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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈196〉終末の獣2
しおりを挟む「殿下、どうか馬車に……」
「いやだ! セリノはどうした! なんで兄上だけが残るんだ!」
ルスラーンは、エドガーのワガママに、付き合わされていた。
ベヒモス戦では暗示にかかっていて正常ではなかったものの、記憶はある。
さらなる強敵が迫っていると言われ、動揺するのも無理はない。そして、未だその暗示は解けきれていない。
退避させるのが賢明な判断なのだ。
「ぼくにだって、できることはきっとあるはずだ! 兄上! 兄上のおそばに行く!」
「殿下、いけません。お願いですから乗ってください。避難せよとのお達しです」
「いやだ!」
道理の通じない自己中心的な意見であれば、ルスラーンとて無視をして馬車に押し込められる。
が、この正義感が、厄介なのだ。
はっきりと迷惑だ、と言えれば楽なのだが、第一に王族であるし、兄弟のために何かしたいという気持ちを拾ってやりたい気もするし、でもやはり邪魔だし、とルスラーンは毅然とした対応ができかねていた。
一刻を争うので、ジャンルーカは既に国王と王妃を乗せた馬車に同乗して出発済だ。近衛のほとんどが、国王の警護に就いている。
ルスラーンは近衛ではあるが、ドラゴンスレイヤーだ。
エドガーを乗せて別の騎士団員に引き継いだら、前線のジョエルの元へ向かうことになっている。もう、引き継ぎ相手の団員も来ているのだが、ルスラーンが促しても頑固に動かないエドガーに、全員立ち往生してしまっていた。
「殿下。これは、王太子殿下のご命令です」
「また! そうやって、ぼくを追いやるのか!」
ち、と思わず舌打ちしそうになる。
違った。これは正義感を装った、ただのガキの地団駄だ、と思ったルスラーンは――
「うるせえ!」
と怒鳴った。
「!?」
びく、と肩が揺れるエドガーに、ルスラーンは言葉を叩きつける。
「いいですか、王国の危機なんですよ! 何かしたいとか、そばにいたいとか、そんなくだらないワガママに付き合ってる暇はないんです! 早くしないと、人が死ぬ! 国が滅ぶんだよ! さっさと乗れ! 邪魔だ! 乗らないんなら、殴って気絶させてでも乗せてやる!」
「な! 不敬だぞ! 貴様あっ、縛り首にしてやる!」
いよいよ殴るか、とルスラーンが拳を握りしめた時。
ドンッ、ゴゴゴゴ……
大きな音の後、大地が揺れた。
王都の結界に、ついにリヴァイアサンがぶつかったに違いない。
だとすると、一刻の猶予もない。
「ちっ。縛り首でもなんでも、終わってから好きにしろ! 生きてたらなあ!」
ルスラーンは、エドガーの首根っこを掴んで強引に馬車に押し込めた。
「っ無礼だぞ!」
「緊急避難だ! バカヤロウが!」
は、とエドガーが目を見開いて何かを言いかけたが、無視して乱暴に扉を閉めた。そしてバンバン、とその扉を叩いて、馭者に『出発しろ』の合図を出し、背後の騎士二人にも出発を促す。馬上の二人は、硬い表情でそれに応えた――避難場所に着いたら、拗ねたエドガーにこれでもかと八つ当たりされるだろう。申し訳ないな、と頭をかきつつ見送る。
「はあ。勝てても縛り首かよ」
大きく溜息をついてから、ルスラーンは愛馬に乗って、走り出した。
※ ※ ※
王都北の郊外。結界の内側に、ジョエルは第一騎士団を中心として布陣していた。セレスタンと肩を並べて、水筒の水をあおる。
ウルリヒが率いる第二騎士団は、ブルザーク国境に不穏な動きあり、という報せを受けて、援軍を向かわせざるを得なかった。とはいえ、リヴァイアサンの刺激でスタンピードが起こった場合に備えて、半数のみとした。残りの半数は、北都付近に派遣している。戦力分散が致命的にならなければよいが、とジョエルはまた、親指の爪を噛む。
「なあジョエル」
すると、のほほん、と第一師団長セレスタンに話しかけられた。
「なーにー」
「俺とジョエルさ、義兄弟ってことになる?」
セレスタンの妻は、シャルリーヌの姉のカトリーヌである。
