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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈185〉それぞれの思惑
しおりを挟むかっこ、かっこ。
かっこ、かっこ。
街から完全に出るまでは、馬の速さはゆっくりめのトロット。
定期的な蹄の音が石畳を鳴らす中、低くて耳心地の良いルスラーンの声が、レオナの耳元で囁く。
「さっきは悪かった」
「……」
かっこ、かっこ。
かっこ、かっこ。
「……」
「いいの……もう、気にしないで」
せっかくの告白が届かなかったことで、しばらくショックを受けていたレオナ。だがルスラーンの腕の中で馬に揺られているうちに、じわじわと「なんて不器用な人……可愛い」という気持ちの方が勝ってきた。
レオナは――無意識なのだが――俗に言う『スパダリ』なタイプは父のベルナルドや兄のフィリベルトで見慣れすぎていて、並のレベルでは視界に入らなくなってしまっている。さらに、王子や貴族キャラは、エドガーのお陰で、まっ先にうげぇと思ってしまうトラウマ持ち。しかも前世は、恋愛に全く無縁の地味喪女なので、ゼルやディートヘルムのようにグイグイ来られても正直困る。つまり、ルスラーンぐらい不器用で強面の方が好みなのだ。
――この人ほんとに、世界最強の呼び声高い、漆黒の竜騎士なの? 可愛すぎる……でも、相当積極的にならないと気づいてもらえないって、よくわかったわ。
レオナは、胸の奥がしくしくと痛んだ。
災禍の神が身のうちにあるような人間が、普通の恋などできるわけがない。一方で、カミーユの見立て通り、本当にルスラーンが自分を想ってくれているのなら……普通に恋をしてみたい、とも願ってしまう。
――思い切って、甘えてみようかな……今だけでいいの、今だけ。最後の思い出でいいから。普通の恋を、してみたいよ……
横乗りの姿勢で、ルスラーンの腰に手を回して、ぎゅっとしてみる。みしり、と筋肉が詰まっている鍛え上げられた身体を、騎士服越しに感じた。
いつだったか見てしまった、シックスならぬ『テン』パックな彼の腹筋を思い出して、レオナの胸の鼓動が高まる。
「っ、どうした? 辛いか?」
「うん……ちょっと、疲れちゃって……」
「そうか。もっと寄りかかって良いぞ」
かなり大胆なことをしているつもりだが、ルスラーンは、体調を気遣ってくれたようだ。左手に手綱をまとめて持ち直すと、右手でレオナの腰をぐ、と抱いてくれた。レオナが力を抜いても落ちないように。
――んもう! 優しい! 大好き! でも通じない! さすが!
三顧の礼ならぬ、三告白の刑だもんなぁ、とおバカなことを考えたレオナに、イタズラ心が湧き上がった。
「ルス……き……」
「ん?」
「んふふ」
――こうなったら、どさくさに紛れて「好き」って言っちゃうもん!
「……き」
「レオナ? 聞こえなかった」
天気が良く、整備された街道とはいえ、馬上である。
風の音や、時々すれ違う馬車の車輪音、その荷台の荷物がぶつかり合う音、人々の話し声や鳥の声。
馬の呼吸や手綱の擦れる音、帯剣している武器の金属音、衣擦れ音。
レオナの小さな呟きが、馬を操るルスラーンに届かないのは、至極当たり前のことだ。
「なんて言ったんだ? ち?」
「ないしょ!」
「んだよ、気になる」
「んふふふ」
「……楽しいなら、良いけどな」
「うん。たのし。ルス……き」
「おー? わかった、当ててやる。えー……かち?」
「ぶー」
「ぶーてなんだよ」
「間違いっていう、合図ですう」
「はは! なんだそれ。じゃあ……まち?」
「ぶっぶー」
「なに!? あ、もっと間違いってことか?」
「ぴんぽーん!」
「ぴん? 今度はなんだよ」
「ぴんぽんというのが、当たりの合図です」
「ふは。なるほどわかった。んじゃー……ゆき?」
「ぶー!」
「くっそ、外れたかー」
「んふふふ」
――こんなくだらないやり取りを、一緒に楽しんでくれる。なんて、幸せな時間なのだろう。
ルスラーンの腰に抱きついたまま、レオナはその胸元に頬を押し付けた。
「どした? 辛いか?」
馬を操るルスラーンは、チラり、チラりとレオナを見るものの、前方や周辺に常に気を配っているので、なかなか目が合わない。
レオナは、この臆病で優しい最強の騎士が、愛しくてたまらなくなった。
「(す、き)」
顔を上げて、今度は口だけで言ってみた。
ちろ、と目は合ったはずなのだが、返ってきた答えは。
「……あー……降参」
かかっ! とルスラーンの体温が上がった。
耳の上が、赤い気がする。
――え? もしかして……?
