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第一章 世界のはじまりと仲間たち
〈44〉ファーストダンスなのです
しおりを挟む「そなたが、噂の薔薇魔女だな?」
――ぎゃーーーーす!
ゆ、油断してたら、こここ皇帝陛下来ちゃった!
「ふむ、本当に赤い瞳なのだな。興味深い」
「皇帝陛下、恐れ多くも」
咄嗟にフィリベルトが、間に割って入る。
「お、そなたは」
「フィリベルト・ローゼンにございます」
「やはりベルナルドの息子だな!」
「はい。父からは皇帝陛下に多大なるご助力を賜っていると」
「あーよいよい。本題はなんだ?」
「我が妹レオナは、これからファーストダンスを控えておりますゆえ、ご容赦のほどを」
「ふ、それなんだがな。さっきゴドフリー殿に余でも良いか? と聞いたら良い、と言われたから誘いに来た」
「!?」
ゴドフリーというのは、マーカム国王のファーストネームである。
ま、まじすか……ごくり……とレオナは生唾を飲み込んだ。
「それは『皇帝の赤』だろう? 誘わぬわけにはいかんと思うてな」
首元を指差される。
――そ、ういえばこのルビー、皇帝の赤、だ……
「レオナ。そなたのファーストダンスを、余が貰い受けよう」
すらりと差し出されたその手は、上質な黒革に、金の装飾が縫い付けられた手袋に覆われている。
これはもう行くしかない、とレオナは即座に覚悟を決め、差し出された手に自分の手を乗せた。途端に緩やかに掴まれ、逃がす気がないことを悟る。
「大変光栄にございます、皇帝陛下。謹んでお願い申し上げます」
目でフィリベルトに大丈夫、と告げると、一瞬逡巡したが、すぐに唇を引き結んで背中をそっと押し、見送ってくれた。
「さすがベルナルドの娘だな、肝が据わっている」
楽しそうにエスコートしてくれるが、皇帝のその所作には一分の隙もない。根っからの武人という感じだ。オーラだけで畏怖する。
「そう固くなるな、取って食いはせん。楽しめ」
――ぱちりとウインクされたぞ。
あれっ意外と優しいの?
そうなの?
会場がザワザワ騒がしい。
横目でピオジェ公爵の悔しそうな顔が見えた。
なるほど、エドガーとブルザーク皇帝では格が違いすぎる。無駄に矜恃を傷付けてしまったか……だが選択肢はなかった、とレオナは密かに息を吐く。
ニコニコ国王の横で、ベルナルドが心配そうな顔だったので、とりあえず笑顔を向けておく。
――音楽が、始まる。
握られた手にそっと力を込められ、腰を寄せられた。じいっと至近距離で見つめられると、落ち着かない気分になるのは、このオーラのせいなのか、緊張からなのか。
すい、っとダンスのリードが始まった。滑らかで迷いのないステップは、まるで氷の上を滑るかのよう。
会場の視線が自分に集中しているのを感じるが、まるで耳に柔らかな蓋をされたかのように、音がくぐもっている気がする。――現実味がない。これは、夢なのか?
「……この国では、そなたの赤は呪いの瞳だったか」
オーケストラとドレスの衣擦れ音の隙間から、かろうじて聞き取れる声量で話しかけられ、現実に引き戻された。目を二、三度瞬いてから、声を発するレオナ。
「はい」
「余の国では赤は皇帝の色だぞ。よってそなたも余の物というわけだ」
「お戯れが過ぎますわ」
華麗なステップだ。
さすが武人、軸が全くブレない。
「はは! そなたがアデリナの腹の中に居た時にな」
くるり、とターンをさせられる。リードが速くなってきた。思考させない気だな、と悟る。
「女なら嫁にもらおう! とベルナルドに言ったのだよ」
――えー、何歳なのこの人!
すっごく若く見えるよ!
「畏れながら陛下、私は」
ツーステップ、ターン、ツーステップ。
「自分の婿は、自分で選ぶと決めていますの!」
そして最大限離れる。
「……はははは!」
たちまち引き寄せられる。
「気に入った!」
――えー、気に入られても困るんだけどー!
「そうつれなくするな。余が夫だと便利だぞ?」
――そんな、電化製品みたいに言わんでも。
「ほら、あれとかあれとか、露払いにはなるだろう?」
目線で周囲の貴族達を指す。
レオナは頭の中で、アデリナから教えてもらった来賓者リストと照合してみる。
――はいはい。
妬みやっかみ鬱陶しいですね。
まあもともと、呪われるとかなんとか言われてますしね?
