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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈190〉膿んだ過去
しおりを挟む※残酷な表現があります。
※不快な表現があります。
苦手な方はご注意くださいませm(_ _)m
※ ※ ※
王宮敷地内でまさか騎士が襲われるなど、誰が予想できただろうか。
もちろんヒューゴーとテオは咎められなかったが(貴族女性一人に格子付き収容馬車。目立たぬよう搬送は騎士一人でとの判断であり、馬車用路でなく徒歩用通路を使ったのも問題にはならない)、責任を感じて、夜通し駆けずり回っている。
一方で、騎士団本部に着いたエドガーには、すぐに解呪が行われ、その強固な暗示を解くのには時間がかかることが判明した。
「決して強くはないものの、長い期間に渡りすり込まれている、質の悪いものだ」
レオナの破邪の魔石に頼り、何度も魔力を使うはめになったラザールが「膨大な魔力を使わされるぞ、これは」と苦笑する。
決定打は、やはりカミロの頭痛だった。
以前から、ゼルやシャルリーヌが時々頭痛に悩まされているという報告を、ヒューゴーから受け取っていたフィリベルト。レオナの『解呪』のお茶で痛みが落ち着くことからも、当然闇魔法を疑っていた。症状が軽く実害もないため様子を見ていたわけだが、カミロのは倒れるほどの強烈なもの。しかも『成績評価の改ざん』まで行うに至っていた。明らかに『暗示』ではないかとの見方を強めていた矢先。
「フィリベルト……闇魔法を検知したよ」
アザリー襲撃に備えてカミロが作った、闇魔法記録魔道具。ヒューゴーから借りていたそれを持って公爵邸を訪問し、カミロ本人が告げた事実は。
「信じたくはないが、私の学生だ。知っている通り、ユリエ嬢と――」
フィリベルトは、それを聞いて確信を深めた。プロムで恐らく何らかの『こと』を起こすだろうと。そして、万事に備えたのだった。
「この行き所のない苛立ちと、薔薇魔女への憎しみは……暗示だったというのか……」
王宮の自室に戻るや否や頭を抱えるエドガーに、黙ってジャンルーカが付き添っているが、その表情は険しい。教育係として、エドガーの異変に気づけなかった、と責任を感じているのだ。
「ユリエ嬢はどうなる? どうか話をさせてくれ」
その懇願は、聞き入れられないだろう。王族に危害を加えた挙句に逃走したのだから、かける温情はない。
だがエドガーへの影響を考慮して「まずは解呪に集中しましょう」と、本人了解のもと、そのまま自室に軟禁することとなった。
ラザールは、エドガーの部屋の前で、ジョエルに苦々しく報告する他なかった。
「私の半眼鏡は、闇魔法には弱い。カミロに依頼して、改良してもらう他ない」
長期間に渡ってすり込まれた暗示は非常に厄介で、自己申告で「治った」と言われても、客観的に判断する術が『瞳の色』ぐらいしかない。エドガーの曇った眼も、近づいて覗きこまなければ分からないくらいのもの。王族に対してそんな行為は不敬にあたる。それゆえに、気づけなかった。
「殿下が落ち着いたらさ、レオナに会わせてみようよー」
ジョエルの提案に、ラザールは頷く。
「……そうだな、それが一番確実だ。レオナ嬢には負担をかけるが」
「レオナも気にしてるから、大丈夫だよー」
「……ふ、どこまでも」
「お人好しだよねえ」
二人の騎士は、王宮から本部に向かいながら、お互いを労い合うのだった。
※ ※ ※
「さむ……」
気絶していたのか。
ユリエは、草の上に敷かれたブランケットの上で、目が覚めた。
「ここ、どこ……?」
せっかくの卒業パーティだったのに、訳の分からない疑いをかけられて、捕まって、馬車に押し込められて、そして誰かが馬車の扉を開けてくれて……頭にモヤがかかったように、昨夜のことははっきりと思い出せないが、助けられたのだろう、ということは何となく分かった。
身を起こしてキョロキョロ辺りを見回すと、さわさわと風が通り抜けていく森と草原、そして大量の水が寄せては返しているのが見える。ざーん、ざーん、と定期的に、水際の砂利と波とが戯れているかのようだ。
「海……?」
なによ、ここどこなのよ、と苛立ちつつ自分の身体を目で確かめると、怪我はないようだ。外だというのに暖かいのは、着せられた外套のお陰。しかし、ドレスの裾に泥や枯れ草、その草の汁がこびりついていて、途端にユリエは不機嫌になった。
