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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀

〈62〉楽じゃないのです

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 どうしよう、やっぱり手作りで刺繍とか、気持ち悪かったかな……


 
 ひゅるりと涼しい風が、小さな花壇の草花を揺らす。ピチチ、とどこかで小鳥が鳴いた。

 

「……ありがとう、大切にする」

 長い長い沈黙の後、やがてまっすぐな紫が、レオナを見つめる。

「とても嬉しい」

 そうしてようやく、緊張した空気がゆるんだ。
 
「手作りのものを、初めてもらった。嬉しいものだな」
 
 綻ぶ彼の顔が素敵すぎて、レオナはまたぎゅーん! と胸が絞られるような感覚に襲われる。

 

 やばい、心臓止まるっ、昇天してしまう!
 いかんいかん!
 深呼吸!

 

「喜んで頂けて光栄ですわ!」
 辛うじて取り繕えているだろうか。
「……うん。うん? 何か感じるな?」
 さすがルスラーンは、刺繍を指先で触れて気づいたようだ。
「危険なこともあるかと思いまして……無事をお祈りしながら刺繍しましたの。お役に立てば良いのですが」
 彼はそろりと指先でダイモン家の紋章をなぞって、静かに言う。
「……レオナ嬢」
「はい?」
 真摯な目が、再びレオナの心臓を撃ち抜いた。
「無事に帰ると約束する」
「っ! はい! 約束ですよ!」

 正直、こちらは息も絶え絶えである。
 
「はは。まあ今は近衛だからな、そんな危険はないさ!」
「まあ! うふふふ」
 お茶目に言ってくれたが、優しい嘘なのはレオナにも分かっている。豊かな国の王族は、常に狙われているものだ。

 

 どこへ行っても、私の元に帰って来て欲しい。
 なんて、言えないけど。

 

「さて、迎えが来たようだな」
 すっと立ち上がるルスラーンに合わせたかのように、コンコン、と遠慮がちなノック音がする。
 ルスラーンがそのまま扉を開け、そこへひょこりと顔を出すヒューゴー。
「お迎えに上がりました」
「お待たせ」
「お兄様!」
「やあ。フィリもか。久しぶりだな」
「ルス、久しぶり。レオナも」
「心配しておりましたのよ!」

 

 ああー、お兄様の肌艶が失われているー!
 かなりお疲れなご様子……癒して差し上げたい!

 

 すかさずフィリベルトに飛びついて、レオナがぎゅうっとハグをすると。
 フィリベルトは仕方ないな、と笑いながら呟いた。
 ふわりと光が舞う。――回復できたようだ。
「!? レオナ嬢……それは……」
 驚くルスラーンに、フィリベルトがイタズラっぽく
「ラザールに知られたら誘拐されるからな。秘密だぞ」
 と告げたので、レオナは便乗してフィリベルトを見上げながら
「守ってくださいましね?」
 とふざけた。が、
「もちろんだ」
 俄に真剣な顔で返され、
「させません」
 と専属侍従兼護衛が言ったばかりか
「誘拐だと? 絶対守る」
 黒騎士までもが。

 

 ……あれえ? シャレになってないし!
 しかもなんかボディガード一人増えたぞ!

 

「大丈夫ですわ。まだ修行が足りなくて、抱きつかないと効果がないみたいですの」
 フィリベルトから離れながらレオナが告げると。
「抱きつく!?」


 
 あれっ、ルス様が剣呑な雰囲気になっちゃったぞ。


 
「……私の許可制にしてある」
 フィリベルトが、苦笑しながら補足する。
「なるほど……それならまぁ、うん」
 ルスラーンは納得してくれたようだった。
「ところで、それは?」
 フィリベルトは、すぐにルスラーンが手に持っている物に気づく。
「すごいな、何かの加護が付いているようだが」
 さすが鋭い。
「……あーその」
 ルスラーンがちらりとレオナを見ると
「なるほど、それが褒美か。羨ましいな」
 そしてさすが話が早い。
「おお、ついに完成したんですね! 見せて頂いても?」
 とヒューゴー。
「うぐ」


 
 あら? ルス様ひょっとして見せたくない?
 ……そうよね、手作りなんてちょっと恥ずかしいわよね。
 私、これでも空気が読める地味喪女でしてよ。


 
「ヒュー、ごめんね。恥ずかしいから秘密にしたいの。でもこの間はありがとう。お陰で完成できたわ」
「この間?」
 と問うルスラーンにヒューゴーがハッとする。
「シャル様と三人で! そう、さ・ん・にん、で! 王都に材料を買いに行ったのです。私はただの護衛です!」


 
 え、なんでそんな慌ててるの?


