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第三章 帝国留学と闇の里
〈123〉帝国留学編 プロローグ
しおりを挟む「おい、ディート! 聞いているのか!」
「へえへえ」
うっせえなあ、の単語はかろうじて飲み込んだ。
ディートヘルム・ツルハ。
ブルザーク帝国名門ツルハ家の嫡男にして、陸軍大将アレクセイの一人息子。もうすぐ十六歳になる。
丁寧に刈り込んである短めの金髪は、収穫間近の稲穂のように光り輝き、その目は翠がかっている。
体格にも恵まれたこの美丈夫は、アレクセイの遅くできた子、ということもあり、大切に大切に甘やかされて育ち、力も強くなった現在、父親の言うことすら聞かなくなってきた。
「皇帝陛下の勅命ぞ!」
「へいへーい」
田舎王国から留学にくる公爵令嬢を護衛しろだって?
同い年だからって面倒なだけだ。
婚約者もおらず他国へ出るとか、よっぽどもらい手がないブッサイクが来るんだろうな。あー面倒だ。
皇帝もただの外交だろう? どうせ女は、帝国学校じゃろくに動けないし、適当にやっとくか。
「こら、どこへ行く!」
「勉強ですよ、父上」
社会勉強は、大事だよな。
特に女の扱いについて、学んどかねーとな。
「まさか、また娼館に行くのではあるまいな! 代金は持たんぞ!」
ちっ。
「まさか。サロンへ行くんです」
「ぐう……」
サロン、とは男性貴族のみの社交の場だが――裏から娼館にも行ける、大人の遊び場だ。
直接娼館から請求すると、アレクセイが気づいて全部却下するが、サロン経由は横繋がりもあるからか、断れないのだ。
「勉強してまいります」
やってらんねっての。
ディートヘルムは、今夜も街へと繰り出した。
※ ※ ※
「うわあ、すごいっすねぇ」
「ほんとねー」
ブルザーク帝国は、一言で言うなら、都会だ。
特に皇都は、街も道も建物も整備が行き届いているし、それぞれの街の人口も多い。
ジンライがずっと馬車の窓に張り付いていて、最初はマリーもそれを「落ち着いて」「頭ぶつけるわよ」と咎めていたが、諦めたようだ。
「お二人とも、一緒に住んで頂く小さなタウンハウスをご用意頂いております。帝国学校から徒歩でも通える距離ですが、レオナ様は」
「もちろん、歩くわ!」
「……と仰せになると分かっておりましたので、私も学校へ参ります」
「え、入学!?」
「正確には、学生としてではなく付き添いですが、表向きは学生ということになっています」
「まあ! でも、嬉しいわ!」
「心強いっす!」
んん、と一つ咳払いをして、マリーは続ける。
「まずは、お家を整えられること。それから、明日皇城へ参内するようにと、皇帝陛下からの思し召しです。登校は、十日後からです」
「こここ皇城!? てお城っすよね! えと……何着て行けば……」
ジンライが、既に涙目である。
「ご心配なく。いくつかタキシードをお作りしております」
「え? ……え?」
「ジン、採寸したでしょう?」
レオナが問うと
「あれは、制服のためかと……」
大変に動揺している。
「ふふ。制服もお作りしておりますね」
「あう、あの……マリーさん……」
「はい」
「俺、そんな、お金ないですし……平民なんで……敬語は……」
「ジンライ様。私は、帝国にいる間、貴方様にもお仕えする所存です」
「ひっ」
「貴方様は、マーカムにとって大変貴重な人材です。どうか誇りを持って頂きたいですわ」
「そうよジン。平民から男爵になる方だって、いらっしゃるのよ?」
「ひえええええ」
「ジーンー?」
酷かもしれないが、これはジンライに必要なこと、とレオナは思っている。彼のその考えや態度は、謙遜ではないのだから。
「なあん」
「へ!?」
「えっ」
「あらっ!?」
ジンライが騒ぐその背後の鞄から、するりと姿を現したのは
「オスカー!? いつの間に……!」
ジンライがいつも可愛がっている、エメラルドグリーンの目をした、黒猫。
「ついてきちゃったのか……」
「にゃあー」
「ええええっと、どうしましょう……」
レオナとマリーは顔を見合わせる。
「私、猫好きよ? マリーは?」
「私も好きですね」
「じゃ、いいんじゃない? 改めてよろしくね、オスカー。知ってるかもだけど、私はレオナよ」
「なーん!」
「私ははじめましてですわね。マリーですわ、オスカー」
「なーん!」
「えええ……」
脱力したジンライの膝の上で、毛繕いを始めるオスカー。
「ちょっと、処理しきれないっすね……」
しばらく呆然とする、ジンライであった。
※ ※ ※
「……ねえマリー」
「はい」
「小さなタウンハウス、て言ってたわね?」
「ええ」
「……どこが?」
「これが、小さい……?」
馬車から降りたった三人と一匹の目の前に、タウンハウスというには豪華すぎる建物が立っていた。
都会の街中にあるというのに、門構えや塀は言わずもがな、門の中には噴水と馬車止め、広い庭には色とりどりの花が咲き乱れる花壇に、ガゼボまである。
「私、お部屋一つで十分なんだけど……?」
「俺、落ち着かねーすよ!」
「……私に言われましても」
呆然とする三人の前に、執事服の男性がにこやかに近寄ってきた。後ろに、メイド二人を従えている。
「遠路はるばる、お疲れ様でございました」
四十歳前後だろうか。茶色の髪を後ろに撫で付けた碧眼の彼が、綺麗な所作で挨拶をする。
「わたくし、この館の執事を仰せつかりました、シモンと申します。後ろの二人は、メイドのユイとスイです。どうぞお見知り置きのほどを」
す、とマリーが一歩前へ進み出る。
「レオナ・ローゼン様とそのご学友、ジンライ様でございます。私は、御側付きのマリーです」
「はい、承りました。早速ですが、中をご案内差し上げても?」
マリーがレオナとジンライの様子を伺い、二人はギクシャクと頷いた。
「……では、お願い致します」
「はい。こちらへどうぞ」
す、と玄関を開け、迎え入れられた。
ニコニコしているが、彼の所作には全く無駄がない。
ルーカスほどではないが、ある程度武も嗜んでいる者の動きだな、とレオナは神経を尖らせる。マリーも同様のようだ。
「そんなに緊張する必要はございませんよ」
シモンは、そんな警戒心を見透かしているのか、あくまでも柔和に接する。
「皇帝陛下から、不便のないよう、よく面倒を見るように仰せつかっております。身の引き締まる思いは、こちらの方ですよ」
――陛下から? 執事に直接?