「あーもう! いよいよこのドレス、ダメになっちゃったじゃん……」
エドガーと婚約するどころか、犯罪者? 冗談じゃない! なんとか逃げて、助けてもらわなくちゃ……て、誰に? 誰が助けてくれるんだろう……とまで思い至ったところで、周辺に人影が全くないことに違和感を持つ。
「ここどこよ! 誰が連れてきたの! ねえ!」
キレながら、叫んで見るも……声は大気に吸い込まれてしまう。ピチュピチュ、と鳥の鳴き声しかしない。太陽の傾きから考えると朝? などと考えながら、どんどん不安になっていくユリエはだが、叫ぶ以外の術を持たない。
「ねえ! 誰かいないの!」
叫びながら、立ち上がる。
「あたしが、何をしたって言うのよ!」
じわり、と涙が出る。
心細くて、理不尽で、不安で。
「……なーんにも?」
そんな、笑いを含んだ声が返ってくるまでは、泣き崩れそうだった。
「!?」
「なーんにもしてないよ、ユリエちゃんは」
「ボニー?」
「うん」
ニコニコと笑みをたたえたユリエの異母妹が、背後から少しずつ歩いて近づいてくる。手を後ろに組んだ、学院の制服姿で。
「良かった、ユリエちゃん。無事だね!」
「……ボニーが、助けてくれたの?」
「んーん。彼だよー」
ニコニコした彼女にどこか薄ら寒いものを感じながら、ボニーと真逆を見やるとそこには
「セリノ……」
「はい」
近衛の制服の胸の部分が、黒いペンキのようなもので染まっているセリノが、静かに居た。珍しく平民出身のエドガー付き近衛騎士で、ユリエとも二年間ほぼ一緒に居たと言っても過言では無い。
「どういうこと……?」
「ユリエちゃんに説明しても、分かんないよ」
「は?」
ニコニコしながらボニーは、ユリエまであと二歩の距離まで来て、立ち止まった。
「せっかく前世? の記憶があるのに、なーんにもできずだったねー。薔薇魔女って悪役なんじゃなかったの? レオナばっかり注目されてさ。ほんと哀れだよねー」
「はあ!?」
「それでも、ただお母さんがそうってだけで、あなたは男爵令嬢。あたしは平民。父親一緒で同い年なのに」
「何言って……」
「助けてあげたんだから、黙って聞きなよー」
セリノが、あっという間にユリエの手首を後ろ手に縛った。
「は!? ちょ、なによ! なんなの!?」
「ねえ、誰のお陰でハイクラスに入れたと思う?」
「あたしの親父が!」
「ちーがーうー」
ボニーが、ユリエの鼻先を人差し指でぴん、と弾く。
「っ」
「あのすけべじじいに、そんなこと出来るわけないでしょー? あ・た・し・よ?」
「は?」
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「なんと! スタンピード、起こしたのー! ギャハハ! ギャハハハハハ!」
スタンピード。その単語は知っている。
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「っ」
「小さくても、それが絶望的なことだってわかった。この世の全てを呪ったわ。ユリエちゃんにそれが伝播して、二人してわんわん泣いて。水と闇が霧みたいにふわーって空に広がったのを覚えてる。あたしの恨み。呪い。全部を乗せて、ユリエちゃんが国中にばらまいてくれたんだー。さすがヒロイン、だっけ! すごいね!」
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「そ……んな」
「ねね、その手の甲のやつ、死蝶て言うんだけどね。人を道連れにして一緒に死ぬ呪いなのー。元々はあたしのお母さんが宿主だったんだけどね、もらってあげたんだ。ふふ。公爵令息もアザリーの王子も、あたしの魔法で死にかけるとか、すごくない!?」
死蝶、別名『悲恋の禁呪』。
闇属性の宿主から授かり、授かった者は自身の命を贄として、対象を道連れにする、無理心中の秘術である。ヒルバーア(実際はボニー)が宿主であり、与えられたアドワはアザリー国王とフィリベルト、ハーリドは第八王子タウィーザをそれぞれ道連れにしようとした。
「それでね、その手の甲のやつ、あたしがユリエちゃんにあげたの! エドガー殺したらおもしろいと思ってー」
「エドガーを、ころす?」
な、にを……言っている?
