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第三章 帝国留学と闇の里

〈161〉闇の里の民1

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 ブルザークから帰国した夜のローゼン公爵邸でのディナーは、大規模になってしまった。

 レオナ、ジンライ、ディートヘルム、ペトラに加えて、マクシム、オリヴェル、ヤンを、ローゼン公爵家のベルナルド、アデリナ、フィリベルトが歓迎する他、シャルリーヌ、ゼル、テオ(本来は侍従だが、ジンライの友として特別にゲスト側)も加わったからだ。

『ローゼン公爵令嬢、初の留学から凱旋!
 しかも、交換留学としてブルザーク帝国名門家のうち、陸軍大将令息と侯爵家令嬢を伴って!』
 
 のちのちのためにベルナルドが、大袈裟にしたこともある。広報活動は重要だ。
 
 マリーとヒューゴーは、ルーカスとともに給仕に大忙しだったわけだが、なぜか途中から「お手伝いします」とシモンが加わり、さらにいつの間にかちゃっかりユイとスイまで働いていた。
 
「壮観だね」
 フィリベルトがそう笑うと
「ええ……」
 レオナは若干困惑しつつ、同意するしかない。
 シモンと、ユイとスイまでついてくるとは思っていなかったからだ。(働いているということは、ルーカスがよしとした、ということである。)
 
「ナジャ君ね、きっと……」
 ふう、と溜息をつきつつも、これはこれで、ヒューゴーやマリーが楽になるなら良いのかな、と夫婦を見やると……なかなかギクシャクしている。
 
「あれは、ヒューゴーが悪い」
 フィリベルトがパンをちぎりながら言う。
「あんな殺気をぶつける前に、マリーにちゃんと『お疲れ様』や『おかえり』を言うべきだった」
「そうよ! あんなの、信用してないって言ってるのと同じ!」
 なぜか、ぷりぷり怒っているシャルリーヌ。
「学院でモテまくりだからって、いい気になってる」
「ええっ!?」
「サロンで、ヒューゴーは決まった相手がいるのかって、聞かれて困っているのよ」

 シャルリーヌの開いたサロンは、若い女性向けで敷居も低いので、恋愛話も多いのだとか。

「いい気になっているというよりかは、マリーは絶対他に行かないと油断してた、という方が正しいかな」
 フィリベルトが、さすがにフォローを入れる。

 ――結婚して三年目になる二人を、留学で離ればなれにしてしまった責任を、否が応でも感じてしまうレオナである。
 
「また喧嘩するうちに、元に戻ると思うけどね」
「だといいのですけれど……」
「それより、お手紙と全然様子が違うわね、ディートヘルム様」
 シャルリーヌが、水をコクリと飲みながらこそりと言う。
「とっても紳士じゃない?」
「えーと……そーね」
 ふと、向かいの席のレオナと目が合って……ウインクされる。
「ふふ、ディートったら」
「なあレオナ、この鳥、すごく美味いな。上の黒い粒はなんなのだろう? ピリッと香る」
「胡椒っていう、香辛料よ。アザリーの名産」
「へえ! 酒とも合いそうだな」
「飲んじゃダメよ?」
「分かっている。明日はマーカム国王との接見だもんな」
 また、ウインク。
 隣のシャルリーヌも赤面するくらいの、熱いアプローチだ。
 
 ゼルがそのディートヘルムの様子にいち早く気づいて、眉間に皺を寄せる。
「ゼルさん、落ち着いて」
 テオがなだめると
「……やはりか」
 ギリギリと歯ぎしり。
「やはりって」
「レオナに惚れる男の二、三人はいるだろうと思っていたが、まさかマーカムまでついてくるとはな!」
「留学生だからね、ゼルさん。仲良く」
「分かっているぞテオ。だが、負けん!」


 ――寒気がするのは気のせいかしら?


