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最終章 薔薇魔女のキセキ

〈178〉もうひとりの

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「閣下。力を貸して頂きたい」
 王宮の宰相執務室に、珍しくノックをしてから入ってきたジョエルは、騎士服をきちんと着込み、その覇気を隠すことなく漂わせていた。

 ベルナルドは、咄嗟に無表情を装うものの、その申し出に思わず心が弾んでしまった。

 ――うるわしの蒼弓そうきゅうが、ついに動くか。

 この不安定な情勢にあっても、前のめりで進んでいく次世代を、後押ししないでいられるはずはない。

「ほう? なんだ、言ってみろ」
 タダでは貸さんぞ? と楽しく圧をかけながら、ベルナルドはニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。



 ※ ※ ※



「ヒュー兄さん」
「んー?」
「これ、どうかな?」
 テオは、届いたタキシードを、公爵邸で試着して見せている。
 
 これは、プロムと呼ばれる卒業パーティに備えてのものだ。レオナの誕生日パーティの時、フィリベルトからお下がりをもらっていたテオは、それで良いと思っていたのだが「贈らせて欲しいんだ。我が家へようこそ、だしね」と申し出てくれたフィリベルトに甘えることにし、新調してもらった。
 
「ん。似合ってる」
 力なく笑うヒューゴーは、自身の手でゼルの命とも言える脚を切ったことから、当然まだ立ち直れていない。

 ゼルには二度会いに行ったが、二度とも
「俺が頼んだことだ。むしろ背負わせてすまない」
 と逆に謝られてしまい、悲しさや無力感、後悔の持って行き場がなくなってしまった。
 
 はあ、と溜息をついて、らしくなくぼーっとするヒューゴーを、どうしたら……とテオも頭を悩ませている。
 

 コンコン。
 遠慮がちなノック音がして。
 テオの私室に、珍しくやって来たのは――
 
 
「ヒューゴー、ジョエル様から手紙が届いていますよ」

 わざわざ? と疑問に思う前に、執事のルーカスが封筒を手渡しながら、ヒューゴーの手を両手で握りしめた。

「……貴方は、私の誇る息子です」
「え……」
「例え貴方自身でも、私の息子を傷つけるようなことは、してはなりませんよ」
「!」
「大切で信用できる友だからこそ、だったのでは? ゼル殿下から託されたものを、真摯に背負って生きましょう」
「……っっ」

 ルーカスの言葉は、とてつもなく重く、そして説得力がある。
 
 かつて、『英雄』ヴァジーム・ダイモンとパーティメンバーであった彼は、冒険者時代、過酷な旅をしていた。世界を巡り、戦い、仲間を喪い。ヴァジームがマーカム王国の騎士団長に就任することを決意したため、パーティは解散。ルーカスはベルナルドに雇われた。

 今やシワの目立つその手の中に、たくさんの友の命がある、と彼はいつだったか、寂しそうに笑っていた。

「ヒューゴー。貴方には、まだまだやることがあるのですよ。薔薇魔女として覚醒してしまったレオナ様を、誰が護衛するのです? テオに譲りますか?」

 ルーカスが、にっこりとテオを見つめると、テオはタキシードを着たままビクッとその肩を震わせた。

「顔を上げて、周りをご覧なさい、ヒューゴー。これで終わりですか? レオナ様達は、次の災厄こそ強大だと、必死で備えていますが……貴方はこのまま何もしないのですか?」
「!!」
「せめて、全てが終わってから悔いなさい。その時は私も一緒に」
「と、……父さんっ……」

 ヒューゴーは、ジョエルの手紙と、ルーカスの手を握りしめて、ひとしきり泣いた。
 後悔をとりあえず押し流して、前を向くために。
 そして涙を拭いて、立ち上がった。

「レオナ様の、護衛にいきます!」

 扉から勢い良く飛び出ると、廊下でマリーが
「ったく。遅いわよ」
 と微笑んで――そっと抱き締め、背中をポンポンと叩いた。まるでおかえり、と言われているようで、ヒューゴーの心が温まる。
「中庭にいらっしゃるわ。お願いね」
 妻が何も言わずにずっと寄り添い、見守ってくれていたことを知っているヒューゴーは、
「……おう! マリー」
「ん?」
「愛してる」
 がぶ、と噛み付くような口付けをして
「ん! もう、ばか!」
 
 ――脛を、蹴られた。



 ※ ※ ※



「やれやれ。娘を二人共騎士団に取られるとはなあ」
「……絶対に、幸せにします」
「わかっているよ。むしろ、決意してくれてありがとう」
「良いのですか? ガルアダの」
「誰が、好き好んで他国へ娘をやると?」
「……」
「バルテ侯爵家の愛国心を舐めてもらっては困る。――後押しさせてもらうよ」
「!」

