救国の黒姫は、瑠璃の夢に微睡む

卯崎瑛珠

文字の大きさ
上 下
18 / 34
第三章 宿縁、繋がる

第18話 欲を、喰らう

しおりを挟む

「あおおおおおおおおおんんんんん……あおおおおおおおおおんんんんん」

 静かな日の出前の朝、後宮に響き渡る狼の遠吠えが、空気を切り裂いていく。

「……うるっさいなあ~! さては、お前も力がないなぁ? ただのだもんなあ! キャッキャ」
「玖狼!?」
「悔しいが彼奴きゃつの言う通り。今のわしにを倒す力はない。せいぜいひとり守るぐらいだな」

 ガタガタと真っ青な顔で震える桜宮を目だけでちらりと振り返る玖狼は、大きく息を吐いた。

「分かっていたが、無力。愚闇にああも無理をさせるなど」
「一体、どうしたら」
 
 沙夜はもはや呆然と見守るしかできない。
 到底、手も口も出せない。先読みもできない。未知の力に圧倒される。無我夢中で対処してきた今までとは違う。
 知性のあるもののけに対峙する方法も、技術も、知恵もないのだ。
 
「あーはあ! どーした、からす~? 烏天狗と言えば剣技の達人だろぉ~?」
「ぐ」
「ひよっこにもなれてないなあぁ~キャッキャ」
 
 ぬえは、黒く大きな爪でギギギと忍刀を弄んでいる。
 
「ただの力比べなど、おもしろくないぞぉ~」
「……ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン」

 愚闇の唱える何かの呪文が、沙夜の耳を打ち、心の芯を研ぎ澄ませる。
 
「ひゃっはー! まじめに修行してたんだねぇ~~~~~でもぉ」

 ところが、ぬえには何の効果ももたらさない。

「飽きたから、滅してあげよう」
 
 ぶわりと二回り大きくなった、猿の顔に虎の体、蛇の尾のぬえは――あっという間に愚闇の頭を踏みつけ、簀子すのこ縁にもう片方の足を置いて、部屋の中を覗きこんできた。
 
「うまそうな~きれいな女だぁ~おまえも、柘榴ざくろのようにしゃぶりついて喰らうてやろうなぁ~ウキャキャ」
「ひ!」

 恐怖のあまりどさりと気絶する桜宮の一方、沙夜は怒りに肩を震わせる。
 
「っ! おまえが!」

 このもののけが女官たちを喰ったことが、明白になった。
 だが愚闇ですら足蹴にする力を前に、なすすべを持たない。
 
「キャッキャ。おいしそう! 高貴な女を喰うたら、もっともっと強くなるなあ」
「ぐるるるるる、寄るな!」


 ヒョウ、ヒョウ。
 ヒョウ、ヒョウ。
 

 耳障りな鳴き声の前に、沙夜の理性は失われそうになる。

「ああ……ばあば……」
「キャキャキャ! そうだ泣け! 恐れろ! 絶望せよ。それこそが小生の……」
「……あさましき。下品なことこの上なし」


 音もなくふうわりと現れるは、紫色の狩衣に銀糸のような髪の――


「あっ!」
「またせたね、沙夜。怖かっただろう……玖狼、よく呼んでくれた」
「は」

 紫電二位であるギーが、赤い目をギラリと光らせ地面に這いつくばる忍びに声を掛ける。

「これ、烏。時間稼ぎはもう十分ぞ」
「へへ。遅いすよ」

 ばさり、とまた黒い羽根が沙夜の眼前に舞う。

「あー、しんど。さて、あるじはオイラが守るので、やっちゃってください~」

 けろりと人の姿に戻り、庇うように片膝を突く愚闇の背中に、沙夜は抱き着きそうになった。

 

