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第三章 帝国留学と闇の里
〈144〉救いなんて、ないのです。
しおりを挟む「まぁ最初は確かに、あそこまでじゃなかったかもね」
次の休みにタウンハウスにやって来たペトラ・フェンツロバーは、なんと鞄いっぱいの魔道具とお菓子を持ってきた。
――サンタさんかな?
中庭の簡易作業台は、ガーデンテーブルの脇に設置してあるので、お茶をしながら作業することができる。
ジンライが作っている魔導鍋を観察しながら淡々と話す彼女は、先日食ってかかって泣きわめいたこともスコンと忘れて、まるで我が家のようにくつろいでいる。――膝の上にオスカーを乗せて。
「ふわふわだね君」
「なあん」
――黒猫が、黒猫を撫で……んん!
レオナは、ペトラが持ってきた焼き菓子を吟味しながら、会話を続ける。
「じゃあ、途中からああいう感じに?」
「ん。レオナはさ、ブルザークが男社会て聞いてる?」
「ええ」
――おや、呼び捨てだわ。私って呼び捨てしやすいのかな!?
「横暴で傲慢なのは最初から。でも、暴力的になったのは割と最近かも」
「ペトラは、仲良かったのね」
「んなわけない」
「へ」
「……私は、誰とも仲良くない」
「そ、なのね」
「で、そんなの聞いてどーすんの」
ふと、ペトラの膝からオスカーが降りた。
よ、と、と彼女は立ち上がり、ジンライの脇から鍋を作る様子を見ている。
「……気になるんですの」
「へー。あんなのが好き?」
「え?」
「あんなんでも大将の息子だし、見目は良いもんね」
「いいえ全く」
「違うの?」
「品性のない男性はちょっと」
「ぶぶふ」
べち、と思わずペトラがジンライの腕を叩いた。
「あー! もー、ペトラさん!?」
「ごめごめ」
「危ないっすよー!」
「ここ、も少し薄い方がいい」
「あ、はい、了解っす」
「あとは大丈夫そう」
また椅子に戻る。
どうやら話をしながら、作業はしっかり見ていたようだ。
「レオナはさ。お節介だよね」
ズバリ、と言葉で刺しながら、ペトラは焼き菓子を口に放り込む。
「んぐんぐ、わざわざ他国から、んん、世直しにでも来たの?」
「そんなんじゃないわよ……」
紅茶のカップを手に、レオナは苦笑する。
「みんな仲良く、は絶対無理よ? けれど、せめて普通に接したい。それだけ」
「へー、ご立派なこと」
「イヤミはやめてー」
レオナは、ペトラに気を遣うのをやめた。今、やめると決めた。
「だってさ」
紅茶のカップをゆらゆらさせて、中身が揺れるのをなんとなしに眺めながら、ペトラは言う。
「女ってだけで、『普通』は、無理」
「そうなの?」
「この国では、女は奴隷か、男に媚びるか」
「だからペトラはそうやって、頑張ってきたのね」
「別に、頑張ってはない。やりたいようにやってる」
ある意味、ペトラはこの国の女性の、パイオニアだ。
侯爵令嬢という立場に甘んじず、自ら魔道具研究に打ち込んで優秀な成績を修め、軍の委託職員として研究所に籍があるくらいなのだ。
「マクシムみたいなのは、極稀」
ごくごく紅茶を飲み干すペトラに、貴族令嬢としてのマナーはないが、不思議と不快ではなかった。
「そうなのね……」
ブルザーク皇帝ラドスラフの任命は、流石であったというところか。
「まだ他の軍幹部には会ってない?」
「ええ」
「そ。覚悟しときなよ」
きっと、嫌なことがいっぱいあったのだな、というのは、ペトラのその遠くを見つめる目で察した。でなければ、あれほど初対面の人間たちに対して攻撃的にはならないだろう。
「……分かったわ。ありがとう」
「変な子」
「へ!?」
唐突に言われたワードに、思わず反応してしまった。
「私と話すの、みんな嫌がる」
「そうかしら? 私は楽しんでいるけれど」
「だから、変」
「ふふふ。私は、ペトラとお話するの好きよ?」
「ば!」
途端に真っ赤になるペトラは、落ち着きなく前髪をいじりだした。
「……楽しい?」
「ええ!」
「そ」
ぶっきらぼうだけれど、真面目で優しい子では、とレオナは感じている。その証拠に、きちんとジンライの作業に的確なアドバイスをしている。
「俺も楽しいっすよ、ペトラさん」
ジンライが、ニコニコしながら汗を拭いている。
「ん。ジンのおかげ」
「そっすか?」
作業の手を休めたジンライもテーブルに着いて、果実水を飲み、ペトラに目線を送る。ペトラも、意を決したように頷いて――
「……レオナ」
「なあに?」
「ごめんね」
なるほど、今日はジンライに謝りたいと相談してから来たのかもな、とレオナは察した。
「なにが?」
「やなこと、いっぱい言ったから……」
「そうね! あれはないわ!」
「ぐ」
「傷付いた!」
「……そうよね」
「うん。もう他の人にも、ああいうことは言ってはダメよ」
「他の人にも?」
「言葉で傷つけられた心は、治らないの。ペトラもでしょ? みんな、一緒」
「そ……だね」
俯いて、少し肩が震えるペトラに、レオナは
「上書きしてよね。ペトラの別の言葉で」
と笑う。
「自信は、ないけど」
「うん! じゃ、この話はもうおしまいね。ねね、この焼き菓子美味しいわ。どこのなの?」
マリーがお茶のお代わりを淹れながら、微笑んで見守る。
