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最終章 薔薇魔女のキセキ

〈203〉終末の獣9

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※残酷な表現があります。


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「ゼブブ……」
 真っ暗闇で、泣き疲れて膝を抱えるレオナ。
「もう、一人にはさせないわ」
 こんなに孤独で、暗く、音のない場所に居続けるなど、なんと残酷なことだろう。
 
「あー、それは別に求めてないよ、レオナ」
 無邪気な声がした。驚いて顔を上げると――暗闇の中で光る、深紅の瞳。
 
「ゼブブ!?」
「心配しなくても、大丈夫だよ。僕はもう悲しくないし、ここで寝るだけだよ」
「でも!」
「……困ったなあ。頑固だもんね」
 クスクス、とおかしそうにゼブブが笑う。
「うん? 僕のためだけでもないか。戻りたくない?」
「わ、私が、呼んだんじゃないかって」
「この終末を? そうだね。凶悪なものは、強いものに惹かれるからね」

 暗闇で表情が見えない分、屈託のないゼブブの言葉は、レオナの胸に突き刺さった。
 
「っ」
「でもさ。みんなレオナが大好きだよ」
「分かっているわ。でも」
「逃げたいの? ああ、殺すのが怖いのかな。いいけど、このままここに居たらみんなに会えないし、レオナが戻らなかったら、みんな死んじゃうよ? 終末だからね」
「っ……」

 理屈では分かっている。が、闇の孤独でもって、レオナは精神的に追い詰められてしまった。
 人に耐えられる環境ではないのだ。
 内向きに入ってしまった思考からは、なかなか出ることができない。

「ふむ。人間て、ややこしいねえ。だから、いいなって思ったんだけどね――父上に怒られるけど、最終手段を使おうかな」
「父上? て……まさか」
「冥界神バアル。無口なくせに、嫉妬深いんだよねー」
「嫉妬?」
「母上ー! レオナに会ってあげてー!」
「え」

 ゼブブのその無邪気な呼びかけで、ぱあ、と眩い光に包まれる。
 

 ――ややあって視界が戻ると、真っ白な空間に、レオナは座っていた。
 ゼブブと共にミハルと会った場所に、似ているようで似ていない。なぜなら、自身の輪郭が、ふわふわとおぼつかないからだ。
 
「え? ここって……」
「……やあ、薔薇魔女よ」
 
 柔らかな声がその空間に響いた。声の主の姿は、見えない。
 
「もしかして、イゾラ?」
「うむ。ここにこうして来るのは、だね」
「さん……?」
「生まれ変わる時と、毒に冒された時と、今と」
「へ!?」
「まあ、覚えていなくて当然だ。気にしなくてよい。さて、息子の我がままをたまには聞かないとね」
「息子って……」
「バアルとイゾラの子、ゼブブというのは、隠していない。都合よく捻じ曲げられただけだ」
「ゼブブがバアルの子というのは存じておりました」
「そうだね。バアルとて、元は地上の神だったのだよ。人の醜さが溢れ、殺しあった時に冥界神となって、全ての奈落と災禍を引き受けてくれたというのに――ま、あの人、不器用で無口だからね」

 事実は恐らく、イゾラ聖教会によって書き換えられたというのに、それを責めようとはしていない。
 それだけでなく、その声音だけで、イゾラがバアルを深く愛しているであろうことが分かった。

「レオナ。わが半身にして、愛し子」

 ふわり、と眼前が動くと、ひとりの女性が現れた。
 プラチナブロンドの髪はゆるいウェーブで、腰まである。白い肌に、白いロングドレスはホルターネックで、華奢な肩が出ていて、首には金銀の豪奢な飾り。目を閉じたままの彼女は、口許に微笑みをたたえている。

「はん……しん!?」

 全く似ていないのに? とレオナは首を傾げる。目の前に見えるのは、教会に飾られている神像そのものだ。自身に似ていれば気づくはずだ。

「ふふ」

 イゾラがゆっくりと瞼を開けると――

「っ!!」

 なんと、深紅の瞳が、現れた。

 レオナは、驚愕し、そして気づく。
 そう言えば、地上のイゾラはと。

「かつてのわたしは、創ることは知っていても、愛は知らなかった。だから、人界に降りた」

 語りながら、イゾラはゆっくりとレオナの前に腰掛ける。ふわりふわりと、その動作に合わせてドレスの裾が揺れるが、衣擦れの音すらしない、静寂。すぐに手の届く距離に、神が腰かける。

