荘の庭を十周走りに行った。
「ぜえ、はあ、おま、おまえなあ!」
戻ってきても、やはり興奮冷めやらず。
「あら。嫌なの?」
「んなわけないだろ! ありがとう! うれしい! マリーーーーー!!」
うおおおお! 抱き着きたいけど、赤ちゃんびっくりするかっ、ちくしょう、どうしたらいいんだあーーーー!!
と叫んでもう十周追加。
レオナは、はしたないがずっとゲラゲラ笑っていたし、テオはずっと「尊敬してたのに……」とぶつぶつ言っていた。
そしてアデリナも、恥ずかしがりながら
「フィリとレオナに、弟か妹ができるのよ」
とぽっと赤くなりながら言うから、さらに驚いた。
アデリナ、四十歳! この世界では珍しく高齢出産ではあるが、公爵家の力を持ってすれば、無事に産めるだろう。特にベルナルドがデレデレになるに違いない。
「なんだか、一気に賑やかになるわね」
レオナがようやく一息ついて、お茶を飲むと
「ふふ。うれしいです。レオナ様のごきょうだいの、乳母になることができる……」
マリーがその隣で微笑む。いつもの光景だ。
「マリー。そんなことがなくったって、変わらずずっと一緒よ?」
「……そうですわね」
というわけで、本当に王都は久しぶりで。
宿屋に泊まるのも? と思っていたらなんと、ジョエルとシャルリーヌの新居に泊まらせてもらえたので、余計新婚のお邪魔はできない! とすぐに帰る予定だ。
「レオナ!」
式典会場から出ようとしていたレオナを呼び止めたルスラーン。
さすが有名人である。一気に注目を浴びてしまうので、そそくさと、ヒューゴー、テオとともに控室へと促された。
「はあ、向いてないな、やっぱり」
相変わらず、衆目は苦手なようだ。
「ふふ、お疲れ様でございました」
レオナをソファに案内し、向かいに座ったルスラーン。
部屋付きのメイドがお茶の準備を、と申し出たが、テオが代わって人払いをした。
「どうなされたの?」
「いやうん……あ、ひさしぶり」
「お久しぶりでございます」
「あのーあのな、えー」
レオナの背後で、ヒューゴーがぎりぎり歯ぎしりをしている。
はよいえや! の空気は若干感じる。が、レオナは辛抱強く待ってみる。
「……決闘を、申し込む」
「なんでやねん!」
全力のツッコミが降ってきた。リンジーだ。いつの間に。
「おまえっちゅうやつは! なんやねんな!」
「はは。いやほら、約束しただろう?」
きょとん、と言ってのけるルスラーンに、
「うわー律儀」とあきれ顔のヒューゴー。
「変態やな」と仁王立ちのリンジー。
テオは、ニコニコお茶を配っている。さすがだ。
「えっと、決闘しなくちゃいけない事情があるのね?」
三人が黙って頷くので。
「わかったわ――て私が了承すればいいの?」
と問うと、また黙って頷かれた。
――その翌日の夕方。ベルナルドの宰相執務室でお茶を振る舞っていたレオナに、面会の先触れが来た。
「先触れをいただくなんて」
とベルナルドを振り返るレオナに、
「うむ、来てもらってくれ」
若干硬い表情のベルナルド。
一体何が? とレオナがドキドキしていると、やがてノック音がした。
「失礼いたします」
騎士服のルスラーンが、入ってきた。
頬と耳の上が切れているし、若干所作がぎこちない。――どこか怪我をしているようだ。
「閣下。お忙しいところお時間を賜り、ありがとうございます」
「うむ」
「早速で恐縮ですが……レオナ嬢にお話が」
「は、はい」
ルスラーンが、レオナの前で跪いて、口を開いたその瞬間。
「っ、だが、断る!」
ベルナルドが、叫んだ。ブリザードとともに。
「……へ?」
「お父様!?」
「いいか! ルスラーン! レオナの夢はなあ!」
それを聞いたルスラーンは、微笑みながら立ち上がり、ベルナルドを正面から見据え、
「……普通の恋がしたい」
と言い切った。
「その通りだ! いきなり結婚を申し込むだと! 言語道断だ! まずはその、手順があろうがっ」
「なるほど。ごもっともですね」
「ちょ、お父様! ルス!?」
ルスラーンは、騎士服の上着を直すと、レオナに向き直った。
「まずは。その、デートをしてくれないか?」
「んもう!」
「ダメだろうか?」
「もちろん、お受けいたしますわ!」
レオナは即答してから、ベルナルドにキッ! と強い視線を飛ばす。だがそれにへこたれる宰相ではないのだ。
「ぐぬぬぬ、いいか! この私が納得しない限りはなあ!」
「はい。承知致しております、閣下。いえ、お義父上」
「ちちうえだとぉっ」
「んもう! じゃ! いってまいりますわ、お父様!」
ぎゅん、とルスラーンの手を引くレオナ。
「お? 今?」
「ダメ?」
「いいに決まってる! どこ行こうか――あ、失礼いたします!」
「お父様、ごきげんよう! えっとね……」
部屋をバタバタと出ていく二人を、ベルナルドは寂しげに微笑んで、見送った。
「レオナ……父のワガママをどうか許しておくれ。夢を叶えたところを、この目で見たかったんだよ……」
※ ※ ※
「なあ、レオナ」
トール湖まで馬を走らせるルスラーンの胸に、横乗りで遠慮なく抱き着くレオナ。
「うん?」
「あの時、なんて言ってたんだ?」
「あの時って?」
「ホワイトドラゴンから帰るとき」
レオナはいたずらっぽく笑って、また声に出さず、口の形だけで言って見せた。今度は、大きく、ゆっくりと。
「わかった?」
「わかった」
ルスラーンが、嬉しそうに微笑んでいる。
レオナはドキドキして、頬が赤くなる。
恋してみたい。デートしてみたい。手をつないでみたい。
――この世界で、この人と。
あと私の夢、なんだったっけ? と湖畔を歩きながら考えていたら、
「レオナ」
優しく呼ばれて、ゆっくりと振り返る。
「愛している」
息が、止まる。
どう返事をしようか、と迷っているうちに、ルスラーンの顔が近づいてきたので、レオナは返事代わりにそっと目を閉じた。
――キス、してみたかった。
想像より柔らかいな、と思った。
ルスラーンの吐息が近くて、熱くて、たまらなく嬉しくなる。
「わたくしも、愛しているわ」
恐る恐る目を開けると、無言で、力強く抱きしめられて――愛しくて見上げる。
優しい紫が、間近で笑んでいる。
お互いにずっと言えなかった想いを、全て吐き出すかのように。
何度も、何度も。
言葉と、ハグと、キス。
――ああ、これは、まぎれもなく。
私の、普通の恋だ。
-----------------------------
お読み頂き、ありがとうございました!
完結となります。
あとがきに続きます。
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