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最終章 薔薇魔女のキセキ
〈176〉卒業実習8
しおりを挟む「うん。なるほど。ここならまあ、大丈夫やろ」
ローゼン公爵邸、薔薇温室の奥。
密かに作られた地下室には、レオナの万が一の魔力暴走に備えて、強固な魔力結界が施されていた。
ナジャことリンジーに連れて来られたヒルバーアは、レオナのために作られたという、その整えられた環境に舌を巻いた。
「さーすが公爵家やなあ」
「まあな……ユイにスイ、ごめんやけど万が一のために、残ってくれるか?」
唇を噛み締めて首を振る双子に、リンジーは肩をすくめる。
「んな顔しなや。お別れとちゃうで」
「ご主人様! でも!」
「心配なんです……」
――頼むから、レオナのそばに行かせてくれ。
ユイとスイは、そんなリンジーの気持ちを分かっている。分かった上で、尚も潤んだ瞳で、
「行っちゃダメ!」
「お嫁さんにしてもらうんだから!」
と、送り出すことが出来ないでいた。
二人が握り締めて離さない、リンジーの黒装束の腹の部分の生地が、くしゃくしゃになっている。
「嫁は無理やけど、戻るんは約束するさかい。な?」
「「ダメ!」」
「おーおー、罪な男やなあ」
ヒルバーアがそう笑い、それから真面目な顔をする。
「……双子の勘は正しい。俺が覚醒せん保証はどこにもない」
「まじか」
「まじや。俺まで起きたら、あっちゅうまに世界が終わってまう」
「分かるんか?」
はあー、と大きく息を吐いて、砂漠の第五王子は目尻を下げた。
「さっきから、フツフツここの血が、滾っとる」
人差し指で、自身の胸の真ん中を差す。
「となるとあの召喚陣、やっぱり三神用やったんやな」
「!! くっそ、わいらを餌にヒルを呼び寄せたんやな! しくった! わいとしたことが、まんまとしてやられたっ!」
珍しく憤りを露わにするリンジーに、せやなあ、とヒルバーアは疲れたように頭を抱えた。
「ほんで俺の予想では、ベヒモスそのものが、贄なんやと思う」
「なるほどな……ほんなら、少なかった生け贄も納得やわ。レーちゃん達の血だの魔力だの、取り込んだ上で自分の魂ごとサービアに捧げるっちゅうわけやな。あーもう! 手遅れやないか!」
リンジーは覆面を乱暴に剥ぎ取ると頭をボリボリかいて、それから
「無事終わったら、アザリーに巨額の報奨金、強請ったるわ。一生遊んで暮らしたんねん!」
軽口をたたいてから、ユイとスイを抱き上げながらどかりと床に座った。残ることに決めたようだ。
「無事やったら、なんぼでも払ったるわ。ベヒモスはまだやりやすい。問題は、その次。やろ?」
ヒルバーアの泣き言に、リンジーは
「せやなあ。伝承の通りなら、次があかん」
と双子の手を服から離させながら硬い声を出した。
「三人の中で一番闇が強いのも、サービアやからな」
ヒルバーアはそう呟くと「まあ、ここにおるぶんには、心配いらへんよ。疲れたから寝るわな」と双子の頭を撫でてから、ベッドにごろりと横になる。
今彼らにできることは、ここから出ないこと、それだけだ。
ヒルバーアはリンジーに、有事の際は遠慮なく俺ごと封印しろ、と伝えてから――目を閉じた。
※ ※ ※
「やべぇ、どうする!?」
自身だけでなくルスラーンやゼルの陽炎も出しつつ、ヒューゴーがそう叫ぶのに対して
「まだ完全に堕ちてねえ! 団長だけ引き剥せるか!?」
ルスラーンが、その分身に気配すら紛れ込ませて、そう返す。
「無理無理無理ゴリ!」
早口でまくし立てるヒューゴーは、怒涛のパンチ・ドラミングがベヒモスだけでなく、自分にも向かってきているのを、かろうじて避けている状況だった。
「くっそ!」
――っとに、ゲルゴリラめ! 余計なことしかしねぇっ!!
