【本編完結】公爵令嬢は転生者で薔薇魔女ですが、普通に恋がしたいのです

卯崎瑛珠

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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀

〈75〉砂漠の王子8

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 それは、一瞬のことだった。


 ――数時間前、王宮所有の、とある小高い山の頂上にて。
 
 
「ほウ! あなたがローゼン家の! アリスター殿下からお噂はかねがね聞いてましタ」
「光栄です、殿下」
 ザウバアはゼルの言う通り、可憐な少女と見紛うほどの外見だった。
 煌びやかな金のアクセサリーを、絶妙な肌見せで身にまとい、色香を振りまく死蝶とは言い得て妙。
 だが、油断のならない碧眼に、フィリベルトは背筋の凍る思いがした。一体どれほどの修羅場を潜れば、このような目が出来るのかと。
 
 ヒューゴーが背後で気配を尖らせるので『肩の力を抜け』と言おうと、微かに意識を逸らした。
 
 その一瞬の隙に、ザウバアに右手を取られた。
 
 咄嗟のことに反応が出来ずにいると、大袈裟な仕草で手のひらを覗き込み
「おお、なんと珍しい星の元に産まれたのでしょウ……側に凶星があるでしょウ? 真っ赤で大きナ」
 そのまま無遠慮に、手のひら上を指先でくるくると撫でながら、ニコニコと言ってのける。
「凶星とは……」
「美しいが、不吉なものデス」
 じいろり、と今度は目の中を覗き込まれる。
「油断をすると、食われますヨ」
「殿下」
 お戯れを、と言う前に、ザウバアに弄ばれている右の手首を、さらにむんずと掴まれた。
 
 ザウバアの背後に居た大きな肉の塊、ではなく人間から伸びてきている黒い拳だ、と分かるや否や、ヒューゴーが素早く解いてくれた。ゼルの言う『狂信者』とは彼のことだろう。
 側近二人が無言で牽制し合うが、ザウバアは涼しい顔で
「今日は楽しみにしていたんダ。よろしくネ」
 とするりと踵を返した。
 黒いフードを目深に被っているその側近は、たっぷりと余韻を残してから、その後を追った。
 
「……フィリ様、大丈夫でしたか? 申し訳ありません」
「いや、あれは防ぎようがなかった。私もザウバアに気を取られすぎた」
「お怪我は?」
 念のため袖をまくってみると、手首に赤い手型が付いていた。あの短い時間でよく、とフィリベルトは逆に感心してしまった。
「……あんにゃろう」
 ヒューゴーが歯ぎしりをする。
 大層無礼ではあるが、しいて訴えるほどのものでもなく、絶妙な加減に苦笑した。
「二度目はない。そうだろう?」
 ヒューゴーが険しい顔で頷いた。

 その後、クジで決めた順番通りに、馬上で鷹を放ったフィリベルトは、腰の小さな鞄から肉塊を出し、相棒が獲物を取ってくるのを待っていた。
「?」
 ふうわりと、不思議な香りが漂ってきた気がする。

 と。


 ざん


 突如目の前が真っ黒になった――



 ※ ※ ※

 

 真っ暗闇の中。
 立っているのか、寝ているのかすら判然としない。
 前後も、左右も、浮いているのか、沈んでいるのかも。
 
 
 ただ、遠くで、誰かが泣いている。
 

 あああああん。あああああん。
 ――?


 あああああん。あああああん。
 ――レオナ? 泣かないで。
 

 おにいさまぁ。おにいさまぁ。
 ――どうした? また誰かに何か言われたのかい?


 ううう。いかないでぇ。うううう。
 ――うん。わかったよ……でもここがどこか分からないんだ……


 ううう。いっちゃだめぇ。うううう。こっちにきてぇ。
 ――ああ、光が差してきた。柔らかくて、温かいな。そこに行けば良いんだね?

 
 お兄様ったら。気をつけてって言ったでしょう?
 ――気を付けてはいたんだよ……

 
 お兄様、大好き。……戻ってきて。
 ――うん。私も愛しているよ。

 
 私の命、いくらでもあげるから。戻ってきて。
 ――命は、どうか大切にしてくれ。大丈夫、戻るから。

 

 ※ ※ ※

 

 はたり、と温かい何かが頬に落ちた。
 じんわり白く霞がかった視界には、深紅の。


 
「お兄様!」
「――ただいま、レオナ」
 美しい双眸から滴り落ちる涙が、フィリベルトの頬を濡らしていた。
「あああああ」
 途端に、レオナが子供のように大口を開けて泣き出すので
「ありがとう、呼んでくれて」
 ベッドから半身を起こして抱き寄せた。
「うあああああん」
「……ごめん、無理させたね」
 フィリベルトの胸の中で、レオナは首を振った。
 膨大な光の魔力を注がれたのを感じたフィリベルトは、レオナの背を撫でながら、もう一方の拳を開いたり閉じたりして体の具合を確かめた。異常も痛みもなさそうだ。