 レオナが粟立つ鳥肌を感じると、ちょうど
「さ、夜も更けた。そろそろお開きにしよう」
 ベルナルドの声で、解散となった。
「新たな出会いを、ありがとう!」



 ※ ※ ※

 

 楽しい夜の後にあのような夢を見てしまったレオナは、どうしても胸がザワついてしまい、落ち着くことができなかった。早朝にマクシムらを見送った後で、フィリベルトの時間をもらうことにする。

 ルスラーンに会えたことはもちろん嬉しかったが、とてもポジティブな気持ちではいられず、せめてマクシム達をきちんと送り出さなければ! という使命感だけで乗り切った。

 フィリベルトは、ひょっとするとこの再会でルスラーンとレオナの仲が深まるのではと期待したが、そうはならなかったことに少し落胆していたが――それほど不吉な夢を見ていたと知ると、納得した。

「……夢のお告げとは……ナジャ。いるか?」
「はっ」

 フィリベルトの私室に、黒霧とともに現れた隠密は、覆面でその表情は分からないが、疲れた様子だ。

「移動で疲れているのに、すまないな」
「あーいや、これは違う件で……」
「まさか、二人も嫁をもらったからとか言うなら」
「へ!?」
 レオナは、驚きで硬直してしまった。
「ちゃう、ちゃう! そもそも、もろてへんし!」
「あ、三人か。シモンもだったな」
「ええっ!?」
「せやから、ちゃうて! もーほんま堪忍やでえ……」

 ナジャは、覆面を取ってその顔を見せた。
 
「ナジャ君……?」
 わしわしと片手で乱れた髪を整えると、そのシャープな狐目が見開かれて、涼しげな黒紫の瞳が見え――右の白目が黒みがかっているのが分かり、息を呑む。
 以前、ディートヘルムを治療した時ほどではないが――闇に魅入られた証拠だ。

「レーちゃんの夢、ほんまもんやと思う。マーカム国内の闇が濃くなった。夜通し王都の結界ぜーんぶ、貼り直して来たんやけど、無駄かもしらん」
「そうか……」
「お兄様、まずナジャ君を癒しても?」
「ああ、頼む」
「……すまん、レーちゃん」

 ぎゅう、とナジャに抱きつくと、上から優しく抱き返してくれた。ふわり、と黒装束からはムスクの香り。
 鍛えられた肉体が、ぎしぎしと悲鳴を上げているのを肌で感じる。
 身体に渦巻く闇を、癒したいと願う。

「っ……」

 以前と異なり、解呪には全身を針で刺されるような痛みを伴った。
 
「レーちゃん!?」
「大丈夫よ。が嫌がるの」

 レオナが胸に手を当てると、破邪の魔石の下でガタガタと蓋を開けようともがく『闇の子』が、ようやく収まった。ダークサーペントの時以来表に出やすくなっていることが、レオナがルスラーンに気安く接することができない理由になっている。
 フィリベルトはそれを今悟り、苦悩の表情を浮かべた。

「お、兄様、大丈夫ですわ。……ふう」
「だがレオナ、それは」
「ナジャ君と、約束してありますのよ。話せる時が来たら、話すと」
「フィリ様、わいは……覚悟できとりますさかい」
「そうか……ならば、少しずつ話そう」

 フィリベルトは、夢の予言を忘れないように書き留めながら、話を進める。
 
「ナジャは、どう思った」
「……」
 ナジャは、ふう、とひと息吐いて、キリ、と目に力を入れた。
「イゾラの言い伝えと、わいの故郷が発端やと思います」
「ナジャ君の?」
「そうや。ヒルバーアを呼び寄せてもええでしょうか」
「分かった。と、いうことは」
「いよいよ六番と七番が出ばってくる。本番っちゅうこっちゃ」
「!」
「ナジャ君……」
「レーちゃん。ブルザークでもしんどかったなあ。ごめんやで」
 ナジャが、レオナの頭を撫でる。
 

 陸軍大将アレクセイの暗示にはじまり。
 女教師エリーゼ、司祭の娘オルガの洗脳。
 帝国学校でのジャムファーガス汚染。
 ディートヘルムら、富裕層を狙ったチャームポピー。
 ミハルの悲しみ。
 血起こしとダークサーペント。
 思い返すだけでこれらのことが襲い、エリーゼは亡くなり、オルガは精神を手放し、ディートヘルムは命の危機にさらされ――ミハルは、還った。
 海軍少将令息のラマンは収監され、州軍は解体、海軍大将ボレスラフとゼメク枢機卿は失墜し、帝国軍は陸軍と海軍の双翼で再編されている。
 ベルナルドは、一層武力強化された、と危機感を募らせているが、国王は相変わらずのほほんと構えているらしい。
 
 
「ぜーんぶ、わいらの里に関係するんや」
「ナジャ君の、里?」
「マーカム東端の山奥にあるという、闇の里だ」
 フィリベルトが、辛そうに言う。
 ナジャがその後を引き継ぎ
「アザリーの六番と七番が、レーちゃんがやと知って、ザウバアとアドワを利用して闇に触れさせて……その後、その蓋をこじ開けようとしているんやと思う」
 レオナの胸元を指さす。
「ええ。私もそう思うわ」
「っ!」
 フィリベルトが、驚愕で目を見開き、部屋の温度が下がった。
「そ、か。せやな。やからあれほど解呪にこだわったんやな」
「うん。ごめんねナジャ君。、知らないとと思ったの」

