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最終章 薔薇魔女のキセキ

〈201〉終末の獣7

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「闇が……濃くなった……」

 ガルアダとマーカムとの国境付近で、護衛の冒険者二人がいる場所を見つけ、リサの背から降ろされたカミーユ。一層濃くなった瘴気に気づき、危機感を抱いて空を見上げた。

「せっかく会えたんだから……どうか無事でいて……リサ……レオナも……どうか……!!」

 護衛に守られた結界の中で、祈るしかできない自分が歯がゆかった。

 同時刻、各地に散らばっているゼルとタウィーザ、マクシム達、そして魔術師団本部で籠城しているフィリベルト達も、気づいた。

 無限に湧いて出る冥界獣が、より強力になってきている。このままでは、民衆に甚大な被害が出てしまうだろう。

 ――もう、戦い続けるしかない。

「レオナ……」
「レオナ殿」
「レオナ様」
「レオナ」
「レオナさん」

 皆が想うのは、深紅の瞳の心優しい、一人の女性のことだった。
 
 また皆で会うために。
 「まあ!」と、咲きたての薔薇のように笑う、輝く彼女の笑顔を見るために。


 
 ※ ※ ※
 

 
「間に合ったのお、サシャ」
「は、はははい! ささすがレオナちゃんです!」
「うむ。これで誇れるわい。存分に褒めてもらおう!」

 マーカムとブルサークとの国境にある、高台。

 アレクセイは、右腕全体に装着した魔道具を上空に掲げて、その魔弾を放った。反動で、かかとが砂地にめり込む。それぐらい強力な、魔砲弾だ。

 パシュウウウウウ、と長い尾を引いて打ち上がるそれは、瑠璃色に輝く――

「ったくペトラ嬢め、我が息子を実験台とはなあ。これでは怒れんではないか」

 その瑠璃は、邪を祓う効果のある魔砲弾。

 ディートヘルムに着けさせていた、精神汚染を防ぐイヤーカフを応用した技術だ。ペトラはさすが研究者。帝国での従軍キャンプ実習で、レオナから借りた破邪の魔石を身につけた時に、その働きを分析していた。
 さらに、塩胡椒貿易協定と、帝国留学からの帰途で見えてきた物流の懸念点を、レオナが改良した販路によって、当然物資輸送も革命的に速くなり――フィリベルト特製の馬具を装備した馬車を走らせたなら。

 マーカムとブルザーク間に、高速道路が敷かれたようなものだった。

 その打ち上がった軌跡を合図に、ボレスラフの私兵軍に紛れ込んで戦っていたアーモス達が、途端に大声で勝どきを上げ始めた。

「ローゼンブレットだ!」
「ローゼンブレットがあれば、冥界獣に勝てるぞ!」
「帝国! バンザイ!」
「ピオジェが、裏切ったぞー!」
「なっ」
「裏切っ……!?」

 途端に、ずささささ、とマーカム国内に後退していくピオジェ勢は、振り返らずに冥界獣の隙間を全速力で逃げていく。

「はは、切り替え早いのお」
 ガシィン、と魔道具を肩に担ぐアレクセイは、左手で持った葉巻の端をかじり取ってぶっと地に吐いてから、口に加える。
「ああああきれますね」
 その隣りでサシャは、心底嫌そうな顔をしながら、火を着けてやった。

 ピオジェ公爵オーギュストに、王国宰相ベルナルドと王太子アリスターが出した条件は以下の通りだ。
 
 即時撤退すれば、国外追放を取り下げる。
 かつ、ベルナルドは『全私財献上すれば子爵として残す』。
 王太子アリスターは『爵位剥奪の代わりに私財は半分残し、王国最南端にある別荘で隠居することを許す』。
 
 ベルナルドは、腐っても公爵。爵位を取るのではと踏んでいたが、ピオジェは後者を取った。
「名誉より金ですよ、閣下」
 アリスターは、寂しそうに笑っていた。

 
「アレクセイ閣下!」
「閣下!」
「閣下ああああ!」

 国境の向こうで、綺麗な敬礼をするマクシム、オリヴェル、ヤンの三人に、アレクセイはその大きな腕を振ってみせた。
 ――三人が睨みを利かせてくれたお陰で、ボレスラフらはいつ王国騎士団が来るかとビクビクして、二の足を踏んでいたと分かるのは、後のことである。

