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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀

〈92〉砂漠の王子25

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 ――王宮、朝議の間。

「ブルザーク帝国が皇帝、ラドスラフである」
「お初にお目にかかります、皇帝陛下」
「名乗るのを許そう」
「ありがたく。タウィーザ・アザリーと申します。この度はこのような形で相見あいまみえることとなり、大変申し訳なく」
「良い。気にするな。おもてを上げて良いぞ」
「は」

 同席したのは、ラドスラフとタウィーザ以外に、ブルザーク外交官サシャ、第一王子アリスター、外務大臣ガウディーノ、近衛騎士ジャンルーカとルスラーン、である。
 その他、書記のための文官や、世話のためのメイドがおり、なかなかの人数だ。致し方がないとはいえ息苦しい、とラドスラフは溜息をついた。

「ん? ベルナルドがおらんな?」
 こういった場には必ず顔を出すはずの、友人の姿が見えないことに皇帝はすぐに気づいたが
「……別件にて。ご容赦下さいませ」
 すかさずアリスターがにこやかに応えた。

 
 ほう? ……奴の身に何かあったか。

 
 はらの内を見透かすことに長けた大国の皇帝は、それには気づかないフリをした。
 アリスターはそっと息を吐く。

「さて、タウィーザ殿。早速だが話を進めるとしよう」
「はっ」
「……ガウディーノと言ったか。そなたに同席を依頼したのは、一つ相談したいことがあるからだ」
「相談、とは?」
 外務大臣のガウディーノは、油断なくその目を光らせる。
「実は最近親しくなった、マーカムのある令嬢と手紙のやり取りをしているのだが」

 ピクリ、と動くルスラーンの眉を目の端で見て、ラドスラフは『若いな』とその未熟さが逆に微笑ましくなった。

「料理が趣味でな。我が国の上質な塩を使いたいと請われて、少し融通したのだ。マーカムではやや高額で手に入りにくいだろう?」
「はい、その通りでございます」
 マーカムには海がない。
 ブルザークは、海から大量に塩を生産でき、帝国内では非常に安価で流通している。
 しかし、国境を超えるためには輸送費と税、さらに信頼出来る商人が必要で、気付くと高額になっている。
 マーカムはまだマシで、さらにガルアダに向かうにつれ、どんどん高額になる。
 アザリーにも海はあるが、昔ながらの、人手で火を用いて蒸留するやり方で、流通量は皆無。一方帝国は、魔道具を効率的に用いた大量生産である。

「そうしたら、今度はアザリーの胡椒は非常に美味しいが、なかなか手に入らないと言われてな。レオナが言うには『塩と胡椒は同時に持つべきもの』なのだそうだ」
「レオナ嬢、でしたか!」
 アリスターが、思わず驚きの声を上げる。
「ん? ……ああ、そうだ。復興祭で親しくなったのだよ」
「左様でしたか……そう言えば、ファーストダンスをされていましたね」
 微笑むアリスターに
「うむ。あれは真に楽しい一時ひとときであった――それでだな」
 ニヤリと口角を上げ、不敵に続ける皇帝は
「アザリーとブルザークで、塩胡椒貿易協定を結びたいと思ったのだ。そしてそれを、マーカムに取り持ってもらいたい」
 と宣言した。
 
「!!」
 ガウディーノが珍しく、驚きを露わにした。
 ラドスラフはそれを見て、手応えありとみてさらに続ける。
「我が国も胡椒が欲しい。だが山脈に阻まれ、アザリーにはマーカムとガルアダを通らなければ、行き来できない。海の向こうの別大陸、もしくはマーカムの商人から、異常に値の張る物を融通してもらう他ないのが実情だ」
「それは、そうですが……」
「レオナに『決まりがないから、量も価格もバラバラになる』と言われてな。その通りだなと。塩も胡椒もどちらもマーカムを通るだろう? ならばいっそのこと、国同士であらかじめ国境を超える際の税額を、流通量に応じて決めておけば良い。少なければ高く、多ければ安く。となれば、商人達も気合いを入れて運ぶだろうと考えた」
「それは……ですが量を確保できない商人はどうなります?」
 ガウディーノが、驚愕の表情のまま問うと
「淘汰されるだろう」
 ラドスラフは、慈悲なく言い捨てた。
 
「かといって、独占して値を釣り上げることができない仕組みも、必要だ。それらの細かい取り決めはもちろんだが、実際にやってみた後も、定期的に話し合い、改善していくことも必要になる」
「なんと――このお話を、ローゼンのご令嬢と?」
「やり取りしているうちにな。実に楽しいことよ」
 
