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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈177〉卒業実習9
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※残酷な表現があります。
-----------------------------
ねえ、カミロ先生。
もしかして、予想されていましたか?
レオナは、口に出さずそっと問うてみた。
胸中は、意外にも穏やかだ。
ラザールが「実戦では使えないな」と笑っていた古代の魔法書。
カミロは「魔法の系統を学ぶのにちょうど良いんだよ」と優しく微笑んで、レオナに手渡してくれた。こんな希少なものを? と遠慮するレオナに「貴女には、いや、貴女なら、と思うんだ」と贈ってくれた。
古代魔法。
膨大な魔力を要するため、誰も唱えられない。
だが、薔薇魔女なら? と興味本位で読み進めた。
特に四属性の古代魔法はレオナの興味を惹き、なぜか覚えてしまった。――まるで知っていたかのように、自分に馴染んだ。
フレアが効いた。
ならば。
火属性の究極魔法。
世界を燃やし尽くすというそれは、できれば唱えたくはない。が、ラザールに話すと、驚いた後で
「任せろ。思い切り撃ってやれ」
いつもの顔でニヤリと口角を上げた。
前線で戦っている三人の前衛を支えているのは、実はレオナ達だ。
怪我のこまめな回復はもちろん、目くらまし、麻痺、足止めなどの弱体魔法や魔弾を打ち込み、隙を作り、戦況のバランスをコントロールしている。
マクシムやディートヘルムは、レオナとラザールの盾となり、ベヒモスから飛んでくる闇魔法や威嚇、物理的な攻撃から守ってくれており、とっくに疲弊で倒れそうなくらいだろう。だがそれを微塵も感じさせない。
――まさに、総力戦。
もしかしたら? 万が一? の気持ちでしか備えていなかったが、よくこの程度の被害に留めている、とラザールは一層眉間に力を入れる。
「そろそろ、切れるぞ」
ベヒモスの体表から徐々に黒紫の光が失われていく。
無敵の猛攻時間を耐えきったら次はもう――
「レオナ嬢、いけるか?」
「いつでも」
レオナが天空に伸ばした両の手のひらに集まる、膨大な魔力。
「眠らせるぞっ」
「サー!」
ディートヘルムの合図で、マクシムと二人で放つのは、催眠弾。巨大魔獣すら昏倒する強力なもの。ガタイの大きいゲルルフは、的としては易しい。
パシュウウウウ
パシュウウウウ
右二の腕、左肩にそれぞれ被弾したのが目で確認できたが……闇堕ちしかけのゲルルフは倒れない。
「ち、アゲイン!」
「サー!」
パシュウウウウ
パシュウウウウ
今度は右の手甲、右腰に被弾。
さすがにイラついた様子で、どこから飛んで来たのか? と首を巡らせるゲルルフがディートヘルムらに気付き――怒りで天を仰ぎ「ウホオオオォォォォ」と咆哮するや、こちらにのしのし向かって来た。
「クソゴリラッ!」
「さすがにこれ以上はっ」
――致死量になってしまう。
どうすべきか迷っていると、ベヒモスとレオナ達との距離の半ばでいきなり白目になり、ぐらりと揺れる巨体。
ぐらぁ……
大きく前後に揺れ、二、三歩ゆっくり前に足を出してから――どさ、とうつ伏せに倒れた。
「はー」
「……確認します」
マクシムがサッとゲルルフに駆け寄り、首元で脈を確認後仰向けにひっくり返す。
顔を近づけて呼吸音、鼓動を確認後「大丈夫」のハンドサインをすると、軽く上体を起こして背後から脇の下に手を通し、ゲルルフの胸の前で手を組むと、森の中へとその巨体を後ろ向きに引きずっていった。
――排除完了。
ラザールの目線の先でフィリベルトが『杖』を振る。
「くく、さすがフィリだな。持参していたか」
フィリベルトの掲げる魔法杖は、『ティアマト』という名を冠した水属性を最大限に引き出す、ローゼン公爵家の秘宝だ。代々当主に引き継がれるというそれを、ベルナルドは万が一のため、と事前に渡していた。
