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最終章 薔薇魔女のキセキ

〈194〉ゆるぎない覚悟を胸に

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「王都民に避難命令を」
 静かに国王と向かい合って座る、マーカム王国宰相ベルナルド・ローゼンは、渋い表情を隠しもしない。

 王宮、朝議の間。
 国王の他、王国騎士団副団長ジョエル・ブノワ、魔術師団副師団長ラザール・アーレンツ、王太子アリスターが居る。
 
「避難といっても……」

 王都北の外れにあるトール湖。
 そこに出現した凶悪な存在については、既に情報が駆け巡りパニックを引き起こし始めている。
 そんな中開かれた緊急会議であるのにも関わらず、ただただ事態を呑み込めていない国王に、全員が苛立っていた。
 
「ゲルルフもピオジェも廃位となって、王国民は動揺しているだろう? そこにさらにとなると」
「陛下。迅速にマーカムとしてその存在を認め、友好国へ通達をしなければ、援軍要請ができません」
 無礼を承知で、ジョエルがその発言をぶった切った。

 緊急事態だ。一分一秒が惜しいのに、この国王は……と全員が歯噛みしている。

「援軍などと! まるで戦争のようではないか」
 ジョエルが思わず感情的にののしりそうになるのを
「陛下。いえ、父上」
 と、アリスターが毅然と遮った。
「アリスター?」
「どうか気持ちをお切替えください。これは、戦争です。我々の存亡をかけた」
「……」
「お辛いのであれば、この私めに全権委譲ください。この間だけで良い」
 
 その発言に、全員が目を見開いた。

「迅速かつ断固たる対処が必要です。王国民の、いえ、世界の命がかかっている!」
「アリー……」
「平和はもう、過去のものです。父上」
「!」

 ずっと平和だった。
 スタンピードですら、その被害はドラゴンスレイヤーたる英雄とそのパーティによって、北都周辺のみに留められた。実際に目にしてなど、いない。どんな問題も、優秀な宰相をはじめとした周りに言えば、全て解決してくれた。
 そんな中ぬくぬくと、穏やかに国王として過ごしてきたゴドフリーを、アリスターは早々に見切ったのである。
 
「はあ……アリー、いや、アリスター。有事だ。余は心神耗弱しんしんこうじゃくで政務がまかりならん。この緊急事態の間のみ、王太子に全権委譲しよう。皆も、よいな?」
 
 ゴドフリーの美点は、人の好さ。
 悪意でもって簒奪さんだつされるなど、考えもしないこの素直さである。
 
 そのことにイラつきもしたが、助けられもしてきたベルナルドは
「陛下。今だけですぞ。復興の折は、陛下の人徳がまだまだ必要です。しっかりとお休みください」
 と笑顔で促す。
「ベルナルド……余は」
「後のことは、平和を勝ち取ってから、ですぞ。必ずや勝利をもたらすことをお約束いたしましょう。ジョエル! ラザール! すぐさま戦力を整えよ!」
「「はっ!!」」
 
 アリスターが、王者の風格でもってその言を放つ。
 
「父上。母上とエドガーとともに、南方の避暑地へ。馬車を用意してございます」
「……わかった」
「ベルナルド。至急大陸四国へ通達と援軍要請を。また、私がマーカム代表として国王から勅命をたまわったと」
「! はっ!」
 
 対外的に国王が心神耗弱などと言ったものなら、そこを弱みとしてどんな勢力が出てくるかわからない。
 王太子が勅命を受けたとすれば、後継者としての第一歩であると解釈されるであろう。
 ベルナルドは、幼き日から成長を見守ってきたこの王太子の、為政者いせいしゃとしての度量と能力に内心舌を巻いた。


 ――次世代は、明るい! ならば、護るまでだ!


 ベルナルドは、恭しく礼をし、ジョエル、ラザールを伴って朝議の間を後にした。

 

 ※ ※ ※



 ジョエルとラザールが朝議の間から騎士団本部へ戻ると、トール湖から全力で退避してきたジンライ達が、会議室で待っていた。
 全員疲労感と焦燥感に包まれ、ゼルはうろうろと歩き回って、腹をすかせた獰猛な肉食動物のようだし、ディートヘルムは椅子に座ってはいるものの、貧乏ゆすりで床に穴が開きそうだ。テオは、手に持った黒く分厚い刃のナイフ――リンジーの黒蝶だ――を丁寧に拭いて手入れをしている。