 バルテ侯爵は、その場で婚約届に署名をし、ジョエルに託した。

「ま、娘の気持ちが一番大事なんだけどね。頑張りたまえ。バルテ家は、女が一番強いんだ」

 とウインクしながら、早速義父としてのありがたい忠告をくれる。

「は、肝に銘じます」

 苦笑するジョエルは、そうしてバルテ侯爵邸を辞し、その足で王宮にあるゲストルームへと向かった――


 その部屋は、王宮でもかなり奥の方にある豪華な作りのものだ。友好国の高位貴族にあてがわれる区画にあって、配備されるメイドや侍従も、身持ちのしっかりした男爵や子爵の令嬢令息で固められている。

 ジョエルが足早に廊下を歩いていくと、皆完璧な所作で脇に寄り、礼をしたまま顔を上げず見送ってくれるのだ。

 
 白地に金の縁取りが施された、豪奢なドア。
 部屋付きの近衛騎士がノックをすると、
「はーい」
 間延びした返事があるので、名乗る。
「ジョエル・ブノワです」
「……どうぞー」

 近衛騎士が恭しい態度で扉を開け、入室すると、ガルアダ王太子カミーユは、お茶をしていたようだ。テーブルに焼き菓子と、手にはティーカップがあった。

「突然の訪問、申し訳ございません」
「いーよ。どうぞ、座って」
「失礼致します」
 向かいに腰掛けると
「……シャル嬢のこと?」
 開口一番これである。
 
 勘の鋭さは一級品だな、とジョエルは内心舌を巻く。
「はい。婚約届にバルテ侯爵から署名頂きました」
「へえ。他国の王太子を無視して、強引に進めたんだね?」
「残念ですが、私の動きは数年前からです」
「シャル嬢の成人を待ってたってわけ?」
「その通りです」
「げー」

 ティーカップを綺麗な所作で持ち上げて、カミーユは続ける。

「引いてあげてもいーよ」

 えらくあっさりだな、とジョエルはむしろ警戒心を強めた。

「条件が二つあるけどね」
 にい、とカミーユは笑う。
「……なんでしょう」
「そう、硬くならないでよ。僕だって、できればドラゴンスレイヤーを敵にしたくないしー」

 
 ――よく言う。今まで散々煽ってきたくせに。

 
「ひとつ。最後にシャル嬢とお茶がしたい」
 こくり、とカミーユはお茶を飲み下す。
「……それは本人にお聞きください」
「うん。じゃあもうひとつは……シャル嬢とのお茶会で言うよん」
 

 ――こいつー!

 
「婚約のことは、まだ黙っておくからね」

 
 ――もうひとつの条件があるからだな。

 
「は。では」

 長居するつもりはない。ジョエルはすぐさま立ち上がった。
 
「まーたねー!」
 
 できればそのお茶会で会うのを最後にしたいが――隣国、しかも友好国の王太子。つまり国王になるということだ。
 そうはいかないんだよなー、と、廊下を足早に戻りながらジョエルは、大きな溜息をついた。
 


 ※ ※ ※



 それから二日後、シャルリーヌは、レオナとともに王宮の中庭に向かっていた。
 
 
 カミーユから突然
「帰国するから、その前に会いたい。お茶会に来て」
 と誘われたシャルリーヌ。
 迷ったものの、他国の王太子の誘いは断れない。これもまた侯爵家令嬢としての任務よ、と気合いを入れて、行くと返事をすると、じゃあ明後日ね! とのことだった。

「ねえシャル……」
 馬車の中で、レオナが心配そうな顔をする。
「大丈夫? その、私にできることがあれば……」
「ありがとう、レオナ。一緒にいてくれるだけで、心強いの」
 猛烈なアピールをかわしまくってきた。
 今日は、もしかしたらガルアダに強引に連れて行かれるかもしれない、と危機感を持ちつつ、シャルリーヌはやって来たのだが。
「ごめんね、色々大変な時に」
 レオナが連日、ゼルのためにと魔法書を読み漁っていることを知っているだけに、共に来て欲しいとお願いするのは、非常に心苦しかった。
 アザリーの王子の方がよっぽど大事だというのに……と思ってしまうのだ。
 
「そんなことないわ!」
 レオナはだが、がっちりと向かいの席からシャルリーヌの両手を握りしめる。
「私の大切な親友の、一大事なんだから! 絶対、守るから!」
「ふふ、ありがとう」

 王宮中庭に備えられている温室は、フィリベルトの快気祝いに使われた場所。つまり、カミーユがシャルリーヌに一目惚れした場所である。

 その中に整えられたテーブルに、既に着席していたのは、カミーユとジョエル。カミーユがいわゆるお誕生日席でジョエルは左側の真ん中。
「え? ジョエル兄様?」
 レオナは、挨拶の前に思わずそう声が出てしまい、非礼を詫びた。
「ふふ、驚いたよね、大丈夫だよ。さ、堅苦しい挨拶はいらないから、座って座って」
 にこやかに促すカミーユに戸惑いつつ、二人は椅子に腰掛けた。家格順のため、レオナの席次の方がカミーユに近く、シャルリーヌはその隣。
 そのためジョエルは、自然とシャルリーヌの向かいの席になった。今日は隣国王太子の護衛ではないのだろう、騎士服ではなく、タキシードを身につけている。

