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第三章 帝国留学と闇の里
〈130〉想定外なのです!
しおりを挟む「肉だけとは、また貧相な」
タウンハウスでのディナータイム。
マクシムから色々聞いた後、部屋でくつろいでからダイニングルームにやってきたレオナとジンライは、向かい合わせでテーブルについた。マリーは『あくまでメイドです』を貫き通して、今はレオナの後ろに控えてくれている。
給仕をする執事のシモンに、帝国学校の食堂について聞いてみると、そのような答えが。
「そうよね。お茶もないのよ」
「お茶もない、ですか……?」
シモンも戸惑っている。
「ブルザークが、特にそういう文化なわけではないわよね? 皇帝陛下も、公開演習の時はお茶を嗜んでいらしたし」
「ええ。マクシム少佐の仰った通り、塩漬けの物は多いですが、この通りです」
次々にサーブされる料理は、口に合わないということはない。
「確かに料理人には、マーカムの料理に近づけるよう言ってありますが……」
え、シモンて、そんな気遣いもしてくれてたのね!
「なんですか、その意外そうなお顔は!」
「あっ、ごめんなさい」
「一応これでも皇帝陛下に、レオナ様を頼むと……」
「あの、シモン?」
「は」
「私の勘違いでなければ、皇帝陛下には普通は滅多にお会いできないのよね?」
恐らくディートヘルムも、そしてミハルという枢機卿の息子ですら、会ったことはないのだ。
「うぐ」
「シモンと陛下の関係を知りたいのだけれど?」
「あー、えー、その、ですね」
言い淀むシモンを
「大した関係ではないぞ?」
ズバリ、と斬る声の主が、断りもなくダイニングルームに入ってきた。
「へ!?」
「あー、疲れた」
ドカドカどすん。
その声の主は、向かい合わせのレオナとジンライのすぐ側、いわゆる『当主席』、もしくは『お誕生日席』に座った。
「お、そのメインディッシュ、美味そうだな」
「今日は良い魚が揚がったそうで。白身魚のソテーです」
「ほう。では余も、それで」
「はい、すぐにお持ち致します」
速やかに立ち去るシモンを目で見送るが、現実が全く頭に入って来ない。
「ふー……ん? どうしたレオナ、ジンライ」
「ら、ら、ラース様?」
「うん」
「な、ぜ……」
「言ってなかったか? ここは余の隠れ家だ」
――聞いてませんけどおー!!
「え? え?」
ジンライが、吐きそうな顔をしている。
せっかくの美味しい食事が大逆流である。不憫すぎる。
「はは、皇城は窮屈でな。たまにここに来る」
いやいや、心臓持ちません!
てか、やたらゴージャスな理由が分かった!
皇帝の隠れ家なら、当然よね!
「と、いうことは、シモンはつまり、ラース様の執事なのですね?」
「あー、あやつはほんとうに救いようのない大馬鹿者でなあ」
「へ!?」
「元々、我が帝国軍特務機関の諜報員だったんだが、潜入先のとある令嬢に惚れて、駆け落ちの約束をして、特務機関を無理矢理辞めた。で、いよいよ駆け落ちする、という朝に振られたんだ」
「っ……」
ちょっと衝撃過ぎて、反応できないんだけど!
「特務機関は、一度辞めたら戻れぬ。仕方がないから、個人的に拾い上げて、隠れ家の一つを任せることにした」
「な、るほど……」
ごくん、と唾を飲み込んでみるが、聞いた内容はなかなか飲み込めない。
「あっ! 陛下まさか全部しゃべ」
料理を持って戻ってきたシモンが、慌てている。
「全部ではないぞ」
「あー、よかっ」
「振られて駆け落ちできなくなって、拾ってやったところまで」
「……ほぼ全部ですよそれ……」
ぶふ!
「というわけでレオナ、気をつけろ」
「はい?」
「こやつは、キザに振舞っているが、実は惚れっぽい」
「はあ?」
「余ができうる限りの圧はかけてあるが、それでも何かあれば、即刻斬首にしてやるからな。言え」
くびきりは、のおぉぉぉぉ!!
「ざん、しゅ?」
ジンライが、単語を飲み込めてないっ!
「首を、斬る」
解説は、のおぉぉぉぉ!!
「マジすかー!」
ますます吐きそうになってるからっ!