青白く光るその本体の先には八角形のサファイアのような蒼い石が付いている。――それが今、蒼光を明滅している。
ベヒモスの体表色が、黒紫から真っ黒に変化した。
じわ、とその硬い皮膚から黒霧のようなものが発生し始め、ルスラーンらが飛び退いて距離を取っている。
「離れろ! 呪われるぞ!」
フィリベルトの怒号で距離を取る前衛達。
だが、ベヒモスは狙いを定め、手を伸ばした。その相手は――
「ぐあっ」
「ゼル!」
「しまった!」
ゼルの左脚を掴んで、逆さまに掲げるベヒモス。
「……そうか、闘神……」
ラザールの呟きに、レオナの肌が総毛立った。
闘神も、贄にする気だ。
直感が、そう告げていた。
※ ※ ※
「総員、配置に付け!」
王宮裏山に集結した、第二魔術師団の結界要員、そしてその護衛の騎士団員が見たものは、広場があると思われる頂上付近で、黒紫に光る膨大な魔力と、それを発する巨大な獣の角の部分だった。
「ありゃー、ベヒモス、かあ……」
ジョエルはその頭部を見て、状況を大体悟ることができた。フィリベルトが騎士団本部で懸念した通り、終末の獣の召喚が行われたのだと。
「相手が何であろうと、いつも通りやるだけ、だねー。ブランドン!」
「は!」
「上から結界を強化!」
「はっ!」
ブランドンが各班長に指示を出すと、力を失いかけていた結界が再び輝きだした。さすがである。
「……ここから魔力を送り込めるかなー?」
「いえ、難しいですね。やつの餌になってしまう」
ブランドンが片眉だけ上げて答える。
「そかー……」
誰か送り込むか、とジョエルが悩んでいると
「ジョエル兄さん!」
森の中から、声がした。
「!? テオ? テオッ!!」
結界越しに見るその小柄な身体には、返り血と汗と泥、ここに至るまでについたであろう、折れた枝葉がそこかしこにくっついている。
「戦況、く、伝えに、来ました!」
「っっ……!」
肩で息をして苦しそうなテオを見たジョエルは、じん、と目の奥が熱くなる。
自分が来ると信じて、命懸けで来たに違いない。
「ジャンさんが、学生達を東の池に集めて、ジンライの結界で守りつつ、瘴気で湧く魔獣と戦闘中!」
「さすがジャン! 持ちこたえそうか!」
「ジンライの魔力次第です! 魔石補充要請します!」
ブランドンが、すぐさま魔石袋を数個持ってきて、結界越しに手渡す。テオはそれを受け取って、ベルトにその紐をくくりつけながら
「広場にベヒモス出現、フィリ様と、ルスさん、ゼルさん、ヒュー兄さんが交戦中。騎士団長が、闇堕ちしかけて……」
と報告を続けた。
「なっ!」
「マクシムさんと、ディートさんが催眠弾で眠らせました」
はあ、とジョエルは詰めた息を吐き出す。
「ラザール先生とレオナさんが、大きな魔法の準備をしてます! もっと結界を強めてください!」
「分かった。ブランドン!」
「了解っ」
「エドガー殿下とフランソワーズ嬢も無事です。近衛騎士がついてました」
「はー? なんで退避してねえんだ!」
ジョエルは、思わずテオに八つ当たりしてしまった。
「分かりません……」
「っ、他の被害はどうだ?」
「けが人はいますが、戦闘不能者はいません」
「よし、よく耐えた」
「はい! これ、届けなくちゃ。戻ります!」
「テオ、もうひと踏ん張りだ!」
「ええ! ジョエル兄さん達が来たって伝えたら、みんな士気上がると思います!」
近くにいた魔術師団員に回復魔法をもらって、テオは笑顔でまた戦場へ戻っていく。
「くそ、まだ学生のくせして、もう立派な騎士団員じゃんかー。泣かすなよなー……」
ジョエルは、一層気合いを入れた。
ここを離れて共に前線へ行きたい。が、不測の事態に備えて残り、指揮することを選ぶ。
「我が王国の誇る、ラザール副師団長様が、でっっっっかい魔法唱えるってよー!」
そのひと声で、魔術師団員達の、目の色が変わった。
「思いっきりぶちかませるようにィ! 全力で結界強化ァッ!!」
「「「「「オオッ!!」」」」」
――頼むぞ、レオナ……
ジョエルは、神ではなくレオナに、祈った。
※ ※ ※
「くっそ、手ぇ放しやがれゴラァ!」
「ゼル君っ!」
