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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈193〉滅亡の予兆は波及する
しおりを挟む「レオナ嬢」
真っ白な空間に座る、ほぼ白髪の青年が夢に現れるのは、これで三度目だな、とレオナは冷静に受け止める。
「またお邪魔するよ」
「いいえミハル様。お待ち申し上げておりました」
そう答えるレオナは、一人ではなかった。
隣に、黒髪赤目の生意気そうな美少年が立って――レオナと手を繋いでいる。よく見ると、その頭頂には小さな黒い角が二本生えている。
「ゼブブ……」
ミハルはその姿に驚き、警戒心を露わにした。
だがその態度に、ゼブブは屈託なく応えるのみだ。
「ひさしぶり、イゾラ! じゃなくてミハル?」
「どちらでも。きみは、魂やすめの術で出られないはずでは?」
「うん。だから精神だけだよ。ほら、力はないでしょ」
「……なるほど」
それでも術が完全ではなくなった、ということなのだが、レオナが落ち着いているので、これ以上触れることは止めたようだ。
ミハルとレオナは、お互いに向かい合って座っていた。
ゼブブと呼ばれた少年は、レオナと手を繋いだまま、その隣に寄り添って立っている。
「それにしても驚いたな。ゼブブがわたしに会いたいだなんて」
「うん。レオナがね、困ってたから」
「奈落の三神のことかな?」
「そ。三人目はさ、もう冥界の輪廻から外れたんだ。そっちに連れてってくれないかな?」
「……それは、できない」
「けち!」
無邪気な悪口を、ミハルは眉間にしわを寄せて受け止めた。
「わたしが、人に関与するわけにはいかないんだよ」
「十分してるじゃん。レオナの命をつなげたでしょ」
「あれは、皆の願いを叶えたまで」
「ぼくの願いは?」
「……」
「なら、ぼくが出て行ってもいい?」
「それは!」
珍しく焦るミハルをレオナが手で制し、ゼブブに向き合う。
しっかりとその目を見つめて、両手を握ってから、口を開いた。
「ゼブブ。それはしないって約束したでしょう?」
「でも、このままじゃ! あいつらが、レオナの好きなものを壊しちゃうんでしょ」
「ありがとう、ゼブブ。とっても優しいのね」
「えっ」
レオナは、戸惑うゼブブの手を引いて、抱き寄せた。
柔らかくその身体を抱きしめて、頭を撫でてやる。
「がんばるから。いいのよ」
「なにもしなくていいの? こわさなくていいの? ころさなくていいの? してあげるよ?」
「なにもしなくていいの。その代わり、一緒にいてくれる?」
「うん! ずっと一緒にいるよ!」
「ありがとう、ぜブブ」
「だいすき、レオナ!」
ミハルは瞠目した。
災禍の神であるゼブブを優しく愛し、包み込むレオナの姿に。
破壊と滅亡の存在に、それをしろと言わず。ただ一緒にいろという。
「薔薇魔女よ……残念だがたった今、最悪の形で奈落の二神目が出現した。強い何かを取り込んだようだよ。これは、本当に世界の危機かもしれない」
自分にできることは、告げること。ただそれだけだ。
そのことに、初めてイゾラは無力感を覚えた。
「はい。ミハル様。私は生きとし生けるもの、その『全て』ですから。全てを」
――受け止めます。
そして目が、覚めた。
「そう……ついに成ってしまったのね」
ベッドの上で、レオナは静かに、祈った。
※ ※ ※
「……成ってしまった」
「! ちいっ、ほんまか! ほな……どないすんねん」
ローゼン公爵邸、薔薇温室の奥に造られた、地下室。
レオナの魔力暴走に備えた結界つきの丈夫な部屋に滞在しているのは、『奈落の三神』のうちの一体、ヒルバーア。
ナジャことリンジーは、片時も目を離さずヒルバーアを見張り続けていた。
「せやな……」
事態とは裏腹に、ヒルバーアは静かだ。
ベッドの上に上半身だけ起こし、空をじっと見つめている。
「なるほど古典的やなぁ。お告げとは」
「お告げってなんのことや?」
「イゾラがな、夢で言うてん」
「は?」
「俺、輪廻から外れられたんやと」
「……冥界のかいな」
「せや。ちゅうわけで、来世は三神でなくなった」
「そら、めでたいな」
「うむ。ほんで、動くなと」
「ほー? それだけでいいん?」