ジョエルは、きょとりとした後でハッとする。
「あー! 言われてみれば、そーかもー? うっそだあ、セレスが僕のお兄とか」
「やった。俺もヒュー君に弟になってもらっちゃおー」
「えっ、そっちー? ヒューはやらないってー」
「なんでだよ! ヒュー君に、おにーちゃんて呼ばれたい!」
「ヒューは、僕のなのー!」
「あ! そしたら、噂のテオくんも弟ってこと!? やったねー!」
「はああああ!? テオも、僕のものなのー!」
「ぐふふ、弟二人もできた! ぐふふふ」
「二人ともやらないって、言ってるでしょー!」
「はっはっは! ご苦労だったな! 団長!」
「っ。僕はまだ……」
「俺の中じゃ、ジョエルがずっと団長だぜ? さ、団長もどきなんざぶっつぶして、兄弟で祝いの酒、飲もう!」
「セレス……」
セレスなりの激励に、ジョエルは感謝した。
「わかったー。カトリーヌに、許可もらえたらねー」
「うごはああああっ!!」
セレスタンが、大げさに胸を押さえてヨロヨロとよろめきながら、持ち場へ戻っていく。
僕も将来ああなるのかな、でもそれはそれで幸せだな、とジョエルは眉尻を下げ――
「全軍! リヴァイアサンはそこまで来ている! が、恐れる必要はない! ここに、ユグドラシルの加護があるぞ!」
愛用の蒼弓を頭上高く掲げ、団長としての、最初の任務を開始した。
一方で。
ずるずると地面を引きずってきた尾が、黒く腐った道を背後に作っている。
ゲルルフは、元の姿を半分程度残したまま、歩いて王都郊外にたどり着いていた。
立ち止まると、口角から滴り落ちた唾液が地面でじゅわ、と音を立てる。
ゲルルフは、自身の襲撃に備えて布陣している第一騎士団――かつての部下たち――をギョロギョロリと眺めてから、
「ンホホホーーーーー!」
エサだ! とばかりに大きく上空に向かって吼えた。
そしてドカドカ走って、結界に体当たりを食らわせる。
ドン!
ゴゴゴゴ……
「?」
頑丈な王都の結界は、地面を揺るがせるほどの体当たりでもってすら、壊れなかった。
すると、首を傾げたゲルルフは、少しだけ考えた後でにょきっと手の爪を長く伸ばした。
ガリガリ、ガリガリ。
両手で激しく、結界の表面を引っ搔いてみる。
その仕草の向こうで、騎士団員たちが恐怖に怯え始めたのが見えて、楽しくなった。
ガリガリ、ガリガリ。
ガリガリ、ガリガリ。
「アハァ~」
おお、おお。震えている。
楽しいぞ。
もうすぐ喰らってやる。
待ってろ、獲物らよ。
徐々に意識が混濁してきている。
完全に成る前に、初撃だけは楽しみたいと、ゲルルフは涎を滴らせながら、引っ掻くのを止めない。
パキパキ、ペキペキ。
そのうちに、結界に亀裂が細かく走っていく。
その様を見た騎士団員たちに、恐怖の絶頂が今、訪れようとしていた。
「アハハァ~」
おお、おお。恐怖が膨れ上がるぞ!
美味いな!
もうすぐ、腹いっぱいになるまで喰える。
ピシイ!
大きなひび割れが、上下に走った。
「アッハッハア!」
ドゴン! と力任せに殴ると、バリバリと割れた。
割れた穴から顔を入れ、手で強引に押し入っていくと、脆くなった結界の残骸が、パリパリと地面に落ちて消えていく。
「ンハー!」
シュンッ――パシッ。
すかさず眉間に飛んできた魔眼矢を、ゲルルフは手で掴み取る。
「ジョエエエエ!」
ただの咆哮とも取れるが、ジョエルには確かに「ジョエル」と呼ばれたのが分かった。
「うっは、きーもちーわりー!」
矢をつがえた、打ち起こしの姿勢でジョエルは苦笑する。
その言葉が聞こえたのか。ゲルルフはカッとなった様子で、一直線にジョエルの方へと向かってくる。
周囲の騎士団員たちが武器を次々と構えて、緊迫した様子でそれを迎え撃とうとするのを
「慌てるな! ひきつける!」
と、魔眼矢の二本目、三本目を矢継ぎ早に放ちながら、ジョエルは叫んだ。
王都結界が破られた今、全力で倒す他ない、とこの場の全員が知った。
さすが奈落の神、結界などでは到底閉じ込められないことが、証明されてしまったのだ。
生半可な実力の者が手を出しても、死ぬだけ。――だが幸運にもマーカムには、ドラゴンスレイヤーがいる!