ヒューゴーが、ゼルを掴む腕にその攻撃を集中させるが、ビクともしない。ルスラーンは、ベヒモスの左手を抑えるのに手一杯。
呪いを恐れ、今一歩踏み込めないからだ。
「……」
ゼルからどんどん生気が抜けていくのが分かり、余計焦る二人にはだが、他に手の打ちようがない。
フィリベルトも回復魔法を唱えているが、やはり呪い。ジワジワとゼルの身体の色が、青黒く変わっていく。
一方で、消えかけていた裏山周辺の結界は輝きを取り戻した。恐らくジョエルが第二魔術師団を率いて来たであろうことは、察せた。
「くっそおおおお」
叫ぶヒューゴーに、ゼルが、ぐ、と腹に力を入れたかと思うと
「足ごとっ、切れっ!」
叫んだ。
「なっ」
ベヒモスが掴んでいるのは左脚。膝から切断すれば、逃れられはする。が、闘舞の使い手にとって、足は何にも勝る財産のはずだ。
「時間、ない! やれええええ!」
真っ逆さまになっているゼルの目線の先には、天空に集まる巨大な炎の塊。広場の気温がじり、と上がった。
火の究極魔法――
フィリベルトが、即座にゼルの脚を凍らせた。
麻痺させれば、痛みは感じない。その配慮に、ゼルが笑う。
「たの、む……」
「くそおおおおお! うおおおおおお!」
ヒューゴーが泣きながら、剣を振りかぶった。
バキィ、と鈍い音がして。
ゼルの身体が落ちていくのを、そのまま抱きとめる。……軽い。その軽さが、ヒューゴーの胸を突き刺した。
「離れるぞっ!」
ルスラーンが、二人を背に庇いつつ迅速に後退する。
だがベヒモスは、そう簡単には逃がさないとばかりに手を伸ばし、追ってくる――フィリベルトが再び大きく杖を振るい、ベヒモスの足を凍らせた。
「アブソリュート・フリーズ」
ローゼン伝統の、絶対零度の氷魔法。
パキパキ、パキパキ。
乾いた音を立てながら、ベヒモスの両足は白い氷に覆われていく。一瞬だけ、巨大な獣がその動きを止めた、その機会を逃すラザールではない。
「……ヴリトラ」
ラザールの杖の先が黄金に光り、小さな金の四角がベヒモスの頭上に出現する。
そしてその四角は、ベヒモスを覆い尽くすまでに広がって、立方体の中にその巨体を閉じ込めた。
ガッチャン――ヴェェエエエエン……
「今だ放て。レオナ嬢」
「っ、はい!」
……耐え切れるかな。
ラザールは、上空を仰いで苦笑する。
その『流星』の名の通り、世界を焼き尽くす星が今、降ってくる。
「メテオ」
レオナが静かに唱えた、その星は。
広場どころか、この裏山全体をサウナかのように熱しながら、落ちてくる。東の池を襲う魔獣の数々を、ついでとばかりにその熱量で焼きながら。
ジャンルーカ達は動きを止め、その星を見つけ、驚愕に目を見開きそして――祈った。
強大な炎の質量を、ラザールは自身の絶対結界へ引き込む。それだけで、身体中の魔力をごっそりと使い切り、地面に両膝を突いた。ディートヘルムが、いつでも背負って逃げられるようにと、ラザールの前に屈む。その背に、体重を預けた。それぐらい、消耗してしまった。
「あの、闇の神だけを。焼き尽くしてっ! お願い!」
レオナの願う声が、これほどまでに希望として聞こえるのか、とマクシムも、ディートヘルムも、ラザールも。
こみ上げてくる熱い涙を、かろうじて飲み込む、次の瞬間。
じゅうっ……
それが、肉の焼ける音だ、と気づいた時にはもう。
「ッグギャアアアアアアア」
ラザールの「ヴリトラ」の中で、強大な隕石を抱えたベヒモスが、ただただ、焼かれていた――
※ ※ ※
卒業実習で召喚された奈落の三神のうちの一体、ベヒモス。
その正体は明かされず、公には魔術師団が用意したド派手な卒業試験、ということになった。
もちろん出席した者達は誰も信じていないが、国王の「卒業実習全員合格おめでとう」の一言で、口外無用の不文律が出来上がった――もしいたずらに噂を流そうものなら、酷く罰せられるらしい、という風評とともに。
そのあたり、ベルナルドはきっちりと仕事をこなす宰相である。
メテオにより、結界内で黒い塵と化したベヒモスの残骸は、魔術師団の専門家達の尽力で、わずかな痕跡も残さず封印箱に回収された。厳重警備の保管庫に入れられたらしい。