あんまり状況は変わらないんですよー。
「どうだ?」
「皇帝陛下」
「ん?」
「まずはお手紙からで」
「はははは! よいぞ!」
――いいんだ。良かった。
ちょうどこの曲も終わりに近づいている。
「……まあ半分冗談だが、ベルナルドには返せぬぐらいの恩があるからな。困ったら遠慮なく頼れ」
なるほど、それを言いたくてダンスに誘ってくれたのだ、とレオナは理解する。ベルナルドはきっと逃げ道を模索してくれていたに違いない。マーカムでは忌み嫌われる魔女であるが、ブルザークでは皇帝の物。忌避されるべき存在ではない。
「ありがたく存じますわ! 皇帝陛下」
「ラースだぞ、レオナ」
――うげー、いきなりハードル高すぎ!
「……ラース様」
「うむ。満足した」
楽しげにポーズを促すラドスラフ。鍛え抜かれた肉体が、服の上からでも分かる。怒涛のファーストダンスが、無事終わったのだ。
途端にふう、と全身から力が抜けそうになる。
ふくらはぎがプルプルしている。
自分の予想よりかなり緊張していたらしい。
フィニッシュのお辞儀をこなす。早くフィリベルトの元に帰りたい。
「そう焦るな。任せろ」
力強いエスコートに、甘えた。
「ラース様……申し訳ございません」
「よいよい、そなたは立派だった。気が抜けただけだ。少し休めば良い」
――えーん、誰だ血塗られた皇帝とか言った人!
めっちゃ優しいやないかー
「ラース様!」
ダンスステージから降りたところで、突如きんきん声が耳を貫いた。
――皇帝陛下を許しもなくファーストネーム、しかも愛称で呼ぶなんて、即座に切って捨てられても文句は言えないぞ? ユリエ嬢。
案の定、皇帝はユリエがいないかのように無視している。
「私ともダンスして下さい!」
「……」
ラドスラフは目も合わさず、レオナをユリエから庇いつつ無視を貫き、立ち止まることはない。
「ねえってば!」
――こいつは、陛下の無視が最大限の譲歩だと分からないのか? 反応すれば、不敬で捕えなければならないのだぞ? 祝いの場を穢すわけにはいかない、気遣いだぞ?
しかも女性の方からダンスに誘うなんて……この国では娼婦と同じ振る舞いだと、分かってないのか?
これはもう収拾がつかないだろう、とレオナは立ち止まって口を開く。
「ラース様、このような無知且つ無礼な振る舞いをお見せすることになり、同じ国の人間として恥ずかしく――大変申し訳ございません」
「レオナ……」
皇帝陛下は、私の発言に耳を貸して下さる。
ありがたい。
「彼女は同じ王立学院の学友でございますが、入学したばかり。貴族としてのマナー教育中にございます。どうか慈悲深いお心にて平にご容赦願います」
カーテシーは九十度の礼を。最大限の謝罪だ。
「ちょっとレオナ、邪魔しないでよ!」
……衛兵! 早くこれ回収して!
エドガーなにやってんの? 国際問題よ!
バタバタ……
「ご令嬢っ、こちらに!」
やっと来た衛兵。遅い!!
「え? なんで! 離してよまだ話終わってないし」
ド派手ピンクの、趣味の悪いふわふわドレスが強引に連れていかれる。一刻も早く強制退場してくれ、とレオナは礼の姿勢を崩さずひたすら願った。
気配が消えたところで姿勢を正すと、憂い顔のラドスラフが
「レオナ。あれは、教育の問題か?」
と聞いてきた。
「いいえ。――自覚の問題かと」
「頭が痛いな」
「同感ですわ」
「……ゴドフリー殿は良くも悪くも、適当だからな。ま、気にするな。レオナに免じて忘れよう」
――あー……クラクラする。
私には荷が勝ちすぎているよ、大国の皇帝対応なんて。
お父様ってつくづく凄いなあ……
「皇帝陛下! レオナ!」
ベルナルドが、人混みをかき分けて迎えに来てくれた。後ろにフィリベルトも。
「大変申し訳ございません」
ベルナルドも最大限の礼をする。もちろんレオナのために。
「よいよい、レオナに免じて忘れた」
「……多大なる御心に」
「うむ。ベルナルド、そなたの娘は美しく賢く度胸もある。気に入ったぞ。しかも婿は自分で選ぶと、即刻振られた!」
わはははは! と心底楽しそう。
「余を袖にする女が居たとは僥倖。まずは手紙で交流開始だそうだ。くっくっく」
ふうわりと微笑むベルナルド。
「自慢の娘にございます」
「おう。その通りだな。さすがはベルナルドとアデリナの娘だ。さて、レオナ。もう大丈夫か?」
「はい、お心遣い、感謝申し上げます」
「そろそろ戻らんと側近がソワソワしているでな。文、楽しみに待っているぞ」
皇帝は、レオナの右手の甲にキスのフリをしつつ、目を合わせた。
「美しき薔薇魔女」
――ぐわー! 大人の色気! ダメだ! 耐性ないんです! 心臓に! 悪い! 無理! むりむり! 私にはやっぱ無理です! ごめんなさい!