レオナが気づいた通り、ルスラーンは、内心激しく動揺していた。
(『好き』って言ってるように見えた……俺の妄想、相当やべぇな……)
「ルス?」
「そろそろ街の外に出る。馬、走らせるから、揺れるぞ」
「……はい」
「疲れたら、遠慮なく言ってくれ。いつでも休むから」
「ありがとう……あのね」
「ん?」
「このまま抱きついてても、い?」
「もちろんだ。しっかり掴まってろ」
「ん……だいすき」
「!? っっ」
(やべぇ! いよいよ俺、『だいすき』って幻聴まで聞こえたぞ……)
ルスラーンは、しばらく悶々としていたが、どうしてもたまらなくなって……馬が揺れるのに合わせて、レオナの頭頂に何度かキスを落とした。レオナは、それに気づかないフリをして――こっそりと泣いた。
そんな二人をチラと振り返る馬上のジョエルは、
「あーあ、これでもかってイチャイチャしてるー」
と肩をすくめるが、ラザールは
「今ぐらい良いだろう。帰国したらまた大変になるんだ」
意外にも許容範囲らしい。
「おー。てっきりラジもレオナのこと好きなんだと思ってたんだけどー」
「特別ではあるが……身内? 妹のような感覚だな、多分」
「はは! そっかー」
「それより、婚約したらやはり変わるものなのか? その、気持ちというか」
「うん、そ……へ? なに、なになにその質問ー!」
「……気にするな、興味があっただけだ」
「怪しいー!」
「うるさい」
そんなジョエルとラザールのやり取りを見ていたヒューゴーは。
「こっちのこれも、大概イチャイチャだよなぁ……」
と、溜息をついたのだった。
※ ※ ※
レオナ達は、当初の予定よりも一日早い、卒業パーティの三日前にローゼン公爵邸へ到着することができた。
フィリベルトが出迎え、レオナをしっかりとハグしたのを見届けた一行。挨拶もそこそこに、休む間もなく今度は騎士団本部へ直行、である。
魔道具を駆使し、馬にかなりの無理をさせ、旅程を大幅に短縮したものの――往復で六日の不在は、当然周囲にかなりの負担を強いた。
マーカム王国戦力ツートップの不在。不安な状況下においても大きな混乱がなかったのは、近衛筆頭ジャンルーカと、第一師団長セレスタンの力によるところが大きい。
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それが分かったレオナは、せめて、とそれぞれに回復魔法を施した。
「ありがとー! バタバタでごめんねー、ジャンとセレスが瀕死らしいからー!」
と、ジョエルは割とシャレにならないことを言い
「こっちも、ブリジットが魔王になりつつあるらしい」
と、ラザールが大きな溜息をつく。
ルスラーンは、何か言いたそうにしたものの、結局
「……またな」
と、ぶすりと去っていき――レオナはまた抱きつきたいのを我慢して、その背中を見送った。
そんなレオナはレオナで、ジョエル達との別れの挨拶を済ませるや否や、すぐに報告をしたい! と主張した。着替えた後で、美味しい紅茶とともに再び労ってくれるのは、レオナに対してのみ寛大かつ優しい兄、フィリベルトである。
「頑張ったな、レオナ」
「いいえ、私は何もしておりませんの。皆様のご尽力と、カミーユ殿下のご協力に感謝致しておりますわ、お兄様」
「そうだね……まさか、ホワイトドラゴンの試練が、討伐でないとは。本来なら偉業として大々的に発表したいところだが、そうはいかないのが悔しいね……ヒューゴーも、よくやってくれた。ご苦労だった」
「はっ」
「こちらでも、次の『終末の獣』に備えて準備や根回しは着々と進めていた。今のところ状況に変化はないから、安心して良いよ」
フィリベルトは、そこでティーカップを持ち上げ、こくりと紅茶を一口飲んだ。
「……さて、それは良いとして。どんなワガママな要求を隠しているのかな、我が可愛い妹は」
「っ」
平静を装っていたのに、すぐにバレちゃうのよね、とレオナは自嘲の笑みを漏らす。
「あの……お兄様に、ご無理をご承知で……」
レオナが振り返ると、ヒューゴーの手の中には、封印布に包まれた『百薬の魔石』がある。
「分かっている。レオナ達が旅立った後、王宮図書室の閲覧許可を得て、くまなく文献を調べていた」
ヒューゴーが、背後で息を呑む。
「――残念だが、百薬の魔石に関する記録は、一切見つからなかった」
「左様ですか……」
「ッ……」