マーカム王国を襲ったスタンピードの後、当然だが国王は、一刻も早く事態を収束させることを求めていた。そのため、当時騎士団長だったルスラーンの父ヴァジームは、国王の求めに応じる形で、副団長だったゲルルフを団長にすることを認め、今に至る。
ゲルルフを団長にした理由を、先日愚痴がてら問い詰めたルスラーンに
「昔はあれでも素朴な男だったんだ。むしろあやつが団長なら、下の結束は強まると思ったんだがなあ」
と雷槍を手入れしながらヴァジームは語った。
「まさかこれほどまでに、無素養、無教養とは思いもよらんかった」
ゲルルフの残念な評判は、辺境領の北都にまで届くようになっていた。ヴァジームには英雄としてある程度引いて接していたであろう、騎士団長ゲルルフ。自身が組織の最上位に君臨することで、本性が出たのか、変質してしまったのかは定かではないが――
「どうすんだ!」
ゼルが叫んで、ルスラーンの思考を現実に引き戻す。ベヒモスの目を狙いつつ縦横無尽に拳を繰り出して、文字通りその巨体の上を駆けずり回っている。動きの素早さと派手なモーションには、ベヒモスもゲルルフも翻弄されていた。
アザリー第九王子で、闘神の生まれ変わりと絶賛される、レオナのクラスメイト。
天性の明るさを持つ砂漠の王国の王子には、レオナも気を許しているように見える。積極的であからさまなアプローチは、学院内ではほぼ『公式』のような扱いだ。
――レオナは、彼を選ぶかもしれないが。
強さ。明るさ。親密さ。
きっと、幸せにするだろうと思う。
「負けてらんねえっての!」
グルアアアアアアアッ!
ベヒモスの振りかぶった爪をかいくぐり、
ウホオオオオッ!
ゲルルフの拳の嵐をいなし、ルスラーンも両手剣を振るい続ける。
じりじりと体力も魔力も消費し、決定打に欠ける中、ベヒモスの無敵時間も佳境を迎えていた。すると。
「「「!?」」」
前衛三人(ヒューゴー、ゼル、ルスラーン)が、突然膨れ上がった魔力に気付き、一斉に目だけで確認した先には。
ラザールが防御魔法を唱え、マクシムとディートヘルムが、魔弾をゲルルフに向かって撃つ。その背後で、高々と両手を天に伸ばす、レオナの姿があった。
――何か巨大な魔法が、来る!
ラザールのドラゴンスキルは「ヴリトラ」。古代竜の名を冠する、絶対結界だ。ルスラーンとヒューゴーは、その性質をよく分かっている。ベヒモスの猛攻が切れたら、結界に閉じ込めてレオナの巨大魔法を食らわせるつもりだ、と察し、ベヒモスにそうと悟られないよう、今度は派手に攻撃し、注意を自分たちへ集めることに専念し始めた。
一方フィリベルトは、怪我に動揺して泣き崩れるフランソワーズに治癒魔法を施すため、岩陰まで後退していた。幸いすぐに治したことで痕はそれほど残らず済み、そう伝えたものの――それでも取り乱していたので、騎士団が常備している鎮静の薬草を与えた。今は岩に背をもたせかけ、座った姿勢で眠っている。
エドガーとユリエは、最初の元気はどこへやら、二人抱き合って縮こまっている。大人しいならまだマシだな、とフィリベルトは再度結界を張り直し、セリノに魔石をいくつか持たせた。
「近衛騎士なら、誇りにかけてこの場を死守しろ」
「は、はい」
――頼りない。だがもうこの場に留まっていられるような余裕はない。
レオナはきっと、先程の古代火魔法『フレア』より強力な何かを唱える用意をしている。
ベヒモスの腕が焼け爛れたのだ。
確信を持って、打ち込むだろう。
ならば、それを出来うる限り補助するのみ。
フィリベルトは気を引き締めると、より一層集中し、戦い続けているルスラーン達を守るべく前線へ戻り、全身全霊で魔法を唱え始めた。
※ ※ ※
「副団長! 宰相閣下がお呼びです! 至急、宰相執務室へっ」
貴賓室でガルアダ王太子カミーユを警護する、マーカム王国騎士団副団長ジョエル・ブノワのもとに、王宮付き近衛騎士が緊急指令を持ってきた。
