137 / 229
第三章 帝国留学と闇の里
〈128〉やるしかないのです
しおりを挟むホンザが授業の質は保証する、と言った意味はすぐに分かった。知見の広さ、知識の深さ、どれも申し分のない内容だった。一つだけ難があるとすれば、その声が非常に柔らかく心地よく、眠気を誘ってしまうことぐらいか。――ブルザーク猿軍団は、ボス猿を除いて全員スヤスヤ寝ていた。
ジンライの魔法については、きちんと彼が即座に謝罪したことにより、表向きは収まったかに見えた。が、恐らくディートヘルムの心中は穏やかではないのだろう。その証拠に、床抜けるんじゃ? というくらいの貧乏ゆすりである。
――なーんか、小物感がものすごいのよねー
父親で陸軍大将のアレクセイには申し訳ないが、息子のディートヘルムは短慮、短絡思考のただのボス猿にしか見えない。とてもマクシムを貶められるような人脈を持っているとは、思えなかった。
――まぁでも、アザリーの陰謀の後だもんね……
国家間の様々な謀略と、命懸けの呪いや、本当の命の危機を乗り越えた今、多少感覚が麻痺しているかもしれない、とレオナは思い直した。
※ ※ ※
午前の授業を無事に終えたお昼休み、学生食堂にやってきたレオナ達三人は、その汚さに絶句する。
「こ、ここで、食べるの!?」
「うはあ」
「……ちょっと、無理ですわね」
さすが男社会。しかも学生。騎士団の食堂以上の汚さで、テーブルどころか床まで食べこぼし飲みこぼしが落ちていて、歩く度に何かを踏んで、ねちゃり、とする。
「掃除しないんすか!?」
ジンライが思わず近くにいた給仕のおばさんに聞くと
「したって無駄だよ! 奴らが好き勝手に撒き散らすのさ!」
と、逆ギレである。
またここでも猿どもか! とレオナは頭が痛くなる。
「明日からお昼は持参致しましょう。中庭で食べる方がましです」
マリーが言うことも一理あるが、雨の日はどうする、とか他の女子学生は、とか色々想像してゲンナリするレオナである。
「そうね……今綺麗にしても、使う側の意識が低いとまた繰り返すだけよね」
勉強以外の問題が多すぎる、と皇城に直接文句を言いに行きたいところだが、致し方ない。皇帝が、こんな問題まで把握しているわけないしな、と努めて頭をクールダウンさせる。
「それなら、勝手にやっちゃいましょう」
レオナは、空いていた端の八人がけ長テーブルを、綺麗にすることに決めた。
「あ、掃除なら任せてください」
ジンライが制服の上着を脱いで椅子に掛けると、シャツだけになり腕まくりをした。
「雑巾とバケツ借りて来ますわ」
マリーが颯爽と動く。
この二人がいなければ、レオナはとっくに留学どころではなくなっていただろう。
環境、というのはこれほどまでに大切で、心に影響するものなのだな、と実感できたのは良かった、と思う他ない。
「魔法使って良いかしらね」
「いーんじゃないすか? 陛下、やっちまえ、て言ってたんでしょう?」
――あくまでも『個人の見解』てやつだけどな!
バケツと雑巾を持って戻ってきたマリーは、周囲の学生達が「なんだなんだ」「何する気だ?」とざわつき始めたのを横目で見ながら
「ブルザークの男性って、どんなものかと思って来てみれば、まともに食事もできないのね!」
ガン! とバケツを床に置いて、大きな声で愚痴る。
「レディ! 俺とデートしてくれえー!」
一人、ガタイの良い熊のような男が、ニヤニヤ話しかけてきた。が、マリーはびしぃ、とその男子学生を人差し指で指すと
「口の周りの食べかす! 袖口ぐちゃぐちゃ! 手を上着で拭かない! そんな汚い男は願い下げよ! 女口説く前に、自分を磨きなさいっ!」
と一刀両断。熊男は自分の上着を見てその汚さに気づき、ぐうの音も出ず、すごすご去っていく。
――マリー師匠、かっけえ……
周りの男子達も、さりげなく自分の制服の上着を見て「うわ」「やべ、きたね」「お前もやべえぞ」と言い合っている。
「相当イラついてましたからねえ」
ジンライのそのセリフで、レオナは思わず遠くを見てしまう。
ある意味、最強に怖いのはマリーなのである。
頼むから手加減してくれぇ! と泣きつくヒューゴーの顔が、思い浮かんでしまった。
そうしてマリーが周りの意識をそらしてくれている間に、レオナとジンライは、なるべく最小限かつ迅速に魔法を使って、テーブル周辺を綺麗にした。レオナがテーブル表面を風魔法で削り、ジンライのゴーレムの手で、食べかすも木くずも一気に、テーブルと床を拭き掃除。この一角だけ、見事にピカピカである。
「ジンライ、すごいわね!」
「ういっす。……ゼルさんのお陰っすね」
今度はジンライが、すん、となった。
「あー」
ゼルの部屋も、汚かったもんなー……
「あれを今はテオ一人でと思うと、ちと可哀想っすね」
「ふふ、今はマシなんじゃない?」
「だといいすけどねー」
そうこうしている間に、
「レオナ様……メニューにも問題が」
バケツを返してきたマリーが、テーブルにお皿を置きながら溜息をつく。
「えっ」
「問題ってなんすか!?」
「肉しかないんです」
「「肉しかない!?」」
「はい。肉だけです」
「サラダは?」
「ありません」
「パンぐらいありますよね!?」
「ありません」
「「マジ」」
「マジです。とりあえず、一番マシなチキンをもらってきたんですが」
お皿の上には、骨付きの、そのままかぶりつきスタイルな、ももの部分が鎮座している。
「こ、これ」
「わー! 野宿飯っすねー」
――おいジンライ、誰がうまいこと言えと!