「前世の記憶は役に立たないし、あんなに暗示かけてあげたエドガーと婚約もできない。進級すらできない。ほんっと面倒見るの大変だった。カミロを洗脳するの、めちゃくちゃ大変だったんだからね」
妖艶な目つきで、近衛騎士のセリノを呼んで、その首に両腕を絡ませるボニー。
「平民同士、愛し合うあたしたちがいなかったらさ。ユリエちゃんたら、とっくに売春婦だよー」
うっとりと見つめあって、ねっとりと見せつけるようにキスを交わす二人の邪な空気が、この雄大な自然に言いようのない違和感をもたらしている。
「んふん。だからさ、最期くらいは役に立って?」
「は?」
ふぉん、と不思議な音がして。
「さーすが無属性。あっという間に~ご令嬢のでーきあーがりー!」
きゃっきゃと笑うボニーが、水面を見ろと促すので、ユリエは手を後ろ手に縛られたまま恐る恐る歩き出し、覗きこむとそこには――
「え? え!? えっ……」
どんなに角度を変えて見てみても、変わらない。
揺れる水面に映るのは、自分の顔ではない。
自身の肩に揺れる髪色も、自慢の桃色ではなく、鮮やかな金色に変わっている。
「フランソワーズ……?」
ユリエの顔が、フランソワーズになっている。
「これはねえ、サーディスに教えてもらった魔法なの。生きてる、会ったことのある他人になれる魔法。すごいでしょ!」
「ちょっと、なに? なにをさせようって言うの……」
「いーけーにーえー! ギャハハハハハ!」
ひゅ、と息が止まった。
いくらユリエでも、その単語の意味は分かるからだ。
「ねね、ほら。見てあれ! あの木の下!」
今度は指をさされた方を、素直に振り向くユリエが見たものは。
「あ、れは」
「マーカムの誇る王国騎士団騎士団長、ゲルルフでーす! あ、元か」
木の幹に縄で身体を括りつけられて座っている、ゲルゴリラことゲルルフ。
気を失っているようで、首が垂れていて、その表情は見えない。
「ちょっと、まって、な、な、な」
息が苦しい。呼吸が浅く、酸素が足りない。恐怖で、膝がガクガクする。
水際で、両手が不自由なまま、ユリエはしゃがみこんだ。
「……やめ、て! いやよ! やめて!」
泣き叫ぶしかできない。
あいつが目覚めたら――
にやー、と嗤った後で、ボニーは空に向かって両手を広げて見せた。
「奈落の神よ! 今こそ、この贄を受け取れ!」
その声を合図に、セリノがその木のもとへと歩いて行き、ゲルルフを縛る縄をナイフで切った。
そして、目覚めるゲルルフの脇に膝を突いて
「団長、ご無事でしたか」
と殊勝に声をかける。
「セリノ……か?」
「は。あちらのフランソワーズ様のご要望で、お助けいたしました」
「!!」
ゆらり、と立ち上がるゲルルフ。
「おぉ……」
ざん、と一歩踏み出す、その大きな歩幅が、ユリエの恐怖を煽った。
「やめ、て」
「我が愛しき人よ! おお! もう離れまいぞ!」
ざく、ざく、ざく。
「いや、いやああ」
手は後ろで縛られている。膝には力が入らない。着実に近寄ってくる恐怖に、ユリエはただ首を振ることしかできない。
「かわいそうに、縛られているのだな。今ほどいてやろう」
舌なめずりをするゲルルフが、縄を解いて……覆いかぶさってくる。
「いや、やめ……」
「恐怖の顔も美しいな、フランソワーズ。今すぐ、俺のものにしてやる」
「いやあああああああああああああああああ」
空を掴もうとするユリエの細腕は、何も掴めずにただ震えるしかできない。
びりびりと服の破れる音が木霊し、ユリエの泣き声がかすれていく。
恍惚に顔を歪めてそれを眺めるボニー。それを後ろから抱くセリノは無表情だ。
「ああ、今こそひとつに……!」
ゲルルフのうっとりとした声を、ユリエはめちゃくちゃに暴れて打ち消そうとする。
「っっやめてえええええええ!!」
その、次の瞬間。
鋭い風の音が全員の耳を襲った。
フッと、眼前に飛び込んできた黒い大きな獣。黒ヒョウのようなそれが、やがて言葉を発する。
「こんなしんせいなばしょで、それはダメだよ」
グルルルルル。
喉を鳴らすその獣が、ユリエにのしかかるゲルルフを即座にその爪で弾き飛ばす。
「ここはトール湖。オイラは雷神トールの守護獣、グングニル」
「グング……ニル?」
言いながら、ユリエは破れた服をかき抱く。
「オスカーともいうけどね。ぎしきなんて、させないよ」
「はん! 騎士団長! 魔物です! フランソワーズを襲う気です!」
すかさず叫ぶボニーに、
「うおーのれえええええ!」
弾き飛ばされたゲルルフが、闘気をみなぎらせて立ち上がった。
「はあ。やるしかないか……アウの魔力で、たりるかなあ」
オスカーは、舌なめずりをした。
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お読み頂き、ありがとうございました。
これから、怒涛の展開が続きます。
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