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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀
〈88〉砂漠の王子21
しおりを挟む――公開演習まであと三日。
朝食後、レオナはフィリベルト、ヒューゴーとともに馬車に乗り込んだ。
服装は、華美にならないよう、シンプルな紺のワンピース。白いレースの襟と袖口が付いており、腰ベルトも白いリボン。足元も隠れるくらいの長い丈で清楚なデザインだ。
瞳の色を隠すための街歩き用眼鏡は、ゼルに貸しているので、同じく紺の大きなレースで顔を覆うようなデザインの帽子を被り、手には扇。仕上げに白いレースの手袋、で完全防備である。
普段から素顔を晒すのを嫌う貴族女性もいるので、違和感はない。
「騎士団本部に行くのは、初めてですわ」
「……そうか。まあ気負わなくても大丈夫だよ」
不安げなレオナに、フィリベルトが優しく言ってくれる。
療養中と言っているのに、ついてきても大丈夫かと聞いたら、レオナを一人で行かせる訳はないだろう? とアルカイックスマイルで言われた。
――過保護でシスコン健在です……だがそれが良いッ
「ふう。でもなんだか緊張しますわね」
「そうだね。聴取自体は大したことはないよ、ただの確認だから。ゼル君は無傷だしね」
「ええ、そうですわね」
マーカムとして、ちゃんと対応しましたよ~アザリーさん。外交問題にはしないでね~的なやつである。
「……」
「ヒュー? 心配?」
「……っすね」
「ふふ、ありがとう」
――帰って来られるかな……
「レオナ?」
「お兄様、一つお願いがございます」
「なんだい?」
「どうか、何か起きても……ルスには言わないで」
「……」
「そんなっ……」
フィリベルトは、ヒューゴーを目で止める。
ヒューゴーは、ぎゅっと拳を膝の上で握って、黙った。
「……良いのかい?」
「ええ」
「約束するよ」
「ありがたく存じます」
――私の元へ帰って来てね、なんて願っていたけれど。
「……着きました」
「行こう」
「ええ!」
※ ※ ※
騎士団本部の中にある、簡素な会議室のような部屋に通された。木の机と椅子がコの字に並べられている以外、何も無い。
各師団と近衛には、それぞれ詰所が別に割り当てられており、その中央に団長、副団長、各師団長と近衛筆頭が一同に会する場所がある。それを本部と呼んでいるのだそうだ。
だが、団長と副団長にはそれぞれ個室もあるし、ほぼ任務で不在である。実際は、事務方の騎士や文官が、書類を作成したり、緊急通信を受け取ったり、休暇など各種届出の処理や、備品の受け渡しを行う場所となっている。
さて、本日の聴取を担当するのは、なんとお馴染み? ハゲ筋肉こと、イーヴォである。
部屋に入ってくるなり、また全身を舐め回すように見てきて、背筋がゾワゾワしたがひたすら耐えるレオナ。
特に今日は、大きな帽子を被っているせいか、胸の辺りを集中してジロジロ見られて、危うくフィリベルトがまた吹雪を発生させるところだった。
ヒューゴーは入室を許可されていないが、もしも同席していたのなら、また熊の一匹や二匹倒せそうな殺気を発していたことだろう。
「今日は、嬢ちゃんだけを呼んだはずなんだが?」
開口一番、イーヴォは言う。
――まさか、密室で二人きりで会うつもりだったの!?
貴族令嬢に対して、ありえないんだけど!
