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第一章 世界のはじまりと仲間たち

〈9〉変わらないのです ヒューゴーside

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※残酷な表現があります。
※別視点です。


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 俺はヒューゴー。
 二十三歳で、ローゼン公爵家のご令嬢、レオナ様の専属侍従だ。
 公爵家には、十三歳の時にやって来て、かれこれ十年経った。
 孤児から公爵家の侍従にっていうのは、普通なら有り得ないぐらい、ものすごい出世らしいぜ。すげえだろ。

 そう、俺は産まれたばかりの赤ん坊の時、教会が運営するある街の孤児院の玄関前に捨てられていた。
 雪が降り続く寒い日だったのにも関わらず、タオル一枚で包まれていただけだったので、朝玄関掃除をしようとして見つけたシスターは、もう死んでいるのではないかと抱き上げるのが怖かったそうだ。
 残念ながら生きていたので、そのまま引き取ってくれた。
 
 それからは、シスターと、同じ境遇のガキどもと暮らした。三十人ぐらいは一緒に生活していたと思う。とにかく貧乏で、服はいつもどこかが破れていて、朝食のスープではとても足りず、いつも腹がグルグル鳴っていて、誤魔化すために井戸水をガブ飲みしては腹を下す毎日。
 昼も夜も硬いパンと根菜ぐらいしか食えてなかったが、そのうち勝手に身体が大きく丈夫になり、水汲みや畑を耕したりできるようになった頃、一番仲の良い悪友のポーが言った。
 
「なあヒューゴー、冒険者になりたくないか?」
 
 ポーは、この王国で一番有名な『創造神と王様』の絵本を何度もぱらり、ぱらりとめくっている。
 皆が繰り返し読むので紙はボロボロだし、綴じはほつれかかっているし、絵もかすれているが、ポーは宝物のように扱っている。
 その絵本は、この国の成り立ちを描いたとされる一番有名な物語で、大まかな内容はこうだ。
 

 創造神イゾラは、貧しい山間で真面目に生きるある少年に目を止める。彼は困った人を見つけると、老若男女、悪人善人問わず誰でも助け、与えられるものは何でも施し、笑顔を絶やさない。
 ある時彼は、狩りの腕を見込まれて、村同士の争いに駆り出され、命を奪われそうになる。それでも大切な人々を守りたいと願い、彼の純粋な心に胸を打たれたイゾラは、彼に魔力を与えた。
 
 強大な魔法で争いを終わらせた彼はだが人々に畏怖され、その土地を追われてしまう。それでも清廉な魂を持ち続けた彼は、冒険者として世界中を旅し、道中で人を助け、魔獣を討伐し、仲間を得て豊かな土地へと辿り着いた。そこである女性と恋に落ち、やがてその地に村ができ、さらに発展し大きくなり、ついには国となり、彼は初代国王になった。

 
 ――というものだ。
 ポーは何度も繰り返しこの物語を読んでは憧れ、毎日のように冒険者になりたいと言っていた。
「……なってやってもいいぜ。どうせここには、長く居られないんだ」
 成人となる十六歳までには、何らかの職を見つけて孤児院を出なければならない決まりだ。
 別にやりたいことなどなかったから、二人で冒険者登録ができる十歳の年に街のギルドへ行き、十二歳で小さな部屋を借りて、孤児院を出た。
 
 俺には魔力があった。裸同然の赤ん坊が、雪の夜を外で朝まで過ごせたんだ。そういうことだ。
 シスターも、どこかの貴族の不義の子なのではと、最初から思っていたらしい。
「あなたが私の指を掴んで、離さなかったものだから」
と笑って、その後あの頃は可愛かったのに、と愚痴るまでがお決まりの、元気な婆さんだ。

 部屋を借りられるくらいには、稼げる腕があった二人パーティの俺達は、それなりに街では名が通っていた。成長株だなんだと持ち上げられて、満更でもなかった。
 そして十三歳になる年、未曾有の大災害がこの国を襲った。スタンピードだ。年齢性別を問わず戦地に向かった冒険者達の目的は、名誉と報酬に尽きる。ポーもそうだった。だが、俺達にはまだ早すぎた。

