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第三章 宿縁、繋がる
第17話 継承、そして来襲するは
しおりを挟む「沙夜……」
光が収まり玖狼が駆け寄ると、沙夜は袖口で軽く目元を拭き、目の前で倒れている桜宮を部屋で寝かせるよう愚闇に促した。
「大丈夫よ、玖狼。受け入れた」
瑠璃色の目できっぱり言い放つ横顔に、玖狼は目を見開いて畏敬の念を抱く。その意思の強さ、覚悟の重さに。
「これは、母様の力なのね」
愛おしそうに自身の胸へ手を添える沙夜に、黒い狼はハッとしてからその柔らかい毛で寄り添う。
「さもありなん」
人へ戻った桜宮を、横抱きにして布団へと運ぶ隠密の手は、慎重で繊細だ。それを見守るふたりは当然心中で「呪いを祓った」事実を反芻している。
「玖狼は、母様に言われてわたしの側に?」
「否定はしない」
「そう……これは瑠璃玉という、なにもかも暴き清める、とても強い浄化の力だと」
「その通りだ。夕星め、結局わしに面倒見させる気満々だなぁ」
ははは、と乾いた笑いを漏らす黒狼は、くいっと首を桜宮へ向ける。
「あの『蛇成り』のような強い呪を元に戻すなどというのは、普通なら不可能だ。そのようなことができるのは、希代の陰陽師のみ」
「母様は、陰陽師?」
「うむ。白光一位でギーの愛弟子の夕星という」
「ギー様の、愛弟子……だからわたしに目を掛けてくれたのね」
「まあ、娘とは知らぬはずだが、何かを感じていたやもしれんな。沙夜は代々、陰陽師の家系だから」
「おんみょうじ……ということは……ばあばが教えてくれていた言葉や、歌は……」
「修行の一環だ」
沙夜は、息を呑む。
子守歌、皇帝や左大臣の話の他にも、文字に手遊び、歌など、いろいろなことを教わった。
ぐるぐると頭の中を今までの思い出が巡っては消えていく。疑いもなく、ただの遊びだと思っていたが、今思えば確かに一風変わっていた。
「気づいておらぬから言うがな。すずの命を救ったのは、沙夜だ。護身の札で死なせずに済んだ」
「っ!」
沙夜は下唇をぎりりと噛み締める。軽い気持ちで渡したお守りが、本当に効いたのだと玖狼は言っている。すず本人にはとても言えない。未だ亡くなった同僚たちを想って、泣き暮れているのだから。自分だけ助かってしまった、と責めるに違いない。
「瑠璃の陰陽師の力は、『調伏』『占い』『浄化』『護身』など多岐に渡る。代々継承していくものだが、力が強いあまり中には気の狂う者もいる」
沙夜はぎゅっと目をつぶってから、再び開いた。
「……この胸にある宿命は、わたし自身のものだっ。たとえ重かろうと強かろうと、受け入れると決めた!」
「ならば良い」
「ばあばは、最後の瑠璃の力を使ってわたしを守ったのね」
沙夜は、ほろりと涙をこぼす。
子守歌にこめられた、あやかしを消す瑠璃の力は、祖母から母へ、それから沙夜へと引き継がれていた。
家で起こったことと、離宮であやかしを消したことが、ようやく腑に落ちた瞬間である。
「うむ……あれが、星影の遺言だった」
「星影……」
温かい手を思い出し、胸が絞られるような思いをする。
「星影も夕星も、そなたを陰陽師にするのに躊躇いがあった。厳しい道だからな。それでも何かあったらと、術を伝えてはおった」
「だから、わたしの名前には」
「そうだ。星がない。より良い物を取り分ける夜、という意味だ。星にとらわれず、良い生をと願った……そなたに瑠璃玉を託すのも葛藤していたからな。わしが人の世のためと押したこと。責めるなら、わしを」
途端に皆の深い愛情を感じて、涙が止まらなくなった。
例え直接ではなくとも、常に側に寄り添ってくれている。
これほど心強いことはない。
「ありがとう、玖狼。責めたりなんかしない」
「そうか……これからが大変だぞ、沙夜」
目の前の布団がもぞりと動く気配がし、袖で再び涙を拭ってからキッと顔を上げる沙夜が頷くその揺るぎない決意に、玖狼は身震いをする。
「う……」
さらさらと上等な布ずれの音をさせながら、桜宮が身を起こした。彼女は意識がはっきりするや否や、ギリリと恨みをこめた目で沙夜を睨む。
「余計な、ことをっ……!」
「余計、とは?」
「わらわは、死なねばならぬのにっ」
「死なねばならぬ人など、いない!」
沙夜はバン! と両手で畳を叩き、ずいっと膝でにじりよる。
「あなたを堕としたのは、誰だ!」
◇