「……王国第一騎士団、師団長代理ともあろうお方が、マーカム王国騎士団行動規範をご存知ないとでも?」
フィリベルトの声色は、絶対零度だ。
「む」
「近衛規範は? 師団長たるもの、全てを即座に且つ正確に諳んじられなければ……」
「あー! もういいっ!」
バンッと持っていた紙をテーブルに叩きつけた。
――絶対覚えてないし、なんなら読んですらいないな……
「書記係と聴取補佐はどちらに?」
フィリベルトは、淡々と問う。
「貴殿おひとりで行うとでも? 客観性をどのように証明されるおつもりか、お聞かせ願う」
「ちっ」
レオナは、薄ら寒い思いがした。
もし、療養中であるからと、フィリベルトが同席していなかったら……
「ローゼン公爵家として、厳重に抗議させて頂く」
フィリベルトは、毅然と言い放った。
「あ? はん、ただの息子にそんなこと」
「委任状をお見せしようか。私は正式な公爵家当主代理だ。あとで写しを届けさせよう」
当主代理の委任状がある、ということは、公爵家当主と同じ扱いである。
「ぐっ」
「聴取の体をまるで成していないが、騎士団長は把握されているのか?」
「決まってるだろ!」
「結構。では」
フィリベルトは、レオナの手をそっと持った。
「行こう、レオナ」
「お兄様?」
「団長は今の時間なら、新人訓練所だ」
「は、はい」
「おいっ、まてこら、勝手に!」
イーヴォは、まずいことに、フィリベルトの肩を掴んで強引に引き戻した。
「……痛っ」
フィリベルトは、後方に大きく転んで、尻もちを着いた。
側にあった椅子がガタン! と音を立てて、倒れる。
「お兄様っ!! 誰かっ! だれかーっ!!」
レオナは、大声で力の限り叫んだ。
「ちょ、おい! 大袈裟な……」
「どうしましたっ!?」
「一体何がっ!」
さすが騎士団本部。
レオナの叫び声を聞きつけて、あらゆる詰所からたくさんの騎士がやってきて――肩を押さえて床に座り込んでいる、ローゼン公爵令息を発見した。
「この方がっ! いきなりお兄様に暴力をっ!」
よよよ、とレオナは、泣く。
「おいまて! 暴力なんざ」
「ひどいっ! お兄様が、何をしたと言うのですか!」
「っ……だから、黙れっ!!」
――顔を伏せたままの、フィリベルトの肩が、ブルブル震えている。
「お兄様っ! どなたか! 休養室は、どちらですのっ!?」
「あっ、こちらです!」
幸い、案内してくれる騎士が現れた。
「ああっ。お願いです! どうか、どなたか! 兄に肩をお貸しくださいませ!」
「はっ、はいっ!」
「うう。ありがたく存じます……うう」
「ご令嬢! お気を確かに!」
「大丈夫ですっ! すぐにお運びしますからっ!」
さすが正義感に満ち溢れる騎士達は、救わねばと思うと行動が早い。
「うう……ヒック、ヒック」
扇で顔全体を隠し、レオナは運ばれていくフィリベルトについていく。一人の騎士が、優しくエスコートしてくれた。
「大したことありませんよ、大丈夫ですよ」
「まぁ……お優しい……ありがたく存じますわ……うう」
レオナは、その騎士の気遣いに、心がチクチクと痛んだ。
ハゲ筋肉が今、どんな顔をしているのか、レオナには全く興味がなかった。
なぜなら、室内になだれ込んできた騎士達は、皆がみんな『ついにやったか』とでも言いたげな、蔑んだ目線をイーヴォに向けていたからだ。
「ほら、もう着きましたよ。診てもらいましょう、きっと大丈夫ですから」
エスコートしてくれた、ベテランと思われる騎士に深く感謝をし、レオナは他の騎士達にも丁寧にお礼をすると
「こちらこそ、大変申し訳なく!」
「失礼を致しました!」
「不甲斐ない! 申し訳ない!」
とむしろ大変に恐縮されてしまったので
「とんでもございません。すぐに助けに来て頂いた皆様の勇気と、お心遣いに大変感動致しました。さすが我が王国の誇る騎士団の皆様ですわ! 心から感謝申し上げます」
できる限り精一杯フォローしておいた。
――巻き込んじゃって、ほんとにごめんなさい!
みんな、ほんっとうに良い人ね!
余談だが後日、
「なんて可憐で、奥ゆかしい方だったのだろう」
「誰だ、薔薇魔女なんて言ったやつ」
「……美しかった……いい匂いがした……」
「俺も褒められたい!」
と騎士団にレオナ・フィーバーが巻き起こってしまったのを、本人は知らない。
(ジョエルが懸命に火消しをしようとしたが、歯が立たず諦めたし、なんならむしろ魔術師団にも飛び火した。)
※ ※ ※
治癒士が、軽い打撲でしょうが念のため、と治癒魔法をかけてくれた。
休養室でしばらく休んでから帰宅する旨を告げ、レオナとフィリベルトの二人になった。
やはり、フィリベルトの肩はブルブルと震えたままだ。
「おにいさまー?」
「クックック……やり過ぎだよ、レオナ」
「あのぐらいやらないと、気が済みませんわ!」
「……そうだね」
ずっと気丈に振舞っていたが、シャルリーヌはかなり落ち込んでいた。なにせ、子供が産まれて『子供達の未来のためにも、国を守らねば!』と任務に張り切っていた義兄であるセレスタンを、間近で見ていたのである。
それが、しょうもない理由で一時降格の上に謹慎処分など、理不尽にも程があった。
「きちんと機能していれば、即刻退団だろうけど。怪我が軽いからな……」
とフィリベルトは溜息をつく。
とはいえ、あれだけの騎士達に目撃されたのだ。処分なしではいられないだろう。
――一応、リベンジできたかしら。ハゲ筋肉め!
