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第三章 帝国留学と闇の里

〈166〉薔薇魔女の真実

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「こんなに早く、また来ることになろうとは……」
 苦笑するヒルバーアは、ガルアダとの国境を超えてマーカムに入ったところだ。
 まだ雪の季節。
 日が傾きかけているので、急いで宿屋を探さなければ、あっという間に真っ暗になる。

 入国許可証はフィリベルトが用意してくれ
『申し訳ございませんが、念のため偽名でお越しください』
 と全く耳慣れない名前を与えられ、危うく名乗る時に舌を噛みかけた。
「自分の名前を噛むとか、ありえへんやんなあ」
 思わず苦笑とともに、独りごちてしまう。

 ここから王都まで、三日はかかる。

 荷物を担ぎ直し、外套をしっかりと羽織る。リンジーから来た手紙――暗号で書いてある――にもう一度目を通しながら、小腹を満たせる様な店も、物色する。

 キョロキョロしながら、国境の街のメイン通りを歩いていると

「おやあ、また会ったね、兄さんたらあ。今晩も、お相手してくれるぅ~?」

 ド派手な娼婦に声をかけられた。
 なんの毛皮か分からないが、襟巻を視線でたどると、自然と豊満な胸の谷間に行きつく。寒いのに大した営業努力だな、とヒルバーアは感心した。
 
 また会ったね、はセールストークによくある文言で、そう言っておけぱ前回も楽しんだ相手か、と指名が増えるだろうという、浅はかな誘い文句。はじめは気にも留めなかったヒルバーアだったが

「あら? 今日はお一人なのねえ?」

 と言われ、ドキリとする。

「あー、もう一人は、ちょっと野暮用」
 当たり障りなく答えると
「ツルツルさんにからまれて、大変そうだったものねえ」
 同情された。
「ツルツル?」
「ほら、イーなんとかいったかしら。お金で揉めてたでしょ」

 騎士団本部でレオナに絡んだ不届き者が、確かそんな名ではなかったか。

「よく覚えてるなあ。てわけで、悪いけど今は手持ちがないんだ」
「あらあ、残念。じゃ、結局払ったのねえ! ツルツルさんたら、今頃王都で豪遊してるんじゃなあい?」
「ははは」

 娼婦の投げキッスを受け止めて、宿屋へ急ぐことにした。
 ヒルバーアの、嫌な予感が止まらない。

「奴ら、金を払ってまで、何をさせた……」
 
 

 ※ ※ ※



「ムカつく!」
 ユリエは、ノートを壁に投げつけた。
 
 王立学院寮の、平民用の二人部屋。
 貴族用とは異なり、二段ベッドと、二つ並べられた机でほぼ部屋の面積は埋まっている。トイレとお風呂は共同で、クロゼットも小さい。
 ルームメイトが居ると、ベッドの上ぐらいしかプライベートな空間は無いのだが――そのベッドの上段で、ユリエは怒りまくっていた。

 来週には、卒業実習が始まる。

 にも関わらず『イベント』は何も起こらないし、エドガーとの仲も全く進展していない。
 留学から戻ってきた薔薇魔女がなにかするのでは、と待ってみたものの、普通に講義を受けているだけだし、周りの反応も変わらない。
 むしろ、下級クラスの学生達まで薔薇魔女を慕って、ランチを一緒に! なんて言われているのを見た。

「なんでよ!」

 エドガーは、学院でこそユリエを可愛い、一緒にいたい、と持ち上げるが、放課後や休みの日は文字通り『監禁されるんだ』と街歩きにも全く行かなくなってしまった。
 薔薇魔女の悪口を吹きこんでみても、『アザリーの王子と、ブルザーク陸軍大将子息がいては……』と尻込みされてしまう。

 ならば他に味方を作ろうと、平民クラスを異母妹のボニーに探ってもらったが『マナーを教えてくれる』『気さく』『優しい』という評判をなかなか覆せないそうだ。

「ユリエちゃん、大丈夫……?」
 ベッドの下から、ボニーの気遣わしげな声。
「大丈夫じゃない! ――はやく、婚約しないと!」

 もう、本当に後がない。
 残るは、卒業実習と、卒業パーティしかないのだ。

「卒業実習で、えーと、なんだっけ?」
 のほほんと言うボニーが、憎たらしくて仕方がない。なんだかんだ信じてないくせに! とユリエはイラつきながらも
「卒業実習で、大きな魔獣に襲われるって、言ったでしょ」
 律儀に答える。
「どんな?」
「黒くて強いやつだよ……」
「怖いねえ」
「そこでエドガーに、助けてもらわないといけないの!」
「助けてくれるよー」

