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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀
〈98〉砂漠の王子31 -フィリベルトの調書-
しおりを挟むレオナがブルザーク皇帝と再会した頃、フィリベルトは自室でひたすらペンを走らせていた。
コンコンコン
「フィリベルト様。いらっしゃいました」
ルーカスが取り次ぐ。
「入って頂いてくれ」
と返事をすると、入ってきたのは
「……失礼する」
昨夜ぶりのアザリー第五王子、ヒルバーア。
立ち上がり
「またの御足労ありがとうございます、ヒルバーア殿下」
と迎えると
「いや、何でも言ってくれ」
ヒルバーアは、硬い表情でソファに腰掛ける。
「紅茶で宜しいでしょうか?」
フィリベルトは、あくまで柔らかな物腰で対応する。
「……ああ、構わない」
緊張のせいか、故郷の言葉はすっかりなりを潜めているようだ。
ルーカスが、流れるような仕草でお茶の準備を始めるのを横目で見ながら、フィリベルトはゆっくりと切り出す。
「殿下。まずは……ご体調はいかがでしょうか?」
「問題ない。頭がすっきりした感覚がある」
昨夜遅くにラザールが解呪を行い、リンジーも立ち会い、暗示は無事解けた、との報告を受けている。
「それは良かった」
「心から感謝する」
「とんでもございません。公開演習をご覧になりたいのではとも思ったのですが、お呼びだてして申し訳ございません」
「全てタウィーザに託した。問題ない――気にせずなんでも聞いてくれ」
覚悟の、表情。
ルーカスがティーポットから紅茶を注ぎ入れると、豊かな茶葉の香りが鼻腔をくすぐった。
「どうぞ」
「……ありがとう」
フィリベルトが口に含んだのを確かめてから、ヒルバーアも口にする。
「最初に申し上げておきたいのですが、私は真実を明らかにしたいのであって、殿下を訴えたいわけではございません」
「だが、貴殿にも、宰相殿にも命の危機があった」
「それは、別の誰かの目論見です」
「……」
「たくさんの思惑が絡まり、さも複雑であるかのように見えていますが、動機は案外単純なものだと思いませんか?」
「動機? 単純?」
「ええ。誰かがアザリーを――潰したいのではと」
「な!」
フィリベルトは、優雅な仕草でカップを皿の上に置いた。
「失礼ながら、アザリーとマーカムには国力の差が歴然とあり、また、マーカムでのローゼンの地位は重い」
「……重々承知している」
「今回の事の発端は、ゼル君の暗殺に見せかけたローゼンの馬車襲撃でした」
「見せかけ、た?」
「ええ。本気なら、アザリーの隠密がいくらでもゼル君の命を狙えたでしょう。ですが、襲撃してきたのは素人の野良集団、しかもガルアダ訛り」
「ガルアダ? なぜ」
「そうです。もうその時点で私は疑念を持ちました」
失礼、とフィリベルトは立ち上がり、執務机から先程書いていた書類を取ってくると、もう一度ヒルバーアの向かいに腰掛け直した。
その書類を見ながら、話を続ける。
「本日は、客観的に時系列をまとめさせて頂きたいと存じます。予断を排したいのです」
「わかった」
ヒルバーアは、背筋を正す。
さすが王子、王族の風格が備わっているな、とフィリベルトは内心感心した。
「――ゼル君の保護後、アリスター殿下主催の鷹狩りにおいて、私は『死蝶』に囚われました。その三日後には第一騎士団師団長の一時降格と、父であるマーカム王国宰相に王宮から招集がかかる。ガルアダ金鉱山崩落を誘導した、との疑いからです。それから、ヒルバーア殿下を伴ってアドワが宰相暗殺未遂」
そこでいったん言葉を切ると、フィリベルトはヒルバーアの表情を見定める。その瞳に曇りはないようだ。頷かれたので、続ける。
「その後学院で、我が国第二王子のエドガー殿下がゼル君の身分を暴露し、混乱を招いたわけですが……ヒューゴーとナジャは、王都郊外の小屋でヒルバーア殿下と密会しました。アザリーで投獄された六番と七番を救うために、宰相の命と引換に助命嘆願をして欲しいと。ここまでは宜しいですか?」
「正直ところどころ朧げだが……」
「はい。先日も申しましたが、ヒューゴーいわく、小屋でのヒルバーア殿下は、非常に臆病なご様子だったそうです」
「……」
「その際『幻惑魔法』で父になりすましていた、と。そしてそれをわざと追手に見せました。これは、私が指示したことです。どういうことになるかは分からないが、ともかく、相手がどう反応するかを見たかったためです。すると」