 問答無用で襲いくる、見たことも無い魔獣の群れ。
 数の暴力に抗うには未熟過ぎた、と気付いても後の祭りだった。
 
 戦う人々、逃げ惑う人々、血飛沫、体液、魔法、武器がぶつかる音、馬の嘶き、腐った血肉の臭い、何かが焼ける臭い、怒号、悲鳴、雄叫び、遠吠え、断末魔。

 人間が一瞬で壊れた玩具になる、非現実的な光景に、胸が焼けるように熱いのに、肌はずっとビリビリ粟立っていた。

 目の前で簡単に命が刈り取られていく中、必死で活路を見出し走ったが、あと一歩足りなかった。
 先に事切れたポーを背負ったまま、倒れ伏した俺は、どんどん冷たくなっていく背中の親友の温度に絶望した。
 血なまぐさい土に顔を埋め、まあこの生き方で悪くはなかったかな、と思い返す。せめて、孤児院に大金を持って帰って、シスターを驚かせたかったなあ、と思ったのを最後に気を失い、目が覚めると野戦病院のベッドの上だった。
 
 親友の死臭でもって魔獣の襲撃を逃れられ、せめて墓作りをとやって来た辺境騎士団に、運良く助けられたのだそうだ。ポーはスタンピードの起こった北の森の外れに作られた、集団墓地に葬られたと聞いた。

 ――なんとなく墓には行けないまま、怪我が治ると街へ戻り、たまたま冒険者ギルドを訪れていたルーカスに出会い、令嬢の護衛にならないか? と誘われた。
 
「貴族のお嬢様の世話ぁ? 退屈なんじゃねーの?」
 
 舐められたくなくて斜に構えた俺に、ルーカスは、会えば分かる、と微笑んだ。
 手付金をもらった挙句、気に食わなかったら断るからな! と豪語して、公爵邸で当時四歳のレオナ様に会い、戦慄した。

 深紅の瞳を持った少女は、まだ四歳にも関わらず、白い肌にプラチナブロンドで、既に非常に美しい存在だった。
 その瞳の色で、この王国の誰もが知る薔薇魔女の名前が思い浮かび――何故か大衆演劇では、王子とお姫様の恋仲を魔法で邪魔する演目が人気だ。魔法必要か? と思うが、つっこんではいけないらしい、永遠の絶対的悪役だ――目が離せなかった。

「はじめまして。わたくしはレオナというの。あなたは?」
 温かく小さな両手が、俺の右手を握りしめてきたので、突然のことに戸惑い、反応ができなかった。
「なにか、かなしいことがあったのね? こんなに手をいためて……がんばったのね……」
 柔らかな手のひらが、すっかり硬くなって潰れた剣だこを撫でる。
 俺は自然と両膝を床に付き、高さの合った彼女の目を見返していた。ルビーのように煌めいている。――涙が溢れてきた。
「だいじょうぶよ。もうさみしくないわ」

 なぜ? と思った。
 
 なぜ分かるのか? 大切な人間を失い、生きる目的も失った俺の空っぽな心の内を、なぜこんな小さな子が見透かしているのか?

 レオナ様は、高価な服が汚れるのを厭わず、小さな腕で俺の頭をしっかりと抱きしめ、言った。
 
 ――温かい。言葉も、体温も。
 
「ヒューゴーというのね。よかったら、わたくしのかぞくになってくれたらうれしいわ」
 ルーカスにね、強くてかっこいい人がいいなってお願いしたら、あなたが来たのよ? と、耳元で内緒よ? と恥ずかしそうにフフッと笑うレオナ様は、まさに初々しく咲きたての一輪の薔薇のようだった。

 それから長い時間を一緒に過ごして来たのだが、未だにレオナ様は、なかなかその胸の内を明かしてはくれない。
 いつも独りで悩み、冷めた目で遠くを見やっては、何か大きなものを受け入れる、その繰り返しだった。

 あなたは、俺に家族になって、と言ったのだから、俺に生きる目的をくれたのだから、何でも言えばいいんだ。
 この命を捧げてでも、あなたの願いを叶えたいのに!
 いつでも笑って誤魔化される。俺はいつまでも与えられてばかりだ。

 メイドのマリーと戦闘訓練をしながら、そう思いを馳せる。いつになったら、ちゃんと家族になれるのだろう? と。
 
「他のことを考えていられるなんて……余裕ね?」
 
 元男爵令嬢のマリーも魔力持ちで、メイドと言っているがほぼ護衛だ。
 小柄だがその分すばしっこく、手を焼く。
 非力だが人体の急所を知り尽くしているのが非常に厄介だ。気配を消すのも上手く、油断するとあっという間に気絶させられる。
 
「レオナ様が、悩んでいらっしゃる」
 
 やれやれ、とマリーがナイフを下ろした。俺も拳を下ろす。
「お茶会で、どこぞの伯爵家の息子に、魔女のくせにって面と向かって言われたそうよ」
「あん?」
 
 いつもそうだ。
 マリーには言うのに、俺には言わない。
 同じ女だから言いやすいのか?
 