 ちっ、と思わず舌打ちしてしまった。

「レオナに邪魔されたら、どうすんのよ」
「邪魔されないように、捕まえとけたら良いのにねー」
「魔女だよ? 魔法で……」
「魔法防ぐやつって、なんか道具みたいなの、ないのかなあ」
「! ボニー、カミロの部屋にきっと!」
「わあ、ユリエちゃん、さすがだねっ」
 下から、ベッドの中を覗き込んできたボニーに
「実習前に、なんとかするよ!」
 と強く言ってみるものの
「分かったあ」
 相変わらずの、のんびりとした返事が。

 もう、構ってられない。

「うまく、やらなきゃ……」
 イライラする。
 このところ、心の奥が黒く染まっていくような感覚に襲われることがあって――
 
 ユリエは、手の甲を見つめた。
 何度洗っても落ちない、青黒い汚れが、広まった気がする。まるで蝶のような模様だ。
 手で、無意識になぞる。ゾワゾワする気がする。

「あそこには、絶対に帰りたくない。帰るくらいなら」

 死んだ方がマシ、という言葉は、かろうじて飲み込む。
 傍らでボニーが、ただただユリエを、ニコニコと見上げていた。
 
 

 ※ ※ ※


 
「ちゅうわけで、たまやすめの術が少しずつほころびてるねんな」

 ふいー、と、ようやく語り終えたリンジーは、大きく息を吐く。
 マリーがグラスの水を差し出してくれたので、喉を潤した。
 
「そ、んな……」
 レオナは、懸命に感情を抑えようとしていたが、たまらずリンジーに駆け寄り、抱きついた。
 その勢いでリンジーは持っていたグラスを落としかけ……ヒューゴーがすかさず横から引き取る。
「ごめん! ごめんね、ナジャ君!」
「えーんよ。わいがしたくて勝手にしたことやし」
「でも!」

 彼は、ゼブルと縁を結んだ。ということは、肉体が寿命を迎えた暁には冥界へ行き、永遠に仕えなければならない。
 親友の魂と大切な思い出を捧げたばかりか、自身の魂はことわりから外れ、縛られ、還れないのだ。
 
「レーちゃんは、あれからずーっと変わらんのお」
 リンジーは、優しくレオナの背を撫でる。
「やから、宝物は、またもらってるねんで」
「ほんとに?」
「せやで。増える一方や」
「わた、わたくしは、ナジャ君に、何が返せる? 何をしてあげられる? こんな、こんなのって!」
「レーちゃん。聞いてや」

 幼い子に諭すかのように、リンジーは言う。
 屈んで、目線を合わせて、優しく微笑んで。

「薔薇魔女は、イゾラのいとや。つまり創造神の子どもなんや。そして、身のうちには災禍の神ゼブル。これがどういうことか、分かるか?」
「創造と、破壊……」
「そうや。さすが賢いのう。つまり『その両手に持つは、全知全能』……てことなんよ」


 ――!!
 

 この部屋にいる全員が、その発言に驚愕する。
 
 特にレオナは、その事実の重さに動けなくなり、リンジーがゆっくりと手を引いてソファに座らせた。

「イゾラ神すら持ちえなかった力や。ええか。創り、壊す。呪い、解く。愛し、憎む。全てを持ってる。やから」
「……教会は、薔薇魔女を認めるわけにはいかないのね? 神を上回るヒトなんて」
「そーいうこっちゃ」

 世界を創ったイゾラ。
 世界を滅ぼしたゼブル。
 相反する両者が共存する存在――薔薇魔女。
 
「なんと、いうことだ……!」
 フィリベルトが拳を握りしめ、思わず自身の膝を殴った。
「全属性且つ魔力無限、それだけではなかったというのか!」
「お兄様……」
「そうや。あまりに強大で重い。せやからわいは、死んでも言うつもりはなかったんやけどな……」