ラザールやジャンルーカは疲労で立てなくなり、「もう年かな」と笑いながら、一年ぶりの休暇を取った。心配して見舞ったレオナ達に
「二十日後のプロムには出たいですからね」
「そうだな……休める内に、休んでおくだけだ」
と笑っていたので、大丈夫だろう。
ゼルは、失くした左膝から先を惜しむこともなく、
「戦で手足を失くす奴など山ほど居るだろう。片脚でも修行するぞ!」
と表面上はケロリと振舞っているが、内心は違うだろうことは、皆分かっている。
「火の究極魔法があるなら、欠損部位を復活させる究極の回復魔法も、あるはずだわ!」
レオナとシャルリーヌは、カミロの研究室に入り浸って文献を読み漁る毎日になった。
幸いだったのは、ベヒモスに直接対峙した者が少なかったこと。むしろ学生達は、ジンライの結界内にいる彼らを守りきった騎士団と魔術師団を賞賛し、入団希望者や支援者が増えたらしい。
「今は一時的に落ち着いている。この間に、できる限りのことを」
ジョエルが副団長室で、珍しく硬い表情を見せた。
第一師団長のセレスタン、第二師団長のウルリヒ、第三師団長のフィリベルトがそれに賛同し、頷く。
休養室に収容された騎士団長のゲルルフは、闇堕ちしかけの影響でまだ目覚めていない(催眠弾打ち込み過ぎ説もあるが)。その今、ジョエルとフィリベルトが中心となって、次への備えを着々と開始することにしたのだ。
「婚約申し込みどころじゃねーな……」
と愚痴る親友のヤケ酒に、フィリベルトは渋々付き合ってやった。彼の消沈している理由が、レオナのことではないと分かって。
ルスラーンは、ゼルのことを割り切れない。
ヒューゴーは、落ち込んだまま這い上がれず、部屋に閉じこもっている。
勝利したとはいえ、一人の未来を、犠牲にしたといっても過言ではない。
――それでも、次の悲劇は、無情にもやってくるのだ……
-----------------------------
お読み頂き、ありがとうございました!
ぷはぁー!という感じですが、まだ終わりません!笑
次に出てくるのは、何でしょう?
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ねえ、カミロ先生。
もしかして、予想されていましたか?
レオナは、口に出さずそっと問うてみた。
胸中は、意外にも穏やかだ。
ラザールが「実戦では使えないな」と笑っていた古代の魔法書。
カミロは「魔法の系統を学ぶのにちょうど良いんだよ」と優しく微笑んで、レオナに手渡してくれた。こんな希少なものを? と遠慮するレオナに「貴女には、いや、貴女なら、と思うんだ」と贈ってくれた。
古代魔法。
膨大な魔力を要するため、誰も唱えられない。
だが、薔薇魔女なら? と興味本位で読み進めた。
特に四属性の古代魔法はレオナの興味を惹き、なぜか覚えてしまった。――まるで知っていたかのように、自分に馴染んだ。
フレアが効いた。
ならば。
火属性の究極魔法。
世界を燃やし尽くすというそれは、できれば唱えたくはない。が、ラザールに話すと、驚いた後で
「任せろ。思い切り撃ってやれ」
いつもの顔でニヤリと口角を上げた。
前線で戦っている三人の前衛を支えているのは、実はレオナ達だ。
怪我のこまめな回復はもちろん、目くらまし、麻痺、足止めなどの弱体魔法や魔弾を打ち込み、隙を作り、戦況のバランスをコントロールしている。
マクシムやディートヘルムは、レオナとラザールの盾となり、ベヒモスから飛んでくる闇魔法や威嚇、物理的な攻撃から守ってくれており、とっくに疲弊で倒れそうなくらいだろう。だがそれを微塵も感じさせない。
――まさに、総力戦。
もしかしたら? 万が一? の気持ちでしか備えていなかったが、よくこの程度の被害に留めている、とラザールは一層眉間に力を入れる。
「そろそろ、切れるぞ」
ベヒモスの体表から徐々に黒紫の光が失われていく。
無敵の猛攻時間を耐えきったら次はもう――
「レオナ嬢、いけるか?」
「いつでも」