 ま、それは置いといてだな、と皇帝は話を本筋へ戻す。
 
「タウィーザ殿はどう思うか?」
「はい。アザリーとしても大変ありがたいお話です。胡椒は、我が国の誇る生産物のうちの一つですが、暮らしていく糧にするには難しい。作るのは上手くとも、売るのは苦手な者達も多いのです。近年は、作るのをやめてしまう者も増えております」
 ガルアダの商人に買い叩かれているのが実情だ。だから、ガルアダとの関係性は、年々悪くなる一方なのだ。
 
「うむ。マーカムが間に入るなら、アザリーは――自分で言うのもなんだが――帝国の脅威へのも得られるし、マーカムはマーカムで、中の利を得ることができる。関係もあるガルアダとの調整も容易にできるだろう?」
 ぐぬぬ、と考え込むガウディーノに反して、アリスターの目は輝き
「……これがうまく実現すれば」
 と身を乗り出した。
「そうだ。他の品物にも応用できるのではないか? 安定的な貿易は、お互いに有益であろう? せっかく大陸内で、長い年月をかけて言語も通貨も共通化したと言うのに、交易が盛んでないのはつまらなくないか?」
 
 皇帝は、尊大に笑うと、全員にゆっくりと目を向けた。

「この機会に、直接相見えて、余の言葉で目的を言いたかっただけだ。誓って他意はない。今すぐ結論を出せとは言わぬ。吟味して欲しい」
 場が静まる中、
「一点、んん、興味本位でお聞きしたい」
 ガウディーノが、乾いた喉を誤魔化すように何度か咳払いをしてから、問う。
「許そう」
「……なぜ、タウィーザ殿下なのです?」
「はは! 最初にそれを言わねばならなかったな! すまなかった」
 タウィーザが、苦笑している。
「何、単純なことよ。アザリーに何度か商談を請う手紙を送ったのだが、唯一反応があったのが、タウィーザ殿だ」
「なるほど……ではタウィーザ殿下に問いたい」
「何でしょう」
「……アザリーは現状、のではないですか? ザウバア殿下についても、残念ながら今は我が国に対する、ある嫌疑をかけられている」
「……その懸念は当然だな」
 表情を引き締めるタウィーザを、ガウディーノはその視線で射抜いたままだ。値踏みか、とタウィーザは背筋を伸ばす。
「アザリーの第八王子として、この協定は我が国発展のため、是が非でも実現したい。そのためにこれから国の平定に全力を注ぐ。もちろんザウバアの件も、誠意を持って対応する。まずはそれを見て頂きたい」
「ではマーカムは、見定めてからにいたしましょう」
「必ずや」
 やり取りを見守っていたラドスラフは
「ははは。まずは第一歩だな。期待している。が、なるべく早く、な」
 と言葉以上の圧をタウィーザに放った。

「では……サシャ」
「はははいいぃ」
「出せ」
「たたただいまぁーー!」
 体躯に見合わない、大きくて重そうな鞄を持っているな? と気にかけていたルスラーンが、さっとサシャに寄り、鞄を持ち上げるのを手伝う。
 サシャは、ルスラーンを見上げて、その潤んだ目を何度もパシパシと瞬かせると――なぜかポッと赤くなった。
「? これを開ければ良いのですか?」
 ルスラーンが問う。
「はははい! です!」
 テーブルの上で開けようとしていたので、警戒しつつもその通りにする。
 ――中から大量の壺が出てきた。重いはずだ。

「くくく。一つ開けてみろ」
 ラドスラフが言うので、ルスラーンがゆっくりと中身を吟味しながら、紐で縛られた布の蓋を取ると――中には真っ白な粉が入っていた。
「それこそが、我が帝国の誇る塩だ。その壺一つで、下手すると金貨一枚する」
「!!」
 片手で持てるくらいの小さな壺だ。
 

 ――これが、俺の月の給料の五分の一かよ……

 
 これでも高給取りだと思っていたのだが、と、まだまだ甘かったルスラーンである。
 ちなみに、本当に近衛は高給取りである。一般市民が金貨を見ることなどまずないのだ。(貴族と比べてはいけない)

「怪しい物など入っていないと、皇帝の名の下に誓おう。好きなだけ持ち帰ると良い。我が国の上質な塩を、存分に堪能せよ」

 ラドスラフの言に、文官とメイドのテンションが静かに爆上がりしたのは言うまでもない。

 一方サシャは、思う存分近くでルスラーンの凛々しい顔を見られて、最高潮に興奮しすぎて、たらりと鼻血を出すはめになった。――が、それでまた『え!? 今度は鼻血!? 大丈夫ですか!?』と心配してもらえて、幸せだった。
 ちなみにタウィーザは、南国独特の色気があり過ぎて、好みではなかった。

 

