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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀

〈106〉いらぬ波紋を呼ぶのです

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「あのね、レオナ」
 講義終わりの帰りがけ。
 テオとジンライが、ゼルと同居を続けるための申請を出しに行くそうだ。同居を続けることに喜んだレオナは、ハイクラスルームから出てすぐの廊下で、ヒューゴーの戻りを待っていた。すると、それに付き合ってくれているシャルリーヌが、ボソリと言う。
 
「その、どうするの?」
「……どうする、て?」
「ゼルのこと」
「……約束は、守るわ」

 シャルリーヌは少し呆れている顔だ。
 しばらく言うのを躊躇ためらって、でもやっぱり、と思い直して。
「でもね。もう一度よく考えた方が良いと思うの。レオナがゼルとデートするなんて……あ」
「……やあ」
 
 そ、その声は……

 レオナの背後から、低く凛とした声が、静かに流れてきた。
「あー、その、邪魔してすまない。ゼル君は、帰ってしまったかな?」
 シャルリーヌが、青ざめている。
 怖くてレオナは、振り向けない。
 

 ――聞かれた……よね、今の。
 
 
「あの、寮に」
 かろうじてシャルリーヌが答えた。
「そうか、やっぱり遅かったな。ありがとう」
「な、なにか」
「ああいや、一昨日腹を殴ってしまったから、心配で様子を見に」
 
 
 声は、変わらず優しい。
 が……どこか、寂しそう?
 

「あの」
 レオナは意を決して振り向く。
 憂いの、紫の瞳が、眼前で揺れていた。

「あ……元気でした、よ」
「そうか、良かった」
 

 微笑みが……切ない。
 あきらめたような?
 なぜ?
 

「良いんだ、……」
「え?」
「あー、いや。じゃ、また」

 きびすを返して戻ろうとする彼に
「る、ルス、あのね、今のは」
 レオナが説明しようとするが
「すまないが任務に戻る。それでは」
 とスタスタ去ってしまった。
「まっ……」

 待って、と言おうとしたが、なんと言うのか?
 ゼルが可哀想だから、一度だけデートする、と? それはゼルにもルスラーンにも失礼ではないか?

「レオナ……ごめん……」
 シャルリーヌが、震えている。
「シャル、違うわ」

 きっといずれにせよ、知られたこと。
 全ては自分が、招いたこと。

「私がちゃんと説明してくるわ! 誤解ですって」
「……」
「レオナ?」
「ううん、いいの。だって、誤解じゃないもの」
 
 ゼルとのデートは、きっと事実になる。
 ふしだら、と言われても、文句は言えない。
 分かっていても、レオナは決めたのだから。
 自分で、そうしようと。

「……」
「? レオナ、どうし……」
 戻ってきたヒューゴーが、遠くからでも様子のおかしいことに気づいて駆け寄り――思わず目を見開いた。
 

 レオナは、音も立てずに、静かに泣いていた。


 ※ ※ ※

 
「くそ」
 ルスラーンは学院を出て、馬で王宮へ戻りながら、何度も舌打ちをしてしまった。
 
 頭では分かっている。なんとなくアザリーの件で大変だった時に、ゼルを勇気づけるためか何かの約束なのでは、と。ゼルの、レオナへの好意は分かりやすいからだ。レオナのあの性格なら、迫られるか何かしたら断れないだろう。
 フィリベルトが大切にしてきた妹だ、ふしだらなことをするような女性ではないことも、分かっている。
 
 だが、目の前が真っ赤になってしまった。
 どうしようもなく湧き上がった、ゼルへの強烈な嫉妬が、一瞬でルスラーンの良心と理性を焼き、まともな対応ができなくなった。

 実際、レオナは焦って見えた。
 誤解をときたいのだろうな、というのはなんとなく察した。一緒にいたシャルリーヌも、必死で違うの! と顔で訴えていた。それも分かっている。
 
 が。
 
 ――どうしても、許せなかった。
 あの特別な時間と贈り物は、俺だけではないのか……?