「あとは塩漬け肉、ごてごてステーキ、よく分からない煮た肉、しかないです」
「「よく分からない肉」」
「はい、よく分かりませんでした」
「……やっぱり明日から、ランチ持参しましょう」
「っすね。レオナさん、作り方教えてください。俺も作るんで」
「そうですね、三人で手分けして作りましょう」
「ていうか、まさか……」
「はい、そのまさか。お茶もありません」
「……まーじすかー」
「え、待って。泣きそうなんだけど」
「レオナ様。今日だけ耐えましょう」
「レオナさんっ、今日だけなんで!」
「ううう。今日だけ。今日だけ。ううう」
マリーとジンライが、ナイフとフォークで四苦八苦して切り分けてくれた肉を、レオナはかろうじて食べたわけだが。
「しょっぱ!」
「塩の味しかしねえー! なんすかこれ? 笑えないぐらいヤバいすね。え? てか、みんなこれ食ってるんすか?」
「……犬の餌?」
食事って、ある意味一番大事なのに!
これじゃあ、学校で暴れたくなる気持ちも、分かっちゃうよ!
「……レオナさん、こうなったら、前向きに考えませんか」
ジンライが、真剣な顔で言う。
「料理魔道具の、研究の一環になりますよね! まず食堂飯を改革って、どうすか!? 俺も手伝うんで」
「……これは、さすがに皆体壊しますね。私もそれが良いかと」
「うう、早速ホンザ先生に相談を……」
「それに、マクシム様にも聞いてみましょう。前からこうなのか」
「っすね……だって、屋敷の食事は普通ですもんね」
そうなのだ。
ブルザークの食文化が肉だけなのなら、まだ分かる。
しかし、海からの塩害で作物が育ちにくい土地柄とはいえ、野菜は数種類は育てられて流通しているし、それこそマーカムからの輸入も盛んなはずだ。
「初日から、試練多すぎない!?」
レオナが思わず言うと
「レオナ様ですから」
マリーが眉を下げ
「レオナさんですもんねー」
ジンライが同調した。
「どういう意味!?」
「なんか、引き寄せる体質なんすかね?」
ジンライが真剣な顔で悩むと
「ややこしいことを解決する宿命を、負っているのでは?」
マリーもそんなことを言ってのけるので、レオナは困惑するばかりである。
「……真実は、いつも一つだと良いんだけど……」
「「?」」
脳内を小学生探偵が走り回ってしまったレオナは、それを振り払うかのように一度頭を振ってから、カトラリーを置いて二人に向き直った。
「んん、とりあえず、まずはホンザ先生に相談。帰りにマクシム様達に武器魔道具の件と、この件を聞く。タウンハウスでシモンに、ブルザークの軍人のマナーについて確認」
「軍人のマナー?」
ジンライが、首を傾げる。
「マーカムでは、騎士団も貴族の振る舞いに準じてマナーを身につけていたけれど、ブルザークにはその文化はないのかもしれないわ」
「なるほど、粗野のままで良いのなら、これらは『普通』のこと、ですわね」
「ええ。私達はあくまでも、上の地位の方々としか接してこなかったもの」
ブルザークの庶民文化を知ることが、解決策に繋がる、とレオナは考える。
「とはいえ、これは酷すぎません?」
鍛治ギルドで男社会に揉まれているジンライですら、この苦言。
「そうよね……」
「あとは、女子学生の意見も聞ければ良いですね」
「うん、そうね」
身の危険があって隠れているのか? というくらい、姿を見かけない。
「私達の感覚を信じて、やるしかないわね」
一人で来なくて、本当に良かった、とレオナは深く息を吐いた。
※ ※ ※
「ディート様、どうするんです?」
「やつら、調子に乗りますよ」
「でも、あの魔法は……」
「うるせえ! あのジンライとかいう奴が、側にいない時を狙うぞ!」
「でも。あの赤い目の女、皇帝のお気に入りって噂っすよ」
「は! 噂だろ? 俺ですら皇帝には会えねえ。嘘に決まってる」
「そっすよねえ」
「とにかく、舐められたままにはしねえ! しばらく観察するぞ。隙を狙うんだ」
「さすがディート様!」
「この俺をバカにしやがって……」
「ふふ。当たってるじゃん、ボス猿」
「あ゙!?」
「ミハル様……」
「本日もお綺麗で……」
ディートヘルムの仲間達は、気だるそうな青年が背後にいるのを見て、咄嗟に床に膝を着き、イゾラの祈りのポーズをして迎えた。
ミハルと呼ばれる線の細いその色白で白銀髪の男は、手のひらで彼らの頭を一撫でずつしながらディートヘルムに近づくと、潤んだ碧眼で見上げ、妖艶に微笑んだ。
「噂の薔薇魔女を見に来たんだよ。ディートにしては、頭使ってるね。偉い」
「……うるせえ」
「なーにー? もう助けてあげないよ?」
ミハルは、ディートヘルムの顎を人差し指で撫でる。
「うぐ……薔薇魔女って、あの田舎王国のおとぎ話か?」
「お、いがーい! 知ってるんだねディート。いいこいいこ」
「……」