『この子』は、世界を滅ぼした闇だと、
 ダークサーペントと楽しかったから、また出してね、と。

 レオナは、この純粋で強大な闇を身のうちに飼っていることを、幼い頃から無自覚に知っていたのかもしれない、と自分を振り返る。
 だからこそ、理性を総動員して自我を封じ、家に閉じこもっていた。

「闇の里、そして薔薇魔女とは、なんでしょうか」

 覚悟を持って、フィリベルトを見つめるレオナに、フィリベルトは
「……今から話すことは、記録からの推察も混ざる。確かなことは、正直何も無い」
 と慎重だ。
「これからナジャのことも、知るだろう。だがどうか」
「ナジャ君は、ナジャ君よ」
 レオナは、彼の手を取って、しっかりと握り締める。
「私の大切な護衛で――封印」
「はは、かなわんなあ」
「そこまで分かっているのなら」

 そっと入室したルーカスが、温かいお茶を用意し始める。

「ヒューゴーとマリーにも、知っていてもらいたいわ」
 レオナが、あえて呼び寄せると
「かしこまりました」
 ルーカスは優しく微笑んだ。
「お父様とお母様は、ご存知?」
「うん。ナジャが説明してあるよ」
 フィリベルトの瞳に珍しく涙が溜まっているのに気づいたが、レオナは見ないフリをした。

「お呼びでしょうか」
「失礼致します」

 まだ少しギクシャクしている夫婦を、レオナは苦笑とともに見つめる。

「ヒューゴー、マリー。今から話すことは、決して漏らしてはいけない。例え騎士団であろうと、家族であろうとだ。漏らした瞬間に始末する」
「はっ。誓って秘密を守ります」
「口外しないと誓います」
 即座に二人がその忠誠を示すと、フィリベルトはナジャに話すよう促した。
「ヒューゴーは知っとるな。そもそものわいの役目は……」


 ――長く、辛く、先も見えない中必死でもがいてきたある隠密の、生きてきた闇の道が、語られた――


 
 ※ ※ ※



「次はお前や、四番」
「はあ」

 その里で産まれた子供には、名前がない。
 どうやら、欠番が出たらそれがあてがわれる仕組みのようで、四番が知る限り、三十番までは居た。
 子供はあっという間に育って、いつの間にか居なくなる。
 残るのは健康で男女数人で、選ばれて名を与えられ、子を成し、一定の人口を保っている。
 そんな小さな村に育ったのだが。

 四番にはがなかった。

 才能ある者は、産まれた瞬間、身体のどこかに闇の雲を持っているらしい。右手で掴んでいたり、足首に絡まっていたり。

 里長さとおさは、首に分厚くマフラーのように絡まっていたらしい。

 その者らは、闇属性を持つ、稀有けうな存在として大切に育てられる。

 では、才能のない者はというと。
 ある程度まで育つと里長に呼び出され、翌日には居なくなる。

「迎えが来とる。黙って行け」
「はあ」
「お前の名は、リンジーや」
「……はあ」

 名前が欲しいと夢見ていた十一番は、才能にあふれ、なぜか四番と最も親しく、教えてはならない禁呪の数々をこっそりと託し、死んだ。
 外に出たいともがいて、村の決まりを破り、出た瞬間に術が発動した。――村の結界には触れるなとあれほど言っただろう、と里長が一言つぶやき、おしまい。葬式どころか墓すらなく、皆、十一番のことは忘れた。

「わしが与えた名を持つと、結界を一度だけ通れる。戻ると……分かるな?」
「わかる」
「行け」

 十一番は、自由になりたいと夢見て死んだ。
 それを見た四番は。

「あの村、滅ぼしたいわあ」

 友の命がなくなっても、なんの感慨もなかった村人全員を、憎いと思っていた。

 
 ――そうして村を出たリンジーが連れて行かれたのは。


「ようこそ。新たな愛の下僕しもべとなるわらべ。心から歓迎しよう」


 イゾラ聖教国、大教会本部だった――



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お読み頂き、ありがとうございます!
最終章へ向けて、3章の最後にリンジーと薔薇魔女の秘密に迫ります。
しばらくお付き合いくださいませ。
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