 ◇
 

 
「おまえのようなもののけが、姿を現すなど。誰ぞ呼んだんかえ?」

 静かな声で問うギーを前に、さすがにぬえは動きを止める。
 雅な紫の狩衣を通して溢れる殺気と覇気は、薄闇を赤く歪ませ、触れれば斬られそうなほど鋭い。
 
「あああ~この世は何年経っても、欲まみれだねぇ。よきかな、よきかな」

 ところがぬえは、意に介さない様子でヒョウヒョウと鳴きながら、おどける。

「ねえギー。三百年みほとせもお勤めして、疲れただろう?」
「……年なぞ、数えるのをやめていた」

 しゅさ、と袖の音を鳴らして、淡々と体の前で不思議な手の印を作る。その所作に、沙夜は恐怖も忘れ見惚みとれている。

「なあ。なあ。腹がすいただろう? 弱っているなあ。喰らおう。ともに喰らおうぞ」
「ぬえなどと迎合する気はないが」
「おまえのためなのになぁ」
「なんと?」
「キャキャ。鬼は欲を喰らって生きるもの。だから弱ったのだろ?」

 ギーはその赤い目をぱちぱちと瞬かせる。

「ふくく。それこそ余計な世話というに……消えるなら受け入れるまでよ。それがことわりであろ」

 柔らかく笑むギーとは対照的に、ぬえはたちまち厳しい顔をする。
 
永久とこしえちぎりをたがえるか」
「われの契りは……ほほぅ、なるほど。きさま青剣あおのつるぎの欲であるか」
「え! これが!?」
 
 護国の国宝、青剣には眷属がいるという。
 それを魅侶玖は探していたと言っていたが、ぬえがそうだと言うのか。

「違うぞ沙夜。このような下品なもののけは単なる欲。眷属であらせられるお方とは似ても似つかぬ」
「なんと失礼なぁ~キャキャッ。おまえのために出て来てやったというのに」
「頼んだ覚えはないが」
 
 しゅさ、とまた静かに手の印を組み替えるギーの一方、ぬえはギリギリと歯ぎしりをする。
 先ほどまでの余裕な態度とは裏腹に、苛立ちを吐き出すように告げた。

「おまえが消えたら、誓約も消える。青剣の力も失われるのだぞ」

 
 ――ギーが消えれば、国宝の力も消える。

 そんなことを、魅侶玖は言っていなかった。つまりは誰も知らないことなのではないか、と沙夜は戦慄する。その証拠に、ギーがおかしそうにコロコロと喉を鳴らした。
 
 
「ほー。われも誓約の一部であったとは、三百年知らなかった。ふくくく」

 たちまち猿顔の少年が不貞腐ふてくされた顔をする。

「おまえがいなくなったら、駄目なんだよ」
「ほぅ」
「そのまま消える気満々で、魅侶玖とかいうガキに色々教えていただろう」
「だから、出てきたとな?」
「そうさ。ほうら小生の体から、人の命の香りがいくつもするだろう? 腹が減るだろう? 喰らえ。喰らおうぞ」

 ふ、とギーは短く息を吐き、眉尻を下げた。
 
「われの欲は、人を喰らうことにあらず」
「な!?」

 ギーがゆるりと一歩動くと、それだけで空気がざわめいた。じわり、じわりとその足から香り立つのは――鬼の気だ。
 その証拠に、にょきりと二本の鋭い角を生やしている。

「ギー様……」
「ふくく。命を削った甲斐はあったか……われが誓約の一部と知れた。浅はかなことよなぁ、青剣あおのつるぎよ」

 鬼の赤い目からほとばしるは、赤く禍々しい光。

「え」
「知らぬのか? 鬼は千年生きる」
「えっ」
欲ごときが、見誤ったなあ。じゃをも喰らうのが鬼よ。飛んで火にいるなんとやら」

 素早く手の印をほどくや、ぬえの首を片手で掴み、ぎりぎりと持ち上げる。
 沙夜の目には、信じがたい光景だ。
 愚闇を軽く足蹴あしげにした巨体が、華奢な男の片腕で宙に浮いているのだから。

