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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈187〉卒業パーティ 中
しおりを挟むアデリナが見立てた卒業のドレスは、深紅ベースのサテン生地。黒いレースがふんだんに使われたワンショルダーの、非常に大人っぽいデザインだった。パニエでのボリュームはそこそこに、身ごろ部分には黒サテンのフリルがついているデザインで、全体にビジューを散りばめられたまさに『夜会』なドレス。首には黒サテンのチョーカーとブラックダイヤ。耳にはルビーとブラックオニキスが組み合わされたイヤリング。大胆に出した、レオナの華奢な肩の上で揺れるイヤリングが、大人の魅力を引き出してくれている。
トップにまとめて結い上げられた髪の毛には、ルビーとブラックオニキスが埋め込まれた薔薇のバレッタ――ルスラーンからのプレゼントである。
ともすれば、とげとげしい魔女のようになりがちなデザインを、さすがマダム、洗練された大人の女性として引き立つようなラインに仕上げてくれていた。
開かれたダンスホールの扉の向こうには、色とりどりのタキシードやドレスを身にまとう学生たち。
思い思いに飲み物を飲んだり、おしゃべりをしたり、別れを惜しんだり。
騒がしい会場の中へ、ローゼン公爵令嬢レオナは、足を踏み入れる――
「っ……薔薇魔女……!」
誰かが、そうつぶやいたのが聞こえた。
深紅に黒いレースのドレスだもんね。そう言われても致し方ないか、と肩をすくめそうになるのをこらえて、レオナは正面を見据え、堂々と入場していく。
「美しいわ」
「薔薇魔女様」
「素敵……」
「ほう」
――ん?
「さすが薔薇魔女様」
「あふれる魔力が素敵だわ」
「深紅がお似合いですわね」
――んん?
「お美しい」
「踊ってくださるだろうか」
「薔薇魔女様っ」
――んんんん!?
「もう、悪口じゃないんですよ、レオナ様」
ヒューゴーがささやく。
「え?」
「薔薇魔女は、学生の間で、尊敬の名前に変わりました」
「えっ……」
ステージ上の国王、第一王子に形通りのあいさつを済ませ、ジョエルとシャルリーヌの待つテーブルへ近寄りながら、レオナはなおも首を傾げる。
「尊敬? て?」
「相変わらず、ご自身のことには鈍感ですね」
ヒューゴーが苦笑する。
「この二年間、貴方様が成し遂げてきたことを思えば当然でしょう」
きょとりとするレオナに、果実水の入ったグラスを差し出すシャルリーヌも
「ほんと鈍感! ……言われないとわからないのよね」
苦笑いを遠慮しない。
「まあ、そこがレオナのいいところだしー?」
ジョエルが、シャルリーヌの腰を抱いたまま微笑む。
「女性の初留学を成し遂げてー、革命的な魔道具を作ってー、ダイモンイチゴの販路を確立してー、さらにベヒモスを倒すのに貢献したんだからねえ」
「そっ……うね?」
「あとはー?」
ジョエルが促すと、ヒューゴーが
「下位貴族へも分け隔てなく接し、マーカムのマナー慣習の浸透に尽力。平民のジンライを救い、帝国留学への後押し、さらには」
と続け、シャルリーヌの
「ブルザーク皇帝陛下、ガルアダ王太子殿下、アザリー王子殿下、ブルザーク陸軍大将閣下子息から求婚されるぐらいの淑女っぷり」
ウインクで締めくくられた。
「えっと……そう改めて聞くと、誰のことかなって……」
いつの間にか合流した、ジンライ、ペトラ、ゼル、ディートヘルムも加わって。
「「「「「「「レオナ・ローゼン!」」」」」」」
ひえええ、である。
みんな、満面の笑みだ。
「んもう!」
当然、恥ずかしくなってしまったレオナは、それをごまかすように
「あれ? そういえば、テオは?」
キョロキョロするが、見当たらない。
「あっちだぞ」