 ※ ※ ※
 


「やれやれ、さすが大帝国皇帝。すごい迫力だったなァ」
 部屋に戻ったタウィーザは、簡易ベッドに腰を下ろすと、グラスに水を注いで一気にあおった。
 側近として同じ部屋に軟禁されているはずの、ヒルバーアの姿は、どこにもない。
「……やはりか。悲しいなァ」
 ギュッと目を閉じたタウィーザから、涙がひとすじ流れる。
「信じたくはなかったが……俺の甘さだな。腹を決めねばなるまいなァ」
 膝の上で拳を握りしめて、それから、思う存分――泣いた。



 ※ ※ ※
 
 

 ローゼン公爵邸、フィリベルトの自室。
 
「約束通り、アドワは引渡し完了ですわ。確かに拘留されました」
 
 リンジーは、扉前に直立不動の姿勢で報告をしていた。
 
「それは良かった。父上も無事が確認できている。訴状はクラウスが受理した」
「はやっ! ほなザウバアは」
「早朝、近衛が捕獲に動いた――が」

 チラ、とフィリベルトは手元に置いてある、緊急通信の魔道具に目をやる。

「まさか」
「本部まで大人しくついて来たものの、先に収容されていたハーリドとともに、忽然と姿を消したらしい」
「っはあー!? 騎士団本部どないなっとんねん! 警備ザルか!」
「はあ……ゲルルフがな……」

 フィリベルトが珍しく頭を抱えたのも無理はない。
 騎士団長の迂闊うかつな『あれは呪い』発言で、全ての騎士団員が、ハーリドやその周辺に関わるのを拒み、及び腰になってしまっていたのだ。致し方ないが、騎士団の失態としか言いようがない。
 
「ジャンは何しとったん!?」
「ルスとともに、ブルザーク皇帝の謁見対応だ。アリスター殿下も同席されていたから、仕方ないにしても」
「……なんか臭うんやけど。めっちゃ嫌な予感」
「その通りだ。。この照会依頼書を読んでくれ」

 ヒルバーアとの取引は、アザリーで投獄されている六番と七番を救う代わりに、ザウバアの側近であるアドワを引き渡す、というものだった。しかも、宰相の命は自分次第だと。

 条件である『刑執行差止め要請書』は、タウィーザとフィリベルトの連名で最速の鷹で送り(普通の馬車で十四日かかるが、訓練された希少な鷹なら二日で届けられる)、取引成立。返事代わりにベルナルドの筆跡で「無事だ」という一文と、いくつかの宰相業務に関わる書類が、証拠として送られてきたのだった。

 そして今――アザリーの摂政から法務大臣のクラウス宛に照会依頼が届き、フィリベルトの手元に王宮から転送されてきていた。
 
「これは……」
 中身を読んだリンジーは、目を見開いた。
「間違いない」
 フィリベルトが、眉間に深い溝を作っている。
「……」
「焦りは禁物だ。幸い大義は今、マーカムにある。ヒューゴーがハーリドの闇魔法を検知・記録できたんだ。それももちろん訴状とともに証拠として提出してある。国として正式に『アザリー』へ何らかの罪は問える」

 第三騎士団が属性検知の魔道具を所持していたことは、師団長自ら作成した実験具、で押し通した。ラザールは案の定しかめっ面をしていたが。

「とにかく、わいは学院に」

 ――なんとしてもゼルを、護らなければならない。

「……」
 フィリベルトは、下唇を噛む。
 タウィーザを救ったレオナは、目が覚めているものの倦怠感がひどく、まだベッドから起き上がれていない。本人は疲れただけ、と笑うが、相当に消耗が激しかったことを物語っている。
 死蝶の呪いは、リンジーいわく、自身の命を犠牲にして行うもの。全身が青黒くなれば術者も死ぬが、それまでは――

 アドワはほぼ染まっていたが、ハーリドはまだ

「フィリ様」
 リンジーが、片膝をついて頭を下げる。
は、まさに我が汚点。どうか雪辱せつじょくの機会を頂きたく」
「汚点でもなんでもないが……ふう。ずるいなあ」
 フィリベルトは諦めたように笑った。

 危険だと分かっていながら、また部下を送り出さなければならない。
 フィリベルトとて、そんな命令を下すのは嫌だし、したくない。
 だからリンジーはいつも、こうして自ら背負ってくれるのだ。
 
「なんでもするのが、わいの流儀やで?」
 顔を上げてニヤッと返す、優秀な部下に
「――頼むから。無事で。絶対に帰ってきてくれ」
 いつだって懇願するしかできない、無力な自分が嫌になる。
しかと」


 リンジーはひざまずいた姿勢のまま、じわりと闇を作り出すと、やがて煙のように消えた。

「……追い込まれた死蝶どもは、危険だぞ……」
 フィリベルトは、祈るしかできない自分が、心底歯がゆかった。
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