ドカドカと走ってくるゲルルフに対峙するため、ジョエルは弓を背負い、剣を抜いた。
この場の全員の希望を乗せて。
「まかせろ! 絶対勝つぞ!」
魔力をみなぎらせる『麗しの蒼弓』が今、剣を振りかぶった――
※ ※ ※
ちりっ。
ローゼン公爵邸の、レオナの部屋。
ヒューゴーとともに静かにお茶を飲んでいたレオナは、破邪の魔石のペンダントトップが灼けるように熱くなったのを感じた。
胸騒ぎがする。
「ヒュー……」
不安げな目で振り返ると、ヒューゴーが笑って言う。
「……絶対勝ちますよ。ただ待っていればいいんです」
ヒューゴーは、まるで自分にそう言い聞かせているかのようだ。
フィリベルトは、第三騎士団師団長として、騎士団本部で情報収集と通信統制を行っている。
ジョエルとラザール、セレスタンは前線。ベルナルドは王宮に残り、各国との通信や交渉に追われている。
レオナが公爵邸に残ると言った時、意外にも皆がそれを受け入れてくれた。
「頑固だからなあ。言っても聞かないだろう」
ベルナルドは、背骨が折れるくらい強いハグをしてくれた。
「誰に似たのかしらねえ」
アデリナは、その横であきれ顔をし
「ローゼンの血ですよ」
フィリベルトは、優しく微笑んでいた。
「ごめんなさい。でもきっと、ここにいなければならないのです」
確たるものは何もないが、そんな予感がした。
であれば、例え怖くとも、迷惑をかけることになろうとも、残らねばと決意したレオナである。
「なら俺は、ずっとお側にいます」
ヒューゴーが、レオナの足元に跪いた。
「必ず守り抜くことを、誓います」
「ありがとうヒューゴー」
その後、公爵邸にヒルバーアが封じられていることを聞いたレオナは、
「だからナジャ君、そんなに疲れているのね」
と納得した。
今、そのナジャは、テオとともに前線の様子を見に行ってくれている。
公爵邸で働いている者たちは皆、家族の元へと帰した。
広い屋敷がガランとしていて、花の季節だというのに、寒い気すらしてくる。
自室の窓から空を見上げると、黒い雲がどんどん覆いつくしていくところだった。
目に見て取れるぐらいに、その動きが早い。
――遠くで、何かが光った気がした。
「戦っていますね」
ヒューゴーが、レオナの背後に立って、静かに言う。
「この屋敷にも、結界が張られています。出なければ大丈夫ですよ」
「うん……」
だが、どうしても胸がざわめくのだ。
「んはー、やばいでえ、あれ」
「ナジャ君!」
「! 戻ったか」
「おー。目で見て正解やった。まだゲルルフやった。今のうちに副団長が倒せたらええねんけどな。そうはいかんやろ」
どさり、とソファに身を委ねるナジャは、すっかりレオナの部屋になじんでいる。
「テオは?」
レオナがキョロキョロするが、姿が見当たらない。
「ユイとスイの様子見に行くて」
「そう……」
「レーちゃん?」
ナジャも、レオナの様子が気になったようだ。
ヒューゴーは、戦いへの不安感だと思っていたのだが。
「様子が変や。どないしたん?」
「なんかね、さっきからすごく嫌な予感がするの」
ぎゅ、と胸元のペンダントを握りしめる。
「ザワザワする。破邪の魔石が、反応してる」
「なんやと」
「それ、どういう……」
ボン!
「「「!!」」」
三人が同時に窓に駆け寄ると、中庭の薔薇温室から煙が上がっているのが目に入った。
「ちっ」
「わいが先にっ」
ナジャが、バルコニーに飛び出て、あっという間に消えた。
「いけない!」
レオナが叫んで、自分で自分の肩を抱いて、蹲った。
「出てくる!」
「なっ!」
ヒューゴーが薔薇温室にもう一度目線を向けると――中庭に、なぜか封じていたはずのヒルバーアが、立っていた。
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