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終章 新たなる時代の幕開け

第31話 継承の儀 前

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 日取りと場所は、白光一位である夕星ゆうつづの占いによって、選ばれた。
 継承の儀は、三日三晩に渡って行われる。

 一日目は、みそぎ
 二日目は、宣言。
 三日目は、送り。

 心身を清めて青剣あおのつるぎを取り出し、皇帝となるべく宣言をし、青剣と眷属を在るべき場所へ戻す。

 朝の空気の下、離宮で儀式の準備をしている沙夜を見つけたギーが、近寄ってくる。
 
「瑠璃玉の陰陽師がふたりもいるとはな。前代未聞であるが、楽しみなことよ」
 
 夕星の予言『先見の明』では『不穏あり』とも出たのだという。

 ――離宮にあやかしが現れたのも事実。つまり吉凶混合である、と。
 
 それを聞いた右大臣近衛このえと内大臣鷹司たかつかさは、とにかく異議を唱え、調整が大変だったらしい。
 
 
「異議って?」
「離宮で儀式を行うのはやめろ。われを排除しろ、とな」
「ええ! 離宮はまあ……でも、ギー様を!?」
「鬼が恐ろしいのだろうよ」
「うーん」
「黒姫は、われが怖くないかえ?」

 場を清めるため、白い狩衣姿で掃除をしていた沙夜は、首をコテンと傾けた。

「怖いとか、考えたことないです。いつも優しくて、色々教えてくれて、時々その……」

 背中から優しく抱きしめてくれることは、嬉しい。
 だがそれを直接言うのは、恥ずかしかった。

「おや、おや。可愛い顔をして。どれ」

 言わずとも、伝わってしまったらしい。
 紫の狩衣が、後ろからふわりと包んでくれた。衣服を清めるのに焚いたであろう、白檀びゃくだんの香りがする。

「ギー様には、かないません」
「ふふ。逆よ」
「え?」
「黒姫が可愛くてなぁ。かなわん、かなわん」
「あははは!」
 
 どこからか飛んできた愚闇が、盛大にねながら文句を言う。

「ちょー! 忙しいのに、いちゃいちゃしてるし~」
「愚闇。この辺は掃除したよ?」
「離宮の中もですよお」
「わかった、今からやるね」

 すると、白光二位の雪代ゆきしろが、やはり白い狩衣姿でやってきた。

「黒姫。そろそろ雑面ぞうめんを着けよう」

 手には、白絹の面布がある。
 後宮であるものの、紫電をはじめとした男たちが入ってくるのを見越して、持ってきてくれたのだろう。
 
「ありがとうございます」
「ん」

 正面から慣れた手つきで着けてくれるのに、黙って従った。

「すごい。わたし、贅沢者ですね!」
「?」
「贅沢とな?」
「だって、白光と紫電の二位に包まれてるんだもの。幸せ~!」

 あんまり嬉しそうに言うものだから、ギーはさらに後ろから抱く腕に力を入れ、雑面を着け終わったはずの雪代は、無言で頭を撫でた。

「んもー! 間に合わなくなりますってええええ」

 離宮の前に必死で細い木を井桁いげた(井の形になるように組んだもの)に組み上げる、とある隠密の叫び声が――晴天にとどろいた。



 ◇

 

 一日目のみそぎは、逢魔おうまが時からはじまった。

 離宮から青剣が収められている宝物殿ほうもつでんへは、白い布が一本道のように敷かれ、儀式の間は誰も通らないよう通達されている。

 この日の吉方きっぽうは、たつみ(南東)。
 
 魅侶玖は黒い冠に真っ白な束帯姿で、下襲したがさねを引きずりながら右足を出し左足を揃え、左足を出し右足を揃えと一歩一歩進み、吉方から離宮へと向かう。
 そのすぐ背後には、手に鈴を持ったギーが追従している。
 銀髪で赤い目の鬼は、角を隠すことなく伸ばし、同じように下襲を引きずってゆっくりと歩く。