「縁が切れたゆうことは、直接会わん限り引きずられることはない。全部終わるまで、ここにおるわ」
「それだけでええんか?」
「だが、甘言を用いて俺を出そうとする者が現れるかもしれへん」
「わかった。伝えとく」
リンジーは、念のため扉に強固な封印を施し、ユイとスイに何があっても決してヒルバーアを出さないようにと伝えた。
「御意です!」
「ご主人様、戦いにいかれますか?」
リンジーが、心配そうな双子に珍しく微笑んで見せたのは、さすがに少し肩の荷が下りたからだ。
ほぼ単独で、奈落の三神のうちの一人を見張り続けていた。尋常でなく神経をすり減らしながら、だ。そういう意味で、影の貢献者はリンジーで間違いない。
「すまんな。ちゃんと帰ってくるさかい」
「約束ですよ!」
「待ってますから!」
ユイとスイが、リンジーにひしっと抱き着くので、両手でそれぞれの頭を撫でる。
「はは。帰らにゃならんてえのは、なかなかの重圧やなあ」
帰らず、顧みず、振り返らずで走ってきたリンジーの足が、今は重い。
だが、それが不思議と心地よかった。
「「愛してます!!」」
正直、リンジーが『愛している』と思っているのは、今のところレオナだけだ。
「ありがとさん」
可愛いな、と思う気持ちは芽生えたかもしれない。
リンジーは、そっと二人を上から抱きしめた。
※ ※ ※
「陛下、不穏な動きを察知しました」
そのころ、ブルザーク帝国。
陸軍大将アレクセイが、皇城にある皇帝の執務室を訪れた。
「マクシムからの緊急通信なら受け取ったが」
「いえ……そちらではなく」
アレクセイが言い辛そうにするので、空気を読んでサシャ以外の役人たちが退室していく。
バタリ、と閉じられた扉を目で確認してから、アレクセイは皇帝の机前で最敬礼をし、
「何があった」
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「ぼぼぼぼくのしし調べでは、ままマーカムのぴぴピオジェ公爵とけけけ結託してます」
サシャが、緊迫した表情で会話に入った。
「ピオジェ……公開演習をろくに御せなかった、私腹を肥やしてばかりの白狸か? ついに悪事がばれて廃爵予定と聞いたが。公爵の廃爵は前代未聞で、調整が大変だとベルナルドが愚痴っていたぞ」
「ででです。ままマーカムとぶぶぶブルザーク両方を脅す気です」
「こんな時にか!」
激高した皇帝が、執務机に拳を叩きつけた。
バサバサといくつかの書類が舞って床に落ち、サシャが慌てて拾い集める。
「こんな時だからですぞ、陛下」
アレクセイが、淡々と告げる。
「有事にこそ、隙をつく。ボレスラフらしい姑息な手段です」
「忌々しいな。この機会に潰すか」
「……さもありなん」
「状況は理解した。アレクセイ。この際、徹底的に叩け」
「はっ」
「サシャ。戦力配分は任せる。ベルナルドに念のため知らせよ」
「しょしょ承知しましたー!」
二人がバタバタと去った後、一人皇帝ラドスラフは
「レオナ……援軍が遅れるかもしれん……どうか無事でいてくれ……」
と、珍しく独り言を漏らした。
※ ※ ※
「お兄様、大丈夫ですか?」
「……」
タウィーザ・アザリーは、宮殿の一角にある自室で、苛立っていた。
秘書業務をこなす実の妹タミーマはもう、その全身と顔を黒い布で覆う必要はない。代わりに金銀の装飾が美しい王族伝統の絹布を頭から胴にかけて巻いていて、その彫りの深い美貌を露わにしている。
灼熱の砂漠の王国アザリーでは、ようやく現国王ラブトの退陣にこぎつけたところだ。
病、そして精神退行をその理由にしたがために、過激派の調整に難航した。特に、ガルアダに甘言をもたらしたとされるアザリー摂政との政争には、未だ終わりが見えない。が、最強のナハラ部隊をタウィーザが得たことで、風向きが変わったのだ。
「……ちっ、この危機にろくな援軍も送れんとはなァ!」
水が入った銀のゴブレットを、思わず宮殿の大理石の床に叩きつけるタウィーザは、珍しく感情的だ。側近たちが驚愕で目を見開いている。
絶妙なパワーバランスの上に成り立っているこの状況でナハラ部隊を動かせば、その隙をついて摂政が勢いを取り戻すだろう。なら、アザリーの復興がまた年単位で遅れていく。
「ゼル……ヒル……レオナ嬢! くそォ!」