あからさまに肩を落とすヒューゴーであるが、
「見せてくれるかい?」
フィリベルトが手を差し出したので、素直に布ごと石を渡す。
「ふむ……静かだね」
「静か、というと?」
「他の竜の魔石……破邪や、黒鋼、赫焉を見てきたけれど、力が強すぎてね。とてもこうして直接触れるものではなかった。ホワイトドラゴンは、何か言っていたかな?」
「憎悪に気をつけろ、これを託す、と」
「そうか……ゼル君のところに、行ってみるかい?」
「良いのですか!」
思わずレオナがソファから立ち上がると
「良いも何も」
フィリベルトは、それを困ったような顔で見ながら、やはり向かいの椅子から立ち上がる。
「それは、レオナの物だからね」
「お兄様……」
「私は、レオナのやりたいことを、そばで見守る。それだけだよ。いてもたってもいられないのだろう? さあ、行こうか」
レオナは、無言でフィリベルトに駆け寄り、抱き着いた。
ヒューゴーは、涙を流して、深く頭を下げた。
※ ※ ※
卒業パーティを明日に控え、マーカム王太子アリスターは、頭を抱えていた。
ベヒモス出現時に避難しないどころか、討伐パーティの邪魔にしかならなかったエドガー(とユリエ)の処遇について、決めなければならないからだ。
本人は
「マーカムの王族としてその場に残って指揮をしたまで!」
と胸を張っており、何度
「逃げることが王族の務め」「そもそも指揮権などない」
などと説明をしても納得せず
「兄上は、僕をそこまで貶めたいのか!」
と憤ってしまい、ついには部屋から出てこなくなった。
王立騎士団第三師団長としてのフィリベルト・ローゼンは、事態を慮って二種類の報告書を提出している。
一つはエドガーには触れず、淡々と戦況と結果を報告したもの。
もう一つはアリスター向けに事細かな説明をしたもの、だ。当然後者は、アリスターのデスクの中に眠っていて、国王には見せていない。フィリベルトは、出してもいいとは言っているが、とても見せられない。
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アリスターとて、自分の血のつながった弟だ。信じたい。
が、幼少時の屈託のない彼からは、性格がずいぶん変わってしまった。
素直で明るく、裏表がなく、憎めない性格で
「レオナ嬢と結婚して、公爵として兄上を盛り立てたい!」
とキラキラと語っていて可愛いな、と思えていたのは、はるか昔のことのようだ。
「決断、か……王の道とは、残酷なものだな」
教育係のジャンルーカは、既に見限っている。
アリスターの苦悩は今やもう、孤独なものとなってしまっていた――
※ ※ ※
たゆたう水面が、キラキラと真昼の太陽を反射している。
サービアは、ざくざくと無遠慮に草花を踏みしめてやってきた来訪者を、座ったままの姿勢で迎えた。その花も生きてるんだけどなあ、とボンヤリその足を眺めながら、何日かぶりに声を出す。
「……ひさしぶりだね、宿主さん」
「まだ!?」
開口一番が文句とは、めんどうだな、とサービアは思う。
「うん。もう少しかな」
「ぐだぐだと!」
「……待てないなら、今すぐ殺してあげよっか?」
「っっ」
「闘神が左足だけだったからね。足りないんだ」
ゆらり、と立ち上がるサービアが、宿主の顔に陰を作る。
「死ぬ覚悟もないくせに、煽るなよ」
どろり。
「ひっ」
「おまえの闇なんて、ゴミでしかない」
ねろり。
サービアから、何か黒いドロドロしたものが、漏れ出る。
空気に触れると、しゅううう、と気化する。
触りたくなくて、宿主は一歩、二歩と下がり、バランスを崩してしりもちをついた。
「やめ、やめっ!」
「おまえがうごくと、いろいろばれちゃうかもしれないだろ? 言われないと分からないのか。残念だねえ」
わざと、ゆっくり話してあげる僕は、優しいよね?
「明日、卒業パーティ!」
「知ってるよ」
「間に合う!?」
「間に合わないねー」
「なっ」
「あともう少しだけ、イケニエが必要なんだよ。誰か、いない?」
サービアの言葉に宿主は、ニタァ、と笑った――
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お読み頂き、ありがとうございました!
いよいよ卒業パーティです。
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