「ラース様、お戯れが過ぎますわ!」
「くく。学校はどうだ?」
皇帝ラドスラフは、当たり前のようにナフキンを膝にかけてスープを飲み始める。その所作は当たり前だが、非常に洗練されている。
レオナは、普通にディナータイムをご一緒するわけ!? とつっこみたいのを我慢して、口を開いた。――受け入れるしかないのだ。
「色々、初日から衝撃的でしたわ」
「ほう? 許す。全部申せ」
――あー、やっぱり。
この人、分かっているのね……
ホンザ先生がサシャ君のお兄様って時点で、そうかなって思ったけど。
レオナはできるだけ、客観的視点を意識して、説明をした。
「――ということがございました。今後、食事とお茶の件は、勝手ながらこちらで対処する所存ですわ。ホンザ先生にもご許可頂いておりますの。多少魔法は使用するかもしれませんが、あくまでも快適な環境のため。周りの学生に脅威を感じさせるようでしたら、控えますわ」
「分かった。護衛はどうだ?」
「マクシム少佐、オリヴェル少尉、ヤン軍曹が行き帰りについて下さり、大変ありがたく存じますが……」
「ディートヘルムはどうした」
「……残念ながら、その……」
「……」
ラドスラフは、珍しく黙り込んだ。
「ラース様?」
「ああ、すまん。アレクセイが可愛がっている息子だからと、余が温情をかけたのがやはり間違いであったな」
温情、ということは。
「察しの通り。あれはもう、一線を超えているのだ。マクシムの件も然りだな。他国の公爵令嬢を、外交のためと適切に対処出来れば、まだ更生の芽は残っていると踏んだんだが、最早手遅れということが分かった。不快な思いをさせてすまなかったな。アレクセイからも、躾に失敗した、いかようにでも処分してくれ、と言われた」
「そ、んな!」
皇帝の謝罪に、レオナは戦慄する。
そして。
――処分。
この世界で親に見捨てられたら、子は死んだも同然になる。つまりディートヘルムは、既に詰んでいる。
「アレクセイは軍人一辺倒でな。遅くにできた子であるし、接し方が分からんと随分長いこと悩んでおった。可愛がったつもりが、ああなった」
レオナは、ディートヘルムにはまだ一度しか、会っていない。彼の人となりを判断するほどの材料は、持っていない。
皇帝自ら『一線を超えている』と言ったということは、ディートヘルムが既に何らかの犯罪行為、もしくは帝国の利益に反することをしてしまったのは、間違いなさそうだ。
「あの!」
ジンライが、横から声を出した。
「発言を、お許し頂けますでしょうか」
「うむ。その前に、言い忘れていた」
「はいっ」
「皆、この館では、余の身分は忘れろ」
「はへっ!?」
いやいやいやいや!
「隠れ家でまで、気を遣いたくない」
こっちのセリフぅーーーーー
「分かりました! じゃ、ラースさん?」
「!」
ラドスラフが、さすがに面食らっている。
あ、シモン、死相出てる。
そうよね、皇帝をさん付けする人間なんて、この世にいないよねー!
多分それこそ、即刻斬首……
「あれ? やっぱりいけませんか? すみませ」
「かははは! 良いぞ! 実に気分が良い。許す!」
クックック、とラドスラフが本当に楽しそうに肩を揺らす。
「あー良かった! じゃ、ラースさん、お願いがあるんす!」
「言ってみろ」
「ディートさんのこと、も少しだけ様子見てもいーすか?」
「ほう?」
「ちっと俺、気になることがあるんすよ」
「気になること、とな?」
「そっす。悪い人じゃない気がするんすよねー」
ええ!?
あれが!?
「なんというか、本当に器のでかい男だな、ジンライは。さすが雷神の加護を持つ男だな」
「げっ」
――今、雷神の加護!? って、言った!?
「じ、ジンライ……?」
「あーもう、ラースさん、なんでバラすんすかー」
「ん? 言ってなかったのか?」
「言ってねーす」
「えええええ! ちょっとジン、どういうこと!」
レオナが動揺すると、後ろでマリーが
「なるほど……やっと納得がいきました。魔力量は以前から豊富でしたが、肉体の強靭さも上がっています。修行の成果にしては大きすぎるなと」
また衝撃的なことを告げる。
「いや、その、ブルザークに留学するってトールに挨拶に行ったら、危ないからって、その……」
「「「「トールに挨拶」」」」
――あ、みんなハモっちゃった。
「結構過保護なんすよねえ。えへへ」
「神様って、会えるものなの!?」
レオナが思わず聞くと
「あーいや、トールは人間好きで、特別らしいんす」
事も無げに答えるジンライに
「へ、へえ」
ちょっと衝撃が大きすぎる! とレオナは心中パニックになりかけた。が、同時に疑念が湧き上がる。
「ラース様、まさかジンライを選んだ理由が」
「違うぞレオナ。先程言っておっただろう? 加護は留学の話の後だぞ。念のために、とジンライが書で報告をくれたのだ。帝国にとって脅威になりうるなら、留学を辞退する、とな」
「あ……大変申し訳ございません!」
「よいよい。疑うのも分かる」
――即刻斬首、て言う人と同じ人なのかな!?
