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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀
〈89〉砂漠の王子22
しおりを挟むザアーン。
鮮やかな青い海に白波が立って、寄せては返す白砂の浜で、自由に踊る少年がいる。
『兄者ー!』
こちらに気づくと、笑顔で大きく手を振ってから、また踊り出す。
彼が両足首につけた金銀のアンクレットが、跳ねるたびシャララ、シャララン、と耳心地の良い金属音を響かせ――波の音と合わさって、まるで音楽のようだった。
あれを、ただの闘神の生まれ変わりなどと言うな。
俺の大切な――
ざんっ!
いきなり視界が暗くなった。
コーローセー……
ドロドロに溶けた、真っ黒で臭い肉汁が、頭の上からぼたぼたと降ってきて、綺麗な思い出を穢していく。
コーローセー……
男か女か判別がつかない、腐臭を伴う肉塊が、意志をもって覆いかぶさってくる。
『嫌だ!』
アイツガ、シヌヨ?
『いやだ!』
コーローセー!
黒いだけの二つずつの穴蔵が、いくつも、いくつも、あらゆる方向から、じっと自分を見つめている。
コーローセー、コーローセー!
コーローセー、コーローセー!
増える。どんどん増える。どんどんどんどん重くなる。
沈む。ズブズブ沈む。何も見えなくなる。ズブズブ沈む。
臭い。ドロドロ。動けない。ドロドロ。苦しい。ドロドロ。
嗚呼……
もういいか。もう一度会えた。
あの日から何も変わらない、愛しい弟。
無邪気に『兄者』と呼んでくれた、自分を恐れない唯一の……
ずろずろ、ずろずろ。
ヌヌヌヌヌヌ……
沈む。眠い。寝ている? 眠い。起きたくない? 寝ている。しずむむむムムム……
闇、闇、闇。
どのぐらい眠った?
闇。闇。闇。
――……ィーザ様っ
?
――タウィーザ様!
ダレ? ソレ
――タウィーザ様!! タウィーザ様!!
ンー、ウルサイナァ……
――タウィーザッ!! 起きて! 帰ってきて!
ウルサい……
――起きないと! ゼルが! タウィーザッ!
ゼル? ゼル……ゼルヴァティウス……
……ズササササ……ヌロロロロ……
黒いドロドロが、少し引いた気がする。
――そう! 起きるのよ! ゼルのために!
そうだよなァ、ゼルのために、遥々……
――そうよ! 起きて!
止めないと。
――貴方の愛しい弟が、殺されてしまう!
っ!! それだけは、許さんっ!!
……だがもう、何も見えないのだ……遅かった……
――こっちよ……こっちよ……
ん?
――こっちよ……こっちよ……
嗚呼……綺麗だ。
暗闇の遠くに、きらきらと光って浮く、一本の赤い薔薇が見える。
――ここよ。……ここに。来て。こっちよ……
フラフラと誘われ、タウィーザは一歩、そしてまた一歩と、踏み出した。
ぬぶり、ぐじゃり、と足音がする。足の裏が、ぐじゅぐじゅとぬめって、うまく歩けない。何度も足を取られる。遠い。重い。だが、一歩一歩、進む。
オオオオオ……
オオオオオ……
踏むたびに、何かが嗚咽するが、知ったことではなかった。
――もう少し。頑張って。
嗚呼。
ありがとう、薔薇魔女よ。もうすぐ……
――ふふ、さすがね。とても強い魂。
うん。
これでも、守護神の生まれ変わりだからねェ。
――そう。だから、間に合った。――
※ ※ ※
カーテンの隙間から漏れる陽の光が、瞼を焼いていた。
眩しさですぐには目を開けられなかったが、胸の上にとても良い香りのする、ずしりと柔らかく温かい――経験によると、女性に違いない――存在を感じ、タウィーザは無意識に抱きしめようとしたが
「そこまでは許していないぞ」
絶対零度のヒヤリとした声とともに手首を捕まれ、その動きを阻まれた。
すう、と顔の上に影が落ち、ようやく目を開けられたタウィーザは、それが誰なのか、すぐには分からなかった。
察して、相手が名乗ってくれた。
「お初にお目にかかります、タウィーザ・アザリー殿下。私は、フィリベルト・ローゼンと申します」
「……なるほど。貴殿が」
「ええ。レオナの兄です」
ローゼン公爵家の、と言わないところに好感を持ったタウィーザは、まず周囲に目を配る。すると、自身の胸の上にレオナがいることに気づき、息を飲んだ。――すうすうと、寝ているように見える。
「妹が、大変な失礼を。お見舞いをしていて、気疲れしたようです」
氷の貴公子と名高い、冷たい美貌の公爵令息のその言を、丸ごと信じるほどタウィーザは馬鹿ではない。
「……礼を言わねばならない」
「お見舞いへの、ですね?」
フィリベルトはニコリ、と口角を上げる。
タウィーザは、胸の上にレオナを乗せたまま、苦笑するしかなかった。
すると、無言でカーテンを開けてスルリとヒューゴーが入ってきて、レオナを軽々と横抱きにし、また無言で連れて行った。隣のベッドへ寝かせたようだ。カーテンの閉まる音が聞こえ、こちらのカーテンも外から再び閉められた。
「さて、殿下。目覚められたのでしたら……不法入国の聴取に備えなければなりません」
「ハハ。起きたばかりで、キツいなァ」
よいしょ、とタウィーザは上体を起こす。
フィリベルトがそっと背を支えた。
「水をもらいたい」
「はい、こちらに」
通常なら、公爵令息がすべきことではないが、この場所には二人しかいない。
「ありがとう」
またタウィーザは、苦笑した。
ごくり、ごくり、とグラスの水を飲み干して、聞く。
「公開演習はどうなった?」
「まだ、三日前です。殿下」
「それは僥倖」
ブランケットの上で、右拳を握り締めながら
「間に合ったのなら、止めよう」
強い目力が、フィリベルトを貫いた。
※ ※ ※
「どうなってるノ!」
ガシャーンッ!