レオナが天空に伸ばした両の手のひらに集まる、膨大な魔力。
「眠らせるぞっ」
「サー!」
ディートヘルムの合図で、マクシムと二人で放つのは、催眠弾。巨大魔獣すら昏倒する強力なもの。ガタイの大きいゲルルフは、的としては易しい。
パシュウウウウ
パシュウウウウ
右二の腕、左肩にそれぞれ被弾したのが目で確認できたが……闇堕ちしかけのゲルルフは倒れない。
「ち、アゲイン!」
「サー!」
パシュウウウウ
パシュウウウウ
今度は右の手甲、右腰に被弾。
さすがにイラついた様子で、どこから飛んで来たのか? と首を巡らせるゲルルフがディートヘルムらに気付き――怒りで天を仰ぎ「ウホオオオォォォォ」と咆哮するや、こちらにのしのし向かって来た。
「クソゴリラッ!」
「さすがにこれ以上はっ」
――致死量になってしまう。
どうすべきか迷っていると、ベヒモスとレオナ達との距離の半ばでいきなり白目になり、ぐらりと揺れる巨体。
ぐらぁ……
大きく前後に揺れ、二、三歩ゆっくり前に足を出してから――どさ、とうつ伏せに倒れた。
「はー」
「……確認します」
マクシムがサッとゲルルフに駆け寄り、首元で脈を確認後仰向けにひっくり返す。
顔を近づけて呼吸音、鼓動を確認後「大丈夫」のハンドサインをすると、軽く上体を起こして背後から脇の下に手を通し、ゲルルフの胸の前で手を組むと、森の中へとその巨体を後ろ向きに引きずっていった。
――排除完了。
ラザールの目線の先でフィリベルトが『杖』を振る。
「くく、さすがフィリだな。持参していたか」
フィリベルトの掲げる魔法杖は、『ティアマト』という名を冠した水属性を最大限に引き出す、ローゼン公爵家の秘宝だ。代々当主に引き継がれるというそれを、ベルナルドは万が一のため、と事前に渡していた。
青白く光るその本体の先には八角形のサファイアのような蒼い石が付いている。――それが今、蒼光を明滅している。
ベヒモスの体表色が、黒紫から真っ黒に変化した。
じわ、とその硬い皮膚から黒霧のようなものが発生し始め、ルスラーンらが飛び退いて距離を取っている。
「離れろ! 呪われるぞ!」
フィリベルトの怒号で距離を取る前衛達。
だが、ベヒモスは狙いを定め、手を伸ばした。その相手は――
「ぐあっ」
「ゼル!」
「しまった!」
ゼルの左脚を掴んで、逆さまに掲げるベヒモス。
「……そうか、闘神……」
ラザールの呟きに、レオナの肌が総毛立った。
闘神も、贄にする気だ。
直感が、そう告げていた。
※ ※ ※
「総員、配置に付け!」
王宮裏山に集結した、第二魔術師団の結界要員、そしてその護衛の騎士団員が見たものは、広場があると思われる頂上付近で、黒紫に光る膨大な魔力と、それを発する巨大な獣の角の部分だった。
「ありゃー、ベヒモス、かあ……」
ジョエルはその頭部を見て、状況を大体悟ることができた。フィリベルトが騎士団本部で懸念した通り、終末の獣の召喚が行われたのだと。
「相手が何であろうと、いつも通りやるだけ、だねー。ブランドン!」
「は!」
「上から結界を強化!」
「はっ!」
ブランドンが各班長に指示を出すと、力を失いかけていた結界が再び輝きだした。さすがである。
「……ここから魔力を送り込めるかなー?」
「いえ、難しいですね。やつの餌になってしまう」
ブランドンが片眉だけ上げて答える。
「そかー……」
誰か送り込むか、とジョエルが悩んでいると
「ジョエル兄さん!」
森の中から、声がした。
「!? テオ? テオッ!!」
結界越しに見るその小柄な身体には、返り血と汗と泥、ここに至るまでについたであろう、折れた枝葉がそこかしこにくっついている。
「戦況、く、伝えに、来ました!」
「っっ……!」
肩で息をして苦しそうなテオを見たジョエルは、じん、と目の奥が熱くなる。
自分が来ると信じて、命懸けで来たに違いない。
「ジャンさんが、学生達を東の池に集めて、ジンライの結界で守りつつ、瘴気で湧く魔獣と戦闘中!」
「さすがジャン! 持ちこたえそうか!」
「ジンライの魔力次第です! 魔石補充要請します!」