「オン マリシエイ ソワカ」

 リン、とギーが手に持った鈴を鳴らす度、下襲を挟むようにして後ろを歩く夕星と沙夜は、場を清める言葉を唱える。ふたりは瑠璃玉の陰陽師として、紫色を帯びた濃い青で染められた、特別な狩衣姿だ。頭には立烏帽子たてえぼし雑面ぞうめん
 
 四方には、それぞれの色の束帯姿で冠を被っている紫電、黒雨、陽炎一位と白光二位が、陣で囲むようにして、歩く。

 離宮に入った魅侶玖は、神聖な縄で囲まれた炉の前へおごそかに座った。
 
 炉の上には、井桁いげたに積み上げられた組木がある。魅侶玖が目を閉じたのを合図にギーが鈴をリンと鳴らすと――陽炎一位の那由多が前に進み出て、片手で何らかの印を作りつつ、金の手燭てしょく台から火を点ける。
 
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」

 夕星が真言を唱える間、魅侶玖はじっと目を閉じている。
 那由多が、墨で何か書かれた木の棒をひとつ、炉の中へ投げ入れた。
 それからは、ぴくりと魅侶玖が身じろぎをする度、またひとつ投げ入れる。
 
 ばちばちと弾ける炎が、魅侶玖の身の内にある煩悩や欲望を燃やし尽くしていく儀式だ。
 夜が明けるまで一晩行うみそぎは、こうして滞りなく終わった。



 ◇



 二日目は、宝物殿ほうもつでんへ行く。

 青剣あおのつるぎいただいて眷属と護国のちぎりを結び、当代への助力をう儀式だ。

 清められた道を歩けるのは、やはり魅侶玖のみ。
 昨日と同じ陣形で、離宮から一歩一歩進んでいく。到着までかなりの時間がかかり、体力も必要である。

 飲み食いはもちろん、話すことも許されない。
 
 一切の欲を排し、ただひたすらに護国を願う。

 一歩、また一歩。

 冷たい秋風に、ひらひらと舞う落ち葉。
 赤や黄色が、玉砂利の上にあって日光を反射している。
 清めの水でしっとりと濡れた袖が、少し重い。

 どこかで、ピーヨピーヨとヒヨドリが鳴いている。

 沙夜は、肺の奥深くまで息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。
 
(ハク……会えたらいいな)

 離宮の庭で会った時は、子どもが紛れ込んだのだと思った。
 白髪に白く濁った目の水干すいかん姿で、白湯を振る舞ってくれた。
 いざ冥門が開いたときに、夕星が『はかない姿』と言っていたのがずっと気になっている。

(ほんとうは、違う姿なの?)

 思わず、心の中で問うと――
 
(ふふふ……さよ。さよ。早く会いたいなあ)
(ハク! 今、行くわ)
(うん。気を付けて)
 
 びり、と沙夜の背筋が粟立った。
 
(……ありがとう、ハク)


 沙夜は、歩きながら唇に人差し指を当てると、声に出さず真言を唱えて式神をんだ。
 それは清浄なる空気を乱さず、音もたてず、宙を舞う。

 大ぶりの青い蝶が、きらきらと鱗粉りんぷんをまき散らしながら、ギーの角の先に留まった。

 誰もそれを気にしない。歩く先の一点をのみ見つめて、歩を進める。

 
 ――と、宝物殿の入り口が見えてきた。


 両開き戸の前には、左大臣九条と、右大臣近衛このえが黒い束帯姿で立っている。
 魅侶玖の歩に合わせ、ふたりはゆっくりとそれぞれの扉に付けられた鉄の輪状の取っ手を引き、開けていく。

 中は格子組の天井と、赤漆塗りの柱に囲まれ、上長押なげしに飾り布が付けられている。
 入るとやがて、淡く光を発する剣を乗せた黒漆の台が見えてきた。天板の刀置きも側板も、夜光貝の螺鈿らでんで装飾された、豪華なものだ。
 
