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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈192〉湖(うみ)にあたうるは
しおりを挟む※引き続き、残酷な表現があります。
苦手な方は、ご注意ください。
※ ※ ※
「オスカーーーーー!」
馬上のゼルの背後で泣き叫ぶジンライは、馬から飛び降りてオスカーに駆け寄ろうとし、ゲルルフとセリノにその行方を阻まれた。
「どけえっ! 雷神の守護獣だぞ!」
ジンライが叫ぶが、
「この魔獣がか! 嘘をつくな!」
拳を下ろさない、ゲルルフ。
「くっそゴリラめ……」
ディートヘルムが、すかさず馬上から例の催眠弾をボウガンで放つ。
ぱしゅううう、と乾いた音がしたそれを、ゲルルフはなんと、拳で払った。
「またか忌々しい! 帝国の野郎が!」
「はあ? ゴリラに言われたかあねえな」
ふてぶてしく馬から降りながら、ディートヘルムがコキコキと首を鳴らす。
「なんだと!」
「騎士団クビになった、役立たずでド阿呆なクソゴリラっつったんだよ。ばあか! 悔しかったら、かかってきてみろや! ゲルゴリラ!」
「っきさまああああああっっ!!」
ディートヘルムが、ジンライに目で合図を送る。
ひきつけるからその隙に、というそれを受け取って、ジンライは走った。
一方セリノは、冷静にボニーをその背に庇うと、剣を構えた。
「なるほどな。間諜は、エドガー付きの近衛だったのか。ジャン殿が悲しむぞ」
ゼルが静かに語りながら、近づいていく。
「王子に何が分かる」
「ん?」
「近衛は、伯爵家以上でないと人間扱いされないんだ」
「そうか?」
「王子のおまえには、わからないだろ!」
「わからんなあ。じゃあシモンはどうなんだ?」
「!」
「人間扱い、されてないか?」
ブルザーク帝国の元諜報員で、皇帝お抱え執事だったシモンは、大好きな隠密のナジャを追いかけてマーカムに移住し、近衛配属となった。
異例中の異例で、帝国での爵位はもちろん、マーカムでも、持っていない。が、今も生き生きと勤務している。
「ジャン殿はどうだ?」
「うるさい……」
「直接、召し上げてくれたんだろう? 恩はなかったのか?」
「うるさい! おれなんて!」
「ははあ。期待に応える、というのはそれほど重圧だったか」
「!!」
「押し潰されたか――それで闇に。堕ちた香りがするもんな」
戻れないならと、ゼルはこおっと吸って、かあっと吐いた。
金色の闘気をまとう闘神が、その魔力を漲らせる。
「ならば来い。せめて、終わらせてやるぞ」
「うるさい! また生贄にしてやる!」
セリノのその言葉は、ゼルの闘志に火をつけた。
「ほう。闘神の本当の力を、見せてやる」
気迫で、大気が震えた。
――その間。ジンライが駆け寄ったオスカーは、すでにその姿を小さくしていた。
「オスカー! オスカー!」
血まみれのぐったりした黒猫のその姿は、胸のあたりが細かく上下している。呼吸が浅いのだ。
「オスカー! いやだ!」
ジンライは、血で汚れるのも厭わず、地面に座り込んで抱き上げた。
「俺の、なにもかも! あげるから! いやだ!」
軽い。
儚い。
硬い。
冷たい。
――ぞっとする。
「いやだよ、助けてよ! トール!」
首を左右に振って泣き叫ぶ、ジンライの目の前が大きく光った。
「っ!! ミョルニル!?」
ジンライの膝の前の地面に、突如として現れたその鎚は、ジンライの父の遺品である。
十二年前のスタンピードに巻き込まれつつも、鍛治職人として最後までその職を全うし、武器防具を作り続けたジンライの父ライデン。そのライデンが、辺境伯ヴァジームの雷槍を打ったとされる神器だ。
今やその力は失われ、雷神トールに預けていた。
『ジンライよ』
「トール!」
『グングニルを助けたくば、ミョルニルを振るうがよい。だがそなたの魔力は――失われてしまうかもしれん。それほど、神の雷は強力だからじゃ』
「いい」
『今まで積み上げたものも、全てなくすかもしれんぞ』
ジンライの脳裏に、一瞬で色々なことが駆け巡った。もちろん、ペトラの顔も。
魔力がなくなったら――きっとたくさんのことを失う。今、手の中にあるものの、全てかもしれない。
「それでもいい!」
『覚悟があるのなら、遠慮なく振るうがよい』
「分かりました!」
「え? 何するの!? この猫、治る? 治すの!?」
傍らで動けなくなっていた、涙でぐしゃぐしゃのユリエが尋ねると、ジンライは焦りながらも答えた。
「ユリエさん。今からこのハンマーを振るうと大きな雷が鳴ります。オスカーを助けるためです。逃げてください」
「……」
「ユリエさん?」
「助けてもらったのよ! あたしもやる!」
そう言って、強引に鎚の柄を一緒に握るユリエをどうこうする余裕は、ジンライにはなかった。
「くそ! 時間ない! いきます!」
――助かれ! オスカー!