「人間の、ある少年に……心を奪われたのだ。彼は純粋で、誰にでも手を差し伸べる。心が強く、だが不器用で」

 レオナは、マーカム王国に伝わる童話を思い出した。『創造神と王様』という絵本が有名である。マーカムに生まれたら、誰しもが必ず読むという、建国の物語だ。

「彼のためを思って魔力を与えたが、逆にそのことで苦しめてしまった。癒したいと思った。だが、創造神としてはどうしようもなく……だから、私の半身を人間として、地上に降ろした」
「それ、まさ、か……」
「だが彼には、他に愛する女性が居た。王国を作り、彼女を王妃とすると決めていた。せめてもと、王に仕える貴族となり、支えたのが」
「ローゼン!」
「ふふふ。この瞳の色と好きな花の名から、その名を作ったのだよ、レオナ。苦しかったが、幸せでもあった。だが、その血筋には」
「薔薇魔女……」
「そうだ。何代かに一人。私の魔力そのものを受け継いだ女性が産まれてしまうようになった」

 ふう、とイゾラは大きく息を吐いた。

「この世界の魂は、その『薔薇魔女』の過酷さに耐えられず、皆壊れてしまった。おまけに儀式として利用して、ゼブブを宿すなど――本当に人の欲というのは限りない。だから、より強い魂を求めて、別の世界から呼ぶようになった」
「……」
「それでも、レオナの前の代は、孤独で弱ってしまった。だから今回はせめて寂しくないようにと、レオナと同じ世界の住人を何人か呼ぶことにした」
「カミーユとリサ、そしてユリエ……」
「後悔にまみれたまま失われた命のうち、魔力の強いものを選んだ。もちろん、良いか? と本人に聞いた上でね」
「覚えていないわ……」
「そうだね、忘れる決まりだからね。我ながら残酷だが、他に手段がなかった……」

 イゾラは、レオナの手の上にそっとその手を置いた。
 感触はないが、温かさを感じる。

「レオナ。貴女は本当に優しい人。リヴァイアサンすら殺したくないのだろう?」
「!」

「イゾラ……!」
「それは、レオナにしかできないこと」

 レオナの瞳に、力が戻る。

「正義の名のもとに命を奪う。それが正しいと、神の私ですら思っていたよ。けれども、違うやり方を、貴女は私に見せてくれた。貴女は、私とは違う神なのかもしれないよ。さあ、自分を信じて。愛する人達のもとへ、お帰り」
「イゾラ……わた、わたくしは……」
「そして今度こそ、愛していると伝えて。貴女の夢を叶えて」

 それは、私の夢でもあるのだから。

「え?」
「あら。神だって、?」

 イタズラっぽく笑うその顔は、ゼブブにそっくりだと思った。

 やがて、ふわ、と白くもやがかったように、視界が薄れていく。

 イゾラがレオナの手の上に置いていたその手を離し、小さく振り始めると、イゾラの背後、遠くに誰かの姿が突如として現れた。一人はゼブブ。ニコニコ笑って、やはり手を振っている。もう一人は、頭に大きく黒い角が生え、黒髪は長く垂らしていて、長身で黒いマントの男性のようだ。その服装のために、余計に大きくガッシリとして見え……凛々しいその瞳は、アメジストのような紫。

 イゾラが、最後にパチン、と大きくウインクをした。

「ね。強面で、無口で不器用ってほんっとうに苦労するわよ。何でも口に出して伝えることが大事。じゃないと勝手に全部引き受けて、冥界だろうが、どこだろうと行っちゃうんだから。気をつけてね!」
「え? え!? それって!」
「レオナー! ー!」

 ちょ、え!? またね?

「まっ……」


 
 ――バン!

 

 視界が、突然切り替わった。
 その目に真っ先に飛び込んで来たのは――空中を、はるか遠くへ飛んでいくヒューゴー。まるで、幼児が気まぐれに投げた人形のよう。
 
「! あぶない!」

 レオナはとっさに叫んで、手を前に出す。止まって! と。
 その次に、自分がいるのが、見慣れた公爵邸の中庭だと気づいた。が、自慢の花壇も薔薇温室も、跡形もなく壊れている。

 空の壁にぶつかったかのように、ヒューゴーは空中でぴたりと止まった。本人も戸惑っている。
 
「あ、これ空間魔法? ――んもう、カミロ先生ったら」

 古代魔法の書。四属性だけでなく、失われた様々な魔法が書いてあった。
 恐らくそれを今、無意識に発動している。
 レオナは、キッと前を向いた。

 リヴァイアサンは、ゲルルフの姿で、暗澹たる魔力をまき散らして暴れまわっている。ラザールは地に片膝を突き、ジョエルは額から血を流しそれでも弓を構え、ルスラーンは素早い動きで黒い大剣を振るいながら、縦横無尽に動き回っていた。
 