「はっは! ようやった! 本国で勲章授与だなあ」
「そそそ、それには」
「……うむ。生き残ろう」

 王都から遠く離れたこの地にも、少しずつ湧き始めている冥界獣を見下ろして、アレクセイはぺろりと唇を舐め、豪放かつ端的に命令を下す。

「猛者どもよ! 存分に、暴れいっ!」
「おおおー!」

 慌てふためくボレスラフの私兵らは、何を血迷ったか、大将のはずのボレスラフを攻撃し始めた。
 
「話が違う!」
「ピオジェが裏切ったら、金はどうなるんだ!」
「帝国陸軍が出張るなんて! 聞いてねえぞ!」
「帝国を、裏切っていたのか! 知らなかった!」

 うぞうぞと湧き出てくる冥界獣など目に入らないかのように、一方的なリンチが繰り広げられる。

「哀れよの……」
「じじ自業自得ででです」
 
 サシャは、冷たい目でそれを見ながら、皇帝直通の通信魔道具を起動し『陛下の思し召しの通りに』と短く告げた。

 哀れな元海軍大将に下す審判は、皇帝からではないのだ。

「さ。後始末するか。離れるなよ、サシャ」
「ははははい! こわいー!」
「ふは! そこの結界に入っておれ。近づけさせすらせんぞ。安心しろ」
 

 ――アレクセイ閣下と仲良くなっちゃったのも、レオナちゃんのお陰だなあ。
 

 サシャは、戦場にも関わらず、そんな温かい気持ちを胸に結界内に入り、周囲を見回した。非戦闘員の自分にできることは、皇帝に正しい情報を伝えること、そして、後世に事実を書き残すことだ。


「がんばって、閣下!」
「おう!」


 ――がんばるからね、レオナちゃん!

 

 ※ ※ ※
 
 

「さあ、邪魔だよ、海蛇」
「素直に還ろうや」


 ローゼン公爵邸は、強固な結界で覆われている。
 執事のルーカスは超一流の冒険者であったし、隠密のナジャは「伝説の」を冠するぐらいの腕だ。その二人が監修した結界なのだから、言わずもがな王国最強である。

 ゼブブとジズは、その強固な結界を確かめた上で、リヴァイアサンと存分に戦うことを暗黙のうちに決めた。
 周囲に被害は出るかもしれないが、王都全土に及ぶことはないだろう、と。
 
「グシャアアアアアアア」

 リヴァイアサンには、言葉を理解できるほどの知性はもはや残っていなかった。
 それでも、だと思っていた二人が自分に歯向かうなど、思ってみなかったのだろう。
 驚きでその動きを止めていた。
 
「うわ。うるさい。きたない」
「うへえ、なんか飛び散っとんで!」
「触ると溶ける」
「……嫌すぎるやん」

 レオナの容姿で発言するゼブブに、ジズことヒルバーアはようやく慣れてきた。

「ほな、どないしよか」
「神体を破壊する」
「ほお」
 
 ぼう、と手のひらで燃える黒い炎を、リヴァイアサンに投げつけるゼブブ。

「燃えろ」

 ばさばさ、とジズは、その羽ばたきで炎が広がるのを助けてみる。
 
「せやけど、火には強いんやろ? あいつ」
「僕の火は、属性なんて関係ないよ」
 
 黒い炎が、黒い鱗の上でじりじりと燃え広がっていく。

「うへえ」
「グギギギギギギ」

 熱さで苦しいのか、身もだえるリヴァイアサンがぐねぐねと揺れると、その尾が様々なものに当たって、周囲を破壊していく。

「思った以上に気持ち悪い」
「……せやな」

 巨大でグロテスクな黒い海蛇が、空中で黒い粘液をばらまきながらのたうちまわる様は、見ていて気持ちの良いものではない。

「こんなん……で終わんのかいな?」
「まさか」
「グギアアアアアアアアア!」

 目を見開いたリヴァイアサンは、その黒く凶暴な牙の生えた口内を晒し、喉奥になにかをちらつかせている。

「ここからが本番だよ」
「やろうな!」
 
 ぼわっ、ごうっ。

 黒く熱く質量も多い炎が、吐き出されてきた。
 焦げ臭いばかりか、何かが腐った臭いがする。
 
「ええ感じに発酵しとるやないけー」
 ジズが一層大きく羽ばたき、炎を上空に巻き上げようとするが、力が足りない――ジズはその知略でもって他者の心を破壊することに長けている存在だ。戦闘力はそれほどない。だからこそ、ゼブブを起こさなければと決めたのだ。
「ひええ」
 だが、ここまで役に立たんとはなあ、と独り、空で自嘲する。