 
「……へえ」

 

 なんかルス様、覇気が漏れ出てやしませんか!?
 気のせい!?


 
「あのっ、私、街を歩いたことがなかったんですの。だから二人にお願いしたんです」
「え? は? 歩いたことなかった?」
 ルスラーンが、ぎゅんっとフィリベルトを振り返る。
「……悪かったな、過保護で」
「過保護すぎるだろ!」
「だってレオナだぞ!」
「にしてもだな」

 

 えーと、私ってそんなに頼りない?
 まあ確かにちょっと常識に欠けるところもあるかなぁ、元引きこもりだしぃ……
 しゅーん……

 

 すると、
「ルスラーン様に、ゆっくりご案内頂いたらいいじゃないですか」
 とヒューゴーがニッコリ言う。

 

 はえっ!? 何言ってるの!?

 

「そうだな。ご褒美のお礼で、美味しいものでもご馳走になるといい。近衛は高給取りだからな。遠慮なく欲しいものも強請るといいぞ。新しい髪飾りを欲しがっていただろう? なあレオナ」

 

 お兄様!? すっごい早口ね!
 いや、そうだけどっ、そうじゃなくって!

 

「はー。分かった。あーその、レオナ嬢」
「はいっ」


 
 なんか夜会の日のデジャブだなこれ!?

 

「……明日の剣術の後でいいか?」
「は、はい!」

 

 ってお返事したものの、いいの?

 

「ルス、ありがとう。頼むよ。そしてすまないがレオナに少し話があってな」
「おお、分かった。それじゃあ失礼する」
 ルスラーンは『ありがとう、大切に使わせてもらう』と言って、包み紙とカードも丁寧に折りたたんで持って行ってくれた。
 彼といると心臓がずっと早鐘のようで、早死にしちゃうんじゃないかなあ、とレオナは溜息をつく。

 
「……さて、レオナ。少し座ろうか」
 ヒューゴーがささっと茶器やお皿をバスケットに片付けてくれる。レオナはそれに甘えて、素直に椅子に腰掛けた。
「お話、とは?」
「ああ、先程ヒューゴーからゼル君の話を聞いてね、少し不可解なことがあって」
「はい」
「今までに、その、ゼル君から女性として何か誘われたことはあるかい? 例えば、一緒にどこかへ行こうとか」
「いいえ。あくまでも学院の中だけのクラスメイトですわ。外でお会いしたのは、私のお誕生日パーティの時だけですの」
「……では、今日急に様子が変わったんだね?」
「私には、そうとしか思えませんわ」
「分かった」
 
 ふう、とフィリベルトが眼鏡を押し上げる。
 
「ということは、今学院内でレオナを呼び捨てにするような『親しい』男性はゼル君だけだな……ヒューゴーにも振舞ってもらうことにしよう」
 
 正直に言うと、なんだそんなことか、と。
 
「分かりましたわ」
「うっ……無礼な振る舞いも許容して頂くことになり、大変申し訳ございません」
 ヒューゴーは深々頭を下げるけれど、ぶっちゃけ全然気にならない。むしろ。
「私は平気というか、嬉しいわ!」
「ついでに、ルスにも呼んでもらえると良いね」

 ドッキン!

「え!?」
「デートの時に自分で言ってみると良いよ」

 

 ニッコニコで言いますけどね!?
 デデデデートって! ただのお礼ですから!
 パワーワードすぎて、脳みそがビリビリする!
 ……い、言えるかなあ……言える気がしない!
 でも、正直呼び捨てで呼んで欲しいっ。
 欲がダダ漏れるっ!
 くう! が、頑張ろ……頑張るしかない!!