「げ、ぐぎゃ」
「その鳴き声。耳障り」
「がは」
「ようやっと始末できる。我慢にも限界があるゆえ、良かった」
 
 驚愕に目を見開く猿顔に向かって、ギーは残忍な笑顔を向けた。

「魂の髄まで、喰らうてやろかえ」
「ひっ……ぎゃ……あ……ぇ……」
 
 だらりと虎の腕を脱力させ、目からは光を失う。
 それからシュウシュウと音を立てて黒い塵となり、ぬえはその姿を消していった。


 一方で、みなぎる気をまとい振り返るは――


「ああ、腹がいっぱいだなぁ」

 
 美麗に微笑む鬼だった。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

異世界転移女子大生、もふもふ通訳になって世界を救う~魔王を倒して、銀狼騎士団長に嫁ぎます!~

卯崎瑛珠
ファンタジー
突然獣人と人の王国の国境に転移してしまった、普通の女子大生、杏葉(アズハ)。 タヌキが、タヌキが喋ってるうううう!しかも、いきなり誘拐!?タースケテエエエエ!!と動揺していたら、冒険者ギルドのマスター、ダンに保護される。 なんとこの世界には人間と獣人、エルフがいて、お互いに言葉が通じないらしい。しかも、人間と獣人の仲は最悪で、一触即発・戦争勃発の緊急事態! そんな中、人間の代表として、命懸けで獣人との会談に臨むダンに同行したアズハは、獣人王国の騎士団長、銀狼ことガウルに一目惚れ! もふもふしたい!と近寄ると変態扱いされるが、言語が分かると知られるや否や通訳に大抜擢!戦争と恋の行方、どうなる!どうなるの!? ----------------------------- カクヨムとノベプラでも公開しています。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

狼さんのごはん

中村湊
恋愛
食品会社に勤める沢絵里。『ご飯は、美味しく楽しく』がモットー。 ある日、会社の食品開発部のサイボーグ課長こと高井雅和に、弁当のおかずをあげた。そこから、餌付け? の日々へと変わる。

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

女だけど生活のために男装して陰陽師してますー続・只今、陰陽師修行中!ー

イトカワジンカイ
ホラー
「妖の調伏には因果と真名が必要」 時は平安。 養父である叔父の家の跡取りとして養子となり男装をして暮らしていた少女―暁。 散財癖のある叔父の代わりに生活を支えるため、女であることを隠したまま陰陽師見習いとして陰陽寮で働くことになる。 働き始めてしばらくたったある日、暁にの元にある事件が舞い込む。 人体自然発火焼死事件― 発見されたのは身元不明の焼死体。不思議なことに体は身元が分からないほど黒く焼けているのに 着衣は全く燃えていないというものだった。 この事件を解決するよう命が下り事件解決のため動き出す暁。 この怪異は妖の仕業か…それとも人為的なものか… 妖が生まれる心の因果を暁の推理と陰陽師の力で紐解いていく。 第6回ホラーミステリー大賞奨励賞受賞! ※「女だけど男装して陰陽師してます!―只今、陰陽師修行中‼―」の第2弾となります。 1弾を知らなくても楽しんでいただけます ※表紙イラスト:雨神あきら様

土地神になった少年の話【完結】

米派
BL
十五になったら土地神様にお仕えするのだと言われていた。けれど、土地神様にお仕えするために殺されたのに、そこには既に神はいなくなっていた。このままでは山が死に、麓にある村は飢饉に見舞われるだろう。――俺は土地神になることにした。

ラブイズホラー ~痛めて菜抽子さん~

風浦らの
恋愛
金持ち&才色兼備。なんでも出来る菜抽子さんが、ただただ好きな人に振り向いてもらう為だけに四苦八苦する。 次第にエスカレートして行くその行動に、いつしか応援したくなってしまう、そんなお話。

処理中です...