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第三章 宿縁、繋がる
第25話 黒姫、誕生
しおりを挟む「悪かった、忙しくてな」
開門の儀から七日後の宵、魅侶玖は夜宮をようやく訪れていた。
見慣れた黒い狩衣でなく、皇族のみ許される紅花色の束帯姿である。
それを見た沙夜は、内心では少々怖気づきつつも、持ち前の負けん気を発揮していた。
「言い訳無用!」
「怒るな」
「怒ってません!」
ふたりが言い争うのを聞くはめになっているのは、玖狼と愚闇だ。巻き込まれまいと、部屋の隅で縮こまっている。
「寂しがっていたと聞いたが」
「はあ!? 違いますし!」
「逢瀬がなくなったと言っていたそうだな」
「おう……はあ!? わたしを生き餌にしたのを、怒っていただけです!」
「あー、悪かった」
「軽い!」
「無事だったんだから、良いだろ」
「かっる! いや、かっるい!!」
(呪いの舞い、舞ったろうかな!?)
「これって、犬も食わないってやつですよね」
「がうっ、言うな愚闇」
「だってー」
「何か言った!?」
「「言ってません」」
話の矛先を変えようと魅侶玖が愚闇へ視線を投げる。
「ところで愚闇、龍樹に何をしたんだ。急に大人しくなったぞ」
「あー。首根っこ掴んで空を飛びまして」
けろりとのたまう烏天狗に、沙夜も魅侶玖も目を真ん丸にした。
「「空を飛んだ!?」」
ふたりから同時にキラキラとした目で見つめられた愚闇は、ぼそりと「似た者夫婦」と呟いてみたが聞こえなかったようだ。
「おっほん。とにかく! 詳細なご説明をいただきたいですね!」
沙夜が居住まいを正して言うと、魅侶玖は後頭部をかいてから眉尻を下げる。
「夕星に聞けば良いではないか」
「ぜんっぜん捕まりませんし!」
「そうか……分かった」
ならば報告を受けた内容をかいつまんで説明しよう、と口を開くに――
青剣は実は『護国』ではなく、『持ち主の欲を具現化』する宝なのだという。
ところが、その力の源である皇帝の欲、すなわち護国への願いが年々薄れ――平和が続くとそれが当たり前になる――剣の力が弱まることを、夕星は自身の持つ特異な能力『先見の明』で予見していた。このままでは、再びあやかしが溢れる世になるのは避けられない。さらに、青剣の眷属である伯奇(ハク)が沙夜の夢を通して青剣を冥門の中へ隠すのも見えた。
冥界へ渡ってしまった宝を取り戻す方法を模索した結果、禁術を用いて生きたまま渡ることを思いつく。
渡るまでは良いが、普通なら『片道だけの死出の旅』だ。戻るには、少なくとも現世との繋がりを保ち続けなければならない。
そこで瑠璃玉を沙夜に継がせ、自身とハクの髪で編んだ組紐を命綱として結んだ。
とはいえ、縛りは多い。
元の場所へ生きたまま戻るには、冥界の者どもに帰り道を悟らせないよう、方違えをしなければならなかった。
冥界に居ながら陰陽師の式に則り十二支方位を違えていくと、現世で十二年の時が必要になる。
しかも皇帝が冥へ渡ってから四十九日の間(その後は輪廻のため魂が消滅する)に、現世へ戻らなければならない。
さらに、冥界の門を現世へ出現させ青剣を持ち帰るためには、贄として大量の人命と、宝剣を継ぐ皇族の血が必要だった。
「綱渡りすぎですし、人を犠牲にしすぎです」
「俺もそう言おうとしたが……青剣が失われれば、いずれにせよ皇雅国は全滅だ。夕星たちも命懸けの賭けに出たと」
そう言われてしまうと、沙夜は何も責めることができない。
「おまけに、ギーの力を取り戻すためと言われてはな」
