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第三章 帝国留学と闇の里

〈145〉怒れる鍛治見習いは、やり過ぎるのです

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 ディートヘルムは
「もう、やめてくれ」
 と、小さな声で言った。

「レオナさん」
 ディートヘルムを正面から抱き込んでいるレオナの肩を、ジンライがそっと叩く。
「離れましょう」
「……ええ、そうね」
 追い詰めすぎたか、と反省するレオナだったが
「こんな馬鹿に、優しすぎるっすよ」
「!」
 意外にも辛辣しんらつな言葉を投げかけるジンライに、この場の全員が息を呑んだ。

「な、んだと……」

 ジンライは、レオナを背中に庇い、大きく息を吸って……

「ったく、情けねーなー! 陸軍大将の息子ともあろうもんが、女に羽交い締めにされて動けねえとか!」

 と、煽った。

 オリヴェルやヤンは、呆気に取られて動けない。
 マリーは、何かが起こった時に対処できるよう、密かに構えている。
 
「あんたのオトモダチに、言いふらしちゃおっかなー!」
「てめっ」
 ディートヘルムが、ジンライの襟ぐりに掴みかかる。オリヴェルとヤンが動こうとしたが、ジンライは
「大丈夫っすよ。こいつ、弱いんで」
 と言い捨てた。実際、今のディートヘルムは、まだそれほど身体に力が入らないのだろう、ジンライはビクともしていない。


 ――こんなジンライは、見たことがないわ……


 だがレオナは、彼がやろうとしていることを信じて、その背中を見守ることにした。

「てめえ、今、なんつった!」
「あんたは、弱い」
「あんだとおっ!」
「心の苦しみを、物を壊して誤魔化そうとするのは、子供がやることだろ」
「貴様に何が分かる!」
「わかんねー」
「ああ!?」
「ちっともわかんねーよ」
「分からん奴が、しゃしゃり出てくるな!」

 ジンライは構わず、なおも続ける。

「死にたいんなら、一人で勝手に死ねばいいのにさあ」
「……っ」
「グズグズ周りに迷惑かけて、結局甘えてんでしょ」
「てめえには関係ないだろうが!」
「お? 図星? 関係ならあるよ。あんた、すげー邪魔なんだよね」
「!」
「親父さんに生かされてるだけのくせに、偉ぶってさー。ほんと、猿山の猿」
「どこまでも、馬鹿にしやがって!」
「だって馬鹿だし」


 ――無理、してる……無理、しないで……
 

「ジン……?」
 レオナが思わず漏らした声を聞いて、ジンライはふう、と息を吐き、ぐい、と襟元を掴んでいたディートヘルムの手を強引に外そうとしたが、ディートヘルムはそれに抗って尚も掴みかかり
「平民のくせに、この俺を愚弄しやがって! 許さんぞ!」
 と叫ぶ。
 
「はあ。で?」
「なっ」
「許さないと、何なの?」
 小馬鹿にされて激高したディートヘルムは、ついに
「っ、殺す!」
 とジンライを押しにかかる。
 オリヴェルが見過ごせずに一歩前に出たが、ジンライが目で止めた。まだ、ビクともしていない。

「へえ。俺を殺して、どうなんの?」
「っっ」
「人殺したこと、ある? 死体を見たことは?」
「……」
「俺の親父は、スタンピードで死んだ。魔獣に殺された。五歳の俺は、散々食いちぎられた親父の死体を見て、それでも生きようって決めた。知ってる? 人って死んだらものすげえ冷たくなんの。匂いとかすげえんだよ、血が冷えて固まって肉が腐って」
「やめろ!」
「あんたは、ぬくぬくと閣下に守られてるだけ。欲のまま食い散らかして、自分のケツを閣下に拭かせてきた。そんなただの大馬鹿野郎に、ちゃんと覚悟決めた俺が、素直に殺されると思う?」
「うるっせえ!」
 
 ディートヘルムが頭を振り乱して叫び、さらに振りかぶってジンライの頬を殴ろうとして――すっと避けられた。
 勢いのままバランスを崩して、床に膝を突く。
 
「う、ぐ、……」
 それでも、ふらりと立ち上がりつつ、ジンライを睨む。
「いい加減気づけよ」
「ああ!?」
「学校じゃあ陸軍大将閣下のご威光で、みんなあんたに付き従ってるかもしんないけどさあ。誰か見舞い、来た?」
「……!」
「他国の、ほんの少ししか会ってない俺らが顔見に来てんのに、猿軍団は来てねえとか。どう思ってんの?」

