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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀
〈91〉砂漠の王子24
しおりを挟む――公開演習前日。
朝からマーカムの王宮は、慌ただしかった。
「お部屋の御用意はっ」
「国王陛下と王妃殿下に先触れを!」
「第一王子殿下はどちらに!?」
朝一番の伝令で、ブルザーク帝国皇帝が王都入りした、との連絡を受けたからだ。
ブルザークの書記官兼外交官で、前もってマーカム入りをしていたサシャは、起こしに来てくれた客室メイドからその連絡を受けて――ようやく肩の荷が下ろせることを喜ぶべきなのか、共にいるだけで緊張で腸がひっくり返りそうな存在=皇帝に、再び相見えることになるのを悲観すれば良いのか、分からなかった。
目覚めたばかりの頭には、少々酷だ。
「でででも、よ、ようやくですねえ」
意味深に、サシャは溜息をつく。
もそもそとベッドから這い出て、寝巻きからよそ行きに着替えると、ゴソゴソと鞄の奥にしまっておいた書類を取り出し、念のためもう一度目を通す。
「こここれもまた、れれ、レオナ嬢のおかげですねえ」
『皇帝の赤』だとラドスラフが珍しく大層ご執心な、ローゼン公爵家の令嬢を、サシャは復興祭の夜会で見ていた。
その見た目の凛とした美しさはさて置き、女性に無知で無関心なサシャでさえ、話してみたいという興味をそそる、不思議な雰囲気。くるくる変わる表情を扇で隠そうともせず、大帝国皇帝にすら臆することのない態度。果ては求婚? までぴしゃりと断ったとか。
それから始まった手紙のやり取りは、ラドスラフに多大なる刺激と、新たな知見を与えたようだ。
『サシャ……これは、お前が唯一役に立たない分野だなあ』
――一体どうしたら、口説き落とせるのだろうなあ?
と、皇帝はレオナからの手紙を読む度、不敵に微笑むのだ。
『むむむりですね』
正直にそう言ったらデコピンされて、また三日寝込んで、気づいたら馬車の荷台に放り込まれていて、マーカムに向かっていたわけだが。
その脇には、適当に投げ込まれた鞄が二つ。一つには着替えと礼服が詰め込まれていて、もう一つには――
(むむむちゃすぎるううあうあ~……)
馬車の中での、あの絶望感を誰かと共有したくても、旅のお供は陸軍大将アレクセイ。帝国軍の中でも、よりにもよって一番サシャを毛嫌いしている人物であった。
「うううう」
溢れてくる涙が止まらなくて、一日中ズビズバしていたら、
「なんと情けない! 直々に鍛えてやろう! 表へ出ろ!」
と馬で併走していたアレクセイに言われて、ショックでまた三日寝込んだ。
目覚めたらマーカムに着いていたので、ある意味良かったと思い、だが王宮へと言われて、たちまち腹が痛くなった。
どう逃げようかと考えを巡らせていたら、王宮で出迎えてくれた、マーカムの王国騎士団副団長があまりにも美男で、サシャはあっという間に元気になった。
――ブルザークには絶対にいないっ! 麗しさと品位と、闘争心の共存んんんん! 最高かっ!! しかも『麗しの蒼弓』だとぅっ! 最高だっ!!