度量が大きいのか小さいのか……
「ま、まあ、そんなわけなんで、多少のことは大丈夫だと思うんすよ」
「ふむ……同じ学生同士で見えてくることもあるかもしれんな」
「はい。期限設けてもらって良いんで」
「分かった。……だがあまり待てん。風の季節が始まるまででどうだ?」
今は花の季節だから、あと二ヶ月というところだ。
「十分す! ありがとうございます!」
「礼を言うのはこちらの方だ。内戦のごたつきが終わってようやく内政にとりかかって、それも落ち着いたから、次は帝国民のことを考える。国の運営には、終わりがない」
教育は、いわば未来への『見えない』投資だ。
地盤ができてようやく取りかかれる、といったところだろう。
人材は国の力になりうるが、一朝一夕で結果は出ないからこそ、難しい。
「お察し致します」
レオナに言えることは、これしかない。
「レオナ。察せる令嬢は、そうそういないぞ?」
「へ?」
「くくく。やはりそなたを呼び寄せて正解であったな」
「もう。出立前に知りたかったですわ」
「そうしたら、断るかもしれんだろう」
「んー……どうでしょう? ともかく、私どもに過分なご期待はされませんよう」
「うむ。もとより、誰も手がつけられなんだ。斬首するのは簡単なんだがな……できればもう」
「お察し致します」
「くくく」
皇帝なら人の命など、その指一本で指示をして簡単に刈り取ることができる。だが、人の恨みは、命も世代も超えてゆく。きっと、生まれ変わっても……そんなのは、悲しい。
「そなたは、優しい」
「そう……でしょうか」
ラドスラフが、見た事のないような柔らかな表情をするので、シモンは密かに戦慄していた。血塗られた皇帝の、別の顔。
「シモン」
「は」
「もしレオナに請われたら、そなたの能力をいかんなく発揮せよ」
「……! はっ」
「レオナも、遠慮せず奴を使うがよい。マリーには少々危険な場所もある」
「!」
ば、とマリーが深く頭を下げる。
メイドの名を呼ぶ皇帝など、いない。
「私の大切な友人へのお心遣いに、感謝申し上げますわ」
「気にするな。誰もドラゴンスレイヤーなど敵にしたくない」
「まあ!」
――ヒューゴー! 全部バレてるよー!
「シモン、よろしくね」
「は。いかようにでもお申し付けください」
「ちょうど良かったわ。マクシム少佐にもお願いをしていたのだけれど、分からないことがあって――」
※ ※ ※
それぞれの部屋に戻る前、気まずそうなジンライが、レオナに言う。
「レオナさん、その、秘密にしてた訳じゃなくて! 俺、何も成し遂げてないのに加護なんて、恥ずかしかっただけっすから!」
「ジンライ、良いのよ! そんなの、気にしないで。でも大きな力を持つことに戸惑ったら、絶対相談してね。何か力になれるかもしれないから」
「っ、レオナさんもですよ!」
は、とする。
ゼルにも、周りに甘えろと言われたなあ、と思い出した。
「ええ、嬉しいわ! おやすみ、ジン」
「おやすみなさい、レオナさん」
「なあん」
「オスカーも、おやすみ」
「……レオナさん」
「ん?」
「もう一つ、言っておかないといけないんすけど」
「うん」
「マリーさんも聞いてください。オスカーは、その……」
「……しっ」
マリーが、止め、そして廊下の先を睨む。
「主人の話に聞き耳を立てる者が居るなんて、無作法ね」
言われてみると、人の気配があって……消えたような。
「ジンライ様。察しましたので、お話する必要はございません。今までと変わらず接する、でよいですか? オスカー」
「なーん!」
「マリー?」
「レオナ様には、のちほど説明を致しましょう」
「お願いするっす!」
「にゃあ」
「それから、加護の件はみだりに話さなくて正解です。特に加護持ちの鍛治職人は、無限の価値があるとみなされて、誘拐されることもあります。一層気をつけましょう」
「っ! 了解っす!」
「では、おやすみなさいませ」
「おやすみ」
「おやすみなさい!」
「にゃー」
――そうして怒涛の一日が、ようやく終わりを告げたのだった。
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