「ごめん、遅くなってー」
「すまない、待たせ、た……?」
 
 部屋に入ったラザールが戸惑ったのも無理はない。
 ジンライのかたわらにはなんと成獣の姿に戻ったオスカーが居るのだ。
 この姿を見るや、本部はもちろん一瞬パニックに陥ったが、テオが「心配いりません! 雷神トールの守護獣グングニル様です!」と叫んで、オスカーも「そうだよー、オイラ何もしないよー」と言ったので、今度はわらわらと祈りにくる行列で大変だったらしい。
 
 ジンライは、そんなオスカーの隣の椅子に腰かけ、その背中にずっと顔をうずめている。
 今の過酷な状況を、とても受け止めきれていない。
 攻撃魔法実習からブルザークへ留学して、ダークサーペントと対峙して、王宮裏山の東の池で魔獣に襲われて――と矢継ぎ早に経験をしてきたが、見知った顔が目の前で命を失っていくその悲劇が、彼の精神をさいなんでいた。
 
「ほえー、グングニル様! すっごいなージン」
「まさかこの目で見ることになるとは」

 ジョエルとラザールの発言にも反応できず、ジンライはオスカーの背中に埋まったままだ。

「ジン? ペトラ嬢がさ、魔術師団本部にいるよ」
 ジョエルが優しく声を掛けると、ようやく顔を上げた。
「え、なん……」
「武器防具、魔道具、結界具の整備をさせて欲しいと、やってきたのだ」
 ラザールが補足すると、ジョエルも頷く。
「役に立ちたいって言ってくれてさ。安心して、魔術師団本部は鉄壁だから。どこにいるより安全だよ。護衛もつけてる」
「!! おれ、おれ、情けないっ。みんな、そやって、がんばって……でも、つら、つらいんだ!」
 ジンライが、涙を溢れさせた。
「こわい! こわいよ! たてない! おれ、おれ……!」

 ジョエルが、眉尻を下げて慰めようとした、その時――

「ジンのバカ!!!!」

 テオが突然立ち上がったかと思うと、ジンライの胸倉を掴んだ。

「こわいのなんて、当たり前だ! みんなそうだ!」
「!!」
「けど、戦わずに死ぬのか! 守らずに逝くのか! 違うだろ!? あらがわないと! 今やらないと! おしまいなんだよ!」
「テ、オ……」
「僕が、平気だと思うの!? たとえ魔獣だって、切りたくなんかないよ! 殺したくもない! でもやらないと! だめなんだよっ、死んじゃうんだよ! 自分だけじゃない、みんなだ! 大好きな、みんながっ……」
「テオッ」
「大好きなんだよ、僕、守りたいんだよ……頼むよジン、親友だろ? 立ってよ、一緒に……」
「テオごめん、テオ……」
「……私も、怖いぞ、ジンライ」

 ラザールが、静かに同調する。

「当たり前に、死ぬのも、死なれるのもだ。だが、守りたいのだ。一緒だよ」
「そうだよー! 僕だってやっと婚約できたのにー! 可愛いシャルと心ゆくまで、なんなら、朝から晩まで毎日愛し合いたいんだからさー。ジンもでしょー?」

 ジョエルがぽんぽんと、テオ越しにジンライの肩をたたきながらニヒ、と笑うと。
 
「「生々しい!」」
 
 ゼルとディートヘルムが、そろって真っ赤になった。
 
「いやだってー、生きてるもーん!」
「いき……てる……」
「そうだぞジン。それに、前線にいるだけが戦いではないのだぞ」
 ゼルが笑って言い、
「そそ。物騒なのは俺らに任せとけ。魔弾の残りがそろそろヤバいんだよ。すげーやつ、作ってくれないか?」
 ディートヘルムが、ウインクする。
「はい……はい……俺に、やれる、ことを!」
「じゃーオイラは、ついてってあげるね。ペトラも守ってあげなくちゃ」
 すり、とオスカーがジンライに身体をすりつけてきたので
「うん……ありがと、オスカー」
 柔らかな毛で覆われた額を撫でながら、ジンライはようやくその涙を止めた。

「助かります、グングニル様」
 ジョエルが、騎士礼をし、
「魔術師団本部は、王国結界のかなめでもあります」
 ラザールもそれにならった。
「うん。オイラの結界も重ねた方がいいね。せめて奴を外に出さないように……こっちに向かってきてるよ。あのゴリラみたいな人を取り込んだから、全部知ってるんだね」

 オスカーの発言に、今度はジョエルとラザールの表情が凍った。
 
「え?」
「今、なんと……」
「恐らくゲルルフを取り込んだのだ」
 ゼルが、静かに言うと、
「ぼく、も、最後に団長が、残ってたのを、ずず、見ました」
 テオも同調した。
 
 
 ――ゲルルフを!