ブランドンが、すぐさま魔石袋を数個持ってきて、結界越しに手渡す。テオはそれを受け取って、ベルトにその紐をくくりつけながら
「広場にベヒモス出現、フィリ様と、ルスさん、ゼルさん、ヒュー兄さんが交戦中。騎士団長が、闇堕ちしかけて……」
と報告を続けた。
「なっ!」
「マクシムさんと、ディートさんが催眠弾で眠らせました」
はあ、とジョエルは詰めた息を吐き出す。
「ラザール先生とレオナさんが、大きな魔法の準備をしてます! もっと結界を強めてください!」
「分かった。ブランドン!」
「了解っ」
「エドガー殿下とフランソワーズ嬢も無事です。近衛騎士がついてました」
「はー? なんで退避してねえんだ!」
ジョエルは、思わずテオに八つ当たりしてしまった。
「分かりません……」
「っ、他の被害はどうだ?」
「けが人はいますが、戦闘不能者はいません」
「よし、よく耐えた」
「はい! これ、届けなくちゃ。戻ります!」
「テオ、もうひと踏ん張りだ!」
「ええ! ジョエル兄さん達が来たって伝えたら、みんな士気上がると思います!」
近くにいた魔術師団員に回復魔法をもらって、テオは笑顔でまた戦場へ戻っていく。
「くそ、まだ学生のくせして、もう立派な騎士団員じゃんかー。泣かすなよなー……」
ジョエルは、一層気合いを入れた。
ここを離れて共に前線へ行きたい。が、不測の事態に備えて残り、指揮することを選ぶ。
「我が王国の誇る、ラザール副師団長様が、でっっっっかい魔法唱えるってよー!」
そのひと声で、魔術師団員達の、目の色が変わった。
「思いっきりぶちかませるようにィ! 全力で結界強化ァッ!!」
「「「「「オオッ!!」」」」」
――頼むぞ、レオナ……
ジョエルは、神ではなくレオナに、祈った。
※ ※ ※
「くっそ、手ぇ放しやがれゴラァ!」
「ゼル君っ!」
ヒューゴーが、ゼルを掴む腕にその攻撃を集中させるが、ビクともしない。ルスラーンは、ベヒモスの左手を抑えるのに手一杯。
呪いを恐れ、今一歩踏み込めないからだ。
「……」
ゼルからどんどん生気が抜けていくのが分かり、余計焦る二人にはだが、他に手の打ちようがない。
フィリベルトも回復魔法を唱えているが、やはり呪い。ジワジワとゼルの身体の色が、青黒く変わっていく。
一方で、消えかけていた裏山周辺の結界は輝きを取り戻した。恐らくジョエルが第二魔術師団を率いて来たであろうことは、察せた。
「くっそおおおお」
叫ぶヒューゴーに、ゼルが、ぐ、と腹に力を入れたかと思うと
「足ごとっ、切れっ!」
叫んだ。
「なっ」
ベヒモスが掴んでいるのは左脚。膝から切断すれば、逃れられはする。が、闘舞の使い手にとって、足は何にも勝る財産のはずだ。
「時間、ない! やれええええ!」
真っ逆さまになっているゼルの目線の先には、天空に集まる巨大な炎の塊。広場の気温がじり、と上がった。
火の究極魔法――
フィリベルトが、即座にゼルの脚を凍らせた。
麻痺させれば、痛みは感じない。その配慮に、ゼルが笑う。
「たの、む……」
「くそおおおおお! うおおおおおお!」
ヒューゴーが泣きながら、剣を振りかぶった。
バキィ、と鈍い音がして。
ゼルの身体が落ちていくのを、そのまま抱きとめる。……軽い。その軽さが、ヒューゴーの胸を突き刺した。
「離れるぞっ!」
ルスラーンが、二人を背に庇いつつ迅速に後退する。
だがベヒモスは、そう簡単には逃がさないとばかりに手を伸ばし、追ってくる――フィリベルトが再び大きく杖を振るい、ベヒモスの足を凍らせた。
「アブソリュート・フリーズ」
ローゼン伝統の、絶対零度の氷魔法。
パキパキ、パキパキ。
乾いた音を立てながら、ベヒモスの両足は白い氷に覆われていく。一瞬だけ、巨大な獣がその動きを止めた、その機会を逃すラザールではない。
「……ヴリトラ」
ラザールの杖の先が黄金に光り、小さな金の四角がベヒモスの頭上に出現する。
そしてその四角は、ベヒモスを覆い尽くすまでに広がって、立方体の中にその巨体を閉じ込めた。
ガッチャン――ヴェェエエエエン……
「今だ放て。レオナ嬢」
「っ、はい!」
……耐え切れるかな。
ラザールは、上空を仰いで苦笑する。
