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嫁入り
嫁ぎ先が、決まりました
しおりを挟む「ああああの、助けて頂きありがたく存じますうぅ」
二の腕を掴まれたまま、ずりずり容赦なく絨毯敷きの廊下を引きずられる私は、素直に従いつつ何とかお礼の言葉を吐き出した。
掴まれている部分は、痛そうに見えてそうでもない。実はこれは、彼なりのエスコートなのかな? と思い直した。
「おう。お前、カールソンとこのだろ?」
――カールソン、は我が家名ですね。合ってますね。
「はひ!? はい……」
「送ってってやる」
「ぎゃわん!」
「ぶは、なんだその声。くっくっく」
――笑うと目がなくなるのね。かわ……
「いいから乗ってけ。馬車手配すんのも面倒だろ」
「そ、ですね……ありがたく存じます」
「……おう」
――あ、優しい顔。
王宮の馬車止めにある、黒い馬と黒い馬車には、大きく蛇の紋章が入った装飾がしてある。
「ああ!?」
私はそれを見て、大声を上げてしまった。はしたない。すみません。
「あんだよ」
「ユリシーズって、あの、ユリシーズ!?」
「んあ?」
「蛇侯爵! ユリシーズ・エーデルブラート!」
ユリシーズは目をまんまるくしてから、
「おう、そのご本人様だな」
にやっと笑った。
――どうやら、我が王国の大魔法使いに、助けられちゃったようです。
◇ ◇ ◇
私は家に帰るや否や、父の執務室に即刻閉じ込められてしまった。扉前にメイドを立たせるぐらいの徹底っぷりの、まさに『監禁状態』である。
致し方なく、びくびくしながら大人しくしていると
「えぇい、どうしてこうなった!」
バン! と扉が開き、息荒くドスドスと入室してきて憤慨するのは、私の父、アウリス・カールソン侯爵だ。鼻の下で綺麗に切り揃えられた焦げ茶の口髭を、しきりに触っている。
「しゅびばっしぇん」
父の私室で説教されるのは何回目だろう。数えきれない。
どかりと座った執務机に両肘を突いて、深い溜息を吐かれるのも何回目だろう。本当に、数えきれない。
「エーデルブラート卿には、私から十分礼を言っておいた。陛下へは後日直接謝罪に伺う」
「いやだから無実」
「黙れ」
――ひいいい、ご立腹メーターが振り切っていらっしゃる!
「セラ! だからあれほど隙を見せるなと言っただろう!」
「見せてないですし、勝手に来て勝手に」
「黙れ」
――言い訳ぐらい、させてよ!
「はあ。とりあえずしばらく謹慎しろ」
「げえ……」
ぎ、と目で睨まれた。
――おちちうえ めでころすのは やめてほしい
一句詠みながら、すごすごと自室へ戻った。
◇ ◇ ◇
「お嬢様」
ナイトドレスに着替えて、ドレッサーの前で髪を梳かす私にナイトティーを持ってきてくれたのは、メイド長のサマンサだ。
「サマンサ……私、無実なんだけど」
「ええ。お嬢様はぼうっとしていらっしゃるから」
「ううう」
サマンサは、ガラス小瓶から椿油をほんの数滴手のひらに取り、髪になじませてくれる。
庭に咲いていた椿から大量の種が取れたので、私が魔法で抽出したものだ。料理にも使える。
「それにしても、本当に素晴らしいですわね、この椿油」
「へへ~! みんなの分は、まだ残っているかしら?」
「ええ。メイドの皆、手荒れは治るし良い香りだし、髪がつややかになって殿方に声を掛けられる、と喜んでいますのよ」
「嬉しいわ!」
「こう言っては怒られるかもしれませんが」
丁寧に髪を梳かしつつ、幼いころから見守ってくれているメイド長は、眉尻を下げて言う。
「お嬢様が婚約者に選ばれなくて、よかったと思っておりますの」
「サマンサ……」
「でも『強欲』なんていう二つ名は、頂けませんね?」
「えーん! 家の中では自由にしていいよね?」
「ふふ。ほどほどにしてくださいませ」
さすがサマンサ。
私の憂鬱な心を、会話だけで軽くしてくれた。
◇ ◇ ◇
後日、改めて父の執務室に呼び出された私は
「ユリシーズ・エーデルブラート侯爵のことをどう思う?」
と、唐突に問われた。
応接ソファで、サマンサの入れた美味しい紅茶を飲みながらだったので、私はごきゅりと喉を鳴らしてしまった。
「先日会っただろう。若くして、大魔法使いと崇められているお方だ」
「ええっと、どうと言われましても。助けて頂いて感謝しておりますが、顔怖いけど良い人だったなー? ぐらいです」
この世界に魔法はあれど、唱えられる人間は指で数えるほどしかいない。
先天的に『神からの贈り物』として与えられ、『特権階級』として大切にされている。それは王国に翻意を起こさせないため、と貴族教育で習うため、この王国貴族の間では常識だ。
その一握りの魔法使いたちの中でも、能力がべらぼうに抜きんでているのが、エーデルブラート侯爵で『大魔法使い』と呼ばれている。
「うん。セラ。そこへ嫁いでくれるか」
「っ」
「すまない。これが、私がお前にしてやれる精一杯だ」
「……分かっております」
私にも幸か不幸かその『贈り物』があったが――父が今まで、ひた隠しにしてきた。『特権階級』の危うさを良く知っている侯爵という地位だからこそ、娘をそうしたくはなかったと聞かされているし、今まで自由に生きてこられて感謝している。
「実は卿には、以前からセラのことを相談していてな」
「魔法のこと……ですか」
だからあの時「カールソンのとこの」と言ったのか。なるほど。
「記憶のことも、だ」
「っ!」
「黙っていてすまなかった。だがエーデルブラート卿は、信頼に足る人物だよ。それこそ、あの王子と比べ物にならないぐらいにな。ただ」
「性格に難あり」
はあと自分の父が大きな溜息を吐くのを見るのは、なかなか辛い。
「卿も陛下から結婚しろとせっつかれて、困っているらしくてな。白い結婚で良いと言ってくれている」
「っ! それは、ありがたいです!」
白い結婚、というのは書類上だけで、夫婦としての営みをしないことだ。偽装結婚と言ってもいい。
「では、話を進めるからそのつもりで」
――この世界で私が幸せに生きてこられたのは、愛情でもって厳しい父と、母のように接してくれるメイド長のおかげだ(母は私の産後、肥立ちが悪く帰らぬ人になってしまった)。
異世界転生者で魔法持ちの私を、温かく育ててくれてありがとう。
十八歳は、この国では成人だ。
それでなくとも父は、私の嫁ぎ先に苦慮していたわけだけれど、まさかあの『蛇侯爵』に嫁ぐことになるだなんて――
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