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第二章 錯綜する、糸

第14話 よみがえる記憶

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 ある山の中を、少女が慣れた様子でてくてくと歩いている。鬱蒼うっそうとした山道であるが、わずかにけもの道ができている。
 その先にある小さなおやしろに、自分のおにぎりを分けて捧げるのが、毎日の習慣だった。祭られているのは、ここの山神。自身が住む小さな村をどうか守って欲しい、ともみじのような小さな手のひらで、毎日祈っていた。

 そんなささやかな日課の帰り道。
 少女の足が、突然止まった。

「落ちちゃったの?」

 見上げる大きな木の枝には、からすの巣が見える。足元では、小さな黒いひなが、枯葉の上で弱弱しく動いている。

「そっか……」

 キョロキョロと辺りを見回すと、親烏おやがらすと思われる姿を枝の上に見つけた。が、見ているだけで手助けしそうな気配はない。

「もしかして、巣立ちの練習してるの? ……巣に戻してあげた方が良いかな……でも私の匂い、ついちゃうしな」

 
 うーん、うーんと真剣に悩んでいるその少女を困らせたくない。
 その一心で、雛は翼に力を入れたかに見えた。

 
「わ! 飛べそうだね!? すごいすごい!」

 
 はじける笑顔に応えたくて、より一層羽ばたいてみた――が、飛べない。
 じたばたしている雛を見守っていると、何かの鳴き声がした。

「おん!」
「え!?」

 がさごそと草花をかき分ける音が近づいてくる。匂いを嗅ぎつけられたか、と少女は身構える。
 彼らにとって、雛はごちそうだ。

「ああ、どうしよう。ひなちゃん、食われちゃう。でもな……」

 迂闊うかつに手を出してはならない、と彼女は悩む。
 弱肉強食は、自然の摂理だからだ。雛を助けたいが、食わずに飢えるものがあってもいけない。


 そうしているうちに、やがて少女は、黒い大きな狼と対峙たいじすることになった。
 ぐるるるる、と明らかに腹を空かせた様子の口吻こうふんからは、ダラダラとよだれが垂れている。見るだけで恐ろしい、自分よりはるかに強い存在に、少女ははらを決めた。


「この子食べちゃうなら……私からどうぞ」

 
 黒狼はぎゅっと目をつむる小さな少女へ、たしたしと近づいたかと思うと、頬をぺろりと舐め上げた。まるで味見だ。
 ひと噛みで頭ごと食べられそうなぐらいの大きさの獣を前に、涙を浮かべた少女は、それでも背中に雛を庇ったまま震えながらじっとしている。

「その幼さで捨身しゃしんとは。見事なり」

 狼がそう言ったので、少女はぱっと目を開け不思議そうに眺めた。
 彼はそれを見るや、ふっと笑う。

「われは山神。ひなは食わぬよ。様子を見に来ただけだ。さすが涼月りょうげつ夕星ゆうつづの娘であるな」
「りょうげ……?」
「知らぬなら、良い。どれ、その雛はわれが預かろう」
「!」
「そなたの眷属として育てるさ。きっと必要な時が来る」
「かみ……さま?」
「改めてそう呼ばれると、照れるよな」

 ぱあ、と明るい笑顔になった少女に、黒狼は体をすり寄せた。
 少女は、遠慮なく撫でる。長い毛がふわふわとして気持ちが良く、あちこち触った。
 
「ふはは。くすぐったいなあ。さて、神といってもゆえ大した力はなくてなあ。そなたの信心しんじんでようやっと命を繋げているようなものだ」
「しんじん?」
「ああ。毎日お供えをありがとう、だな」
「! はい!」
「できれば、名付けてくれるか? そうしたら、力が強まる」
「んじゃえっとね、黒いから、くろう!」
「はっはっは! 覚えやすいなぁ。玖狼。良い名だ」
 
 
 
 ◇
 
 

「くろ……玖狼……」
「うん。ずっと側にいたぞ」

 沙夜の目の端から溢れ出る涙をぺろりと舐めてから、優しい顔で見下ろす黒い耳黒い毛、そして黒い目の大きな狼は――

「やまがみさま!」

 がばりと体を起こすと、そこは見知らぬ部屋だった。

「おん! ってな。どうだ、うまく化けておっただろ?」
「ああああ……」
 
 ニヒヒと笑う彼の首に、沙夜は抱き着いた。少し獣の匂いのする、ふわふわの毛が暖かくて心地よい。
 掛け布団が飛んだのを、いそいそと畳むのは愚闇だ。

「愚闇ってもしかして! あの時の、ひなちゃん!?」
「はい。ひなちゃんです。どうも」

 隠密が初めて覆面を取って、照れた顔で笑う。
 その下は精悍せいかんな男の顔なのだが、どこか懐かしい。あの日助けた、勝気な雛の顔に、確かに似ていた。
 
「ああああもう!」

 今朝目撃した凄惨せいさんな光景を吹き飛ばす事実に、沙夜は大いに動揺した。
 皇都にやって来てすぐに愚闇が助けてくれたのも、玖狼と居たからかと思い至り、たまらず叫ぶ。

「なんで忘れてたの!? なにが起こったの!? ……魅侶玖殿下は!?」

 黒狼と隠密が、顔を見合わせる。

「わほん」
「ええ!? 玖狼様、面倒だからってオイラに丸投げ……いやいいですけどね。あー、ごほんっ」
 
 ぼりぼりと後ろ頭をかきつつ、愚闇が言うことには――


 夜宮よるのみやに忍び込んだ尚侍ないしのかみが、あろうことか沙夜の首を絞め殺そうとした。
 
 当然気づいた愚闇が飛び込み、阻止する。

 拘束しようとしたが、尋常でない力で抵抗され、斬らざるをえなかった。その殺生せっしょうについては、魅侶玖も隣にいたことから、おとがめなし(第一皇子暗殺の嫌疑けんぎ=死罪相当で処理済)。

 ところが、動揺した沙夜を抱えていた魅侶玖に、なぜかさわりが出た。
 
 愚闇の機転で玖狼の力を使ってはらえはしたものの――夜宮はけがれたため、白光びゃっこう部隊による正式なみそぎの式が必要となった。
 

「てなわけで、しばらくお部屋使えないっす」
「えぇ……? いいけど、言い方軽くない……?」
「もう素でいっかなって」
「ひなちゃんだもんね」
「うぐ。それだけはやめて」

 はあ、と沙夜は大きな溜息をいた。

「魅侶玖殿下は大丈夫?」
「まあ、なんとか……」

 愚闇が玖狼を見やると、ぷいっとしてから敷布団の上に丸まった。
 元の大きな体になったので、足も尻尾も、だいぶはみ出ている。

 玖狼は山里に降りるため神の力を封じたのだと言う。それに伴って沙夜の記憶も封じられていたのだが、愚闇が封印を解いたことによって同時に解かれた、ということだった。

「その顔じゃ、あんまり大丈夫じゃなさそうね?」
「一時しのぎなんで。油断はできないっす。根本を排除せにゃ」
「根本?」

 沙夜が玖狼を見ても、微動だにしない。答える気はなさそうだ。
 
「殿下……」

 正義感のあふれる横顔を思い出して、沙夜の胸はざわついた。
 


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 お読み頂き、ありがとうございます!
 
 愚闇と玖狼がなぜか前々から親しそうなのは、色々伏線を張っておりました。お気づきでしたでしょうか。
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