 剣の周辺は、四方に立てられた黒漆の細い柱に張られた、封印札付きの縄で囲まれており、誰も足を踏み入れられないようになっている。

 魅侶玖が手前に置かれた椅子に腰かけ、ギーが袖や衣服を整える。
 誰もが次の儀式に備える中、沙夜だけは違った。
 
(オン アロキリャ ソワカ……オン アロキリャ ソワカ……)

 人の心を清浄にする真言をひたすらに口内で唱えている。それはなぜかというと――

「ぐふふふ」

 那由多が突然、笑い声を漏らした。
 
 心を乱されまいと、魅侶玖は目をきつく閉じる。
 
 涼月は素早く魅侶玖と那由多の間に立ちふさがり、ギーが素早く指印を切ったのを横目で確かめ、口を開いた。

「貴様、邪魔立てをする気か?」
「ワイ? まさか。けけけ」
 
 シラを切る那由多に対して怒りを膨らませるのは、黒雨一位の文佐ぶんざだ。静かに殺気を出して牽制し始める。
 
「血のけがれはご法度はっと。われが縛りましょう」
 
 白光二位の雪代が、指印を作りながら何かを唱え出した。
 
「俺のが速い」
 
 涼月が半歩足を出した瞬間、ギーの角から青い蝶が羽ばたいた。

「!?」
「ちがう!」

 だん! と沙夜が大きく床を踏んで音を鳴らす。

「っけけ~! やるなあ、お嬢!」
 
 同時に、那由多が飛んだ。
 ふたりがかりで羽交い絞めにしたのは――夕星だ。

「ゆーつづ!?」
「ぐぬう」
「そんなっ」
 
 けらけら笑う陽炎一位が、「うまそげな匂いがすると思ったんだよぉ~」と言いながら無理やり雑面を剥がすと、そこには見知らぬ女の姿があった。
 
「だれだっ」

 叫ぶ涼月や、他の面々は覚えがないような顔をする中、沙夜だけは違った。

「あなたは……」

 後宮の渡殿わたどの越しに、わざと沙夜に聞こえるよう悪口を投げかけてきた、皇后候補のひとりだ。
 
「ふん、下賤げせんな女が!」

 身をよじりながら、女は狂ったように叫び出す。

「わらわこそ! 殿下の隣に立つにふさわしい!」

 怒りを身の内から溢れさせながら、涼月が詰め寄った。
 
「貴様……承継の儀をなんと心得る。夕星はどこだ!」
「皇后となるわらわが、皇帝を継ぐ儀式に立ち会うのは道理ぞ」
「なにをとち狂ったことを」
 
 女の拘束を那由多に任せた沙夜は、涼月を手だけで制して静かに言う。
 
「……六根清浄ろっこんしょうじょう急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう
「ぎゃ!」

 途端に苦悶に顔を歪ませる女は、白目をき口角から泡を吐く。

「瑠璃玉の陰陽師として、紛い物をはらえるか。――呪水じゅすい法師の力試しです。でしょう、ギー様」
「しかり。よくぞ見破った」
「呪水法師だと! 国外追放したはずだ!」

 文佐ぶんざの叫びに、ギーは目を細める。

「白光対抗組織として、引き入れる。そんなことを考える者が絶えぬのであろ」
「!!」
「見事なり、黒姫。さあ続けようぞ」
「はい」

 
 ――瑠璃玉の陰陽師がふたりもいるとはな。前代未聞であるが、楽しみなことよ……

 
 ギーといい、ハクといい。手がかりを与えすぎだ、と自分でも思う。

(わたしに、甘すぎない?)

 沙夜は自然と上がってしまう口角を押さえて、前を向く。
 
 ちなみに涼月は、柱の陰からするすると戻って来た夕星に、後頭部を叩かれていた。
 
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