「ヒューは、すぐ殺気だすから言えないのって、笑っていらっしゃったわよ。修行が足りないわね」
 
 読まれたか。
 
「わざとだ」
「知ってる」
 
 なんだよ、今日はやけに絡むな?
 
「あなたは、お嬢様への愛が深すぎるわね」
 
 ……分かってる。
 
「私も苦しい」
「はっ、お前もたいがいだよな」
 
 マリーもレオナ様を愛し、なんとかしてあげたいと苦しんでいるのだ。似た者同士、慰め合うのも悪くない。何にせよ、俺達は生きている限り、一生レオナ様から離れる気はないのだから。何よりもレオナ様が一番。それ以外は、割とどうでも良い。

 果たして俺達はその夜、慰め合った。
 共犯よ? とベッドの中でマリーが笑う。
 いいぜ。一生共犯で居ようぜって言ったら、ある意味プロポーズね、とまた笑われた。
 ――なるほど、それも良いかもしれない。



 ある日、学院での魔力測定を終え、能力が明らかとなったレオナ様が動揺し、泣き崩れた。
 
「私は――これからどうなってしまうのかしら」
 
 ルーカス、マリー、そして俺は事実を打ち明けて頂けたわけだが、聞いた瞬間、ようやくレオナ様の心に触れられたというくらい喜びを感じてしまった。
 
 ついにこの日が来てしまった訳だが、我々は皆想定済。
 公爵閣下のご指示で、密かに備えていた。いざという時のための結界、魔法制御の魔道具、それらを使うための訓練。このレオナ様のお部屋もかなり頑丈に作られている。
 
「魔法なんて使えないし、魔力なんて分からない……だけど、強い何かが、身体の中にあるのだけは感じたの。怖い、怖いよお、こんなのいらないよお、どうしよううう、ううう」
 
 俺がレオナ様を抱き締めるわけにはいかないので、マリーに託す。拳を握り締めすぎて、手のひらから血が滴り、白手袋を濡らした。


 おい、共犯者。
 俺の分まで抱き締めて、側にいる、必ず守ると示してくれ。頼む。


「お嬢様。我々がお側におります。大丈夫ですよ、ご安心下さい」
 ルーカスが、背中をさすりながら何度も「お側に」「大丈夫です」と言う。
 マリーも、ただただギューッと抱き締めている。
 
 結局、奥様が泣き疲れたレオナ様と共寝でお休みになった後も、マリーは寝室で泣き続けた。
 幼少時代から瞳の色のせいで、薔薇魔女だの悪女だの陰口を叩かれ続けていたのを、間近で見知っている身としても、どこか絵空事であった。
 
 魔女の能力が現実となってしまったことは、それぐらい我々にとってすら非常に重たく、とてもすぐに受け入れられるものではない。
 
「心のどこかで、まさか、と思っていたの」
 
 俺が三枚目のハンカチをマリーに差し出すと、間髪入れずズビーッと鼻水をかむ。ストック足りるかな。
 
「あんなにお優しくて控えめなお方なのに……」
 
 お前が悲観してどうするんだよ、と俺は努めて軽口を装う。
 
「レオナ様が、誰かと恋愛結婚するのを見届けるんだろ? お前がウエディングドレス着せるんだろ?」
 
 そんな慎ましい夢を持つ公爵令嬢なんて、居るんだろうか。実際ここに居るわけだが。
 
「薔薇魔女? 上等じゃねーか。見合うような良い男見つけてやろーぜ。そんで、それを演劇にして、流行らせようぜ」
 
 国を滅ぼす程の魔力だから、どうだっていうんだ。悪女なんてクソ喰らえだ! 過去の女のことなんて、知るかよっ。今度は、あなたに幸せになってもらうだけだ。歴史なんて、俺がいくらでも塗り変えてやる。

 翌朝、少しだけ覚悟ができたわ、これから迷惑をかけるわね、と言われたので、なんでもないことのように答えた。

 
「俺がやることは変わらないっすけどね。ただ護るだけっす」

 
 変わらないのですよ、レオナ様。
 一緒に生きて行く。家族なのですから。



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 2023/1/13改稿
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