「ヒューゴーを癒やせ!」

 
 願いだけで、全てを叶える――私は、薔薇魔女だ。

 
「!」
 白い光が彼を包んだかと思うと、くるりと態勢を整えて着地した。驚いた顔でレオナを見て、ニヤっと笑って、またリヴァイアサンへと向かっていく。
 
「レーちゃん」
「レオナさん」

 レオナの足元には、座禅を組むナジャと、通信魔道具を抱きかかえているテオ。

「……ただいま」
 
 あえて、余裕をもって笑って見せる。そして。

「全員に、薔薇魔女の祝福を!」
 
 レオナは、両腕を広げて、力の限り叫んだ。
 すると、深紅の光が弾けて、それぞれの体を包む。
 
 ジョエルが、驚愕の表情で振り返り、そしてウインクをする。
 ラザールが、立ち上がって微笑みをくれ、杖を構え直す。
 ヒューゴーが、膝に力を入れて、炎を剣にまとわせる。
 ルスラーンは……レオナを一瞥してから口角を上げ、漆黒のクレイモアを空に掲げた。

「レーちゃん、これは……」
「すごい、疲れがなくなった……魔力も戻った……」

 ナジャもテオも驚いて、自身の両の手のひらを眺めている。
 
 祝福は、リヴァイアサンにも与えたはずだ。が。

「グオオオオオオ! 愛など笑止! 不要!」
 バキイン、と両腕で振り払う。

 ――拒絶。


「この世に、愛などない! あるのは、力のみ! 欲しければ奪え! 倒せ! 蹂躙しろ!」

 黒い唾液をまき散らせながら、黒いゲルルフは、襲い掛かる。
 飛んできた魔眼矢を手の甲で振り払い、ラザールの魔法を視線だけでレジスト(拒絶)し、ヒューゴーの不知火しらぬい(分身の術)も息だけで振り払う。
 
「正義は力! 力は正義だ!」

 ――逆鱗に触れた。
 一層身体の質量と魔力が増したゲルルフが、襲い掛かってくる。

「上等ー!」
 ジョエルがさらに魔力を高める。
「……クラスィフィクション」
 ラザールが、静かに唱えた。土魔法最大の弱体魔法は『はりつけ』だ。

「グホ」
 その歩みが、一瞬止まった隙に、さらにラザールが畳みかけるのは。

「ヴリトラ!」
 マーカム王国魔術師団副師団長が誇る、ドラゴンスキル。その効果は絶対結界だ。
 金色の四角い線が空中に現れたかと思うと、瞬時にゲルルフを囲み、立方体の中に閉じ込める。
 ルスラーンとヒューゴーは、油断なく武器を構えてゲルルフを挟むように立ち、結界内にしっかりと収まったかどうかを確認した。
 

 ガッチャン――ヴェェエエエエン……

 
 二人が頷くと、
「ヒュドラ!」
 ジョエルがすかさず唱える。
 麗しの蒼弓が誇るドラゴンスキルは、一定時間無敵の魔眼矢連弾。
 構えた蒼弓からは、無尽蔵に矢が放たれ、ラザールがそれらを一本たりとも落とさず結界内へ呼び込む。

 
 ――シュバシュバシュバ
 シュバシュバシュバ
 シュバシュバシュバ
 シュバシュバシュバ――
 
 
 ゲルルフの体表面が、びっしりと刺さった矢に覆われたのが見えた。
 さすがにダメージを与えられたに違いない、と時間経過後のジョエルが弓を下すと。


 ひゅん、と黒い何かが結界から飛び出した。
 

「! やべえ!」
 ヒューゴーが、慌ててジョエルとラザールの前に両手を広げて躍り出る。
 
 
 ブシュアッ!


 宙に舞う黒い血が、視界を覆う。

 血だけではない。
 
 剣を握った腕が、――ゆっくりと空を舞っていた……


「ヒューッ!!」
 空気を引き裂くようなレオナの悲鳴が、悪夢のようだった。


「ククク、なかなか心地良いな、絶望の味は」

 バキバキバキバキ。


 ヴリトラを握り壊しながら、ゲルルフが、にやにやと出てきたのだった……



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 イゾラ聖教会 災禍説:〈164〉闇の里の民4
『創造神と王様』:〈9〉変わらないのです ヒューゴーside
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