ふー、とフィリベルトは深く息を吐く。
「学院でゼル君がハーリドによって襲われる事態となりました」
「タウィーザから聞いている。宰相暗殺に失敗したとみて、焦ったのではと考えたが……勝手な想像は不要だな?」
「ふふ、はい。タウィーザ殿下は、不運にもそこでハーリドから死蝶を受けてしまい、そのままハーリドとともに騎士団本部に連行されました。ヒルバーア殿下も側近として一緒に入って頂きましたね」
「ああ」
「ミレイユ王女所有のルビー鉱山が、一時山賊に占拠されたのはご存知ですか?」
「ザウバアの本命だろう」
「ええ。ジョエルの……我が王国騎士団副団長の活躍によって、それは阻止されました」
「さすがとしか言いようがないな」
それはジョエルに直接言って頂きたい、とフィリベルトは微笑んだ。そしてまた紅茶に口を付ける。
「昨日の早朝、ザウバア殿下とハーリドが脱走し、ここで起こったことは全てご存知ですね」
「……ハーリドからローゼンを襲撃して、薔薇魔女を殺すと手紙が来て、慌てて抜け出して追いかけた」
「そうです。不思議なことにヒルバーア殿下は、ご自身の目的が変わったことになんの疑念も持っていない」
「!」
「貴方の主目的は、六番と七番を救うことであったはず。そのためにアドワを利用し、私はその通りにした。タウィーザ殿下も協力した。――それで貴方のしたかったことは、終わっている。何故ローゼンに来たのです?」
「薔薇魔女を、救わねばと……」
「そうです。救う理由がないのに、貴方は動いた」
「! いや、私はタウィーザを救ってくれた恩を返そうと……した、はずだ……が」
「なるほど。では、そういうことに致しましょう。実は、ヒューゴーが学院で、闇魔法を検知しました。初めはそれは死蝶に反応していると思いました。だが、時折現れる貴方がたの行動のそうした違和感に、何か別の力が働いている、と私は考えたのです」
「俺が……操られている」
「ええ。恐らくザウバア殿下もハーリドも、と思い、万全を期しておりましたが……まさか貴方も闇魔法で移動ができるとは」
「ナジャといったか、あれもだな。我が母の故郷の秘術だ。できる者は少ないし、移動距離も微々たるものだが」
「素晴らしい術です。――ともあれ、誰かの思惑通り貴方は動き、レオナを助けたいと自室から中庭へ移動し、そこで」
さすがに想定外でしたね、とフィリベルトは少し目線を下げる。
「ぐ……」
「責めたいわけではございませんよ」
「……すまない……」
「ザウバア殿下も、わけも分からず中庭で潜んで待ち構えていたのだと思います。そうしたら現れたから、刺した」
ギリギリとヒルバーアは膝の上で拳を握りしめる。
その心にフィリベルトは、安心した。良心の呵責がある、ということは、今は正常なのだ、と。
「殿下。最初に申し上げた通り、私は真実を明らかにしたいだけです。そして、できれば敵の主目的を潰したい」
「敵……だと!?」
「一公爵令息のできることなど、たかが知れていますけどね」
ヒルバーアは、全力でつっこみたいのを我慢した。
「さて、お陰様でだいぶ整理ができました。ご協力感謝申し上げます」
「聞いていただけだが」
「客観性が重要なのですよ」
フィリベルトは、意味深に微笑んだ。
「お腹、すきませんか?」
「は?」
急に気安くなった公爵令息に、ヒルバーアは戸惑う。
「実は、我が王国の王立学院の食堂には、腕の良い料理人が居ましてね」
「は!?」
ヒルバーアが、驚きで思わず立ち上がる。
それを見上げるフィリベルトは、あくまでも静かに微笑むだけだ。
「あまりに美味しいので、学院が休みの間、公爵家で腕を奮ってくれないかと呼び寄せたのですよ」
「なん、なん、何を言うとんねん……」
ヒルバーアが、思わず素になり
「昼食を用意しておりますので、我が自慢のガーデンへご案内差し上げても?」
「……フィリベルト……」
「はい。どうぞ、こちらへ」
絶句したまま、従う。
※ ※ ※
ガーデン、と呼ばれる場所には素晴らしい花壇と、ガーデンテーブルが備えられたガゼボがあり、そこには――
「……は? は……ま、まさかっ、ハーリドッ!? ハーリドッ!」
ヒルバーアは、その姿を遠目に認めるや否や、走り出した。
フィリベルトは、あえて追いかけず、ゆっくりとその後ろを歩く。
背筋をぴんと伸ばした青年は、公爵家のコックコートを着て、困ったように笑って
「あの……私は、ハリーと申します」
深くお辞儀をした。