願いながらミョルニルを思い切り振り上げて、振り下ろす。
ピシャ、ドドーーーーン!
「きゃっ」
「!!」
「なんだっ」
「ちっ」
戦っていた全員が、止まらざるをえなかった。
上空に眩い光が走ったかと思うと、瞬間で落ちてきたのだ。
神の雷が。
鋭く、強く、圧倒的な力でもって、オスカーの上へと。
草の焼ける匂い。森の生き物が、一斉に息をひそめたような、静寂。
腕も、心臓も、鼓膜も、背中も、全てがビリビリと震えている。
手にあるミョルニルが、熱い。
恐る恐るジンライが目を開けると、じゅわあ、と煙が上がっている。
ふわり、と、そのミョルニルを握るのと反対の手に、柔らかな黒い毛の尻尾が巻きついた。
「無茶するねえ」
エメラルドグリーンの瞳で困ったように首を傾げる、黒い獣。
この場の全員が呆気にとられて動けない中、ジンライだけが
「オスカー!!」
と、その首元に抱き着く。
オスカーは、いたずらっぽくその目を瞬かせてから
「いつぶりかなあ、元に戻ったの」
と言った。
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「神獣グングニル……」
思わず呟く、ジンライ。
「うん。あ、きみ、ありがと。きみのおかげで、アウの魔力の全部を使わずに済んだよ」
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唐突に、ユリエが驚愕の表情のまま後ろに倒れた。
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仰向けで倒れたユリエの全身が、ガクガクと震え始めた。
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「!」
慌てて抱き起そうとするジンライを
「だめ! 呪いだ!」
とオスカーが声と体で止めた。
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それに激怒したのは、ディートヘルムと相対していたゲルルフ。
ものすごい勢いで走り寄って、ジンライを押しのけ、ユリエのそばに膝を突いた。
なんと短慮なのだろう。ボニーはすっかり忘れていたのだ。
ユリエをフランソワーズと思い込ませていたことに。
「おお、おお……かわいそうに……」
途端に泣き出すゲルルフは、がむしゃらにその身体を抱き上げて、嗚咽し始める。
「どうしてこんなことに……」
「か……は……」
ユリエはもう話すこともできず、小さく首を振る。
その手を握るゲルルフは
「うう、呪いは、解くことはできん。だがせめて、ともに受けよう! ひとりにはさせんぞ、フランソワーズ! うおおおおおん!」
と、死蝶を一緒に受けると言う。ジンライたちは切なさに胸を打った。
少なくとも、ゲルルフなりにフランソワーズを本当に愛していたことが、その行動で分かったからだ。
「ギャハハハ、号泣ゴリラ! 自分から死蝶もらいに行くって! ほんとばかだね! おもしろ!」
それを嘲笑うボニーは、既にヒトではないのかもしれない。
「……お前も完全に闇堕ちしたんだな」
ゼルが、ボニーを見据えて静かに告げた。
「だーかーらー? たのしいけどー?」
「本当か?」
「えらっそうにぃ!」
湖畔でユリエを抱くゲルルフ、その前に膝を突くジンライとそれに寄り添うオスカー。
その四人ににじり寄るボニーとセリノの背中から、ゼルとディートヘルムが間合いを詰める。
「や、だ……た、く、ない」
ユリエが、あえぐ。
「ごめ……さい、しに……たく、な」
その目から、徐々に光が失われていく。
「おおおおおおお!」
自身も青黒く染まっていきながら、ゲルルフがユリエを抱きしめて、力の限り咆哮した。
――と。
「うん、いい感じだー!」
唐突に、底抜けに明るい声が響いた。
「最後の絶望は、ゴリラだったかー! 予想外!」
どろどろの黒いナニカに絡まりながら、よろよろと歩いてくるソレに、全員の目線が向けられると、心地よさそうにソレは両手を広げた。
ボタボタと落ちるナニカが、地面にしゅうううと音を立てている。
かろうじて人型を保っているソレを見て、ぱあ、と表情が明るくなったボニー。だが、ソレは無情に告げた。
「さ、出番だよ宿主さん。今こそ、湖へ!」
「……は?」
「あ、ボニー、だっけっか」
「なに言ってるのよ、あたしは」