夜通し桜宮との問答をしていた沙夜は、体はクタクタであるものの目と頭は冴えわたっていた。
「すず! 朝餉と白湯を!」
「は、はいぃ!」
夜宮に出仕したと同時に台所へ取って返す侍女に申し訳なさを感じながら、沙夜はボロボロに疲れ切っている桜宮を労わる。
敷き布団の上で上体を起こしている背をそっと撫でると、彼女はまたぽたぽたと涙を流す。しっとりと濡れた袖口ではもう、ぬぐい切れない。
沙夜は冷たい井戸水でぎゅっと手絞りした布を、差し出した。
「さ、目が腫れています。これで冷やして」
「かたじけなきこと……」
素直に顔を拭う桜宮に安堵した沙夜は、一晩かけて説得し、聞き出した話を心の中で反芻していた。
後宮へ参内せよと第二皇子である龍樹から再三言われてきたが、桜宮には幼いころからの許嫁がおり、お互い想い合っていた。
家からも断りを入れ、それでも桜宮個人へ届いた文には、想い人がいると正直に返事をした。すると内大臣から「翌年の税を増やす」と一方的な通達が届き、左大臣に相談をしようとしていた矢先――許嫁から一方的に縁を切られてしまう。
あろうことか、別の女と結婚した、と。
桜宮は、何日も何日も泣き通した。
心配した家族が寄り添うも、涙は止まらない。
恨みつらみを吐き出すうちに、夜ごと、夜宮を襲ったような蛇に囲まれるようになったという。
いっそ呪って、死んでしまいたい。
心の闇に囚われ、何も見えず、聞こえなくなった。
家人の止めるのも振りきり、あれよあれよと後宮へ侍り、気付かぬうちにあのようなモノに成り果て、なぜか憎しみが沙夜へ向かっていたというのだ。
沙夜の心の中には今、龍樹への怒りが渦巻いている。
だが――
「沙夜。心を平らかにしろ。でなければ付け込まれるし、呑まれる」
「っ、わかってるよ玖狼。でもっ……!?」
ヒョウ、ヒョウ。
ヒョウ、ヒョウ。
突然、鳥のような気味の悪い声が間近で聞こえた。
「ひ!」
恐ろしさに強ばる桜宮を気遣いながら、沙夜は目を鋭くする。
「蛇成りなんて大変な術を使ってやったのになあ。役立たずだったかぁ~~~~ウキャキャ」
今は、あけぼの。
日の上る前の、薄暗さ。静かな空気の中響き渡るは、甲高い男の声だ。
「だれだ!」
張り上げた沙夜の声には、応えない。
壺と呼ばれる小さな中庭に、見知らぬ猿顔の男がニヤニヤと笑みを浮かべて立っている。
小柄で、赤ら顔。目はぎょろりとし、手には虎の毛皮のようなものが生えており、なんと蛇の尾をゆらゆらとさせている。明らかに人ではない。
「ぬえ!」
代わりに答えた愚闇が、殺気と共にたちまち抜刀して逆手に構え、沙夜の前に躍り出た。
「ぬえ?」
「鳴き声を聞いたものを病ませ、死に至らしめる恐ろしいもののけだっ」
「ケキャキャ! よく知ってるなぁ、烏天狗~! といってもまだ幼いなぁ。小生を倒すには、まっこと、力不足であるぞぉ~キャキャッ」
桜宮を背に庇いつつ、玖狼が喉をグルルと鳴らす。
「彼奴の言う通り。愚闇では足りぬ」
「わたしが!」
「驕るな!」
一層大きく吼えた玖狼が、牙を見せ威嚇する。
「修行も継承の儀も行っておらん未熟な陰陽師に、何ができる! あれは素早く、甘言を吐きながら冥へ引きずるもの。生身で戦えるのか!?」
「っ」
「頭を冷やせ!」
「キャッキャッキャ! そのとーりぃ! 小生にズッタズタに引き裂かれるだけだぁ~~~~!」
ダンッと畳を蹴って飛んだ愚闇の、黒く大きな羽根が散る。
「愚闇っ!」
叫ぶ沙夜に、短く一言怒鳴り返す。
「逃げろ!」
振り降ろされた忍刀を軽々と、太く黒い爪で受け止めたぬえは、ほくそ笑む。
ぎりぎりと力を込める愚闇が、ぶるぶると肩を震わせながら押し込むが、相手は余裕である。
「逃がさないよーケキャキャ! 天狗のくせにまだ調伏もできんのだろぉ~?」
ガキキキキ……
金属音のようなものが薄闇に響く。
「試しに、やってみろぉ~! なあ~?」
「よせ愚闇! 挑発に乗るな!」
叫ぶ玖狼の声に逆らって、ぶわりと大きな黒い翼を広げた愚闇の腕にも首にも、次々と生えていくのは――黒い羽。
「まだ早い! 成るな!」
黒狼の怒号は耳に入っていないかのようだ。
「愚闇……」
沙夜の目の前で、黒い忍装束の男は、顔の下半分を黒い嘴に、全身を羽根で覆われたもののけに成っていく――
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