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終章 新たなる時代の幕開け
第33話 瑠璃の夢に微睡む
しおりを挟むその日の、宵。
「おい、なぜこんな」
儀式の後の申し送りを終え、久しぶりに夜宮にやってきた魅侶玖は、部屋のあちこちに服や道具が積み重なっているのを見て、困惑している。
「ギー様のお屋敷に移ろうと思いまして」
「は?」
けろりと言う沙夜に、魅侶玖は眉根を寄せる。
「なぜだ」
「なぜって……これから皇妃候補となられる姫方が、後宮にいらっしゃるなら、出て行かねばと」
「出て行く必要はない」
魅侶玖は、御簾を超えて室内へ入るや、どかりと座った。
「沙夜。顔を見せろ」
「っ」
高灯台の明かりは、十分ではない。
だが、潤んだ瑠璃の瞳は、すぐにわかる。
魅侶玖は真正面に座るよう、沙夜を促す。
「何があった?」
声音は、優しい。
「お疲れのところ、このようにちらかっていて誠に申し訳なく」
「言いたくないか?」
「っ」
ふー、と大きく息を吐くと、魅侶玖は静かに続ける。
「ならば、聞け。ここは、いらぬ情報が錯綜する場所だ」
「!」
「数多ある話の中から、真実を拾い上げるのは難しい。話す人間の主観が入れば、芯がぼやける。意図して捻じ曲がる。ほぼ嘘かもしれぬ」
「ほぼ、うそ?」
「ああ。だからできるだけ、自分で直接聞くことにしている。最近の俺がずっと忙しいのは、そのせいだ」
「陛下……」
「何を聞いたか知らんが、俺に関することならば、俺に聞け」
す、と魅侶玖が沙夜の手を取る。
「聞きづらいならば、文を書け」
「でも、おいそがしく」
「沙夜のは、必ず読むと約束する」
「ごめいわくでは」
「迷惑なら、そもそも言わぬ。だろう?」
「……」
「俺のことが、信じられないか」
「いいえ」
だが沙夜は、頭を横に振るしかできない。
「ギーから聞いたときには、そなたは既に陰陽師となることを決め、修行を始めた後だった。そのような大変な時に側にいられず、すまぬ」
「陛下は! 皇帝陛下になられたのです!」
「だからなんだ」
「わたしなんかに、割く時間はもったいないです」
「もったいないかどうかは、俺が決めることだ」
「っ……」
言葉が詰まった沙夜の手を離し、両腕を体の前に組んでから、魅侶玖はおもしろそうに笑う。
「なんだ、もう駄々はしまいか?」
それを聞いた沙夜は、なんだか本当に無駄なことを言っている気がしてきた。
「その……陛下に相応しい姫が来るのなら、わたしはどうしたら」
「! くっくっく」
「笑いますけど!」
「俺がそれを決めて良いのか?」
「夜宮は、陛下が作りましたから」
「ならば、ここに居ろ」
ぽかんと口を開ける沙夜に、魅侶玖が笑い続けるので、ついには頬を膨らませた。
「沙夜。公家方は皇帝に取り入るため、後宮に姫を送り込むものだ。それを断ることは、例え皇帝ですらできぬ」
「……はい」
「その代わり奴らからは、ありったけの資金を吸い取る。力を削がねばならぬからな」
「ええ」
「だが、俺は姫らの元へ通うつもりはない」
皇帝の役目には、後継作りも含まれる。
それを放棄するつもりなのか、と沙夜は衝撃で動けなくなった。
「俺の母はな。俺を生んだことで『役目は終わった』と捨てられた。皇帝となる身と自覚した今は、その所業も……分かりたくはないが、分かる」
「!!」
「女をそのような道具扱いになど、したくはない。幸い、龍樹もいることだ。後継ぐらい、どうにかなるであろう」
「どうにかって……でも」