 分かっている。
 ルスラーンからは何も伝えていないし、彼女から特別な意思表示をもらったわけでもない。
 ルスラーンがレオナを縛れるようなモノは、現状何もない。

 ただただ、自分本意の身勝手な――初めて感じた焦燥に、打ち勝てなかっただけだ。
 
「ちっ」

 傷つけた、きっと。
 あんな、拒絶の態度を取ってしまった。
 傷つけてしまったに違いない。
 だがとても、話なんて――

 ぐちゃぐちゃな心で、それでも次の任務のため、ルスラーンは近衛の詰所へと向かった。
 

 ※ ※ ※


「……何が、あった……」
 戻ってきたヒューゴーに、レオナは慌てて涙を拭き、首を振った。
「私のせいなの」
 と言うシャルリーヌは、涙目。下まぶたに溜まった雫を落とさないよう、必死に我慢している。
「違う、シャルのせいじゃないわ! いずれにせよ、いつかルスにも知られることだもの。本当に、シャルは悪くないの」
「ルスラーン?」
 ヒューゴーの問いに、シャルリーヌが頷く。
「私が、ゼルとデートするって、ここで話してしまったのを」
「分かった……話、聞かれたんだな?」

 レオナは、震える唇をきゅっと噛み締めた。
 それが、答え。

「そうか……」

 ヒューゴーは、内心舌打ちした。
 ゼルを牽制するために、レオナとの仲を強調していることが完全に裏目に出た、と思った。
 ゼルは、今日の軽口で嫌われたのではと焦った。さらにヒューゴーに対するレオナの評価の高さも相まって、暴走しかけたのは事実。シャルリーヌはそれを懸念したのだろう。
 
「とりあえず帰ろう。な? フィリ様に、話聞いてもらおう」
 
 ヒューゴーはまるで小さな子どもをあやすかのように、優しく声をかけながら、レオナの手を引く。
「……私も行くわ」
 シャルリーヌもレオナの背を支えながら、付き添う。
「そっすね。説明してもらえますか」
「ええ」
「……ごめんね、シャル」
「違う! 私が軽率だったの!」

 ヒューゴーは二人をエスコートしながら、さてどうしたものかと、考えを巡らせるが――答えは出ない。


 ※ ※ ※


「残念ながら」
 カミロは自身の研究室で、静かに告げた。
「今の成績ですと進級は無理だと思います。追加課題も、規定の点数に達していないものが多い」
 
「なんとかなりませんか!?」
 
「成績に配慮することは、規定上できません」
「でも、頑張ったのに!」
「……」

 カミロとて学生の頑張りは否定したくない。が、彼女は違う。
 度々理由もなしに講義は欠席。他の先生方からも、受講態度は決して良くないとの評判。加えて課題提出も期限を過ぎるどころか、ほぼ未提出、と聞いている。

「経済学、尚書学、国際政治学、マナー、そして数学」
「?」
「あなたが課題を提出していない講義です」
 カミロは未提出課題を取りまとめた紙を、差し出した。
「それも複数。他の学生は提出しています。これでもあなたは、頑張ったと言えるのですか?」
「だって! 難しいし!」
「なるほど、頑張っても難しく、提出ができなかったと」
「そうよ! だからそれを」
「ならば、貴方は残念ですが、この学院には向いていないのかもしれませんね。他に何かやりたいことはありませんか?」
「なに、それ……どういう意味……」
「勉強しなくてはならない、という環境は、貴方に合っていないのではと申し上げているのです」

 カミロは居住まいを正してから、努めて優しい口調のまま言い放った。

「進級以外の進路を、探した方が良いです。他にも色々な道がありますよ」
「……して」
「なんでしょう?」
「そうやって、バカにして!」
 彼女は、激高してテーブルを蹴飛ばしながら立ち上がった。ガタン、と位置がずれ、上に乗っていた紙がバサバサ下に落ちる。
「先生のくせに、信じらんない! 皇帝の兄弟だからって、良い気にならないでよね!」

 ピリッと空気が一瞬で凍った。
 
「……いま、なんと?」
「先生のくせに信じらんないって!」
「その、あとです」
「皇帝の兄弟だからって、ふざけないでよ!」
「誰に聞いた?」

 先程までの紳士的な態度とは打って代わり、覇気のあるカミロに、彼女は怖気付いた。
「な、な、なによ!」
「誰に聞いたんだ」

 コンコン

 詰問は、突如として響いたノック音に遮られた。

「失礼します」
 カミロの許可を待たずに入ってきたので、カミロは面食らった。
「お時間になっても彼女が戻らないので、心配になって」
 にこり、とその学生は笑顔を向ける。
「ああ、……す、すみません。ですがもう少しだけ外で」

