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第三章 帝国留学と闇の里
〈164〉闇の里の民4
しおりを挟む「レーちゃんの、兄?」
「そうだ。ナジャとやら」
「……おかしいと思ったでぇ。まんまと泳がされとったちゅうわけやなあ」
リンジーは、腕を組み、憮然と仁王立ちする。――虚勢だが、何もしないよりマシだ。
「勘違いするな。レオナに害を及ぼす者を、泳がせなどしない」
リンジーの記憶が確かならば、レオナの兄は四歳上。つまり十一歳のはずだが……
「友達だからと言い張ったからだ。本当か?」
――なんやねん、この迫力は……!
「わいには、友達っちゅうもんが何かわかれへんけど、ここ何日か仲良うさせてもらってましたでぇ」
あくまで飄々と。
内心を気取られないよう、振る舞うことしかできない。
「う……ジャく……」
あえぐレオナが、リンジーを呼んだ。
「!」
「レーちゃん!」
リンジーがベッドへ駆け寄ろうとすると、侍従に阻まれた。
「行かせん」
「はー? 聞こえんかったんか? 今わいを呼んだんやろがい」
「……レオナ様を傷つけないと約束しろ」
「自分、アホなんちゃう?」
侍従が、リンジーの首をねじりあげ、無言で凄んできた。
なかなか腕が立つようだが、短気。
付け入る隙があるということは、まだ見習いか、とその戦闘力を分析する。
この部屋で絶対に手を出してはならないのは、執事と、レオナの兄だ――先程から、冷気がリンジーの足首を絡め取ろうとしている。捕まったら、一瞬で……想像するだけでも寒気がする。
「んな約束いるん? 傷つけるつもりなら、とっくのとうにやっとるわ、ボケカス! ドアホ!」
「……っ」
「ヒューゴー、離せ」
「フィリ様!」
「レオナの様子を見て欲しい」
「なっ」
「ヒューゴー、下がりましょう」
メイドが、後ろから彼の二の腕を引いて、ようやく引き下がった。
ベッドの枕元には、執事が殺気を放ちつつ、すでに立って待っている。その間合いに入るには、死を覚悟する必要があるくらいだ。
――愛されとんのー、レーちゃん。
リンジーはなぜか分からないが、ホッとした。
薔薇魔女だからと、屋敷に監禁されて遠ざけられている様子はなかった上に、この兄や執事、侍従の態度である。大切にされていることは明白だ。
「そんなに心配なら、言う通り約束したるわ、ヒューゴー」
「!」
「わいが少しでも危害加えたら、殺してええで」
す、とベッドの枕元に跪き、リンジーは覆面を取って、レオナに微笑む。
「レーちゃん、ようがんばっとるのお。しんどいわなあ。七歳の子に課すには酷なんちゃうかー、イゾラはん」
「……ジャ……くん……」
「わいのほんまの名前は、リンジー言うねん」
「り、んじ?」
「せや。ゆっくり呼んでや。ほんで、ふかーく、息吸ってー、吐いてー」
リンジーは、話しかけながら自分の施した封印を、上から丁寧に掛け直す。
レオナには『ナジャ』の名だけを教え、闇の里に伝わる名封じをしてきた。今、真名と呼ばれる自身の本名を呼ばせることで、貯めた魔力を一気に使う。
「うん、上手やな」
ニコニコ微笑むと、レオナがぎゅう、とリンジーの手を握った。燃えるように熱い。
「しんどいな。すーぐ楽になるよって、もうちょい頑張ってや」
「……ないで……」
「ん?」
「りん……むり、しな……で、わた……し、だいじょ……」
「わーっとるよ。無理はせえへん」
レオナはようやくホッとして――眠りについた。
「っぷう。さあて……」
リンジーは、部屋にいる全員を振り返る。
「残念やが、コレはただの時間稼ぎにしかなれへん。何から話すかいのー」
フィリベルトが無言でソファに腰を下ろし、執事のルーカスがお茶の用意をし始め、メイドがレオナの顔に浮き出た汗を優しく拭き、ヒューゴーは油断なくリンジーを見張っている。
「時間の許す限り、全てを順序立てて話してくれるか」
膝の上で手を組み、リンジーを見据える公爵令息。