 戦慄が走った。
「その情報は、すぐに共有した方がいいな!」
 ジョエルが親指の爪を噛む。
「ちっ、最悪だな! やつめ、戦闘能力が低いのが救いだったのだが……」
 ラザールが半眼鏡はんがんきょうを細かく何度も人差し指で押し上げる。
 ――二人とも、相当焦っている仕草だ。

 そこへジャンルーカがやってきた。
「副団長。国王陛下、王妃殿下、エドガー殿下の退避準備完了いたしました。私はそちらの護衛へ」
「ジャン! わかった! だがその前に至急近衛から全団員に通達!」
「はっ」
「海神は、ゲルルフを飲み込んだ!」
「っ!!」
「総員、マーカム戦力の全てを把握されているものとして対処! 戦闘力も桁違いのはずだ! ラザール!」
「はあ。……弱点属性の見直しと、回復魔法部隊に比重を移そう。再編を考える」
「テオ! 至急第三にも情報共有!」
「はい。一度公爵邸に戻ります」
 
「副団長、俺は?」
「俺も」
 にか、と笑うゼルとディートヘルムに、ジョエルは
「死地、なんだけどー?」
 と苦笑する。
 アザリー王子と、ブルザーク帝国陸軍大将子息だ。
 マーカム王国騎士団副団長が、指示を出せる相手ではないのだが。
「「望むところだ」」
 と胸を張られたので、さらに苦笑を返す他ない。
「はあ。あとで叱られても、僕のせいじゃないって言ってねー?」
「「よかろう!」」

 ぶは、息ぴったりー! と笑いながら、ジョエルはディートヘルムにカミロの護衛を、ゼルにはジャンルーカへの同行を依頼した。

「正直助かるー。ガルアダ南方にきな臭い気配がござましてー。アザリーの摂政派が、ねー?」
 未だタウィーザは戴冠していないのだ。アザリーの政変には、気が抜けない。
「あとー、混乱に乗じて、カミロをさらいにくるやからも、いそうだしー」
 カミロは、ブルザーク帝国皇帝の異母兄だ。

 それぞれの国の重要人物が対応すれば、というジョエルの目論見もくろみは、二人にも通じたようだ。

「任された。ジャン殿に従おう」
「カミロも魔術師団本部に連れてくることにする」

 全員が頷きあい。
 ――それぞれの死地へ。

 
 
 ※ ※ ※


 
「……滅ぼ、す……」
 
 ずろろろろ、とを引きずりながら、ゲルルフはつぶやく。
 それだけで、周辺の草花が黒く腐っていく。

 自身の腕を見やると、黒い鱗でびっしりと覆われている。
 先ほどから、言葉が発しづらい。口角から、唾液が垂れる。口が閉じられない。――長い歯牙しがが、邪魔をしている。
 ブーツも破れ、鋭い鉤爪で地面を刺しながら、のしのしと歩いている。足裏に刺さる砂利や枝葉が、鬱陶しいが痛くはない。

 手を開いたり閉じたり。
 腕を回したり、膝を上げたり、首を回してみたり。
 尾を持ち上げたり、肘を持ち上げたりしながら。
 ゆっくりと着実に、王都に向かっている。
 
 はじめは身体の感覚に慣れなかった。
 見つけた森の獣を何匹か狩ってみて、ようやく慣れてきた。
 爪も、牙も、尾も、全てが強靭きょうじんな武器だ。
 
「ぐるる」

 喉を鳴らすと、喉奥がけるように熱くなる。
 
「はっ」

 試しに吐いてみると、黒い炎が眼前の木々をあっという間に焼いて――瞬時にすすが舞った。
 視野が広くなった。鬱蒼とした森の一部が、跡形もなくなったのだ。

「は、は、は」

 溢れんばかりの力を、段々もてあまし始めている。

「殺したい」

 殺気が垂れ流される。
 だが、その自我に執着している。そのことが、元の姿を保たせている。
 
「ぜんぶ、ころしたい」

 呪詛じゅそが天に昇っていくと、雲が黒く染まった。昼前だと言うのに、日が陰る。
 すると、陰鬱いんうつとした気が、立ち昇り始めた。

「終末は、俺の手で」


 この世界の膿んだもの全てを取り込んだ海神、リヴァイアサンが。

 すぐそこまで、迫っている。



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お読み頂き、ありがとうございました!
テオ……(´;ω;`)
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