内心大パニックのレオナは、かろうじてカーテシーを行い、お別れを告げた。
「レオナ、こちらに椅子が」
すかさずフィリベルトがフォローしてくれた。
膝が本当にガクガクしている。そのままラドスラフがベルナルドと会話を交わしているのを、目の端で見ながら、フィリベルトに甘えてエスコートされる。
国王は、幸い席を外しているようだ。王妃はピオジェ公爵夫人と歓談中、アリスターとミレイユは、ガルアダ王太子カミーユへ懇意の貴族一家を紹介中、エドガーはというとピオジェ公爵に捕まっている……どうやら偶然誰も、ユリエの無礼な振る舞いを見ていなかったようだ。幸いとでも言うべきだろうか。
※ ※ ※
「ちょっとっ! 離してよ!」
ユリエは焦る。
「は・な・し・て」
ここでは誰一人として、言うことを聞いてくれなかった。何かが邪魔をしているようだと感じる。
ラドスラフのことも、前世の記憶で朧げに覚えていた。すごく強くて偉い、隣の国の人だったはずだと。
それよりも何よりも、ヒロインの自分ではなく、悪役令嬢とダンスをしていたのが非常にイライラした。このあたしを無視するなんて! せっかくエドガーに高いドレスを買ってもらったのだから、かっこいい人とダンスしたい! と思っていたのに。
「ユリエ嬢、待たせたな。ピオジェ公爵の話はいつも長くてな……すまなかった。決まり事だったのでフランソワーズと先にダンスをしたが、次は私とダンスしよう」
エドガーが来て、ようやく解放された。
もうフロアではたくさんの人々がダンスをしていて、全然目立てない。
「遅いですぅ! エドガー様」
「すまない、許してくれ」
「その代わり、今度また美味しいお店! 連れていってくださいね」
「分かった!」
まあいいか。これで王子とのダンススチルは、無事回収できた。
卒業パーティまでのルートは、着実に攻略できていることが分かったのだから。
次はアクセサリーでも強請ってやろう、とほくそ笑んだ。
※ ※ ※
ファーストダンスが終わると自由に誘い合って、本格的に舞踏会が始まる。
ブルザーク皇帝と薔薇魔女のファーストダンスが話題をかっさらい、エドガー第二王子とフランソワーズ公爵令嬢のデビューは霞んでしまった。
それでもフランソワーズは、構わなかった。父は悔しがっていたけれど。
――どうせフィリベルト様とは踊れないもの。
誰とでも、同じ。
壁の花にでもなるかと思っていたら、父であるピオジェ公爵のもとに、騎士団長が挨拶に訪れた。背が非常に高く筋骨隆々、顔のパーツも一つ一つが大きくて迫力がある。貴族令嬢達は怖がって寄り付かないと聞いた。
「公爵閣下、お久しぶりです」
「ゲルルフ、相変わらず鍛えておるのう」
「恐縮です。そちらは?」
「美しかろう、我が自慢の娘のフランソワーズよ。さっきデビューしたばかりじゃ!」
「フランソワーズと申します、騎士団長」
カーテシーを行うと、なぜかじっと見られた。
「……その、俺が怖くないか?」
面と向かって怖い、などと言えるわけがない。
なんて無粋な、と内心呆れたが、貴族令嬢の矜恃として、それを表に出すわけもない。
「特には」
「!」
目を見開かれた。それだけでも動作が大きく感じ、迫力がある。
「……そのもし宜しければだが」
ああ、ダンスのお誘いね。ハイハイ。父の顔を伺うと
「騎士団長からのお誘いとは鼻が高い! フランソワーズ、粗相のないようにな!」
とのことで、仕方ないなと諦める。
おずおずと差し出された彼の手のひらに手を乗せる。
思いの外熱いし、手袋越しでもジットリしていて、気持ちが悪い。
……フィリベルト様でないのなら、誰でもいい。どうでもいい。心が死んでいく。
少し微笑んで体裁を整える。それだけで騎士団長は赤くなった。
――そのダンスは非常に強引で、ついていくのがやっとで、手袋越しでも手汗がひどくて、ドレスが濡れないかの心配ばかりしていて、ロマンチックの欠片もなかった。
「あ、ありがとう」
「こちらこそ、恐縮ですわ」
「……大変嬉しかった」
「光栄ですわ」
「その、良ければまた」
「父に従いますわ」
私の意思はない、普通ならそれで通じるが
「そ、そうか!」
嬉しそうなゲルルフ。
まあ、もうどうでもいいや、とボンヤリと煌びやかな会場を見ていた。
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