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第三章 帝国留学と闇の里

〈142〉闇の中には、残酷な真実があるのです

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「ふうむ。用件については承りましたが、お伺いするかどうかは、レオナ様が戻られてからで」
「承知しました。では、夕方頃お待ちしております」

 皇都のタウンハウス。
 陸軍大将アレクセイの使いに応対した執事のシモンは、大きく息を吐いた。

「どうされますか? ナジャ様」

 独り言のように発するだけで、玄関ホールの死角に現れる黒い影。
 
「……行く、て言うに決まってるやろなぁ」
「ですね」
「自分、サロンには潜入してたんか?」
「はい。私の睨んだところ、チャームポピーが原因ではと」
「チャームポピー?」
「乾燥させた茶葉を紙でくるみ、火をつけて、その煙を吸うと、気分が高揚する。限られた高位貴族会員だけがたしなんでおりました」
「……魅了草みりょうそうか。あ!」

 ナジャが珍しく声を上げた。

「でかした」
「へ!?」
「それや! あかん……せやったらもう余裕ないで……シモン! 急いで取り寄せなあかんもんがある!」
「はい!」
冥王めいおうしずく
「はい?」
月光花げっこうばな
「はい?」
「あとはタイガーファングの生き血か……確か皇都西にちっさい迷宮あったな?」
「ええ、最下層に少しだけ居たかと」
「うし、それはわいが行ってくるわ。頼んだで」
「はい!」

 両方とも買ったら、シモンの給料一年分。

「さ、お抱え薬師くすしの所に行きますかねぇ……久しぶりの再会だなあ。ぼったくられるだろなぁハハハ」

 陛下に支払いツケとけば、いいよなー?

 シモンは急いで執事服から外出着に着替え、馬に飛び乗った。



 ※ ※ ※

 

「少佐、すっげー機嫌悪いっすねー」
 ヤンが、すれ違い様オリヴェルにささやく。
 お互いの背後をカバーするように、ほぼ背中合わせのまま、会話する。油断なく視線は動かしたまま。
「……何かあったのだろうか。珍しい」
「振られたとか!?」

 オリヴェルは無言で、肘でヤンの脇腹を刺す。

「あだっ」
「それより、異常ないか」
「はっ、イゾラ像の回収も完了。影響を受けた学生は、今のところ見当たりません」
「そうか……」
「特務の奴ら鬱陶うっとうしいすねー」
躍起やっきになってるな」

 表向きは三人で巡回しているが、特務の小隊が潜んでいる。今回の件は完全に特務の落ち度だ、と帝国軍総督である皇帝自ら、機関長たる少将を叱責したのがよほど、効いているとみえる。
 それもそのはず、皇帝が自ら招聘しょうへいした学生を受け入れた途端の事件。しかも、薬物汚染という大事件なのだ。事前調査を本当に行ったのかどうかすら怪しい、と言われても致し方ないだろう。

「ま、少佐の名誉回復ができたなら、それでいーすけど」
「ヤンの言う通りだな」

 マクシムは、レオナの護衛を勅命で受けた。さらに、事態の収拾を正確かつ最速に図り、事態の発覚からわずか一週間、実質三日間という休校期間で学生達を復帰に至らせた(レオナのデトックススープの効果もあるが)。その手腕を再評価され、アレクセイが中佐へ推していると聞いた。

「でもなーんで不機嫌?」
「わからん。自分で聞け」
「……ほいさー」
 ヤンは素直にきびすを返す。

 オリヴェルは、この若い軍曹の屈託のない明るさに救われている。宿舎にワイン片手に毎日のようにやって来ては、料理のうまいオリヴェルに、オムレツ食べたい、鶏が食べたい、と食材を差し入れて作らせては、飲んで帰るのだ。

「ヤン」
「はっ!」
「晩飯、考えとけ」
「アイアイサー!」


 ――その一方で、マクシムは。


「らしくないな……」
 と、ひとり自嘲していた。
 今朝マリーから、レオナに意中の人がいると聞かされ、しかもどうやらブルザーク皇帝ではないことも察し、心がザワついていた。

 精神も肉体も、鍛え上げてきた自負がある。色恋に狂う母親を間近に見て来て、女性への嫌悪感も強い方だという自覚もある。
 そんな自分が、唯一その心に触れてみたい、と思った女性だったのだが――心に決めた人がいる、と。

牽制けんせいされるほど、漏れ出ていたのか」

 それもまた、恥ずかしく情けない、と思ってしまった。
 さらに、あの節度のない軍人の卵達の態度に、腹が立ってしまった。帝国はこの程度の人種しかいないのか、とレオナに思われるのがとてつもなく嫌で、あのようなことをしてしまった。後でホンザに謝罪に行こうとは思っている。

「……あれほどのお方だ。さぞや御相手もご立派な方なのだろう」

 ふう、と大きく息を吐き。

「せめて帝国にいらっしゃる間は、全力でお支えしよう」

 マクシムらしく、心を決めた。――よし、もう大丈夫だ、と気を入れ直す。

「少佐」
 特務小隊の一人が、物陰から声を掛けてきた。
「なんだ」
「大将閣下より、ご連絡です」
「言え」
「は。ご子息様のご様子がおかしい、薔薇のお方の支援を欲する、と」
「緊急か?」
「残念ながら」
「……承知した、とお伝えを」
「は!」