だから客観性が大事って、少しは分かったかしら?
フィリベルトは、さすがの煽りだった。まんまと乗ったイーヴォに同情の余地はない。
「ま、あとは任せよう」
ジョエルの仕事は、現在溜まりに溜まって、机が書類で埋まってしまって全然見えない、と噂されている。
またクッキーを差し入れなければ、とレオナは心に決めた。
「……」
ふと、人の気配がした。
「ヒューゴーか、入っても大丈夫だよ」
フィリベルトが言うと
「は。失礼します」
ベッドを囲んでいるカーテンの向こうから、そっとヒューゴーがやって来た。苦笑している。
「思ったより、すごい騒ぎでしたね」
「レオナがね……」
「あー」
「だって! ……あーって何!?」
「なんでもねっす。それより、場所、分かりましたよ」
「――そうか。……レオナ」
「ええ。参りましょう」
レオナの心は、決まっている。
フィリベルトが案内されたのは、軽傷用の休養室だったようだ。重傷用の部屋が別にあり、タウィーザはそこにいる、とヒューゴーが騒ぎの間に突き止めてくれたのだった。
フィリベルトの時は、昏睡してすぐにレオナが呼びかけた。タウィーザは、二日経っている。
相当に深く潜ってしまっているだろう。
重傷用の休養室の入口には、騎士が一人立っていた。『一般人』だが不法入国の疑いがあるため、見張り付きの扱いになっている。
始めのうちは治癒士が診ていたようだが、原因が分からない、と今はただ寝かされている状態だそうだ。
どうやって中に入るのだろう? とレオナが疑問に思っていると、フィリベルトはその騎士に手のひらを広げて何かを見せた。
騎士は、目を見開いて驚くと、無言で礼をし、中へ、と手で示す。
――王国騎士団第三師団長の徽章。
マーカムの象徴である森と大地に、第三、という文字だ。(ちなみにガルアダは山と水晶、アザリーは空と鷲、ブルザークは海と帆船)
金で作られた小さなバッジは精巧で模倣は難しいが、魔力を通すと数字が青く光るのが、本物である。――
三人で礼を返し、同じく無言で入室する。
窓際に頭を向けて五台並んでいるうち、カーテンで覆われた一番奥のベッドが、目に入った。廊下側に頭を向けたベッドも五台並んでいるが、全て空だった。
空気が静まり返っていて。
――人の気配が、しない。
奥に進み、ヒューゴーが、そっとカーテンを開ける。
はたしてタウィーザが、静かに横たわっていた。
「ッ……」
レオナは息を詰める。
のほほんと話す彼の姿からは想像もつかない、今の姿に……やり場のない憤りを感じる。
ほんのわずかしか知らなくても、明るく料理を差し出して、ゼルに優しく微笑んでいた兄の姿は、まだ記憶に新しいのだ。
「お兄様の時は、すぐに呼びました。けれどタウィーザ様は――きっとずっと深い所にいらっしゃいます」
「うん……私とヒューゴーがずっと側にいるからね」
「はい。お兄様」
ぎゅっとハグをする。
離れて、そっとレオナの頬に触れるフィリベルトの手は、冷たい。
ヒューゴーは、静かに礼をした後カーテンの向こうに出た。見張り役だ。
「心配なさらないで。大丈夫です」
レオナは微笑む。
「では、やってみますわね」
タウィーザのがっしりとした体躯を、ブランケットごと上から抱きしめるように、覆い被さる。耳で呼吸を聞いてみると、フィリベルトの時と同様、とても弱い。だがまだうっすらと、胸が上下していた。
――まだ間に合うはずだわ。
レオナは目を閉じて、心の中でタウィーザの名を呼んだ。
……何度も。何度も。何度でも。
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