 ディートヘルムは、ジンライを睨むしか、できない。

「えーと誰だっけ、海軍の少将の息子。同じクラスの」
「……」
「そいつ、あんたが死んだら俺が仕切るってさ」
「……っ」
「あんたも、あんたの周りも、全部くだらねえよ」
「うるせえ!」
「殺すとかうるせえとか、口だけだなあ、さっきから」
「こんな……くそ、身体が治ったら、覚えてろ!」
「いつでもその喧嘩、買ってやる」

 ニヤリ、と笑ってジンライは、拳をディートヘルムの胸に当ててバチィッと雷を鳴らし――気絶させた。
 
「うし。これで悔しいっつって、前を向いてくれたらいいんすけどね」
 荒療治っすけど、とジンライは笑ってディートヘルムを支えながら、レオナ達を振り返ってみせる。

「な、な」
「あ、閣下! すんません! えーと大変なご無礼を」
「ああいや」
「さっきの魔法は、気絶させただけっす! 寝られてないみたいだったんで。心配いらないっす」
「あ、ああ」

 アレクセイは、ころりと変わったジンライの態度についていけていないようだ。

「わざと喧嘩をふっかけたのね?」
 レオナが助け舟を出すと、ようやくオリヴェルとヤンが、肩の力を抜き、ジンライからディートヘルムを受け取る。
「へへ」
「無茶したわね」
 マリーが労う。
「一体、なぜ……」
 事態を飲み込めていないアレクセイに対して、ジンライは寂しそうに笑う。
「俺が勝手に、その、親父さんが生きてるんなら、仲良くして欲しいなって思ったんすよ」
「ジンライ殿……」
「たぶん、ディートさん、周りにいなかったんすよ。仲間が」
「仲間……」
「はい。なんかいつもすげー寂しそうで。暴れてんのも虚勢だなって感じてて。毎日祈ってたんじゃないすかね。だからジャムファーガスに深く汚染されちゃったし、チャームポピーにも頼っちゃったんじゃないかなあ」
「そ……うだったのか……」
「それと、実はこないだの治療の時に、ディートさんの心の闇に触れちゃったんすよ」
「な、なんと……!」
「ほんとに婚約者だった人のこと、好きだったみたいっす。だからその、裏切られて傷ついて……」

 オリヴェルとヤンが、気絶したディートヘルムをベッドに寝かせているのを、アレクセイはぼうっと眺める。

「そんなことも分からなかったとは……どこで何を、間違えたんだろうか、儂は……」
「まあ、金とか汚い世界のことは置いといて」
 ジンライが、ケロリと言う。
「親子喧嘩すりゃ、いーんじゃないすかね」
「親子喧嘩」
「そっす。俺は、ギルドの親方とよく喧嘩したっすよ。真正面からゲンコツくらいました」
「はは、そうだなあ」

 ジンライと語り合うアレクセイは、まるで憑き物が落ちたかのようで。

「重ね重ねすまない、ジンライ殿」
「ああいや、こちらこそ勝手にすんませんした!」
「いや、感謝する。レオナ様にも、迷惑をかけた」
「ふふ、いえ。すごいお見舞いになってしまいましたわ」
「いや……儂は、あやつの心を理解しようとはしておらなんだ。ただ、馬鹿息子め、迷惑をかけるな、ちゃんと振る舞えと言うだけで」

 ディートヘルムは、寂しかったのかもしれないな、とレオナは切なくなる。
 共感を得られず、心のり所もなく、みんなニセモノ。


 ――成人とはいえ、まだ、十六だもんな……


 そんなレオナの心情を読み取ったジンライは
「あー! またそやって、何とかしたいとか考えてるんでしょ、レオナさんは」
 苦笑する。
「へ!?」
「だめっすよ、誰にでも優しくしたら。もー」
「ジンライに賛成です」
 マリーがそっと、息を吐く。
「ふふ。そうかしら?」
 