 はた、とカミロは身体の動きを止めた後、何度か目を瞬いた。そして、こめかみを手で押さえる。頭が痛いようだ。
 
「先生、お顔色が優れませんね?」
 ずいっと近寄ってくる学生にカミロは戸惑い、口の動きも止まってしまった。
「大丈夫ですか? 無理しないで、先生。もう、良いですよね?」
「!? 何を言っているのです?」
「もう用は済んだってことよ!」
「この子のことも、私のことも、良いんですよ。ね?」

 二人にじいっと目を見られ――

「……分かりました。この課題を来週までに提出してください。必ず期日は守って」
「守ったら良いんですね。?」
「許可します」
「はい。ありがとうございます。さ、行こう」
「始めっからそう言えばいいのに!」
「まあまあ、良かったね。ね?」
「ふんっ」
「では失礼します」
「さよならっ」

 バタン。

 ドアの閉じられた音で、カミロは我に返った。

「……? 私は今、何を?」
 足元に散らばった紙を拾い集めて、カミロは首を捻った。


 
 ※ ※ ※



「嫌われた、絶対」
 
 高位貴族用の寮の一室。
 いつもの如くダイニングテーブルで向かい合って、課題を広げるテオとジンライがいる。
 その横のソファで寝転がるゼルは、先程からそう独り言を呟いてはゴロゴロ転がっていた――時々うっかり落ちて、這い上がって、の繰り返しで、テオはいつ「どうしたんです?」と聞くか「鬱陶しいんですが」と苦情を入れるか、迷っていた。他方のジンライは、どう聞いたら良いものかと悩んで、モジモジしている。

「はー、いい加減鬱陶しいですね、ゼルさん」

 テオが観念して教科書を閉じた。
 
「何があったんです? 誰に嫌われたと?」
「……レオナに、嫌われた……」

 ……一昨日の、今日で?
 テオはジンライと顔を見合わせた。
 演習の後は、良かった、とホッとして涙を落とすほど、心を傾けてくれていたのに?

「何やらかしたんですか?」
 ゼルに原因があるに決まっている、とテオは判断した。
「うう、その、うちのクラスの女子学生で、エドガーとベタベタしているのが居るだろう?」
「ああ」
 攻撃魔法実習でのことを思い出し、テオはげんなりする。
「あー、うちのクラスに同い年の妹がいるって人ですよね。妹の方は平民の」
 ジンライが記憶を探り探り言う。
「同い年なのに妹で、身分も違うのか?」
 ゼルが妙な顔をする。
「ええ、異母妹なのだそうです。ボニーさん? だったかな。大人しくて目立たない子です」
「……貴族にありがちだね。で、ゼルさん。続き」
 テオは事務的だ。さっさと終わらせたい気持ちがダダ漏れ過ぎるので、ジンライはヒヤヒヤしている。
 
「あーのな……その、その女が娼婦みたいでな。思わず『まるで娼館だな』と」
「あー。レオナさん達の前で?」
「うう」
「言っちゃったんすねー」
「ううう」
「「なるほど」」

 普通はそれほど気にしないが……

「レオナさんかあ」
「シャルさんもっすよね」
「はあ……」

 よりにもよって、である。
 
「僕は詳しくないからアレだけど」
 テオがフォローしようと試みたが
「多分娼館云々より、その後のゼルさんの余裕のなさじゃないすかねえ」
 何気にジンライが傷をえぐる。
「ぐ……やはりそうなるか……しかもその後のヒューゴーがな……」

 かくかくしかじかと、丁寧な説明を聞く二人は、また顔を見合わせてから
 
「「完敗ですね」」

 完璧な同調である。
 
「やめろ! 傷つくぞ!」
「さすがヒューさん」
 テオは再び教科書を開いた。
「明日また様子見ましょう」
「あーその、俺も堂々としとけばいいと思うんす」
 ジンライが席を立って
「お茶でも飲みましょ。ね」
 と気を遣う。
 ギルドのが多いジンライは、意外に大人の付き合いも多く、ゼルのこのようなやり取りを新鮮だな、と微笑ましくなった。

 ――なんか、今俺、学生っぽい!

 密かにテンションが上がっていたのは内緒である。

「こうなったら、絶対デートだ。そこで挽回する」

 そう決意したゼルが、余計空回りしなきゃいいけどなあ、と溜息をつく、二人のルームメイトなのであった。

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