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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀

〈69〉砂漠の王子2

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「心配だわ……」
 クラスルームに戻ったヒューゴーは、レオナの独り言にさりげなく質問を返した。
「何がです?」
「ヒューゴー! どこに行っていたの?」
「野暮用です」
「……そう」
 レオナは、じいっとヒューゴーを見つめる。珍しく、少し疲れて見えた。
「無理しないでね」
「はい」
「……あら?」
 ヒューゴーの返事を聞くや否や、レオナは思わず声を上げた。本日の講義は既に終わったはずのカミロが、再度クラスルームに入って来たのだ。
 
「みなさん、すみませんが注目してください」
 ランチに向かいかけた学生達は、何事かと素直に席に戻った。
「突然ですが、先生方のご都合で、本日の午後から今週は休講になりました」
 途端にどよめく教室。
 そこに一際大きな声を発したのはエドガーだ。
「静粛に願う」
 立ち上がり、周りを見回し、静かになったのを確認すると、勝手に発言しだした。カミロの許可を得ずに。
「公開演習絡みの、重大な変更があったと聞いている。皆も混乱するだろうが、王国行事が最優先ゆえ、理解頂きたい」


 
 ……それって結構機密事項なんじゃないの?

 

 レオナの思った通り、カミロは苦い顔をしていた。
 近衛は後期からクラスルームに入らなくなったようだが、ジャンルーカも廊下で、同じような顔をしているに違いない。

「殿下、補足頂きありがとうございます。皆さん、課題の用意が間に合っておりません。すみませんが、休講の間は自主学習でお願いします。では、本日はここまで」
 カミロは最低限の連絡を済ませると、クラスルームから退出した。
 
 さすがにハイクラスの学生達は、あからさまにこの休みを喜んだりはしないが、空気が浮き足立っていた。エドガーに詳しく情報を聞こうと、我先にと取り囲む者たちや、すぐに腕を組んでしなだれかかるユリエ。フランソワーズもある程度事情を知っているようで、周囲の女子学生達に何かを話している。
 
「レオナ様」
 そんなクラスルームの喧騒をよそに、ヒューゴーがひそりと言う。
「……ゼルに会い行きませんか」
 途端に目を輝かせるレオナ。
「ええ!」
「テオも誘って、ね」
 シャルリーヌがなぜか、背後でドヤ顔をしていた。

 
 クラスルームのある建物から、歩いて十五分ほどで着くのは、学生寮。
 石造りの立派な建物で、入口には常駐の騎士が二人。寮生が各自持っている部屋の鍵を、入口の魔道具に差し込まないと入れない。まるでオートロックだな、とレオナは思う。
「友人の見舞いに来ました」
 入口の騎士にヒューゴーが告げると、騎士の一人が
「許可証はあるか?」
 と尋ねてきたので、彼は懐から折り畳まれた紙を出し、開いてから差し出した。
 
 ローゼン公爵家の印と、ジョエルのサインが見える。
 いつの間に? と思ったレオナだが、野暮用というのはこれだったのかも、と思い直した。
「ふむ、では学生証を預かろう」
 もう一人の騎士が差し出した箱の中に、それぞれ名前を告げながら学生証を入れていく。
「間違いなく全員本人のようだな。では中へ」
 箱には何らかの仕掛けがあったらしい。学生証がないと学院には立ち入れなくなるので、寮生以外が入室する際に預かるというのは、なかなかよく出来た仕組みだな、とレオナは感心した。
 
「本来なら男性寮に女性は入れないが、特別許可だ。副団長に礼を言っておくように」
 ウインクしながら騎士に告げられた。
「はい、ありがたく存じます」
「ご配慮、感謝申し上げます。かしこまりました」
 素直に、丁寧に礼をするレオナとシャルリーヌ。
「では、終わったら声を掛けてくれ」
「「「はい」」」
 
「こちらです」
 テオに案内され、高位貴族の階へ向かいながら
「流石ヒューゴーね」
 とレオナが言うと
「フィリ様が、王宮にて宰相閣下と副団長にお話してくださいました」
 ということだった。
 フィリベルトは全てお見通しなのだな、と感心する。
「お兄様が……」
「……ゼル、何も無いと良いわね」
 シャルリーヌが無意識に握り締める胸元には、きっと破邪の魔石のペンダント。すっかりその仕草が癖になっているようだ。
 
 コンコン

 最初にゼルの部屋の扉をノックするのは、テオ。
 反応がない。

「ゼルさん、テオです」

 コンコン、コンコン

 反応が、ない。
 食事は扉前に配給されているものの、減った様子がなく、カミロが訪ねても騎士が訪ねても『帰ってくれ』の一点張りで、決して出て来ないのだそうだ。
 
 そんな状況もあり、特別許可が下りたのだろう。
「ゼル! シャルリーヌよ。大丈夫なの?」
 反応は、ない。
 ヒューゴーが目配せをした。レオナが頷き、声を掛ける。
「ゼル?」
 やはり反応はない。