その『流星』の名の通り、世界を焼き尽くす星が今、降ってくる。
「メテオ」
レオナが静かに唱えた、その星は。
広場どころか、この裏山全体をサウナかのように熱しながら、落ちてくる。東の池を襲う魔獣の数々を、ついでとばかりにその熱量で焼きながら。
ジャンルーカ達は動きを止め、その星を見つけ、驚愕に目を見開きそして――祈った。
強大な炎の質量を、ラザールは自身の絶対結界へ引き込む。それだけで、身体中の魔力をごっそりと使い切り、地面に両膝を突いた。ディートヘルムが、いつでも背負って逃げられるようにと、ラザールの前に屈む。その背に、体重を預けた。それぐらい、消耗してしまった。
「あの、闇の神だけを。焼き尽くしてっ! お願い!」
レオナの願う声が、これほどまでに希望として聞こえるのか、とマクシムも、ディートヘルムも、ラザールも。
こみ上げてくる熱い涙を、かろうじて飲み込む、次の瞬間。
じゅうっ……
それが、肉の焼ける音だ、と気づいた時にはもう。
「ッグギャアアアアアアア」
ラザールの「ヴリトラ」の中で、強大な隕石を抱えたベヒモスが、ただただ、焼かれていた――
※ ※ ※
卒業実習で召喚された奈落の三神のうちの一体、ベヒモス。
その正体は明かされず、公には魔術師団が用意したド派手な卒業試験、ということになった。
もちろん出席した者達は誰も信じていないが、国王の「卒業実習全員合格おめでとう」の一言で、口外無用の不文律が出来上がった――もしいたずらに噂を流そうものなら、酷く罰せられるらしい、という風評とともに。
そのあたり、ベルナルドはきっちりと仕事をこなす宰相である。
メテオにより、結界内で黒い塵と化したベヒモスの残骸は、魔術師団の専門家達の尽力で、わずかな痕跡も残さず封印箱に回収された。厳重警備の保管庫に入れられたらしい。
ラザールやジャンルーカは疲労で立てなくなり、「もう年かな」と笑いながら、一年ぶりの休暇を取った。心配して見舞ったレオナ達に
「二十日後のプロムには出たいですからね」
「そうだな……休める内に、休んでおくだけだ」
と笑っていたので、大丈夫だろう。
ゼルは、失くした左膝から先を惜しむこともなく、
「戦で手足を失くす奴など山ほど居るだろう。片脚でも修行するぞ!」
と表面上はケロリと振舞っているが、内心は違うだろうことは、皆分かっている。
「火の究極魔法があるなら、欠損部位を復活させる究極の回復魔法も、あるはずだわ!」
レオナとシャルリーヌは、カミロの研究室に入り浸って文献を読み漁る毎日になった。
幸いだったのは、ベヒモスに直接対峙した者が少なかったこと。むしろ学生達は、ジンライの結界内にいる彼らを守りきった騎士団と魔術師団を賞賛し、入団希望者や支援者が増えたらしい。
「今は一時的に落ち着いている。この間に、できる限りのことを」
ジョエルが副団長室で、珍しく硬い表情を見せた。
第一師団長のセレスタン、第二師団長のウルリヒ、第三師団長のフィリベルトがそれに賛同し、頷く。
休養室に収容された騎士団長のゲルルフは、闇堕ちしかけの影響でまだ目覚めていない(催眠弾打ち込み過ぎ説もあるが)。その今、ジョエルとフィリベルトが中心となって、次への備えを着々と開始することにしたのだ。
「婚約申し込みどころじゃねーな……」
と愚痴る親友のヤケ酒に、フィリベルトは渋々付き合ってやった。彼の消沈している理由が、レオナのことではないと分かって。
ルスラーンは、ゼルのことを割り切れない。
ヒューゴーは、落ち込んだまま這い上がれず、部屋に閉じこもっている。
勝利したとはいえ、一人の未来を、犠牲にしたといっても過言ではない。
――それでも、次の悲劇は、無情にもやってくるのだ……
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お読み頂き、ありがとうございました!
ぷはぁー!という感じですが、まだ終わりません!笑
次に出てくるのは、何でしょう?
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