「そんなの、いらない。臭い」

 ゼブブの言葉には、強い力がある。
 リヴァイアサンの攻撃すら、無効化してしまった。届く寸前に、たちまち掻き消える。

「災禍の神……」
 
 それを見て、思わずナジャがつぶやいた。
 自分は、こんなものを封印していたのか? いや違う、きっと、自ら進んで封印されたのだ、と悟る。
 でなければ、自分のたま休めの術なんかで留めておけるモノではない。
 
「ナジャ。僕は君たちを気に入ったんだよ」

 ぼお、と新たな黒い炎を生み出すゼブブ。その表情は見えないが、楽しそうなのは、分かる。

「ずっと、『好き』って何か、知りたかった」

 ――ずっと、嫌われてきたから。

「ナジャが、教えてくれたんだよ!」

 ふふふ! と笑い声が聞こえる。

 そうだ、魂休めの術の前――


 
 ――「レオナのことが、好きなんやなあ」
「好き? え、好き?」

 ぱあ、とゼブブの顔が輝いた。

「これが、好きっていうこと?」
「そうやでえ、ゼブブ。嫌なことされたら、守ってあげたい。何かしてあげたい。一緒にいたい。違うか?」――

 

「ゼブブ……そうか、そうやったな……」
「うん。僕ね、ナジャのことも好きだよ。だって守ってあげたいもんね」
「!!」
「だから、殺させないよ」


 ああ。
 暗い道をずっと歩んできた、自分を。
 お前好きだというのか。
 

「……備えてね、
 ゼブブが、そう静かに言ってから、一層大きな黒い炎を出した。身体の一回りも二回りも大きく、強く燃え上がる、冥界の炎だ。
 
 
「ぐ、まかしとかんかいっ! テオ、ヒュー、そこの黒ポンコツ起こせ!」
「え」
「は? いいのか?」
「神体が割れたら、本体が出てくる!」
「「は!?」」
「それがわいの、嫌な予感や! 本体に勝てんのは、ユグドラシルの加護を持った奴だけや!」

 しゅたん。
 しゅたん。

 その時全員の視界の外に、何かが、降り立った。

「ほほう、なるほど」
「僕らのでばーんじゃーん!」
 
 振り返るなり、
「あ!」
「やっと来たかー」
 輝く笑顔を見せるテオと、肩の力を少し抜くヒューゴーに対して、救世主登場ー! とジョエルがちゃかして言う。
 ナジャは
「ラザール! ジョエル! 今すぐ準備せえ! 時間ないでえ!」
 緊迫した空気を崩すことなく、真剣な顔で座禅を組んだ。

 視線の先では、今まさにゼブブがその炎を、リヴァイアサンに投げたところだ。――さらなる大きな悲鳴が、一帯の空気を震わせている。

「了解だ」
 ラザールが懐から杖を取り出し、ローブを整える。
「ドラゴンスキルは温存してきたよ」
 ジョエルも背中から蒼弓を下ろして、いつでも構えられるように持つ。
「問題は、こいつだな」
 ヒューゴーが見下ろす先には、ゼブブの言葉で昏倒している、ルスラーン。
「ルス、どうしちゃったのー?」
「バーサーカーになりかけた」
「うっげえ」
「……ふむ」

 ラザールがその体の脇に膝を突いて、顔を覗きこむ。

「やってみるか」

 杖の先を振って、赤い光を出し、杖の先で器用に薔薇の絵を宙に描いた。
「え、ザール君たら絵までうまいのー? すごいね! 今度リサにも書いて!」
 気づくと、人間の姿になったリサがいて、一緒にルスラーンを覗きこんでいる。
「……んんん。わかった」
「ザール君て」
 目をぱちくりするヒューゴーと
「うわあ、可愛い子」
 ぽ、と赤くなるテオ。
「えーっと」
 困惑するジョエルに
「……ホワイトドラゴンは、戦闘に耐えられへんで。すぐ逃げや」
 と一人冷静なのは、ナジャだけだ。
「ぷう。わかったもん。ニンジャさん、かっこいいし。言うこと聞いてあげる!」
「!? ニンジャて……」

 そう呼ばれたな、とナジャは一瞬思考が飛んだ。

「じゃね! ジョー君もザール君も、必要になったらリサを心の中で強く呼べばいいよ。まだつながってるからね!」
「わかったー!」
「助かった、リサ殿」

 しゅん、と飛んだかと思うと、あっという間に小さくなる白い影。
 
 そしてルスラーンは、
「くっそ! ぶっ殺す!」
 と、ようやく飛び起きた。

 
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