 

 もだもだしているレオナに、ヒューゴーがトドメとばかりに
「私の命を救うためにも是非お願い致します」
 と真剣な顔で言う。


 
 命!? どういう意味?


 
 聞いても教えてはくれなかった。

「――それと、レオナにも関わる事だから一応言っておくが、学院内で少し問題があってね。騎士団絡みなんだが」
 ふう、とまた息をつくフィリベルト。
「父上に上がってくる報告や他の目からも判断するに、剣術講師への不満がすごくてね」

 

 ああ~……ついにぃ~!

 

「元々素養や力量に疑問の声が多く寄せられてはいたんだ。そこにさらに、副団長組は騎士団志望でないにも関わらず、図らずも講師が副団長、近衛筆頭、そして漆黒の竜騎士になってしまった。ジョエルの人望と言ってしまえばお終いなんだが――結果として、ますますイーヴォ罷免の声が高まってしまった。学院長は騎士団長と懇意なので、軋轢が全部ジョエルにいってしまってね」
「どうなるんですの?」
「ひとまず、副団長組の講師を代えることで落ち着いた」
 
 なるほど、とレオナは頷く。ジョエルの予想通り。
 着地点はそこしかないように思われた。
 
「剣術の団長組はジャンルーカが見る。イーヴォはそのままだが、補助にルスも就く。副団長組は体術の臨時講師で来るアルヴァーとブロルという従士上がりの二人に決まった」
 学院講師経験がないと騎士団幹部にはなれない決まりでね、と溜息混じりのフィリベルト。ということはどうしてもイーヴォを出世させたいから辞めさせないということか。
 
「理解しましたわ」
「体術の方は、引き続き後任を選定しているそうだ。団長派の身体強化が出来る幹部候補が、なかなか居ないから難航している」
「ジョエル様はやはりブノワの方ですからね」
 ヒューゴーの補足に、フィリベルトが頷く。
「家格がこういう時に効いてくる。だから余計ゲルルフは意固地になるわけだが」
「騎士団って、実力主義ではないんですのね」
「現場は実力主義だよ。ただ上に行くほど、金と身分が必要になってしまうのはどうしようもない」
 
 なるほど。王国騎士団とはいえ、配給品だけでなく自分の装備や消耗品、馬、時には遠征費用をまかなわなければならない。下手したら部下の分もである。大変だ。それはスポンサーが必要に違いない。
 
「ふふ、さすがレオナだね」
「え?」
「わずかな言葉で全体を把握できる能力は、我が妹ながら素晴らしいと思うよ」
 ただ頭の中で、経費を考えちゃう癖なだけなんだけどなあ、とレオナは自嘲する。
「早速明日の午後から講師変更だと思うから、何かあればすぐに知らせて」
「かしこまりましたわ。事前に教えて下さって、ありがたく存じます」

 
 結局フィリベルトは今日も一緒に帰れず、シャルリーヌは先に帰ったそうなので、ヒューゴーと二人で馬車に乗る。
 
「――ねね、試しに呼んでみて」

 

 慣れは大事だからね! 

 

「へ?」
「呼び捨て」
「……弄ばないでくださいよ」
「だめよ! 同級生なんでしょう?」
「分かったよ。んん。……レオナ」
  
 

 うおう!
 想像以上に照れるってばよ!


 
「うーわ! 恥っず! なんだこれ! 俺絶対無理っすよ!」

 二人して真っ赤になったまま馬車を降りたので、マリーに怪訝な顔をされた後、ヒューゴーはお尻を蹴られていた。


 ※ ※ ※
 
 
 翌日のゼルは、一見今までと変わらないように振舞っていたが、どこか焦りを感じているように見えた。
 彼の身に何が起きているのか未だ分からないが、勝手に心配している。
 もちろんレオナは、ゼルに朝のクラスルームで会うなり『私やシャルにできることがあるなら言ってね』と伝えはしたが、はぐらかされてしまっている。

 
 そして、その日の午後の剣術講義。

 事前にフィリベルトに聞いていた通り、まずはジャンルーカが、今後は自身が剣術講義の統括をすること、補助に新たにルスラーンが就くことを告げると、学生達からあからさまに安堵の声が上がった。
 イーヴォはかなりイラついていたが、さすがジャンルーカは近衛筆頭なだけあり、覇気だけで黙らせていた。
 