 リンジーが、辛そうに額に手を当てる。

「サーディスとサービアが――六番と、七番やな。レーちゃんを狙っとんねん」
「わたくしの……いえ、薔薇魔女の暴走、そしてゼブルの解放――」
「そうなると、はたして、それだけだろうか?」
 フィリベルトが、立ち上がる。
 机の引き出しから書類の束を取り出し、めくりながらソファに再び座る。
「これは、ヒルバーア殿下の協力で作った、アザリー事件の調書だ」

 ローゼン馬車襲撃に始まり、フィリベルトとタウィーザへの死蝶、宰相暗殺未遂、そして、レオナの刺殺未遂。
 暗示、死蝶、幻惑魔法、そして毒。

「そしてこちらが、ブルザーク帝国での薬物汚染事件の記録」

 陸軍大将の暗示、暗示の魔道具、ジャムファーガス、チャームポピー、血起こしの儀式と、ダークサーペントの呪い、そしてイゾラの聖血。
 暗示、薬物、儀式、呪い、そして毒。

 これらにより、闘神(ゼルヴァティウス)と守護神(タウィーザ)、守護獣(グングニル)の存在が明らかとなった。

「最後に、夢のお告げ……」

 終末の獣。
 地に飢えた血しぶきを与うることなかれ。
 海に膿んだ過去を与うることなかれ。

「これらが意味するものはなんだ? 今までの事件は、もっと大きい何かのとしか思えなくなる……『終末の獣』とは一体」
「――わからんのです」
 リンジーが、眉を寄せた。彼の持つ教会の知識でも、このお告げについては、謎なままだ。

 
 そうして、シンとなり。
 

 その静寂を破るのは。
 
 
「……難しいことは、考えるの任せます。俺はただ、守るだけだ」


 強い目力が、レオナに降り注ぐ。
「ヒュー……」
「レオナ様。何も変わりませんよ」
 ヒューゴーは、レオナの膝元に跪き、手を取るとその甲を自身のおでこにくっつける。
「心を安らかに、今まで通り過ごしましょう。ずっと、おそばにおります」

 ――あたたかい。
 
「私もですわ、お嬢様。気持ちは変わりません。今まで通り、おそばに」
 マリーも、ヒューゴーと並んで、レオナに寄り添う。

 ――やわらかい。
 
「……ありがとう、二人とも」

 恐れず、畏れず、そばにいてくれる。それだけでどんなに心強いか。
 レオナは二人の手をぎゅ、と握る。

「私が呑まれそうな時は、遠慮なく止めてね」
「「はい」」
「でも、これだけは約束して。命を大切に」
「「……」」
「いい? 私は、私のために投げ出して欲しくはない。それだけは、どうしてもイヤなの」

 レオナは、手をほどいて二人の頬にそれぞれ触れる。

「甘かろうと、なんだろうと。ね」
「分かりました」
「約束します」
 
「あとヒューゴー?」
「はい」
「マリーに、謝って」
「へ!?」
「正直に言うわ。あれはない。最低よ」
「ちょ、え? は? 今!?」
「今」
「あーえー、と、ごめんなさい?」
「はいダメ。失格」
「はえっ!?」
「最低ね、なんで謝るのかてんで分かってない。反省しなさい」
「レオナ様……」
 マリーが、眉を下げる。
 ヒューゴーは、レオナとマリーの顔を交互に見てから
「ちょおーっと、その」
 戸惑ったままだ。

「ふふ。ね、お兄様。私は、今まで通りの、レオナですわ」
「レオナ……」
「なんだろうと、私は、わたくし。産まれた時からずっと、お父様お母様、お兄様が愛してくれている。ナジャ君が全てを捨ててまで守り、仕え。ヒューゴーとマリーが寄り添い、守ってくれ。友達が、仲間が、たくさんいる」

 レオナは、毅然と立ち上がった。
 

「わたくしは――レオナ・ローゼンです!」
 

 宣言すると、七色の魔力がレオナから溢れ……皆を包んだ。




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お読み頂き、ありがとうございました。
薔薇魔女とはなにか、をようやく書くことができました。
卒業実習が、始まります。
引き続きレオナを、見守ってくださいね。
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