思わずハアハア・フヒフヒしながら名前を聞いてしまって、だいぶ怪訝な顔をされた。
ジョエル・ブノワと名乗った副団長は、長い前髪で片目を隠していたので、欲望を抑えられなくて、是非そのご尊顔を! と迫ったら、ものすごい早足で逃げられてしまった。
代わりに、びっくりするほど冷たい灰色な、魔術師団副師団長に『貴殿の部屋はあちらだ。要望があればメイドに。では』と最低限の案内を受けた。
嫌われた! とショックでその部屋に引き篭って、ひたすら皇帝が来るのを待っていた地獄の数日間が、ようやく終わりを告げる。
暇つぶしに王宮の庭を歩こうものなら、不審者扱いされるし、ならば本でも借りようと王宮図書室に行ったら、近衛の制服を着たものすごく背の高い、黒くて凛々しい人に尋問を受けるしで、散々だった。
だが、ブルザークの外交官だと名乗ったら、その近衛の彼は大変に恐縮して、丁寧に謝罪してくれた。しかも後でその彼こそが『漆黒の竜騎士』だとメイドに聞いて、そうと分かっていたら色々質問したかったのに! と自分を責めた。
後日また会えないかな、とウロウロしていたら、再び魔術師団副師団長に会ってしまい、ものすごく訝しげな顔をされたので『ああああの、漆黒の竜騎士様におおお会いしたくて!』と馬鹿正直に言ってしまい。
『ルスラーンは残念ながら任務で別の場所に。御用なら後で訪問させましょうか』
と言われてドッキン! と心臓が爆発しそうだったので『いえいいですごめんなさい!』
バビューンと逃げた。
完全に不審者だし、なんなら漆黒の竜騎士――ルスラーンてまた、素敵なお名前だ――にも嫌われたに違いない、と部屋に入るなりショックで失神した。
扉から入ってすぐの絨毯の上で失神する他国の外交官に、メイドが気遣ってブランケットを掛ける光景なんて、悲惨すぎて想像したくない。
――と、走馬灯のようにマーカムに来ての数日間を思い返していたら、なんだか、死にたくなって来たのは気のせいだろうか。
「あああやはり僕にはあああ」
ぐしゃぐしゃで、あちらこちらについた寝癖をそのままに、床にぺたりと座り込んだまま、サシャはまた泣いた。
「仕事しかないんだあああああ」
――コンコン
ノックの後、
「外交官殿はいらっしゃいますか?」
躊躇いがちな、凛とした低い声がした。
「う……は、はあい……いますですう。ズビズバ」
「失礼致します……えっ! 泣い……!? 大丈夫ですか!?」
「あわああああ漆黒のおおおおお」
いよいよサシャの涙腺が崩壊した。
ルスラーンが大変に困惑した顔で、だが床に片膝を着くと、サシャの背を優しく撫でてくれた。
「あの、こんな状態の時に大変に申し訳ないですし、申し上げにくいのですが――ブルザーク皇帝陛下が探していらっしゃいます」
「あああうあーーーすぐううういきますううううう」
「無理なさらずに、落ち着いてからで……」
「わーーーーーん! やっさしいいいい」
「えぇ……!? 普通ですし……」
「はわあああ困った顔もおおおかっこよーーーー」
「へ!?」
「ここにいたか」
威厳のある声が、サシャの耳を刺す。
なんと皇帝自ら、迎えに来てしまった。
恐らくそうとは言わず、勝手にルスラーンについて来たのだろう。そういう、無駄に行動力のあるお方なのだ。周りは大迷惑である。
ビックゥ!!
気の毒なぐらいに、サシャの華奢で細い体が揺れ、ルスラーンは本当に心配になった。こんなにひ弱なのに、大帝国皇帝の書記官兼外交官など、務まるものなのだろうか? と。
「サシャ」
「ははははいいぃ」
「泣きやめ」
ピタリ。
「よし。来い」
ビャッと無言で皇帝に駆け寄る様を見て、ルスラーンはますます困惑した。
――まるで犬の躾だな……
ジョエルが『僕あの子すごい苦手ー』と言った意味が何となく分かってしまった、ルスラーンなのであった。
※ ※ ※
「いかにも」
サシャを伴って、マーカム国王と王妃に王の間で接見ののち、王宮内の最上級に豪華な客室に迎え入れられたブルザーク皇帝ラドスラフは、外務大臣ガウディーノから『アザリー第八王子をマーカムへ招いた、というのは真か』と問われ、即座に是と返した。
「余の招きである。その第八王子はいずこか」
「……保護してございますれば」
――拘留だな、とラドスラフはすぐに察した。
「会えるか?」
「もちろんにございます……ただ、不法入国の疑いで取り調べを行うはめになりました。次回からは事前に通達を頂きたく、お願い申し上げます」
「それはすまなかった。国政が未だバタついていてな」
アザリーの情勢を鑑みるに、タウィーザが来られるかどうかも不明であったためだが、それはマーカムも察するだろう、とラドスラフは読んでいる。
「今回の件は、畏まりましてございます。ただ、王宮客室は肩が凝ると仰せで、近衛宿舎においでです。少々お時間を頂けますか」