ミハルに頭を撫でられるのを、なぜかディートヘルムは甘んじて受け入れている。仲間達はむしろそれを、羨ましそうに見ていた。
「どんな子か、楽しみだなー!」
ふふ、と微笑むミハルの目は、笑っていなかった。
0
お気に入りに追加
886
あなたにおすすめの小説

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
悪役令嬢に転生するも魔法に夢中でいたら王子に溺愛されました
黒木 楓
恋愛
旧題:悪役令嬢に転生するも魔法を使えることの方が嬉しかったから自由に楽しんでいると、王子に溺愛されました
乙女ゲームの悪役令嬢リリアンに転生していた私は、転生もそうだけどゲームが始まる数年前で子供の姿となっていることに驚いていた。
これから頑張れば悪役令嬢と呼ばれなくなるのかもしれないけど、それよりもイメージすることで体内に宿る魔力を消費して様々なことができる魔法が使えることの方が嬉しい。
もうゲーム通りになるのなら仕方がないと考えた私は、レックス王子から婚約破棄を受けて没落するまで自由に楽しく生きようとしていた。
魔法ばかり使っていると魔力を使い過ぎて何度か倒れてしまい、そのたびにレックス王子が心配して数年後、ようやくヒロインのカレンが登場する。
私は公爵令嬢も今年までかと考えていたのに、レックス殿下はカレンに興味がなさそうで、常に私に構う日々が続いていた。
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる
雨野
恋愛
難病に罹り、15歳で人生を終えた私。
だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?
でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!
ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?
1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。
ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!
主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!
愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。
予告なく痛々しい、残酷な描写あり。
サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。
小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。
こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。
本編完結。番外編を順次公開していきます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます
宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。
さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。
中世ヨーロッパ風異世界転生。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

前世では美人が原因で傾国の悪役令嬢と断罪された私、今世では喪女を目指します!
鳥柄ささみ
恋愛
美人になんて、生まれたくなかった……!
前世で絶世の美女として生まれ、その見た目で国王に好かれてしまったのが運の尽き。
正妃に嫌われ、私は国を傾けた悪女とレッテルを貼られて処刑されてしまった。
そして、気づけば違う世界に転生!
けれど、なんとこの世界でも私は絶世の美女として生まれてしまったのだ!
私は前世の経験を生かし、今世こそは目立たず、人目にもつかない喪女になろうと引きこもり生活をして平穏な人生を手に入れようと試みていたのだが、なぜか世界有数の魔法学校で陽キャがいっぱいいるはずのNMA(ノーマ)から招待状が来て……?
前世の教訓から喪女生活を目指していたはずの主人公クラリスが、トラウマを抱えながらも奮闘し、四苦八苦しながら魔法学園で成長する異世界恋愛ファンタジー!
※第15回恋愛大賞にエントリーしてます!
開催中はポチッと投票してもらえると嬉しいです!
よろしくお願いします!!

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる