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第三章 帝国留学と闇の里

〈152〉前に進むしかないのです

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 真っ白で明るく何もない空間に、笑顔でミハルが座っている。
「夢にお邪魔してごめんね、レオナ嬢」
「……ミハル様?」
「もう一度話したくて、イゾラに頼んだんだ」
「ふふ、ごきげんよう」
 

 ――なんだかここ、見覚えがあるな?


「ごきげんよう。僕のために祈ってくれて、ありがとう」
 
 ミハルは、穏やかな笑みを浮かべている。
 これが本来の彼なのだとしたら――枢機卿としてきっと立派な人物になっていたに違いない。
 
「そう思ってくれて嬉しいよ」
「!」
「言い忘れたことがあるんだ」
「はい」
「あの隠密が過敏になっているとおり、解呪はもうしちゃダメだ。ダークサーペントの時もだろう? もちろん感謝はしているんだけど、今や教会に聖属性を持つ人間は皆無なんだ。もしバレたら躍起やっきになって、薔薇の聖女として監禁しにくるだろう。それに、ドラゴンスレイヤーは邪悪な存在って主張してるんだ。破邪の魔石だって、そうと分かったら取り上げられちゃうよ」


 ――ゾッ。


「もう一つ。君の中の闇をそんなに恐れないで。光があれば、闇もある。ただ、純粋なだけだよ」
「……純粋……なんとなく、分かりますわ」

 ミハルの姿が、薄くなっていく。

「最後に。君はたくさんの人を愛し、愛されているけれど、憎まれることには慣れていない。人の憎悪は恐ろしい。呑まれないようにね」


 ――憎悪……


「僕もできる限り、見守っているから」
「ミハル様……」
「レオナ嬢。どうか、僕のことは後悔しないで欲しい。いずれにせよもう、のだから」
 ミハルは、自身の心臓をそっと指差してから、笑顔で手を振った。

 

 ――カーテンから漏れる日差しの眩しさで、レオナは目を覚ました。


「私の憂いを、持って行ってくれたのね……」
 涙とともに、感謝の祈りを捧げた。
 
 

 ※ ※ ※
 
 

 朝食の後にジンライの部屋を見舞ったレオナが、ミハルの話をすると
「あの薄ら寒さは、そうだったんすね……ずっと得体が知れないなって感じてたんす。そっかあ。辛かったっすね、ミハルさん」
 ベッドの上で納得顔。
「ええ……私達はせめて、祈りましょう」
「そうします」

 ジンライは、ベッドの上でそっと祈った。
 
「あ、俺、明日から学校行くっすよ」
「体調は、もう大丈夫?」
「大丈夫っす。……ここって時に役に立てなくて、すんませんした」

 レオナは、シーツを握りしめるジンライの手に、自分の手を重ねた。

「ねえジン。私はジンが居て、とっても心強かったわ。あの足止めや麻痺の魔法も、素晴らしかった。ラジ様が褒めてらしてよ」
「え……」
「ダークサーペントは、かなり格上の魔獣。魔法が入るだけでも、魔術師団に是非呼びたい人材だって。でも鍛治との両立は無理だろうなあって笑ってらしたわ」
「そう……なんですね……じゃあ俺、少しでも役に立てましたか……?」
「もちろんよ!」
「ジン」
 水を持ってきたマリーが、レオナの背後から言う。
「ジンの魔法がなかったら、私はあそこまで粘れませんでしたよ」
「師匠……」
「怖かったでしょう。あれに対峙することすら、普通はできないのですよ。素晴らしい成長です。頑張りましたね」
「へ、へへ、良かった」
 やっとジンライの顔が明るくなった。

「魔法や加護なんてなくても、貴方が居るだけでいいのよ?」
 と、何度となくレオナは同じことを伝えるのだが、ジンライはこうして『役に立つ』ことにこだわる。
「あー、うん……」
 罰が悪そうに頭をかくジンライの懐に、どこからかオスカーが走ってきて、しゅたんと乗った。
 じー、とジンライを見てから、くるん、とその場で丸くなる。まるで「仕方ないやつ」とでも言って慰めているかのようだ。
 
「いつか、自信を持てるように。明日からまた修行致しましょう」
 マリーがそう激励すると、
「ういっす!」
 嬉しそうに笑う。
 レオナは、今はとにかくマリーと二人で、彼を見守っているところだ。

 ――そしてその日の午後、先触れもなくやってきたのは。

「ふん、じゃあ明日から来るのね?」
「うっす」
「なら、良いけど」

 またもお菓子を大量に詰めたと思われる鞄を背負ってきた、ペトラ。おもむろに、ジンライのベッド脇のチェストの上で鞄をひっくり返すと、案の定ゴバーッと色々出てきた。

 ペトラいわく、どうやらミハルの件は、割と大騒ぎになっているらしい。
「昨夜ミハルが持病の悪化で亡くなって、ゼメク枢機卿が突然枢機卿も元老院も退任表明、だもん」
「「「わー」」」
「ミハル、具合悪そうに見えなかったけど、最後の思い出とか思って、キャンプ出たのかな……」
「そうかもしれないわね……」
 レオナは、ペトラを肯定しておいた。
 
「……そだ、ディートも明日から学校行くって」
「あら、傷はもう良いのかしら?」
「さあ? お菓子買ってる時に、中佐に偶然会っただけだもん」
「ラザール様が治癒魔法を施したと言っていましたし、大丈夫なのでしょう」
「そうね!」
「ところでペトラさん、食べ過ぎっすよ」
「んむんむ、もぐもぐ」

 
 ――いつの間に!


「ん! ンン!」
「あー、ほら。お水」
 ジンライが、自分のグラスを差し出す。
 ペトラがそれを掴んで、中の水を一気飲みしてから
「……はあ。おいしいんだけど、喉詰まる……」
 と溜息をつく。
 確かに、帝国でもほぼ焼き菓子だなあとレオナはじっとペトラの手元を見る。
 
 砂糖が貴重なのは、帝国でも変わらない。
 てん菜は寒冷地で育つので、帝国の北に自生地や畑があって、収穫したら皮を剥いて小さく刻んで煮詰めて、上澄みを取って冷やして……とかなり手間を食うのだ。
 その作り方を聞いた時、てん菜を譲ってもらって、全部魔法でやってみた。結果は――やはり大変だった。
 
 機械ってすごいんだなぁ……と改めて前世に思いを馳せてしまったレオナである。
 
 とはいえ、原料だけ買う方が早いので、定期的にタウンハウスにも届けてもらって、休みの日には魔力消費を兼ねて、相変わらずごま油、オリーブオイル、砂糖、マヨネーズを作っている。シモンには「これ売れ……いや、騒動になりますね。やめましょう」と言われてしまった。仕方ないので、余ったら特別価格で学生食堂に卸している。

「ねえペトラ」
「んぐ、ん?」
「魔導鍋、好評でしょう?」
「うん」

 お陰様で食堂には、学生が殺到している。
 なにせ育ち盛りの男子達だ。特に『揚げ鶏、カツレツ争奪戦』は笑えるぐらいなのだが、『マナーが悪くなった場合は、即時提供禁止』と食堂にデカデカ看板が貼られているのが、もっと笑える。(もちろん、絶大な効果あり。)

「他の調理魔道具を考えたんだけど」
 
 キュピーン!
 今効果音鳴った!? と思うくらい、ペトラの目がきらめいた。
 
「ちょっと詳しく」
「あのね……」



 ※ ※ ※



「はあ、疲れた」
「……」
「……」
「……」
「む、なんだ」
「あ、いえ、お疲れ様でございます」

 どっかりとディナーテーブルのいつもの位置に座る、覇気溢れる人物は、大きな溜息と共にその存在感を主張した。

 タウンハウスを久しぶりに訪れた皇帝ラドスラフは、いつもよりも一層重い空気をまとっている。
 代表してレオナが応じるが、病み上がりのジンライ、執事のシモン、今はメイドのマリー、はどう挨拶すべきか躊躇ためらっていた。

「ジンライ、体調はもう良いのか」
「へ? あ! ありがとうございます! 大丈夫です!」
「そうか……重ね重ね、迷惑をかける」
「ととととんでもないっすよー!」
「ふむ。報告より顔色は良さそうだな。安心したぞ」
「ひいっ」