ゼルが、にやりと親指で背後を差すその先に、壁際で女性に囲まれて出られなくなっているテオがいる。
「卒業実習以来、あの通りだ。平民だって言ってもローゼンの侍従であれば、引く手あまただ。くく」
「まあ!」
レオナは、そんなゼルを見やって
「ゼル、まだ無理しちゃダメよ?」
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「今日、マクシムたちは別任務で、残念がっていた」
「あら……それは本当に残念だわ。皆様お元気かしら?」
「ああ。毎日めちゃくちゃ鍛えられていると言っていたがな」
「ふふふ。大変ね!」
マクシムは、ベヒモス戦での功績が認められて、王国騎士団内での扱いがぐんと上がったらしい。今まで魔力がない奴なんて……と下に見ていた者たちも、途端に見直してくれたそうなのだ。おかげでさらにあちこちの任務をあてがわれて大変らしいが。
「プロムが終わったら、一緒に帰国する」
ディートヘルムのその言葉に、レオナはずきん、と胸が痛む。
「ディート……」
「いいさ。レオナが帝国に来てくれないことは、わかっている。今日のドレスが物語っているよな」
その横で唸るゼル。
「ぐぬぬぬ」
「ゼル……わたくしは」
そう顔を上げたレオナだったが――
「皆の者!」
国王の挨拶が始まってしまった。
いつの間にか、エドガーの入場も済んでいたらしい。ステージ上の王族席に並んで座っている。
ゼルの苦笑が返ってきたので、レオナが肩をすくめてみせると、ディートヘルムは無言でゼルの肩を支えて、椅子に座らせる。意外と面倒見が良いのは本当らしい。
――卒業、かあ……
レオナの胸の内に、二年間の思い出が溢れる。
嬉しいが、寂しい。
皆と離れ離れになるのだから。
寂しさが、シャルリーヌに伝わったのだろう。いつの間にか、ぎゅ、と手を握られていた。
――せめて今日は、めいっぱい楽しもう。
「プロム、開幕である!」
※ ※ ※
――あとはもう、断罪イベントしかない!
ユリエは独り、思いつめていた。
卒業実習でイベントが起こったはずなのに、エドガーからはまだ求婚されていない。ドレスだって結局買ってもらえず、仕方なく復興祭の時のものを無理矢理着ている(小さいし、短い)。異母妹のボニーはドレスがないからと、プロムには出られなかった。
かつて、エドガーと仲睦まじくするユリエにすり寄って来ていたクラスメイト達は、卒業実習後ぱたりと挨拶にすら、来なくなった。
――婚約できてないからだわっ!
そう握りしめる拳は、ピンク色の絹手袋の中で青黒く染まっている。
原因はわからないが、右手の甲のシミが、どんどん広がってきているのだ。
何かの病気か? と思うと怖くてたまらない。
早く婚約して、王宮のお抱え治癒士に診てもらわなくては、と焦るが、実習以来なぜかエドガーには会えなかった。
アリスター第一王子による処遇が決定するまでは「エドガーは王宮から一切出てはならない」という実質軟禁の指示だったわけだが、ユリエがそれを知る由もない。
――やっと、やっと会えた……
ユリエにはもう「エドガーと婚約するために、レオナを断罪する」という思いしかない。
周りの状況を見ることも、自分の行動でどうなるのか想像することも、ましてや、自身が今どのような立場に置かれているのかも……全く考えてこなかった。
自分の地位も、学院の勉強も、周りの評価も、全て『ヒロインたる自分』であれば優遇されて当然なのに、この世界はおかしい! と憤り……憤っただけだった。
努力も工夫も、現状を顧みることすらもせず、ゲームなら丸ボタン連打で済んだのに、という気持ちだけで――寝て起きて学院に通っただけの二年間。
そんな『ヒロイン』ユリエの集大成は、
「薔薇魔女、レオナ・ローゼン! あの恐ろしいバケモノを召還した犯人は、あなたよ!」