王宮内にある、豪奢な客室のうちの一つで、ザウバアは杯を気弱そうな側近へ投げつけた。実際には彼のところまで届ききらず、床に落ちて――派手に割れた。側近は、それぐらいにザウバアから離れて、床に平伏していた。
「アドワはまだ見つからないノ!? ハーリドは、なんで戻らないノ!? 王女はいつ戻ってくるノ!!」
「ち、調査中にございます……」
「昨日も同じ! いつ分かるノ!」
「……その、必死でお調べしておりますが、その……」
「ピオジェは!?」
「仕切ってはいるものの、資金源を絶たれたとかで……」
「団長は!?」
「新人訓練に忙しいと……」
「~~~っ、もういい! 出てっテ!」
「は、はい。失礼致します」
――くそ、くそ、くそっ
なぜか、ザウバアの手駒がみんな消えてしまった。
氷の宰相のもとへ行ったアドワ、学院に潜入していたハーリド、他の間諜たち数名も、ここ数日でことの如く帰らなくなった。手元に残ったのは先程の、末端の、気弱な者だけになってしまった。
しかもなぜか騎士団長もピオジェ公爵も、そろって『忙しい』と、面会してくれなくなった。今は脳みそお花畑な、この国の第二王子ぐらいしか、話し相手がいない。
――くそ、くそ、くそ!
ガルアダのルビー鉱山は、時限爆弾のようなもの。
早めにナハラ部隊を入れなければ、弾けてなくなる。
アドワが戻らないということは、宰相暗殺に失敗したに違いないのだ。
早くカタをつけないと、と、賭けに出たのに……
――アドワとの繋がりが、バレたら。
アザリーの王族といえども、マーカムでザウバアは縛り首になる。
それほど、マーカムとの国力に差があるし、宰相というよりもローゼン公爵家の地位は重い。
ハーリドのせいだ!
全然あいつの言う通りにならないじゃないか!
始めのうちは、上手くいってたのに!
なんで! なんで! なんで!!
僕は、何がなんでも、王にならないといけないのにっ
……王女がいつ戻って来るのかを掴んで、交渉するフリして採掘権を奪って、公開演習で騎士団長に花を持たせて、何人か手練を騎士団に置いていって、帰るフリしてガルアダの他の鉱山も占拠して……
でも、宰相が死なないと、シュルークも死なない。
シュルークが死なないと、王になれない。
あ! そっか、そうだよね。
まず最初に、シュルークを殺さないといけなかった。
やっぱりそこが、間違っていたんだね。
ザウバアはうっとりと、投げつけて割れた杯を眺めた。
――こぼれた赤ワインが、まるで血のようだった。
※ ※ ※
「いやぁ、本当に恐ろしいなぁ」
「ですね」
ジョエルとブロルは、二人で馬を走らせていた。
フィリベルトに
「念のため、馬二頭分だけ用意した。持っていけ」
と言われて持参していたのは、馬に付ける魔道具で、休みなしに十日間最速で走れるというもの。但し、馬を潰してしまうから、緊急事態にのみ使え、と。
さすがに愛馬のアルクスに付ける気はせず、ごめんね、と思いながら、騎士団保有の軍馬に付けて来たジョエル。アルクスは今、アルヴァーが任されており、ガルアダの第一王女とともにマーカムの王都へ向かっている。
――ここに来てこの魔道具の性能と、フィリベルトの的確な読みに、腹の底が冷える思いをしていた。
「まーじで起こるんだもんなー、緊急事態ってやつー」
「……ですね」
「さっきから『ですね』しか言わねーしー!」
「必死なんすよ!」
「あ、ごめーん」
そういえば、ブロルは乗馬が苦手だった。このスピードはなかなかキツいかもしれない、とジョエルは思い直した。
「おー、良かった良かった、見えて来たぞーう」
「ですねえ!」
「もーすこーし」
「ですねええええ!!」
「おーい……止まれるのー? それー」
「……ですねえええぇーーー……ッ!!!!」
「ちょ、待ってー! 置いてかないでー!」
眼前に、肌色の山肌を剥き出しにした、荒涼とした山が見える。
近づくと、どんどん道の上にごろごろとした石や岩が増えてくる。