「急な誘いでごめんね」

 カミーユは相変わらずかなりくだけた口調だが、慣れてしまうとこちらの方が楽だなと思ってしまうのは、レオナの前世の記憶があるからか。

「商談も終わったし、そろそろ帰国しないといけなくて」

 紅茶の準備をするメイド達が慌ただしい。
 それもそのはず、時候の挨拶や形式ばった所作などを全てすっ飛ばして、本題が始まりそうだからだ。

「殿下、まずはお茶を待ちませんこと?」
 レオナがメイド達をおもんぱかって扇の影から進言すると、
「わあ、レオナ嬢もそんな貴族令嬢ぽいこと、するんだねえ! 初めて見た!」
 と素直に驚かれた。
「あら、これでも公爵令嬢でしてよ」
「はは、そうだった……ごめんね、気が走っちゃってさ。これでも緊張してるんだ」
「左様でしたか……ひょっとして、お人払いが必要でしょうか?」
「! ……うん」
「かしこまりました。では、私がお茶をお淹れ致しましょう」

 す、とレオナが立ち上がると、メイドや侍従がギョッとした。手ずからお茶を淹れる公爵令嬢など、いない。
 
「うん、助かるよ」
 カミーユが言ったことで、メイド達は戸惑いながらも、礼をして出て行き……温室内には、正真正銘レオナ達だけとなった。護衛も、ジョエルがいれば不要だ。

「じゃ、レオナ嬢は、用意しながら聞いてくれるかな」
「ええ。お気遣いなくですわ」
 レオナは、慣れた手つきでカップを温め、ポットに湯を注ぐ。
 シャルリーヌは、何を言われるのかと顔面蒼白で、微かに震えていた。

「シャル嬢、そんなに怯えないで……悲しいけど、君が僕のところに来てないのは、分かってたんだよ」
 カミーユが目尻まなじりを下げて、静かに淡々と語り出す。
「可愛くて、お嫁さんになってくれたら嬉しいなと思ってたのは、ほんと。無理に色々誘って、ごめんね」
「! いえ!」
「今日のこの場が、、強引にしちゃった」
「?」
「ジョエル殿が、思ったよりも臆病だったから、どうなるかとヒヤヒヤしたけど。良かった」
「……っ、あの、何を……」
 ジョエルも、カミーユの発言に戸惑っている。
「ふたつめの条件だよ、ジョエル殿」
「!」

 レオナが、全員分のソーサーとカップを並べ、順番にお茶を注ぎ……自席に戻ると、カミーユはテーブルの上に肘を突いて、顔の前で両手を組んだ。かなりの無作法だが、微かに肩が震えているのが分かり、三人とも指摘はしなかった。
 
「ホワイトドラゴンを、討伐して欲しい」
「「「!!」」」

 全員、息を呑んだ。

「……恐れながら殿下、ホワイトドラゴンのねぐらは、長年判明しておりませんでしたが」
「うん。覚えているかな。我が国で、金鉱山の大規模な崩落事故があっただろう?」

 ローゼン公爵ベルナルドが、事故を起こした主犯だと疑いをかけられて、拘束されたのは記憶に新しい。
 
「実はあの時に、入口が出てきたんだよ」
「なっ!」
 ジョエルは、思わずがたりと立ち上がった。
 どん、とテーブルに両手を突き、カミーユにすごむ。
「事実であるなら!」
 ドラゴンの住処は、『世界のことわり』だ。どんな場所であれ、公表することになっている。だからジョエルは憤ったわけだが
「公表は、君達が討伐してからだ、ジョエル殿。既にブラック、ブルー、レッド、ときて、ホワイトで四種、つまり全種討伐だ。これが、何を意味するか知っていて、頑張って来たんだよね?」
 カミーユが、淡々とそれを諌める。
「っっ……ご存知でしたか」
「うん。レオナ嬢こそ、それを知るべきだよ」
 ジョエルが、再び席に着いた。
「? わたくし?」
「うん。ドラゴンを全種討伐した者にだけ与えられるものがある。『ユグドラシルの加護』だよ」
「「!!」」
「薔薇魔女のために、うるわしの蒼弓そうきゅう銀灰ぎんかいの魔術師、そして漆黒の竜騎士が、その加護を得る」
「殿下っ」


 ――隠しステージだからさ、出すのすんごい苦労したんだよ……

 
 ポツリと漏れた、カミーユのその愚痴は、確かにレオナの耳に入った。

「……っ、隠し、ステージッ……て」

 は、とカミーユは頬を強ばらせた。

「あーうん、気にしない……で? あれ? え?」

 そしてレオナの表情を見て、
「え? まさか……? レオナ嬢! 今から質問するから、正直に答えて!」
 とまくし立てる。
「え? え?」
「えーと、何が良いかな……七つ集めて願いが叶うのは、何てボール?」

 
 ――!!!!

 
「……ドラゴン」
「よし。念のためもうひとつぐらい……えーっと」
「っ、では私が。ミルクティーに入れるお菓子で、黒いつぶつぶのもちもちした……」
「ぐは! かろうじて知ってるー! タピオカ!」


 ――カミーユも、異世界転生者だ!
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