 深い深い闇の底で眠っていたら、一筋の光が届いて、目を覚ました。
 そんな感覚。
 

「もう大丈夫だよ」
 レオナはうんうんと頷いて、そのままくたりと伏せて動かなくなった。
 安心して気を失ったのだろう。フィリベルトは慎重に抱え上げ、自身の横に寝かせた。あどけない寝顔に涙の道筋が何本もできていて、胸に刺さる。そっと指で拭ってから、ブランケットをかけた。

 意識はなかった。この身に何が起きたのかも把握していない。だが、確かに命に関わるものだったはずだ。
 
 それをレオナが、
 
「みんなを、呼んできてくれるかい?」
 いつの間にか、部屋の隅に佇んでいたリンジーに頼むと
「っっ……の前に。まずは無事で何よりですわ」
「ああ、心配かけたね……それで」
「はい……恐らくは闇魔法の一種やと思います。心当たりいくつかありますよって、調べときます」
「頼む」
 鼻を一度啜り頷き、従順な影はシュンッと消えた。
「ふー……なるほど。死蝶、か……」

 ザウバア、またはその側近の仕業なのか不明だが、もしそうであれば大変恐ろしい。
 注意のしようもなく、であれば対策のしようもない。リンジーといえど、調べるのは容易ではないであろう。
 フィリベルトは、レオナの頭を撫でながら空を睨んだ。

 それから数分も経たないうちに、部屋になだれ込んできた公爵家関係者とともに、フィリベルトとレオナが公爵邸に帰宅した頃には、夕方になっていた。
 誰の思惑か――ベルナルドの判断で『落馬事故』として処理されたこの案件は、公開演習からフィリベルトを遠ざけることに成功した。一般的に考えると、どんなに優秀な治癒士にかかろうと、復帰には相当の時間がかかる。
 そのためフィリベルトは、療養を理由にしばらく公爵邸に籠ることに決め、ベルナルドもアデリナも、もちろんレオナも賛成した。
 
 ヒューゴーは、しばらく無力感と自責の念で動けなかったが、フィリベルトが『調査中だが、防げるものではなかった。ヒューゴーに責任はない』と告げ、レオナも『例の治癒魔法を使ったのよ』と言って、ようやく気持ちを切り替えたようだ。
 明日の学院再開に備え、テオを伴ってゼルを学生寮へ送り届けてきます、と心持ちを新たにしたヒューゴーに対し、フィリベルトは、公爵家の抱える警備部隊を目立たぬように配備し、万全の体制でゼルを見送るよう指示を出した。
 
 明日からしばらく、ヒューゴーは寮から学院に通うことになるため、レオナの送迎にはマリーがつくことになった。
 
 公爵邸のディナーテーブルに家族が揃ったのは、いつぶりのことだろう。
「不幸中の幸いですが、障壁の魔道具は完成していたので、支障は少ないでしょう」
 苦笑いしながら、いつも通り食事を進めるフィリベルトは、だが目に強い光をたたえている。
「父上。いえ、マーカム王国宰相閣下。もしも何らかの陰謀がうごめいているのであれば、この王国のため全力で防ぐ所存です」
「気負うなフィリベルト。私達にとって、お前は何よりも大事な家族だ」
 窘めるベルナルドに、フィリベルトは折れない。
 
「けれども、国に何かあれば、家族も失われます」
 ベルナルドは、肩をすくめる。
「はあ、その通りだな。やれやれ、一体この強情さは誰に似たんだ」
「あら、私だと言いたいの? どちらだと思う? レオナ」
 アデリナが可笑しそうに言う。
 レオナは答えようとしたが、このいつも通りの平和な団欒を何よりも嬉しいと思ってしまい、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
 
「あらあら」
 アデリナがカトラリーを置き、ナプキンをくしゃりとテーブルの上に乗せ、立ち上がる。
「フィリが物騒なことを言うんですもの。悪い兄よねえ」
 座ったまま泣きじゃくるレオナを、横から抱き、頭を撫でる。
 フィリベルトが、はっとして立ち上がる。
「すまない、レオナ! せっかく救ってもらったこの命、大事にするから安心しておくれ」
「そうだぞフィリ。もっとレオナに謝れ」
 ベルナルドも席を立ち、アデリナごとレオナをハグする。
 いよいよ家族全員でレオナを取り囲むと、メインディッシュを運んできた執事のルーカスが
「とても公爵家のディナーとは思えませんね」
 と苦笑し、レオナはようやく笑った。

 