プロムの会場で声高に叫ぶことから、始まった。
※ ※ ※
「どうかお帰りください」
ピオジェ公爵邸、応接室。
父のオーギュストとともにゲルルフに相対していた公爵令嬢フランソワーズは、冷ややかな声を出した。
それを聞いて、ガシャガシャと帯剣している武器が鳴るぐらい、ゲルルフは立ち上がって興奮しはじめた。
「なぜだ! 今からでも間に合う、行こう!」
「行きません、と申し上げています」
「まあまあ。座りたまえ、団長」
「むう」
フランソワーズは、頭を抱えそうになるのをかろうじてこらえていた。
卒業実習で負った頬の傷を理由に、屋敷に引きこもっていたのだが、復活したゲルルフが毎日のように訪ねてくる。心配だ、顔を見せてくれ、一緒にプロムに出よう……フランソワーズの気持ちを無視した横暴な振る舞いに、いい加減辟易としていた。もうこれは、面と向かって断らなければ埒が明かないな、と思って出てきたが、やはり無駄だったようだ。
「プロムだぞ!」
「存じ上げております」
「なぜ、行かないなどと」
「行きたくないからです」
「プロムなのだぞ!」
――平行線ね。
フランソワーズは、フィリベルトでないのであれば、誰であろうとお断りだ。
卒業実習で彼に抱えられた時、自身の気持ちがはっきりと分かってしまった。この世の全てを恨んでしまいたいぐらいに、強く恋焦がれた。もう遅いかもしれないが、これから彼に見合う女性になって――と夢見ても良いではないか。あの自由な薔薇魔女のように。
だが父のオーギュストは、エドガーとの婚約には、もう益がないやもしれぬ、となんとゲルルフに方向展開し始めているのだ。ゲルルフは騎士団長でしかないが、彼が持つ様々な情報をオーギュストに流しているらしい。特に他国の動向は、商売人に高値で売れる情報だ。
吐き気がする。
こんな、暴力的で女を見下しているゴリラのような男に、娘をすすんで嫁がせたい親がいるとは。
――フィリ様でないのなら……
オーギュストは、やはり白狸と呼ばれるだけあって、フランソワーズのそのような気持ちはお見通しだった。
頑なにゲルルフの申し出を断る娘を、横目で侮蔑するように見てから
「フランソワーズ。無駄だぞ」
と吐き捨てる。
「……何がでしょうか」
「おまえは知らないと思うが、おまえの母親がしたことだ」
「な……んのお話でしょうか」
フランソワーズの母親は、ピオジェ第二夫人ガブリエラである。
病のため王都郊外のタウンハウスに隔離されていて、表舞台どころかフランソワーズも十年以上会っていない。
「かつてガブリエラが、四歳のレオナに毒を盛るよう指示をしたのだ。当然ローゼンはそれを知っているぞ」
「え?」
「シャルルが産まれて焦ったんだろう」
シャルルというのは、第一夫人の息子だ。
オーギュストがこれでもかと大切に育てている、跡取りである。フランソワーズの異母弟であるが、話したことはないどころか顔すら合わせない。
「レオナ……を?」
「そうだ。殺そうとしたんだ。はたして妹を溺愛している男が、そんな女の娘をどう思うか? 考えよ」
「そ、んな、ことって……!!」
オーギュストは立ち上がると、絶句するフランソワーズを見下ろして「ふん」と襟を整えてから
「行かぬなら、ゲルルフとどこかへ出かけてはどうだ? ん? デートぐらいしてもバチはあたらんだろう」
と言い放ち、応接室を出て行った。
ゲルルフが、デートという単語に反応してそわそわしているその向かいで。
――フランソワーズは、ショックのあまり、気を失った。
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お読み頂き、ありがとうございました!
フランソワーズ、相当ショックだったと思います……
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