 一方副団長組は、気にせずのほほんと演習場の脇に陣取り、
「アルヴァーです」
「ブロルだ」
 新しい二人の講師を迎えていた。
 金髪のセミロングをハーフアップしている優男の方が、アルヴァー、濃い茶髪のコーンロウでムキムキなのが、ブロル。
「ゼルだ」
「テオです」
「ヒューゴーです」
「レオナですわ」
 それぞれ名乗ると、即座にばばっとレオナに身を寄せてくる講師二人。
 
「レディ、今度お茶しない? お洒落なカフェ知ってるよ」
 とアルヴァーが肩を抱き寄せ耳で囁き、ブロルも
「俺とも是非っ!」
 いきなりガシッとレオナの左手を掴んで、そのまま手の甲にチュッとする。
 
 ひええである。
 
 ポカンとした後我に返り、レオナの前に立ちはだかるようにして、速攻で二人を引き剥がしてくれたメンズには感謝しかない。とはいえ――
 
「レオナに触るな。穢れる」
 
 ゼル、靴脱がないで! 今は剣術よ、闘舞はなしなし!

「騎士のすることか?」
 
 ヒューゴーも大人気ないから。大丈夫だから。殺気しまいなさい。バレるでしょうよ。

「レオナさん、隙ありすぎ。ダメだよ、こんなのに手握られちゃ」
 
 テオ!?

「穢れるとかこんなのとか、どういう意味かなあ」
 
 はい、アルヴァーさん喧嘩買いましたよー。

「おーおー、こちとら騎士様ですよー。なかなか手応えありそーじゃねーかい」
 
 ブロルさん追加でーす。はい喜んでー。


 
 じゃない!
 えっ、これ一体誰が収拾つけるの!?
 お兄様ー! ヘルプ!

 

「なにやってんすか」
 呆れ顔でルスラーンが小走りで来てくれた。
 
 良かっ……

「いきなりレオナ様を抱き寄せて、手の甲にキスしやがった」

 ブチ切れヒューゴーご降臨ですね、分かりました。

「……あ?」

 

 え? ルス様もっとキレてる?
 ちょ、それ、まさかのニーズヘッグ!?
 ちょっとー! 誰かー!
 いやジャン様忙しいな、ええい。
 自分でやるしかないな。レリゴー!

 

 レオナが気合いを入れると、ひょぉぉぉぉと冷気が出てくるのが、自分でも分かった。
「講師のお二人様。少しよろしくて?」
 
 ビキッとこの場の空気を凍らせると、皆動きを止めた。
 大きく息を吸って。たたみかける。

「アルヴァー様。私、親しくもない方とカフェには参りませんの。ましてや肩に触れるのも、御遠慮頂きたく存じますわ」
「う……」
「ブロル様。女性の手をいきなり掴まれるのは無礼ですわ。それに、貴族のマナーとして、手の甲へのキスはふりのみと決まっておりますの。御遠慮くださいませね?」
「は、はあ」
「ルス様。どうぞ持ち場へお戻りくださいませ。ご心配ありがたく存じますが、些末なことですわ」
「お、おう」
「ヒュー。落ち着きなさい」
「はっ」
「ゼルもテオもありがとう。私は気にしないわ」
「おお……」
「分かった」

 

 ったくこの脳筋どもめ!
 世話が焼けるわ!

 

「そういえばレオナさんって」
「……こう見えても公爵令嬢ですわよ?」

 テオがうくくく、と笑ってくれたので、場の緊張がほどけた。ありがとう、さすがね、とレオナは微笑む。

「フィリそっくり。さすが兄妹だな」
 苦笑しているルスラーン。
「お兄様にそっくりだなんて、光栄ですわ」
「フィリって」
 目を見開くアルヴァー。
「フィリベルト・ローゼン!?」
「ええ。ご存知でして?」
「ご存知も何も……」
「うわー、てことは氷の宰相の」
「娘ですわ」
「「すみませんでした」」


 公爵令嬢も楽じゃないな、とレオナは改めて深く息を吐くのだった。
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