 レオナなら、緊急度合いに関わらず、例え利がなくとも助けに動くだろう。それをアレクセイも分かっていて、マクシムに伝えてきているのは察した。
 それにしても、ディートヘルムに一体何が起こったというのだ? と考えつつ、急ぎクラスルームへと向かう、マクシムであった。
 


 ※ ※ ※



「まずは、タウンハウスへ」
 レオナは、クラスルームに迎えに来たマクシムの態度から、その緊急性を察した。ジンライを連れて行くかどうか迷ったが、ペトラが「ふん。さっさと行きなさいよ」とジンライに言ってくれて、助かった。

「ペトラさんて、は、は、面白いすねー! ふ、ふ」
 タウンハウスへの道中、早歩き(ほぼ走っている)しながらジンライが言う。彼なりに、空気を和やかに、と考えているのだと悟る。
「ええ、一緒に、お鍋、作るの、楽しみね!」
 言葉とは裏腹に、全員が焦っている。

 ――緊急通信で、ディートヘルムの様子がおかしいと知らせてきたアレクセイ。
 講義中にも関わらず、ということは、かなり危険な状態ではと予想できる。

「先に行きます」
 マリーが言って、やや本気で走って行った。
 オリヴェルとヤンは任務継続で、マクシムだけ帯同しているわけだが
「……驚きました」
 マリーの瞬足に、まさに目を丸くしている。
「まだ本気じゃないわ」
「えっ」
「師匠は、ほんと、すごいんすよ。ほ、ほ」

 マリーは、惜しみなくテオにもその技術を伝授していたと聞いた。テオにとっては姉であり、師匠である。
 
「本当に護衛はいらないな」
 苦笑するマクシムに
「あら、少佐が居てこそ、ですわ!」
 レオナが笑う。
 あの後の猿軍団の様子を見せたい、と本当に思う。

 
 ――俺らのこと、少佐に悪く言われたら、軍に入れないんじゃ……
 ――やべぇ、どうしよう。


 彼らなりに将来を気にする頭があるのなら、まだ手遅れではない、とレオナは感じた。とはいえ、今後態度を変える変えないは自分で決めること。口出す必要性はない。

「それよりも。私の侍従がねー」
「あー……どうっすかねー」
「え? 侍従とは……あ、閣下を治された?」

 辿り着いたタウンハウスを見上げる、レオナの表情は、暗い。

「助けてくれるかしら?」
「主人の命令ならば……」
「あー、普通の人じゃないんすよねー!」

 話しながら玄関ホールに入ると、そこには。

「どういう意味やねん、ジン」

 仁王立ちする、伝説の隠密。
 脇にマリーも立っている。
 
「わ!」
「ナジャ君!」
「どうも。少佐はん、お初にお目にかかります」
「え……その姿は……」

 黒装束で顔を隠していることに、マクシムは戸惑った。

「わいの仕事着やねん。無礼ご勘弁。さ、急ぐでレーちゃん」
「馬車はこちらに!」
 シモンが迎えに来た。
「ナジャ君!」
 その準備万端さに、レオナは感激して思わず抱きつく。
 ナジャは、レオナの頭を優しくぽんぽんしながら、覆面の下で眉を下げていた。
「わーっとるよ。準備完了や。いくで!」
「ありがと!」
「ご褒美たんまりもらうでえ」
「ふふ、分かったわ!」
「本当ですよ、本当に大変だったんですからねえ!」
「シモンだまり」
「シモンうるさい」

 げし、とそのお尻を蹴るナジャとマリーに
 
「はあう! 幸せ!」

 恍惚とする執事(元特務の諜報員)。

「気にしたら負けですよー」
 ジンライの、なんとも包容力のある発言で、ようやくマクシムは我に返るのであった。
 
 

 ※ ※ ※



「閣下、お見えになりました」
「来てくれたか!」

 アレクセイ直々に出迎える一行は、マクシム、レオナ、マリー、ジンライ、そしてナジャとシモン。

「よく来てくれた!」

 さすが陸軍大将の私邸だ。豪華で、とにかく広い。
 調度品はやはりほぼ鎧や盾、剣や槍なんだなあ、とレオナは妙なところに感心してしまう。

「挨拶もろくにしなくてすまないが」
「急がなあかん」
 アレクセイを遮ってナジャが、開口一番に言う。
「手遅れになる」
「……こっちだ」
 急ぎ足で移動しながら
「無礼は問わん。とにかく、なんとかして欲しい」
 短く言うアレクセイの肩は、震えている。