馬で走るのにも、なかなか気を遣うのだが、ブロルの馬はお構いなしに、物凄い速さで駆けていってしまった。
「あーあーあ……あ! あのままだとあいつ全員やっつけちゃって、僕の出番なくなるんじゃー!? ちょ、急がないとー!」
ジョエルは、わたわたと馬を急がせた。
が、自分の馬でないため、なかなか意思疎通が難しかった。
――ブロルは、命からがらなんとか下馬をして、入口に設けられた井戸から水を汲んでやり、馬に与えた。手綱は、放置されている東屋――恐らく、労働者の休憩所か何かだろう。長机とベンチがいくつも置いてある――の柱にとりあえず括りつける。
「ったく、苦手なことはしたくねーんだよ、俺はよお」
コォッと吸って。カァッと吐く。
ぶお、と、不穏な闘気をまとうブロルは、完全に武神の佇まいだ。
ズンズンと十歩ほど真っ暗な入口から中に入ったところで、どうしようもなくイライラし、激しく面倒くさくなってきた。
「ったく、どいつらだぁ? 山賊ってえのは? ……あーもう、探すのめんどくせえな。っうし」
ブロルは、すーっとまた息を大きく吸うと
「――でてこいやあっ!!」
と、力の限り叫んだ。
鉱山の中は、暗く曲がりくねった坑道や横道がたくさんあり、広いはずなのだが……その怒声はその大きさを保ったまま、ビリビリと頂上までつき抜けた。
おかげで、しばらくすると、ワラワラと両手を上げた山賊どもが、さほど時間も要さず入口まで降りてくることとなった。
ようやく入口に到着したジョエルが
「は? もう終わりー?」
と拍子抜けすると、ブロルが
「怒鳴ったら勝手に降りてきただけっすよ」
と不満そうに返す。両手の指を握ってバキバキ鳴らすので、山賊どもは震え上がった。
鉱山の労働者たちはさほど多くなかったので、占拠も簡単であったが……まさか騎士が来るとは思わなかった、許して欲しい、とまとめ役の男が泣きついてきた。
「雇い主、だあれー?」
「……それが、酒場で知り合って、すげえ酔ってて。奢ってもらって、さらに金もらって……誰かは覚えてないです……」
「はー? なーに言ってくれちゃってんのー?」
ジョエルがキキキ、と剣に手をかけ抜こうとする仕草で、まとめ役の男は大いに焦るが、叫ぶように言う。
「ほんとなんすよ! 俺、普段も酒飲むけど、あんなに酔ったことねーす! 信じてください!」
「俺たちも!」
「同じです! 覚えてねーです!」
仲間たちも口々に同じことを言う。
ブロルは引き続き指をパキポキ鳴らして威嚇したが、誰も彼もが同様の反応だった。
「「……」」
ジョエルはブロルと目を合わせる。
――こりゃあ、なんかされたな。
――ですね。
「まー、僕ら、マーカムの騎士団だからさー、ガルアダに引き渡すねー」
「えっ」
「ブロルー」
「もう通信してるス……えーと任務完了は、緑すね」
遠距離に音声は送れないが、かろうじて光は送れることを利用した、騎士団標準装備の簡易通信だ。カミロが開発したことにより、マーカム騎士団の指揮命令伝達速度に革命が起こったくらいの代物である。
ちなみに団長のはずのゲルルフは未だに『赤は……なんだったか……』と即時反応ができないが。
「じゃーみんな仲良く拘束ねー」
「ですねー」
「え? え?」
ブロルはサクサクと丈夫な縄で全員を縛り上げ、東屋の下に押し込んだ。
ジョエルは満足げにパンパン、と両手についた砂を払ってそれを確認すると
「水はそこねー。多分、二、三日もすれば収容しに来るからー。じゃーねー」
「え? え?」
言い捨てて馬に戻り、ブロルも従った。
「ゴメンだけど、帰りも飛ばすよー。演習に間に合わせないとー」
「ですねえ!」
「あはは! 意外とそれだけで会話になるー!」
「んですねええぇぇぇっまたかよおおおお……ッ!!」
「おーい、張り切りすぎだよおー!」
――麗しの蒼弓が、戻る。
その頃フィリベルトは、一人その緑を見て、笑んでいた。
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