 コンコン

「ゼル、レオナよ。心配なの。顔を見せて」

 やはりダメか。

「……帰ってくれ」
 と、か細く低い声が聞こえた。
「ゼル! 大丈夫なの!?」
 再びレオナが声を掛けるが
「……帰れ……」
 そして、反応がなくなった。
「とりあえず生きてはいましたね」
「ヒューゴー」
 彼は無言で、三人を下がらせる。
「ゼル。ヒューゴーだ。大丈夫か?」
「……」
 すうっとヒューゴーは大きく息を吸い、叫んだ。

「こんな扉ぐらい、すぐ壊せるんだぞ!」

 ダンッ!

 扉がたわむぐらい、向こう側から叩かれた。
 ゼルの苛立ちが、ぶつけられた気がした。
 ヒューゴーは構わず、扉に口を付けるぐらい近づいて、続ける。
「これからどうするんだ」
「もうおしまいだ!」
 悲痛な叫び声がした。
「おしまいじゃない!」
 ヒューゴーはすぐに切り返す。
「…………」
「助けたい」
「もう放っておいてくれ!」
「お前を、助けたいんだ!」
「…………」
 それでも開かない扉を睨みつけた後、ヒューゴーは頭を振り、とりあえず今日は帰りましょうか、と静かに告げた。テオとシャルリーヌはそれに従おうとした。だが、
「待って」
 レオナがそれを止める。
 扉に近づいて、優しく語りかける。
 きっとすぐ近くにまだいる、ゼルに向かって。
「ゼル。言ったでしょう?」
 扉の取っ手に、手をかけながら。
「私に出来ることがあるなら言ってって。力になるから、って」

 何かが、身体の芯から溢れてくる気がした。

「開けて?」

 しばしの静寂ののち。

「……レオナだけだ」
 ヒューゴーが、駄目です、と咄嗟にレオナの二の腕を掴んだが
「私だけよ」
 レオナは即答した。
「レオナ様!」
 ヒューゴーが掴んだその手に力を入れたので、そっとそれに手を添えて、前を向いたまま告げる。
「大丈夫。みんなここで待ってて」
「いけません!」
「レオナ……」
「レオナさん」
「さ、ゼル。開けて?」
 
 ヒューゴーがいつでも踏み込めるよう力を入れたので、レオナは生まれて初めて、人に害となる魔法を使った。
「!? ぐっ……」
「少し動きが鈍くなるだけよ、ヒュー。ごめんなさいね」
「レオナ様ッ」
「ヒューゴー! レオナを信じて。待ちましょう」
 シャルリーヌの言葉で、ヒューゴーが動きを止める。
 テオが無言で、レオナの二の腕を握っていたヒューゴーの手をほどいた。
 
 細く扉が開いた刹那、レオナの手首が引っ張られ、部屋に引きずり込まれる。
 

 ――バタリ、ガッチャン。
 

 再び静寂が、訪れた。

 

※ ※ ※

 

「あの、何か事情があるのでしたら」
 テオが恐る恐る言う。
「あとで僕の部屋で話すのはどうでしょうか? よければ、ですけれど」
 ヒューゴーが苦しそうな顔をした。腕を振って、手首をぐるぐる回す。身体が元に戻ったことを確認しているようだが、苦悩が仕草に出ていた。
「テオ……ありがとう。だがこれは、俺の独断で話せるものではないんだ」
「……そう、ですか」
「だが、一つ頼みがある」
「! はい、なんでしょうか!」
「勝手だが……お前を、巻き込みたい」
 シャルリーヌが、息を呑んだ。
「ヒューさん」
「すまない、正直かなり危険だと思う」
 ぎりり、と唇を噛むヒューゴーに
「ヒューさん、僕は」
 テオが、穏やかに笑んだ。
「とっくに、巻き込んでもらってるんだと思ってました」
 そしてすいっ、と鮮やかな騎士礼をした。
「どうぞこの身、ご自由にお使いください」
「テオ!」
 思わずヒューゴーが、テオの首を羽交い締めにした。
「お役に立てるか分かりませんが、って、あいたた、痛いです!」
「くそっ、役に立つに決まってるだろ!」
「いたた、ヒューさん、首、くび! しまってる!」
「うるせえ!」
「うええ~」
 シャルリーヌは呆れた顔でそれを見ているが、あえて止めなかった。
 テオの首は、また扉が開くまで若干締まったままだった。


 
※ ※ ※

 