「ひえぇぇ。す、すごい豪華な家ですね! き、緊張で吐きそうです」
ジンライが、そんな緊迫した空気を壊してくれた。
確かに、調度品も絨毯も豪華な玄関ホール。上の吹き抜けにはシャンデリアが煌めいている。
「なあん」
どこからともなく走ってきて、しゅた、と肩に乗ったオスカーが、ジンライを慰めるように一声鳴いた。
「おや、猫」
「あ、ごめんなさい、ダメですか!?」
「いいえ。主人に従うのが我々の仕事ですよ。宜しく、と一言お申し付けくださいませ」
「じゃ、じゃあ、俺の大事な友達なので、オスカーのことも宜しくお願いします!」
「はい。承りました」
シモンはニコニコと案内を続けようとする。
その後ろに、能面のような顔で付き従っている二人のメイド。
「あの」
レオナは、ようやく口を開いた。
「はい。レオナ様。なにか?」
「そちらの二人は、双子なのかしら?」
「……はい、そうです」
あくまでも、シモンが答える。
二人のメイドは制服も髪型も同じなので、見た目では区別がつかない。
「どちらがユイで、どちらがスイ?」
「え」
シモンが、硬直した。
「? 変な質問したかしら?」
「いえあの、なぜ、お知りになりたいのです?」
「なぜって、呼ぶ時困るでしょう?」
「ええ!」
驚愕するシモンに、逆にビックリするレオナ。
マリーが、肩を震わせて笑っている。
「レオナ様らしいですわ」
「えー? マリー、どういうこと?」
「ふふ。普通の貴族令嬢は、メイドが誰かなんてそれほど気にしないのですよ」
「ええっ!? じゃあ呼ぶ時どうするの!?」
「ねえ、とか、ちょっと、とか?」
「ええええ、名前があるのに!?」
「ローゼンは、大変良い環境なのですよ」
「んー、なるほど……でも私は他のお家を知らないから、私のやり方で良いかしら、シモン」
「え? ええそれはもちろん」
「良かったわ」
レオナは、ずいっ、と二人のメイドに近づいた。
「ユイ?」
「……はい」
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手を強引に、握る。
「!!」
「じゃ、貴方がスイね?」
「は、い」
また手を強引に握る。
大いに戸惑う、無表情のメイド二人に、レオナは気にせず笑顔で
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と挨拶をした。
「は、はい」
「よろしくお願い申し上げます」
とてもか細い声だが、返事が返ってきたので、レオナは満足した。
「中断してごめんねシモン。案内を続けてくれる?」
「は、はい。ではまず、ダイニングから――」
※ ※ ※
「なんだったの、あれ」
「……警戒された?」
「そんなはずないわ」
「変わってる」
「油断は禁物」
「分かってる」
※ ※ ※
その頃、マーカム王立学院。
カミロの謹慎も無事に解かれ、何事もなかったかのように新年度が始まった二年生のハイクラスルームで、一人激しく動揺している学生がいた。
――レオナがいない!? なんで!!
ユリエはキョロキョロとルーム内を見回すが、やはり居ない。いつも一緒に行動しているシャルリーヌ、ヒューゴー、ゼルにも変わった様子はなく、平然と席に着いて談笑している。
――ヤバい、何が起こったの!?
今年はエドガーとのスチル回収しながら、レオナを断罪する準備をしなくちゃなのに! 卒業パーティに居てくれないと、断罪出来ないじゃない!
「ん? どうしたユリエ。具合悪そうだな?」
「え? ううん、大丈夫。ありがとう、エドガー、優しいね」
「ははは! まあ、な!」
――あー、うっざ。
ゲームの時はボタン連打だったから良かったけど、実際接するとウザくてしょうがないね。
あと一年もこれ続けるの? 耐えれるかな……でもしょうがないよね、もうそれしか……
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ぽそりと言ってみた。
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「なあんだ、そうなのー」
「残念だなー!」
ユリエのホッとした気持ちを、エドガーは良いように解釈してくれた。
――普段いないんなら、かえってやりやすいかもー
前世の記憶を思い出しながら、ユリエはほくそ笑んだ。
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