 案内されたディートヘルムの部屋は、やはり広い。その中央に置かれた大きな天蓋付きベッドに、彼は横たわっていた。

「こ、れは!」
 近づいた全員が、絶句。
 
 頬がけ、別人と見まがう、骸骨がいこつ寸前の人間が、そこに居た。
 
「今朝から、みるみるこうなっていった……!」
 アレクセイが、頭を抱え、床に膝を突いた。
「一体、なにが! なぜだ!」

 レオナが意を決して、彼に触れようとすると
「レーちゃん、あかん。引きずられる」
 ナジャが止める。
「ジャムファーガスと魅了草は、絶対組み合わせたらあかんねん……それぞれは大したことないねんけどな」

 おもむろに黒装束の懐から出す小瓶には、赤黒い液体。

「シモン」
「はい、こちらに」

 恭しく取り出したのは、白く薄く光を発する花と、小瓶の中でキラキラと光る銀色の玉のような何か。プルプルしているように見える。

「死に魅入られるんや」
 ナジャが発する言葉は、その声量に反して、重い。
「わいの故郷ではな、冥王めいおう供物くもつ、て呼ばれとる」

 ふう、と彼はその三つを、ベッド脇のサイドテーブルの上に静かに置いた。

「実際は、身体中の水分を一気に使ってしまう、最悪の食べ合わせや。徐々に体内で二つがくっついて、悪さしよんねんな。身分の高い奴らの暗殺によう使われとった。気持ちよく死なせられる」

 ナジャはそう語り終えると、アレクセイを振り返る。

「助けるか?」
「なっ……」
「こいつは、人としてもう手遅れかもしらん。それでも。生きていて欲しいか? それとも、その命で罪を償わせるか?」
「!!」

 全員が、息を呑んだ。

 残酷な選択を容赦なく突きつけたナジャを止める者はだが、この場にはいない。

「ぐ……う……」
 床に膝を突いたままのアレクセイに、レオナは優しく付き添う。
「閣下、どうか、御心みこころのままに」
「レオナ様……」
「誰も、貴方様の決断を、責めません」
「閣下、レオナ様の仰る通りです」
「マクシム……! だがっ」

 マクシムは、笑って首を振る。

「ご子息様が起きたら、容赦なく制裁を加えるご許可、頂けますか」
「そんなもの! いくらでも!」
「はい。命で償うことも、時としてあるでしょう。しかしディート様には生きて償って……やり直してもらいたい。そう、思いました」

 マクシムが想うのはきっと、エリーゼのこと。
 オリヴェルの宙ぶらりんの心が何よりも苦しいと、マクシムは感じたに違いない。

「うし、決まったようやな」
「宜しく頼む」
 アレクセイが、改めて発した。
「ほな……閣下と少佐は、シモンと一緒に外出て、飲み水用意。魔力のないもんは、部屋に入ったらあかん。ジンは結界作動と、暴れたらゴーレムの手で押さえる。レーちゃんは、わいの横でお手伝い。マリーちゃんは、その補助やな。一刻を争う」
 
 バタバタと全員が従い、部屋が静かになった。

「わいは、このままでええと思ったんやけどなあ」
 覆面の中で、ナジャが苦笑している。
「私には分からないけれど……きっと、子に死なれて平気な親は、いないと思うの」
「そうかいな。わいは、死ねて言われた子やからなあ」
「ナジャ君……?」
「ナジャさん?」
「ナジャ……」
「あー、口が滑ってもた。さ、始めるでえ」

 袖をまくる、ナジャ。

「順番間違ったらえらいこっちゃ。ジン、結界ええか?」
「は、はい!」
「っしゃ。レーちゃん、わいが引きずられたら、引き戻して欲しいねん。フィリ様ん時と一緒。わかるか?」
「分かったわ!」
「ほな、はじめんでえ。気合い入れやー」



 ※ ※ ※



 暗闇を、ただ、歩いている。

 何も見えないが、乾いている。

 身体が干からびていくのは、分かる。

 しゃく、しゃく、とボロボロこぼれていく自身の肌や肉を踏んで――歩く。


 苦しいのに、声が出ない。
 ――あそこに、記憶が、浮かんでいる……




 ねえ、お願い?
 いいの。もう、何もかも。
 貴方と一緒になれないなら、ね。
 思い出が欲しいの。


 そう誘われて、柔らかな肌に、触れたなら。


 いやあああああ!
 ひどい!


 叫びながら、去って行く彼女は――嗤っていた。


 その日から、俺は。


 ――苦しみの波の中で溺れている。
 
 

 消したい。消えたい。
 誰も受け入れてくれないのなら、このまま……


 

 ※ ※ ※



「ち、そうやったんか……残酷やな……」
 精魂尽きたナジャを、ジンライが無言で支えた。
「も、大丈夫やでジン。結界切って、皆を呼んでもええ。わいは少し休む」
「はい!」
 ナジャをソファに運び終えたジンライは皆を呼びに行き、マリーが散らばった道具の後始末に、テキパキ動き始めた。

「ディート?」
 覗き込むレオナの深紅の瞳を見て、ディートヘルムは微笑む。
「か、ってに、よぶ、な」
「ふふふ!」



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お読み頂き、ありがとうございます!
ディートヘルムの闇の中に、真実が垣間見えました。

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