何日かぶりの穏やかなティータイム。
建物の死角で様子を窺うのは。
「心配はいりませんよ、ナジャ様」
「わーっとる。シモン、ボス猿の件は、マリーから言うてもらうことにしようと思うが、ええか?」
「はい。皆様を信頼しておりますよ」
「そか」
ナジャは覆面の中からシモンの顔を観察する。
「皇帝陛下に感謝、やなあ」
「へ?」
「だいぶマシなったんちゃう? 自分」
「そう……かもしれません」
濃い陰を背負っていたシモンは、今は前を向いているように見えた。
「ナジャ様も、どうかご無理なさいませんよう」
「わーっとるて」
突如ブルザークへ行けと言ってきたフィリベルト。
ナジャは当初反発したが
「消耗しすぎだ。休めと言っても無駄だろう?」
と言われ、半ば強制的に送られた。
「死に急ぐな。――どうかレオナを頼む」
上司命令には、従うしかなかったわけだが。
「……あの人は、どこまでお見通しなんやろなぁ」
よく晴れた空を、何羽か白い鳩が、羽ばたいていった。
覆面越しにも眩しい日差しに、ナジャは顔をしかめた。
※ ※ ※
「見舞いなんて無駄だね。やめとけば?」
とペトラに言われたものの、やはり気になるレオナは、その次の日にディートヘルムを訪ねることにした。
アレクセイに先触れを出すと、歓迎の返事が。
「何を持っていけば良いかしらね?」
「うーん。もうなんか食べられるんすかね?」
前世ならお花かフルーツ盛りが定番だが、ブルザークではどうなんだろう? とジンライ、マリーとともに護衛のオリヴェル、ヤンを伴って街へ買い物に来たわけだが、ヤンを振り返ると――
「あー……酒とか?」
マリーが今、多分蹴りたいのを我慢した。
「わー、すんませんー! すげえ殺気感じたっす!」
さすが最年少軍曹。
「特にこれ、て決まりはないですよ。普通に好きな物などを持って行くのがいいですね。帝国軍だとそれがお酒になるというだけです」
とはオリヴェル。さすがのフォローである。
「好きな物なんて、知らないしね……」
じゃあ無難にお花とお茶にでもしようかしら、とレオナが店を物色していると、青い花が目に付いた。
「え、青い! すごい綺麗」
自然界には馴染まなそうな鮮やかな青い、鈴蘭のような小ぶりのベルが連なるようなそれに、目が止まった。
「ブルーベルですね」
オリヴェルが教えてくれる。
「不変、という意味の花です」
「素敵……」
なんとなく直感で、ブルーベルをメインにした花束を作ってもらった。
それと、気分が落ち着くハーブをブレンドした、くせのない茶葉を選んで、包んでもらう。
昨夜はレオナの部屋にマリー、ジンライが集まり、ナジャが調べたというディートヘルムの過去について、マリーの口から話された。
詳細は伏せるが、かつての婚約者だった女性に罠を仕掛けられて、人間不信に陥っている。それによりアレクセイとの仲もかなりこじれている、ということだった。
他にも『話せない色々な残酷なこと』があるそうで、マリーも「とても言えません」と顔をしかめていた。
――マリーがそう言うということは、人の命に関わる何かがあったことは経験上分かるので、それ以上は踏み込まなかった。
「……深く関わろうとは、思っていないのよ」
馬車に戻りながら、レオナは独り言のように言う。
「余計なお世話をしたいわけでも、ましてや何がなんでも更生させたいわけでも、実はないの」
皆、黙って耳を傾けてくれている。
「私は、マーカムでとても恵まれていたわ。だから、恵まれていない環境で自分には何が出来るか、それを見極めたいだけ。自分勝手でしょう?」
「いやー、経験てことでしょ? 俺もっすよ」
ジンライが、明るく言う。
「俺だって、なんて言うか、ああいう奴ら相手にどこまでやれるか、てところ、ありますもん。ぶつかんないと、分かんないっすから」
「ええ。思う通りにやってください、おふたりとも」
マリーが、そんな二人の背中を押してくれる。
「失敗も、挫折も、喧嘩も、恋も、今しかできないです」
「ありがとう、マリー」
「ういっす!」
「なんかマリーさん、すげえ大人な発言しますね!?」
ヤンの驚きに、三人は顔を見合せて、笑った。
「やあ、よく来てくれた」
再び出迎える、陸軍大将アレクセイ。痩せて見えるのは気のせいではないだろう。
「閣下。ご機嫌麗しゅう存じます」
「ありがとうレオナ様。息子は……また無礼を働くかもしれんが……」
「と、いうことは、起きられたのですね?」
「ああ」
大きな溜息とともに
「暴れとる」
と、衝撃的な発言である。
「会わんでもよい。来てくれた、それだけで……」
レオナはだが、迷いがない。
「お顔を拝見させてください」
「だが、その」
「護衛はおりますから」
オリヴェルとヤンが、びしい、と敬礼をする。
「はあ……分かった……」
顔に大きなガーゼを貼った、痛々しい怪我のままの執事が恭しく礼をして、案内するその先には。
ガチャン、バタン、ドカッ、という音が鳴り響く、ディートヘルムの部屋がある。
「ド派手に暴れていますわね」
レオナが言うと
「危険であれば、すぐにご退散くださいませ」
執事が言い、ノックをした。
「ディートヘルム様。お見舞いの方々が」
「うるせえ! 帰れ!」
ガン!