緊急事態を他国賓客に悟られるなど、近衛騎士としてあるまじき対応、である。あとでジャンルーカにお説教だな、とジョエルは一つ溜息をついた。
「わかった。殿下、申し訳ございませんが」
カミーユを振り返ると
「うん、大丈夫だよ~」
間延びした緊張感のない口調で返ってくる。
テーブルに乗っている皿には、色とりどりの焼き菓子。どれを食べようか、と手が迷っている様子のカミーユは、終始マイペースだ。
「シャル嬢は、ここに残るよね?」
ようやく決めた焼き菓子を、メイドに取ってもらいながらカミーユが言う。
ジョエルは目線だけでシャルリーヌに承諾を取り、頷く。これもまた政治であるし、貴族の責務であるし、国家間の接待でもある。そんなことはもちろんジョエルにもよくわかっているが、この行き場のない憤りをどこにぶつけようか、と沸騰しそうなイライラをかろうじて抑えた。
「ふふ、うれしいな。シャル嬢とたくさん話ができるね」
こいつわざとだな、と売られた喧嘩に気づかないフリをして、ジョエルは足早に部屋を出る。
扉から出る直前のその背中に
「ジョエル様! どうか、どうかご無事のお戻りを! お待ちしておりますっ」
シャルリーヌの震える声がして――手だけ挙げて応えた。
「はは……無事、戻ってあげないとな」
廊下に出て足早に移動しながら、ジョエルは、ようやく留飲を下げられたのだった。
――そして。
「状況はわからん! だが早急に出てくれるかっ」
宰相執務室に入るなり、ベルナルドが厳しい表情でジョエルに短く、そう伝えた。
騎士団・魔術師団を動かせるのは国王。
国王の命令に従って動くのが、騎士団長と魔術師団長。
だが、騎士団長、魔術師団副師団長(師団長はスタンピードでの戦死以降不在)はそろって王宮裏山の結界内。
ということは、マーカム戦力の実質トップは、今、ジョエルだ。
宰相であるローゼン公爵ベルナルドは、国王の委任権限を持つ。
つまり、国王の恣意(気ままに思ったことや考え)を受けて、具体的かつ細かい指示を下すのが、ベルナルドの役目である。
「ようやく第二魔術師団だけ、動かす許可を得た」
ぎりぎりと歯ぎしりをするベルナルドに
「フィリベルトも中にいる。なら、外の結界強化に注力します」
ジョエルは淡々と答えた。
「おそらく、これは序章にすぎないですよ、閣下」
「わかっている……」
「この場のことは、お任せを」
暗に、次の戦いの準備を進めるよう示唆をすると
「すまない」
苦渋の表情だが、通じたようだ。
騎士礼をし、執務室を出たジョエルが次に向かう先は、魔術師団本部。
先日ゲルルフが去った後、副団長権限で出した指令が生きており、すでに結界を得意とする魔術師団員が集められていた。
「さすがブランドンだねー」
ジョエルは、第二魔術師団師団長に声を掛ける。
「お褒めにあずかり恐縮です、副団長」
ブリジットの上司であるブランドンは、柔らかな印象の優男。変わり者が多いと言われる魔術師団の中では異色な存在である。
一時は、冷酷な態度で女性団員を泣かせるラザールの補助をしていて、かなりモテまくっていたのだが――最近では、そのラザールが時折見せる優しさのせいで『副師団長のギャップ萌えガチ勢』が大量発生してしまい、彼のモテ期は終焉を迎えてしまった。
というわけで地道な婚活中のブランドンは、さすがブリジットの上司なだけあって、大変優秀である。
「そろそろ臨界点です。お急ぎを」
「わかった」
王宮裏山の結界を整えたのも、ブランドンだ。
「絶対に、ここで食い止めるぞ」
ジョエルは、愛用の剣の柄を自然と握りしめ……戦場の空気を頬に感じながら、団員たちを鼓舞した。
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お読み頂き、ありがとうございます!
息詰まる展開をゴリラに救われて、複雑な心境です!
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