「ギー様?」
「ああ。あの鬼も剣とは契りがある。あれでかなり弱っていたのだそうだ。あやつがそれを逆手にとって、わざと命を削ることで剣自身の欲をあぶり出し、それを龍樹が利用することも、剣の欲を喰って復活することも――夕星の術の内だった。まこと恐ろしいよな」
「ええっともう、なにがなんだか」
「だろう? うまくいった。それでよしとしないか」
釈然としないが、頷くしかなかった。
「沙夜」
「はい」
今度は魅侶玖が姿勢を正して、真摯に向き合う。
「そなたは、紫電一位と白光一位の娘。貴族と同等ゆえ、後宮にいるなら姫として迎え入れなければならない」
「げっ!」
「沙夜姫」
「いやいや。恥ずかしいです!」
「どうせなら、違う名にするか? 陰陽師として生きるつもりなら真名は隠した方が良いしな」
「えーと」
そういえば、夕星は夕宮陛下から『夕』の字をもらっていたんだったなと思い出しながらも、悩む沙夜に玖狼が寄り添う。
「ばうっ。深く考えるな。直感で良いんだぞ」
黒い毛に黒い眼を見た沙夜は、わしゃわしゃと撫でながら奥に静かに佇む黒装束も視界に入れる。
愚闇はばさり、と大きな黒い翼を一度はためかせてから深々と首を垂れた。
「では。黒姫! いかがですか」
「……良い名だ」
――救国の皇帝魅侶玖親王、寵姫黒姫とともに皇雅国を再興す。
これからの二人には当然、波乱の道が待ち受けている。
「さあて黒姫。俺は疲れた」
「寝ます?」
「寝る!」
続き部屋にある御帳台の手前では、侍女のすずが座礼で控えていた。
動乱の折、すずをあやかしの手から守ったのは、やはり沙夜の『護身の札』だった。
そのことに気づいたすずは、逃げ遅れた侍女たちを小部屋の中に匿い、自身は戸に立ちふさがるようにして守ったのだと言う。
「すず、ありがとう」
「っはい」
先んじて用意をしてくれていたことに礼を言いながら、沙夜は魅侶玖の束帯を脱がそうと背中から手を掛け、すずはそれを手伝う。
「そなたが、女官らを守ったという剛の者か」
「っ!」
魅侶玖に声を掛けられると思っていなかったすずは、慌てて座礼をした。
「これからも、黒姫を頼む」
「っ、もったいなきお言葉にございます」
「うわー、偉い人みたい」
「おい沙夜……」
「ふふ。なんか、わたしの中での殿下って、離宮で会った小汚い……あ、失礼」
「こら。また腕枕してやろうか」
「ひい!」
「まあ。うふふふふ」
布団の間に寝そべる玖狼の尻尾を整えていた愚闇が、呟いた。
「いちゃいちゃしてるんだもんなあ」
「なんだヤキモチか愚闇」
「……」
ぼすん、と玖狼の尾に顔を埋めた隠密の背中から、無邪気に沙夜が言う。
「あー! ずるい、愚闇」
「ッカア」
すると突然、烏になった。
「え? 愚闇も一緒に寝る?」
「カアッ」
返事をしたのか、真っ黒な烏はとっと、と玖狼の眼前に寄り片足で立つと、首をぐるりと後ろに回して体に埋めるようにする。
「ふふふ」
真っ黒な烏は、苦虫を噛みつぶしたような顔になる魅侶玖の顔をちろりと見たものの、そのまま動かなくなった。
「護衛がふたり。安心して眠れますね!」
「はあ」
魅侶玖は、どさりと雑に横になると、玖狼の背に無言で顔を埋める。
「殿下?」
「いい。沙夜も寝ろ」
「……はい」
柔らかな笑みを浮かべたすずが、ふうっと高灯台の火を消す。
御帳台を囲む帳越しには、柔らかな月光が差す。
久しぶりの穏やかな夜が、訪れた。
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