言葉だけでなく、扉の音でも返事するとは、なかなかの荒れ狂いようだ。
「……レオナ様。この通りでとても会わせられん。お気持ちだけで十分だ」
「いいえ閣下。――自衛のため、魔法を使っても?」
「それは、構わないが」
「はい。では」
レオナが扉を開けるなり分厚い本が飛んできたので、ジンライがすかさずゴーレムの手でキャッチした。
――さすが、分かってるな、とレオナはジンライにアイコンタクトをする。牽制は、大事だ。
部屋着で荒れ狂うディートヘルムの頬は痩け、目は落ちくぼみ、あれほど分厚かった体躯は萎んでしまっている。
目の力だけがギラギラしていて、口の端には泡が溜まっている。
異様。だが、哀れ。
「無断で入って来やがって!」
叫ぶ彼から、唾液と泡が飛ぶ。
「哀れみは、いらねえんだよ!」
「誰が哀れみなど」
レオナは腹から凛とした声を出す。
「哀れみを覚えるほど、貴方のことなんて知らないもの」
「ならば、なぜ、来た!」
「あら、私の侍従が貴方のためにわざわざ術を使ったのよ。死なれたら夢見が悪いわ」
「なっ!」
レオナ様、お気をつけを。
煽られてはっ!
と、小声でオリヴェルとヤンが忠告するのを、手で制した。
「まあ、すごい。貴重な本や高価な家具が、台無しね」
割れた食器や破れた本、よく分からない生地が、散乱している。
「うるせえ!」
「猿でもマシだわ」
「うるせえ! 何しに来た!」
「……絶望を、見に」
「ああ!?」
「ふふ。生きて絶望に身を落とす人間を見る機会なんて、滅多にないでしょう? 嘲笑いにきたわ!」
レオナの頭の中には今、前世で見たお姫様を黒魔法で閉じ込める、魔女の映画が流れている。
「てんめえ――」
「でも、残念ね。元気だわ」
「ああ!?」
「元気に生きてる」
「なっんだと」
す、とレオナがあっという間にディートヘルムに歩み寄る。
「死にたかったのね」
その深紅の目で、ディートヘルムの翠がかった碧眼を射抜く。
「っ」
「な、んだと」
アレクセイが、絶句している。
「そういう目、見たことあるのよ」
今ではすっかり学生食堂の優しい調理人になった、ハリーのかつての姿を思い出す。
「殉じても、救われないわよ」
冷淡な声を、出せているだろうか。
レオナは冷や汗をかきながら、手負いの獣を見上げる。
「……お前に何が分かる」
「分からないわ。でも、これだけ言ってあげる。貴方は、救われない」
ハリーは、自分で決めて、歩き出した。
だがディートヘルムは、心の闇に閉じこもったままだ。
「別に救いなんか」
「じゃあなぜ祈っていたの?」
「っ」
ジャムファーガスは、祈りの時の水に混入されていた。
汚染が深い、ということはそれだけ祈っていたということだ。
「貴方には、救いなど訪れない」
「っっ……」
「生きて償え」
「……っ、くそ!」
また暴れようとするディートヘルムに、しっかりとレオナは抱きついて、止めた。
「離せっ!」
「生きてる!」
「くそお!」
起きたばかりのディートヘルムの力では、レオナに抗えないようだ。
――やがて、目を閉じて。
「もう、やめてくれ」
と、小さな声で言った。
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お読み頂き、ありがとうございます!
ボス猿、どうなるでしょうか。
猫、撫でたいです。
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