 ※ ※ ※



 ――一方その頃、王立学院学生寮ハイクラス階の一室にて。
 ハイクラス階は、侍従やメイドを一緒に住まわせることができるように配慮されており、寮とはいえかなり広い間取りになっている。もちろん、浴室やトイレ、キッチンも完備である。
 ゼルの部屋も、さすがコンラート伯爵家、なかなかの広さなわけだが。
 
「き、きったねえええええ!!!!」
「うわー、うわー、ゼルさん……うわー」
「仕方ないだろう」
「仕方なくなんかねえぞ! お前、よくこんな……うへえ」
「なんだ、意外と細かいんだな、お前」
「あの……細かいとかじゃないと思うっす……」

 ゼルの部屋に集合したヒューゴー、テオ、そして力仕事を手伝えと、強制労働に駆り出されたジンライもまた、家主を尻目に大掃除を開始した。

「だめだ! 燃やしてえ。ぜってーその方が早ぇ! ああああ燃やしてええええ!!」
「ヒューさん、それじゃ事件になっちゃいます」
「気持ちは分かるっすよ。それか全部捨てます?」
「……言いたい放題だなお前ら」
「「「とにかく汚い」」」
「……スマン」

 ヒューゴーはホコリで咳き込みながら
「よくこんな部屋、入ったよなあ」
 と思わず独りごちる。するとテオも同意して
「レオナさんて、時々すごい」
 と。ジンライも
「あー、わかるっす。いざと言う時の勢いとかすごいす」
 と頷く。
「……だが可愛い」
「あーあ、ゼルうぜえな。役立たずは黙っとけって感じだよな、っこらしょっと、あー」
「ですね。あ、ヒューさん、そっち僕が」
「助かる、テオ」
「……おいこら」
「あ、あの、このシーツとか持って、そこで座っててもらえません? 動かれると邪魔なんで」
「ぐぬぬ……お前ら!」


 それからは、家主完全無視で、黙々と掃除をする三人である。
 
 
「ふー。とりあえずこんなもんか。ジン、あっちでテオと寝れるか? 備え付けの二段ベッド使う方が楽だろ。ちょっと狭いが」
「いっすよ、俺下で」
「え、僕上でいいの?」
「多分天井に頭ぶつかる」
「あーそっかあ。ありがとー!」
「俺はとりあえず、そっちのソファで寝るわ」

 
 またしても家主そっちのけである。

 
「おいおい、ジンもここで寝るのか?」
「ヒューさん帰った後、一人でゼルさんの面倒見きれる気がしないんで、僕がお願いしました」
「……テ、テオ」
「あ、心配しなくても大丈夫ですよゼルさん! ジンってすごい魔力持ちで、フィリ様に結界の魔道具借りて来てますから、その管理をお願いするんです! あと僕、通信魔法もできるようになって」
「お、おお……」
 タジタジのゼルである。
「ぶふふふふ」
 ヒューゴーはそれを見て笑いが止まらない。
「テオも時々ヤバいすよね」
 ジンライは、力なく笑う。恐らくは普段何かあるのだろう。
 
「やべー! ぶふふっ」
「ヒューさん?」
「はへ?」
 思わずビクリとしてしまう。
「お腹減りません? 夜食どうしますか?」
「お、おお……」
「俺簡単なの作りますよ。材料持って来てるんで」
「おー、さすがジン、気が利くな。お? そのナイフ自分で?」
 ヒューゴーが目ざとく言うと
「へへ、初めて自分で打ったやつで、大事にしてるんす」
 照れながら答えるジンライに
「わあ、僕もいつかジンに作ってもらいたいなあ」
 とテオが便乗する。
「あっ、そういやテオってナイフ使いか! 作ってみたい! どんなのが良い? 短いのか長いのか」
「うーん。短い方が良いかなあ?」
「短いと確かに扱い易いが、仕留め損なうことも多くなるぞ。短くしたいなら、俺のオススメは、二本使いだな」
「「なるほど!」」
「……はあもう、好きにしてくれ」
 本来なら、遠い国の九番目とはいえ王子である自分が、ここまで蔑ろにされることはないであろう。だがそれがなぜか嬉しいゼルである。

 ――友達、か。

 ワイワイ何か作るジンライを囲んで会話しているのを見ると、心が和んだ。
 明日からはまた厳しく辛い日々が始まるが。

 ――束の間の休息だな……

 開き直って横になっているゼルに
「ゼルさん、食べるんなら、寝てないでお皿運んで!」
 遠慮のない声が飛んでくる。
「分かった、テオ……その」
「?」
「いや、なんでもない。今行く」
「?? はい」

 僕も友達ですか! と泣いてくれたこの小さな友人に、いつか最大限の礼をするために。


 ――生きる。

 
 
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