――おっそろしい十一歳やでえ……ま、わいもこんな感じやったけどなー
「ええけど、わいが嘘をつかん保障はせえへんよ」
「きさまっ!」
「いい、ヒューゴー。いいんだ」
「っ」
ヒューゴーが、フィリベルトに止められ、殺気をしまって引っ込んだ。
「レオナが友達と呼ぶのは、今までシャル嬢たった一人だけだった。それほどに警戒心の強いレオナが、心を許している。それだけで十分なんだよ、リンジーとやら」
「光栄やでえ。はあ、疲れた。座っても?」
「許そう」
ヒューゴーが不満げだったので、リンジーはその狐目を見開いて見せた。――白目まで、黒く染まっている。自身にたっぷり貯めた闇の魔力を使ったのだ。回復までは時間がかかるだろう。
全員がそれを見て息を呑む中、リンジーはソファの向かいの椅子にだらりと身体を預けて、水を頼む。本当は、立っているのもぎりぎりなぐらい消耗していた。
メイドがグラスとピッチャーをテーブルにセットしてくれ、二杯、続けざまにグラスの水を飲み干す。ほのかにレモンの香りがした。
「どもども、かわいこちゃん」
このメイドもかなりの手練れやな、とリンジーは苦笑する。
「マリーよ、リンジー」
「マリーちゃん。小腹もすいた」
「わかったわ。簡単なスープとパンで良いかしら」
「てめえ、調子のんな!」
ヒューゴーが相変わらずすぐに反応するのがおかしくて、リンジーは
「くく、短気は損気やでえ」
と、さらにからかう。
「そんきってなんだよ!?」
「……ヒューゴー」
だがフィリベルトの冷たい声で、ヒューゴーはその動きを止めた。
「私が良いと言った。少し静かにしてくれ」
「っ、申し訳ございません」
「レオナを想う気持ちは、みな一緒だ。焦りも分かるが、今は、その隠密の情報が必要だ」
「はい……」
マリーが静かに、テーブルにスープとパンを置いてくれたので、リンジーはためらいなく手を伸ばす。
スープは温かい野菜の味がして、パンも焼きたて。さすが公爵家だと感心する。
「リンジー。レオナは二日前から高熱が下がらない。うわ言でずっと君の名前を呼んでいた」
フィリベルトが、初めて感情を表に出した。
「妹に、何が起きているんだ? 教えて欲しい」
「……食事の礼や。話そう。が、外には絶対に漏らさんでな。あんたらの命の保障ができんくなるよって」
「! わかった。秘密にすると約束しよう」
リンジーは、バルコニーの外を見やった。
「薔薇魔女は、ただの魔力お化けの魔女やない。イゾラの愛し子なんや」
「愛し子、だと?」
「なんのこっちゃ、やろ?」
リンジーは、パンを全て口の中に放り込んで、もぐもぐと咀嚼した。
「まー、んぐ。わいが知っとるのはイゾラ聖教会が語ったものやから、真実かわからん――ごほん。むかーし、むかし。かつてこの世界を大いなる『闇』が覆った。人間の憎悪の塊。欲の権化。嫉妬と歪みが産み出したるは、冥界への入り口」
隠密は宙を見つめ、朗々と語りだした――
※ ※ ※
創造神イゾラは九人の子を産み落とし、それぞれに役割を与えた。天空神、海神、大地神をはじめとして、豊穣、生命、縁故、技術、守護、闘争の役割がそれぞれ与えられた。光り輝く世界の創造を終え、人間たちが生命の息吹をその手に活動をしている陰で、冥界はその暗い力を蓄え続けていた。
いつしか、人間たちの間に『差』が生まれる。
持たない者、失う者、奪われる者。
暗い欲望、絶望、恨み、嫉妬が冥界へ力として溜まっていく。
きっかけは、豊かな領土を欲したある小国の王が、冥界へ生贄を捧げたことにある。
数百人の処女を一か所で……その残虐な命の貢ぎ物を糧に顔を出したのが――
冥界神バアルの子、ゼブル。
無垢なこどもの容姿で、無邪気に命を刈り取る、最凶最悪の存在。
イゾラも九神も、人界へは介入できないままに、ゼブルは本能に従ってヒトの全てを奪い破壊し、消滅させ、世界は焦土と化した。
悲劇を憂いたイゾラは、ヒトの中に分身を産み落とすことを決める。