「は、ハリー……」
ヒルバーアの涙が、たちまちぼたぼたと溢れる。
「立ったままの無作法で申し訳ございません」
「ハリー」
「はい。ヒルバーア殿下のお好きな、玉子料理をご用意致しました。お楽しみ頂ければ幸いです」
「な、なぜ……」
目の前で吐血して……絶命したはずだ。さらに、騎士団が遺体を引き取っていった。はずだ――ヒルバーアは、混乱する。
「殿下、まずはお掛けください」
追いついたフィリベルトが席をすすめると、放心したまま砂漠の第五王子は、素直に従う。――呆然、まさにその言葉通りに、口を開けたまま。
「敵がローゼンに牙を剥いたあと、証拠隠滅に走るのは自明の理」
フィリベルトは椅子に腰掛けると静かにナフキンを広げて、膝にかける――優雅な仕草だ。
「強力な闇魔法の存在があり、あなたは暗示。死蝶を宿し、様々な情報を握っていたハーリドは、恐らく何らかの術で絶命するだろう。であれば」
「破邪の、魔石!」
しぃー、とフィリベルトはイタズラっぽく人差し指を唇にあてる。
「ルーカスに用意をさせたのです。直近に亡くなった人間の遺体、そして――魔石を」
本当はその後レオナが別室で治癒魔法を行ったのだが、それは念のため伏せておく。
ヒルバーアは、そういえばハーリドはうつ伏せにシーツをかぶされていた――普通なら、仰向けだ、と思い当たり、懸命に状況を思い出すことを試みる。
あの時自分達は、しばらく呆然としていなかったか?
その証拠に、背後に立つ隠密にも、まるで気づいていなかった、と。
「貴方は、操られている。もしかすると、敵に何らかの報せがいくような縛りがあるのかもしれない。だからハーリドは」
「俺の目の前で死ぬ必要があった……!」
「ええ、そうです。昨夜無事解呪されたと聞き、先程部屋でご様子を拝見して――大丈夫そうでしたので、お誘いした次第です」
「フィリ、ベルト……」
「はい」
「俺は、この恩に、何をどう返したらええんや……」
きょとり、としたあと
「レオナに、定期的に美味しい胡椒を是非」
と綺麗に笑む。
ヒルバーアは涙が止まらない。
「もちろんや……もちろんやで……なんぼでも……うう」
「さ、殿下。料理が冷めますよ」
「あ、ああ……」
料理人が微笑みながら、ワゴンから皿をサーブし始める。
「ではまず、こちら。前菜のパテと焼きたてパンでございます」
「ハー……ハリー」
「はい、殿下」
気づくとハリーも静かに涙を流している。
「すまなかった、すまない、どう償っても」
「私は、幸せ者です、殿下」
「……!」
「ともに、ローゼンに、返して、いけたら……と」
その後は二人とも言葉にならない。
フィリベルトはそれを見守りながら、黙々と料理に舌鼓を打つ。
「うん、美味しいですね。あ、そうそう、殿下。落ち着きましたら、宰相暗殺未遂犯の聴取にもお立ち会いくださいね」
「ずずず……ああ……え!?」
しれっと言うフィリベルトは、ニコリと意味ありげに笑う。
ハリーが思わず取り皿を落として割った。
「た、大変申し訳ございません!」
すぐに片付けようとするものの、ぶるぶると震え、上手く動けない。ルーカスが、さっと手伝いながら
「大丈夫ですよ、落ち着いて」
とフォローするが、両膝をついて震えている。
「ナジャいわく、死蝶は無理心中、というらしいのですが――望んだ相手と無理矢理一緒に死ぬ術、らしいのです。そしてアザリーに居るタミーマ王女から、国王は既に目覚めており、第六及び第七王子の処刑は執行済だ、と密書が届きました。さすがタウィーザ殿下の鷹、速いですね」
「おい、今なんと……」
「貴方は、三つ子と仰った」
「……」
「今度は、貴方のお話をお聞かせ頂けますか?」
ヒルバーアは硬く目を閉じ
「……全て、話す」
と、言った。
※ ※ ※
「……?」
「目が、覚めましたか」
「わたしは……死んだのでは……」
「あなたを蝕んでいる病は残念ながら残っていますが、呪いは発動した後消えたようですよ」
――実際は、ルーカスがレオナから借りた破邪の魔石を持って面会に来たのだが。この魔術師団所属の治癒士が知るところではなかった。
「そう、ですか……」
「ローゼン公爵令息フィリベルト様よりご伝言です」
「はい」
「マーカム王国法の下で裁きを受け、償いをし、命ある限りザウバア殿下に寄り添うようにと」
「!!」
アドワは、たちまち涙を流した。
それはそれは、綺麗な透明の――
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