「他の姫らに嫉妬してくれたのは嬉しいがな。俺には夜宮だけでいい。さあ、腕枕してやろう」
笑いながら、魅侶玖は沙夜の両手を強引に引いて立たせる。
「しっとって……わ!」
足のもつれた沙夜は、図らずも魅侶玖の腕の中に倒れ掛かり――ぎゅうと抱きしめられた。
紅花色の束帯には、上品な香が染みついている。
「はは。華奢だな」
部屋の片隅でじっと寝そべっていた玖狼が立ち上がり、こてんと首を傾げて言う。
「わしは、外で寝ようか」
「気が利くな、玖狼」
あっという間にトトトと歩いて出て行ってしまう玖狼を、呆然とした顔の沙夜が見送る。
「!?」
「さあ沙夜、否とは言わさぬぞ。勝手に荷造りした罰だ」
続き部屋の御帳台までずりずりと引きずられるようにしてきた沙夜の足元で、式神のルリが手早く寝支度を整える。
あれよあれよと、沙夜と魅侶玖は布団に並んで横になった。
静かな月光が足元を照らす他は、微かに鈴虫が鳴いている。
「どうせ余計なことを烏が言ったのだろう。なんで彼奴の言うことは聞いて、俺の言うことは聞けぬのか」
「えっ? もしかして愚闇に嫉妬してます?」
「悪いか」
「えー! あははは」
「やっと笑ったな」
魅侶玖が、慣れた手つきで沙夜の頭の下に腕を差し込む。
たくましい二の腕と、温かな体温を感じて、沙夜はようやくホッと息を吐く。
「はあ。なかなか来られず、すまなかったな」
「……別に~? 忘れられたらそれはそれで……」
「そうか。別に寂しくはなかったか」
「っ!」
(そっか。わたし……魅侶玖に会えなくて、寂しかったんだ)
「……寂しかったよ……」
「! 沙夜……」
素直に言って見上げてみれば、ゆっくりとはしばみ色の目が近づいてきたので――自然と目を閉じた。
温かく柔らかい唇で、唇を吸われる。
甘く満たされた気持ちで目を開け、また見つめた。愛しい人の目は、夜の空気の中で月光を浴びて、金色に濡れているように見える。大きな手のひらで頬を撫でられ、奥底にしまっていたはずの本音が、ほろほろと表に出てきてしまう。
「会いたくなったら……呼んでもいいの?」
「もちろんだ」
「皇帝なのに?」
「関係ない」
「わがままじゃない?」
「はは。むしろ呼んでくれないと困る。そなたは、この俺の……唯一の姫だぞ」
「! 嬉しい」
今度は沙夜が顎を上げるようにしたら、それを見た魅侶玖がまたちゅ、と唇を吸う。額と、頬。それからまた唇に戻ったところで――沙夜は安心したようにストンと眠りに落ちた。
「はあ……即位早々、涼月と夕星に殺されないことを願おうか」
帳越しに月光を眺める魅侶玖は、ひとりで苦笑してから目を閉じた。
◇
沙夜の夢の中では、ハクとルリが手毬遊びを楽しんでいる。
『ねえ、沙夜』
『なあに、ハク』
『瑠璃玉を次へ渡すのは、もう少し後にしようね?』
『ん?』
意味が分からず、沙夜は首を傾げる。
ハクはにこにこと笑いながら、言い直した。
『もうすこし、ぼくと遊んでね?』
『もちろん! いっぱい遊ぼう』
『よかった、うれしいな。ずっと一緒にいるからね』
『うん!』
ぎゅう、とハクが横から沙夜を抱きしめる。
『たくさんの術や力は、ぼくが少しずつ渡すから。心配しなくても大丈夫だよ。安心しておやすみ、沙夜』
沙夜の両の手のひらの上には、いつの間にか青く輝く光の玉が乗っていて――中にはたくさんの青い蝶が羽ばたいている。
『あり、がと……』
現では魅侶玖。
夢ではハク。
ふたりの力強い腕の中で、稀代の陰陽師は、幸せに微睡んだ――
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