「無論だ。待とう」
「では、これにて」
――バタン
「……くく、食えない爺だなあ、相変わらず」
「お口がわるるるいですううう」
「サシャ。そんなに漆黒の竜騎士とやらの方が良いか? レオナといいお前といい、妬けるなあ」
「はううっ」
「クックック」
「まままた思ってもないこと言う! もももて遊ぶの禁止ですううう」
「仕方ないだろう。八つ当たりぐらいさせろ。くだらんことが多すぎるのだ……で、調べたか?」
「ははいー、今回のじじ獣粉も、みみ南のでしたねええええ」
「やはりか……いっそ潰すか……」
いちいちチマチマ喧嘩を吹っかけては逃げる反皇帝勢力が、いい加減鬱陶しくなってきた。アザリー第一王子に利用されるくらいなら、また血を伴ってでも――
「だめですよ」
サシャが真剣な顔で言う。
「古参を潰すには大義名分が肝要です。今はそれがない」
「……なかなか尻尾は出さぬか」
「残念ながら。まだ我慢の時」
「はあ。あーあ。レオナには会えるかな」
「……」
「お? ヤキモチか?」
「へ? んなわけないでしょ。ジョエル様に会えるかなって――あっ」
「お前は、つくづく懲りない男だなあ」
「しししみじみ言われると、すすすごく傷つきますうう……」
「はは。まずはアザリーからだな」
「その通りですううう」
「タウィーザもかなり見目の良い男らしいぞ? 楽しみだな?」
「ふぇっ!? ふぐうううまたそういうこと言うううう」
「わはははは!」
――一方その頃、ぶえーっくしょい、と大きなクシャミをしたタウィーザであるが、迎えに来たルスラーンと少し剣呑な雰囲気になっていた。
ひょっとして俺、喧嘩売られてるのかなァ?
そんな勘違いをしたくなるぐらいに、ルスラーンの纏う空気が尖っているのだ。
「なんや? こここわっ! タウィ、なんかしたんか?」
ヒルバーアがぷるぷるしながら言い、が、がんばれ、と見送って部屋に戻っていった。側近役のくせに『皇帝!? 無理無理! 怖い! 行ってらっしゃい!』だそうだ。
「ふむ。何かしたかなァ?」
歩き出しながら問いかけるタウィーザだが、
「……」
ルスラーンからの返事はなかった。
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「……無視ではございません」
「じゃあ、何でも良いから言って欲しいなァ。さすがに気になるよォ? あ、無礼者! とか言わないからさァ」
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「っ、……巻き込まないで頂きたい」
「んん?」
「無礼を承知で。……レオナを……レオナ・ローゼンを、巻き込まないで頂きたいのです。大切な……友人の妹なので」
ああ、とタウィーザは合点がいった。
王立学院でハーリドを取り押さえた騎士は、彼だった。
恐ろしいほどの覇気を身に纏い、あの場でおそらく最も高い戦闘力を誇っていた、漆黒の竜騎士と名高いドラゴンスレイヤー。
――ゼルの恋敵、なのだな。
なかなか、他国の王族に楯突いてまでは言えないぞ?
まっすぐな情熱が、好ましいな。良い男なのだな。
「それは、悪いことしたと思ってるよォ、本当に」
「……」
本心である。
レオナはタウィーザの、命の恩人でもあるのだ。
危険なことには、関わらせたくない。
できればこのまま平和にと願うが、向こうが勝手に仕掛けてくるのだ。――ならばいっそ、深く関わる方がマシ、という状況なだけなのである。
――漆黒の竜騎士の恨みを買うのは、嫌なんだけどなァ
苦笑ののち、タウィーザは立ち止まり、静かに告げた。
「出来る限り。今はそれしか言えない」
ルスラーンも立ち止まり、前を向いたまま、さらに苦しげに言う。
「っ……もし。彼女に何かあれば」
「わかった。その時は、あなたの報いをこの身で受けよう」
バッ! と、ルスラーンが驚きで振り返る。
他国のとはいえ王族が、一介の近衛騎士に何を!? と。
「アザリー形式で悪いが」
タウィーザは微笑むと、拳を突き出した。
「――血には血で」
「!?」
戸惑うルスラーンに、
「こうするんだよォ」
自分で自分の拳同士、ゴツンと乾杯のようにぶつけて見せる。
それを見て、ルスラーンは恐る恐る、拳を出した。が、ぶつけるのはさすがに躊躇している。
タウィーザは、その拳をあえて強くゴツン、と殴ってやった。
「これがうちの国の、男の誓いなんだァ。酒があればもっと良かったんだけどォ」
そしてまた、歩き出す。
「――俺は、色々してきたけど、約束だけは破らないって、決めてるんだよォ」
「あり……がとう、ございます」
「いいえェ」
これは強敵だぞ、と兄として弟を想う、タウィーザであった。
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