守護神の自分が国内に留まっているからこそ、世界滅亡の危機にあっても国民は立っていられている。自ら助けに行くこともできない。
タミーマはタミーマで、そんな拳を握りしめる兄を、見守るしかできない自分の不甲斐なさに、打ちひしがれていた。
「タウィーザ殿下、お目通りを願う者がおりますが……」
激高する第八王子に恐る恐る声をかける側近に、目だけで許しを出すと――
「ほほ、このような時こそ、平常心が肝要ですぞ、若」
「じい」
最古の隠密。
名前すら失って皆に『じい』と呼ばれているこの老人は、長く伸びた白い眉の隙間から、鋭い眼光が見え隠れしている。
かつてタウィーザのマーカム入国を手引きした手練で、その任務を終えて隠居していたはずだ。
「若への書状をお持ちしましたぞ。やれやれ、隠居の身を未だこき使う者がおって困りますわい」
その皺だらけの手で恭しく差し出した手紙の封蝋を見て、タウィーザは目を見開いた。
「っ!!」
「ほっほ。昔の伝手が大慌てで持ってきよったもの。どうぞお受け取りを」
無言で乱暴に掴み取ると、ペーパーナイフすら惜しんで手で端を破り、中身を取り出す。
「こ……れは!」
「ほっほっほ。こちらも」
後出しの手紙には、薔薇印の封蝋。
品の良い薄桃色のツルツルした材質の封筒で、ほんのり香油が付けられた――
「レオナ嬢からか!」
ひったくって、今度は一瞬止まって息を吐き、引き出しからペーパーナイフを取り出して、封蝋を切った。
「……!! はは、ははははは!」
中身を読むなり頭をガシガシかいて、タウィーザは空を仰いだ。
「やってくれたな、レオナ嬢! おい! 誰か! ナハラ部隊長を直ぐに呼べ!」
さきほどの側近が、慌てて礼をしてバタバタと部屋を出て行くのを見て、ようやくタウィーザは椅子に腰を落ち着け――もう一度それぞれの手紙をじっくりと読む。
一通目。
『突然の手紙で失礼するが、緊急案件につきご容赦を。マーカム王国での合同公開演習に乗じて、ガルアダ王国騎士団団長に対し、貴国摂政よりアザリー王国転覆への加担を打診された疑いがある。貴国との国境にあるルビー鉱山を第一王子ザウバア殿下へ譲渡すると見せかけて、約束を反故にし、国境付近に進軍して欲しいという要望だったと聞いている。国として、由々しき問題であると認識した。今後の両国の関係に響く重大案件とし、速やかな出頭と説明を求む。身柄引渡しに合意されたし。ガルアダ王太子カミーユ』
二通目。
『前略。先日、縁あってガルアダ王太子カミーユ殿下と個人的に懇意になりました。殿下の依頼で、マーカム騎士団のドラゴンスレイヤー・パーティがホワイトドラゴンの巣をガルアダ国内にて発見、加護を得ることに成功したことを、秘密裏にお知らせさせて頂きます。尚、ホワイトドラゴンは、癒しの加護をお持ちで、カミーユ殿下の守護獣としてお側にいらっしゃいます。お陰様でゼル殿下の御御足も回復致しました。もう、ご心配には及びません。カミーユ殿下は、信頼のおける慈悲深いお方でいらっしゃいました。僭越ながら、またいつか皆様でお会いできる日を願って。レオナ・ローゼン』
アザリーとして、今ひとつ踏み込めなかったガルアダとの国交を、レオナは手紙一つで繋げてしまったな、とタウィーザは微笑む。
「レオナ嬢! 一体どれだけのものをもたらしてくれるのだ! これで動けるぞ、じい!」
「ほっほっ。奴のガルアダへの身柄輸送にはこのじいめが付き添いましょう」
「おお? 隠居の身であろう?」
「なあに、これも若造どもへの修行の一環ですわい。では」
――この最古の隠密は、ガルアダへの道すがらわざと摂政を逃がし、摂政派を煽った上で暗殺を成功させた。これにより、さらにタウィーザの王への道を短縮させるのに貢献したが、その途上で寿命を迎えた。
タウィーザ反対派と名前を変えた、摂政の残存勢力は、燻ったままにマーカムへと向かう。
まるで、悪意に吸い寄せられるかのように。
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お読み頂き、ありがとうございました!
レオナが繋げるものは、国を超えて。
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