 ――帝国皇帝に体調を気にされる平民て、ジンライぐらいよねー


 レオナは思わず微笑んでしまった。
「レオナも、思ったより大丈夫そうだな」
「……はい。ミハル様、夢に来て下さいましたの」
「な、んと……」
「私の勝手な想像なのかもしれませんわ。でもとっても穏やかでいらっしゃった。私の憂いや後悔を、持って行って下さいましたの」
「そうか」

 言ったきり、沈黙するラドスラフ。

「ミハルは元々胸を患っていたそうだな」
「……そのようでした」
「あれほどの逸材を失うことを、受け入れられない気持ちは分かる。まして血の繋がった者なら尚更」
「はい」
「だが、一線を超えてはならん」
「……はい」

 その線を越えさせるのがきっと、彼らの目的なのだ。

「大きな力を持っているのなら、十分に注意しなければならん。余は、とうに超えているのかもしれんがな」
 
 言って、無意識に手のひらを見つめる。
 吸ってきた数多あまたの命が、そこにあるかのようだ。
 
「ラース様、私達は、生きております」
「うむ」
「どうあれ、進みとうございます」
「……そうだな。レオナ。だが」
「無理は、致しませんわ!」
「させねっす!」
「させません」
「あわ、わたくしも!」
 最後、慌てて手を挙げたシモンに
「一人余計な者がおるな」
 ラドスラフは片眉を上げる。
「あやつは、ちゃんと役に立っているのか? この間、ものすごい金額の請求が来たぞ? 一年タダ働きさせるか?」


 ――ディートヘルムの薬代だな……

 
「無慈悲!」
「とっても素晴らしい腕ですわ。居なければ困りますわよ」
「レオナ様! なんとお優しい! 薔薇の女神様であらせられる!」
「……とまあ、たまに暑苦しいのですが」
「ぶっ。クックック」

 ゲシッ。
 
「はう!」
 マリーが、無言で蹴ってくれたようだ。

「ところで、ヨナターンが感動していたぞ。マーカムの騎士団はすごい、是非州軍も合同演習したい、と」
「まあ!」
「今度は、帝国に招くか」
「とっても嬉しゅうございますわ!」
「……だが、ゴリラがなあ」
「っっ!」


 ――ちょ! 危なかった! 吹くところだった!


「あれに会うと思うと、なかなかキツいなあ……」
「ブホ」


 ――あー、ジンライが先に吹いたー
 

「ゴリラが、騎士団にいるのですか?」
「ぶっ」


 ――シモン! あー、ついにマリーまで……


「居るんだ」
「へ!? 飼ってらっしゃる……?」
「あれは、飼っ……てるのか? ぶふふふふ」
「ラース様っ!」

 耐えられず全員が爆笑し、シモンだけがポカンとしていた。



 ※ ※ ※



「あーあ、元騎士団員がその体たらくかい。泣けるねぇ」
「うるせえ」

 全部あの薔薇魔女のせいだ、とイーヴォはガタガタと脚が鳴るテーブルの上に、木のジョッキをどがん、と置く。

「おかわり!」
「……払えんのかい」
「払ったらあ!」
 
 チャリン、と出したのはなんと金貨。

「ツケの分も、まとめてな!」
「どうしたんだい、旦那ぁ」

 かつてハゲ筋肉と揶揄やゆされたその風貌で、残っているのはハゲだけ。だらしなく出た下っ腹、顎には汚らしい無精髭。とても金貨を払えるような見た目ではないから、酒場の主人は驚いた。

「デカい仕事が来たのよ」

 ニタァとイーヴォは汚い歯を見せて、笑う。
 店主は、この男のあまりの下品さに、『元騎士団員』は嘘だと思っている。

「恨みは、そのうちぜえーんぶ、返すぜえ! 魔女さんよお!」
  
 まずはしっかり準備なわけよ。
 今日はその、景気づけよ!

 前後不覚になるまで、浴びるようにエールに浸ったイーヴォは、翌朝ギラついた目で店を出たのだった。
 
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