 そうしてレオナ達は、また来ます、とアレクセイに告げて、ツルハ邸を辞したのだった。
 

「――ジンライ、相当無理したわね。大丈夫?」
 帰りの馬車の中で気遣うと
「ひー! 今頃、膝、震えて来たっす!」
 あんなに堂々と振舞っていたのが嘘だったかのような、いつものヘタレ鍛治見習いに戻っていた。
「やればできる、と感心したところだったんですが」
 マリーが微笑むと
「いやー、だいぶ無茶したっすね! やっぱ向いてねえ!」
 膝がガクガクしているどころか、ガチガチと歯まで鳴っている。
 
 見送ってくれたオリヴェルもヤンも、ジンライへの見る目が変わったのだが、この姿を見たら逆に安心するかもな、とレオナはむしろホッとした。

「ほんと、らしくねーことしちまったー! どーしよー」
「ふふふ、ゼルやテオが見たらびっくりね!」
「やーなんか、そりゃ傷ついたろうし、可哀想だな、とも思ったんすけど、色んなの通り越して甘えんな! って思っちゃったつうか……うまく言えないすけど」
「なんとなく分かるわ」

 ジンライは天涯孤独の身で、自身の技術一つで生きて行こうとしている。それに比べたら、支えてくれる父親がいるというのはどんなに心強いか。
 元イジメられっ子は仲間を得て、新たな道を歩み始めることができて――その経験もあるのかもしれないな、とレオナは感じた。

「……どうなるかしら、ね」
「まずは稽古しなければ、ですわね。今まで以上に鍛えますわ。喧嘩、いつでも買うのでしょう?」
「ひええええ!」
 笑いながらそんな話をして、タウンハウスに着くと
「おかえりなさいませ」
 シモンが穏やかな笑顔で、迎えてくれた。



 ※ ※ ※



 翌日の学校では、海軍少将の息子ことラマンが元気で鬱陶しかった。
 ディートヘルムが休んでいることを良いことに、
「アレクセイ閣下は、引退を打診されている」
 という噂を流し、取り巻きを得るための政治活動に勤しんでいるのだ。
 
「打診は撤回なんだけどねえ」
 食堂で、持参したランチボックスをつつくレオナは、深く溜息をついた。
「全部嘘でないところがまた」
 マリーも眉を下げる。
「んー、まあなるようになるんじゃないすかねえ」
 口いっぱいにサンドイッチを頬張るジンライと
「……興味なし」
 その横から揚げ鶏をちゃっかり狙うペトラ。まさに獲物を狙う黒猫である。
 
 最近はすっかり四人でいるのが当たり前になり、ペトラに対して悪口を言っていたクラスメイトも、さすがに他国の公爵令嬢を巻き込むのはと、遠巻きに様子見状態である。

 担任のホンザなど、はじめは
「ど、どうやってペトラ様を引きずり出したんです!? 研究所の机に住んでるって噂なのに!」
 と割と失礼なことを言っていたが、今では
「すごく仲良くなったんですねえ、嬉しいですよー!」
 のニコニコ顔である。

「で、稽古は順調?」
 ペトラがしれっと聞いているように見せかけて、実はものすごくジンライを心配しているのは、お見通しのレオナとマリー。
「どうっすかねえ」
 マリーいわくは、技術は問題ないが、それと人に攻撃できるかは別の話、だそうだ。
「んぐ、ま、なるようになるっす!」
「そ」
 結局ペトラの前にランチボックスを押して、どうぞ、と譲ったジンライは、お茶を飲む。

「それよか、ディートさん。まだ来れないんすねえ」
「ミハルもなのよね」
「……ディートヘルム様は、快復に向かっているようですが」
「そんな繊細に見えないけどね、あの祈り野郎の方」
「「「祈り野郎」」」
「胡散臭い宗教詐欺師」
「「「宗教詐欺師」」」

 
 ――ペトラは一刀両断すぎる!


「だってあいつ、信じてないもん」
「信じてない?」
 揚げ鶏を満足そうに頬張るペトラにレオナが問うと
「うん。イゾラも人も」
 シンプルな答えが返ってきた。


 その通りかもしれない、と、思った――
 
 


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お読み頂き、ありがとうございます!
ジンライ、頑張りました。

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