だが自身の力をそのまま宿しては、現人神となり、また別の闘争を産むであろう。
ならばと、人の中に在るものとして産まれたのが――後の世で薔薇魔女と呼ばれた、ある女性である。
彼女は創造神の啓示でもってイゾラ聖教会へ身を寄せ、修行を経て、博愛でゼブルをその身の内に受け入れ、人の世に平和をもたらすことに成功。
その一方で、やはり人非ざる力を得てしまった。
全属性と、神に匹敵する魔力。
初代薔薇魔女は混乱を招くと、自ら生涯を教会へ捧げることで終えた。
彼女の残された血脈は後のローゼン家となり、人の世の理はなぜか、何百年かに一度、薔薇魔女の魔力を有するヒトをその血に遣わす。
イゾラ聖教会は、そのたびに薔薇魔女を――
「てわけで、レーちゃんの中でゼブルが暴れとる」
「世界を消滅させた闇、そのものというわけか」
「教会の言うことが正しければ、な」
「お前は何者だ、リンジー」
「その教会が、わいに薔薇魔女を殺せと命令を下してんけどな。わいは、闇の里から教会に出荷された子どものうちの一人や」
「まさ……か、闇の子」
ルーカスが、息を呑んだ。
「知っとる者がおるとは、話が早いのー」
「闇の子とは?」
「この世で唯一、闇属性を持つ人が産まれるという、マーカム禁断の地があるのです。ジーマと共に散々探したのですが」
苦しそうに言うルーカスが言うジーマとは、かつてのパーティメンバーであるダイモン辺境伯ヴァジームのことだ。
「あそこは、英雄とはいえ見つからんよ。そういうわけで、わいは闇属性の人間で、レーちゃんにゼブルを抑える封印をしてみたんやけど……なんや、出たがって暴れとる。何かきっかけがあったはずや。めちゃくちゃ嫌なことがあったんちゃう? 初めて会った日、庭の隅っこで泣いとった」
今度はフィリベルトが唇を噛んだ。
「……エドガー第二王子の婚約申し入れを何度も断っているのだが、それをよく思わない派閥の子らに、魔女だの悪魔だの、面と向かって散々罵られたらしい」
「そらまた、えげつないことしよんのー」
七歳なら、悪口も悪意も、大人の見よう見まねで残酷にできてしまう。それを全て受け止めるのも、まだ未熟な七歳の女の子だ。
「だから、ああやって聞いてきたんやな」
「何を聞かれたのだ」
「そんなに薔薇魔女は、悪いものなのか、てな」
フィリベルトは、絶句ののち、絞り出すように声を出した。
「レオナは普段、その苦しさを教えてくれはしないのだ。全部我慢してしまって……」
ルーカスも、ヒューゴーも、マリーも、全員が肩を落とす。
「そらせやろ。自分が大層なもん背負ってんのに、なーんも教えとらんねやろ? そんなんで打ち明けてもらおうとか、家族でも、虫のええ話ちゃうん?」
「そうだな、その通りだ!」
フィリベルトが、目に力を入れて強い光を宿した。
「これからは、レオナにはなんでも話す。だからどうか、このゼブルをどう鎮めるかを」
「せやなあ……方法がないこともないんやけど」
「何が必要だ」
「わいの身の安全やな。ローゼンは、イゾラの暗殺者のわいごと、抱える気あるか? あ、当主ちゃうもんな……閣下にどう話す?」
「おまえ……いい気になんなよ!」
「ちゃうで、ヒューゴー。ゼブルは強い。わいごと封印にならなあかんねん。つまり」
「リンジーが死ねば封印も解ける」
フィリベルトが、淡々と言う。
「そういうことやな」
「逆に問おう。レオナのために、命令に反してまでなぜ身を捧げる? 助かりたいからか?」
「自分の命なんて、正直どうでもええねんけどな」
リンジーは、ポリポリと頭をかいた。
「おやすみ、て、ええもんやなって、思ってん。心が、ぬくくなって。また言いたい」
「そうか」
――すぐ戻る、とフィリベルトが出ていき、日が傾くころ、ローゼン公爵家当主にしてマーカム王国宰相ベルナルドが、レオナの部屋にやってきた。
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