「君こそが、最後の生贄だよー」
へろり、へろり、と近づいてくるソレの言葉が、唐突すぎて誰も身動きが取れない。
「はあ!? あたしは! この恨みを晴ら」
「恨みだって? 笑えるねえ。自ら進んで権力者を手篭めにしてお金とー、快楽とー、学生名簿とー、あとなんだっけ、あ、成績評価はもらえなかったんだっけ? とにかく快適な学生生活過ごしたんだから、もう良いじゃない」
「違う! 脅迫されてたから!」
「なに言ってるの? 父親を洗脳して、母親から死蝶を奪って、って全部自分の意志でしょ」
「違う! スタンピードだって、あたしが!」
「いやいや、きみはその子に同調したってだけだよー。四歳でそんな分かるわけないでしょ? 特別なのは、その子の方だよ……あ、そっか、認めたくなかったんだね! なるほど、特別な存在になりたいから、事実を捻じ曲げたいんだね」
「ちがう! ちがう!」
「ま、どうでもいいよもう。ね?」
ソレが促すと、セリノが無表情でボニーの二の腕を掴んだ。
「は? ちょっ」
「いこう」
――強引に引っ張っていく。ボニーは、反応できずなされるがまま……
ザザザ。
ザバザバ。
「え!? はなっ」
ドボン。
ゴボガボ……
一瞬のことに、誰もが反応できなかった。
あっという間に二人を飲み込んだ湖は、何度か水際を波立たせると、すぐに静かになった。
「な……んということだ……」
ゼルの呟きが、静寂を破る。
「ハア。やっと……成った……」
ソレが、ぶわり、と存在感を増す。
「まずい。逃げるよ!」
オスカーの声にジンライは呆然としていたが
「乗って!」
問答無用で二の腕に噛みつかれ、ぶおん、と背に放り投げられると、ようやくハッと我に返ってしがみついた。
「ゼル! 急げ!」
馬上で叫ぶディートヘルムは、恐怖で嘶く馬を御するので手一杯だ。
「ちっ」
ゼルも、踵を返して自身の馬へと走り出す。
「っっ、間に、合わなかっ、たっ!?」
ザザザザーッ!
と派手に靴底をすって走り込んできたのは――
「ブンタ! 乗って!」
「え!? オスカー!?」
躍動する黒い獣がテオの前に躍り出ると、ジンライが必死でその手を掴んで強く引いた。
「成ってしまったんだ! テオ! とりあえず離脱するぞ!」
馬に飛び乗りながらゼルが叫ぶ。
「っく」
テオはすぐに気持ちを切り替え、ジンライの背中にへばりついて、周辺の状況を確認する。
「あれ……は」
湖畔で静かにユリエを抱いて座り込んでいるゲルルフは、テオの目には異様に映った。
「置いてくしかない! ハァッ」
ディートヘルムも叫びながら、馬に鞭を入れた。
「なら、本部へ!」
テオもそう怒鳴りながら、緊急通信魔道具を起動する。が、ここまでに魔力も体力も使いすぎて手が震えてしまう。それを背中で感じたジンライは、テオの手首を力強く握ったまま、それを引き継いだ。
「走れ走れ走れ!」
ゼルの怒号。馬の嘶き。荒い息。鞭の音。木々のざわめき。
――全員が全速力で駆け出したのを、ソレは悠然と見送っている。
「ハアア……いーよ、どこに行っても……一緒だから……」
うふふ、と笑いながら、質量を増していく。
「なぜ……こんなことに……」
その足元で独り項垂れるのは、ゲルルフだ。
「ただ、愛されたかった……愛されなかった……手にすら入らなかった……なぜ、ブノワばかり……なぜだ……身分か? 見目か? 理不尽ではないか……」
だらりとしたユリエをその腕に抱えたまま、ブルブルと怒りにうち震える。その身体のほとんどが、既に青黒い。
「俺は……国のために……だが誰も見向きもせず……くそ、最後は団長解任だと……? ふざけるな……ふざけるなよ……こんな……こんな世界! おおおおお」
「滅ぼス? ホロボ……グロロロロ」
ゲルルフの怒りに、ソレが呼応したかのように、同じように声を上げる。
突然、どしゃり、とユリエが地面に転げ落ちた。
ゲルルフが、無造作に立ち上がったからだ。
「……ははは、ははははは! 貴様、さてはまるで戦い方を知らないな? そんなんで世界を滅ぼすなど、笑止! 俺に全部寄越せ! すぐにでも」
――滅ぼしてくれる。
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お読み頂き、ありがとうございました。
やはりラスボスは、このお方です。
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