 暗い室内には、あちらこちらに衣服や紙が散らばっていて、とても埃っぽい。カーテンは締め切り、湿った空気が重い。まるで黒いもやが立ち込めているかのようだ。
 レオナの手首は、ぎりり、とゼルの手で締め付けられたまま。
 痛みに耐えかね、顔を上げて緩めさせようとすると、至近距離に獰猛な金色の瞳があった。
 
 レオナは目を見開きそして悟る。
「ゼル」
「……」
「それが、本当のあなたの瞳なのね?」
「……そうだ、薔薇魔女よ。お前と同じ、呪われた瞳だ」
「それは違うわ」
 即座に否定すると、ゼルの手から少し力が抜けた。
 レオナはまっすぐに、その金を見返して言う。
「呪いなんかじゃない。ただの色よ」
「違う! 俺が!」
 叫ぶ彼は壁に背を預け、天井を仰ぐ。肩が、唇が、わなわなと震えている。
「俺が呪われていないのなら、なぜ皆死んだ」
「ゼル」
「俺のせいで……」
 レオナは、ゼルの腕を撫でながら語りかける。
「辛かったのね」
「ああ」
「独りで、この国へ来たのね」
「ああ」
「頑張ったのね」
「ああ!」
 ゼルの全身から、悲しみが滲み出てくるようだった。
 レオナは、ゼルの抱える事情を何一つ知らない。だが、確信を持って言えることが一つだけあった。
「瞳の呪いなんて、絶対にないわ!」
「な……」
「あるのは、人の欲だけよ」
 
 レオナのことを薔薇魔女だとののしってきた人々は、皆一様に欲望を抱えていたと、今になって思う。
 権力や名声、金、地位を手に入れようと近づいてきては甘言を垂れ流し、何の興味も示さない公爵令嬢に勝手に失望して、去っていく。レオナの中身に触れようとする者は、ローゼン公爵家の人間達とシャルリーヌを除いて、誰も居なかった。
 家族がもしも愛してくれなかったら? 家族が奪われていたら? とレオナは仮定してみる。
 もしもシャルリーヌやヒューゴーやジョエルが居なかったら?



 そこには、背筋が凍るほどの、孤独しかない。



 耐えきれないわ……


 レオナは、思わずぎゅうっと目を瞑る。
 皆が居なかったら、家に引き篭って学院には通わず、テオにもゼルにも出会うことはなかっただろう。
 
 ――もちろん、ルスラーンにも。
 
 この膨大な魔力を持て余し、やがて狂っていったに違いない。それこそ、薔薇魔女になっていたかもしれない。

「ゼル」
 かっ、と再び目を開ける。
 ゼルは手を離し、項垂うなだれ、床にしゃがみこんでいた。
「……すまない。もうおしまいなんだ。だから最期にレオナの顔を見たかっただけだ」
「何もせずここで諦めるの? あなたらしくないわ」
「俺らしいとはなんだ」
「明るくて、喧嘩っぱやくて、小さなことは笑い飛ばして忘れる」
「……」
「心ぐらいは、自由でいるんでしょう?」
 何に縛られ、何に怯えているのかは知らないが。
 自分を動かすのは、いつだって自身の心だ、とレオナは信じている。
 
「ゼル」
「うう、だが、俺は……もう」
「仕方ないわね。じゃあ、お望み通り今から誘惑してあげるわ」
「!?」
「私は、呪われた薔薇魔女なんでしょう?」
「何を言い出す……」
「何かしてくれって、言ったでしょう」
 レオナは精一杯艶かしい笑みを浮かべて、しゃがみこんでいるゼルの頬を両手で包み込み、自分の瞳を見るよう促す。その後するりと人差し指で耳を撫でた。
「……お前は、黙ってついてくればいいのよ」
 耳元で囁いてから下ろす指先から、赤い光の玉を出してみせる。
 攻撃魔法実習で、ラザールが手遊びに見せてくれたものだ。
 ゼルは呆気に取られたまま、素直に目でそれを追う。
 レオナはさらにそれをふわり、と動かして部屋中央の天井近くに浮き上がらせた。

 
 光って。――開け。

 
 ぱあん! と部屋のど真ん中で赤い玉が弾け、部屋のカーテンが一斉に開いた。
 傾きかけた陽の光が、窓から部屋に差し込む。
 途端に湿った黒い空気が霧散した。
「レオ、ナ……」
「さ、行くわよ。すぐに準備なさい」
 四十秒で支度しな! と思いながら、有無を言わさずバァン! と勢いよく扉を開けた。
 
 廊下で待っていた三人が、突然のことにポカンとしていて、お陰で肩の力が抜けた。

 
 ところでどうしてヒューゴーは、テオの首を絞めていたのだろう? と、後で理由を聞こうと思っていたのに、聞きそびれるレオナなのであった。
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