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序章 運命に、引き寄せられる
第3話 皇都で、出会った
しおりを挟む沙夜が村を出てから、早くも半月近くが経っていた。
山を下り近くの村で牛を買い、また別の村で牛と引き換えに、町へ向かう荷車に乗せてもらう。
汚い物乞いの格好で(金貨を持っていると知られたら、間違いなく殺される)、紛れ込んだ納屋や橋の下で膝を抱えたまま夜を過ごし、玖狼と共になんとか皇都までたどり着いた。
「つい……た……」
悲しみで涙が止まらない夜も、恐れで身が震えて眠れない夜も――乗り超えられたのは、隣に寄り添う温かい愛犬のお陰だ。
途中で『あやかし』が出るという噂を聞くたびに回り道をしたため、想定よりかなりの時間がかかってしまった。が、野盗の類と出くわさなかったのは幸運だった、と自分で自分を慰める。
辿り着いたのは良いものの、皇都入口の門番には、危うく門前払いさせられそうになった。
咄嗟に「これでなんとか!」と銅貨五枚を握らせたら、あっさり中に入れたのには肩透かしだったが。
玖狼と共に泊まれる宿はないだろうと思ったものの、老婆がひとりで切り盛りしている古びた小さな宿が、五割増しの前払いを条件に泊めてくれた。
一番小さくて汚い部屋でも、屋根と壁があって布団で寝られる。湯をもらって体を拭けたのは本当にありがたいことだ、とようやく沙夜は一息つく。
「うわあ……この手ぬぐい、捨てなきゃな」
体を拭き終わった後の布の黒さに、ひとりで苦笑した。
身綺麗にしたら今度は服だ、と、街の古着屋で、地味な小袖と裳袴を買う。早速部屋に戻って着替え、髪を梳かすが、当然汚れがからまって櫛が全く通らない。
見かねた宿屋の主人が米のとぎ汁をくれたので、しばらくぶりに髪を洗った。
頭を突っ込むようにして洗った後の桶の中の水が、またまた真っ黒だったのにひとりで苦笑し――悲しくて辛い思い出には触れないようにする。
そうして身支度を整えた翌日、昼前に宿屋を出た。
皇城をぐるりと囲む外堀を脇目に、ついにやって来た小さな役所の入り口で、看板を何度も読んで確認する。
「ごめんください」
意を決して中へ入り、声を掛けてみるものの、木の机に向かって書類に目を落とす役人たちは目もくれない。
「後宮司所に、お目通りを!」
勇気を振り絞って叫んでみるが、やはり誰も反応しない。
「紹介状があります!」
「ぐるるるる」
玖狼が派手に喉を鳴らして初めて、一番手前に座っている役人が嫌そうに顔を上げた。黒い燕尾付き頭巾を被った、地味な灰色の文官朝服姿で、白髪交じりの中年男性だ。
「誰の紹介だ」
「夕宮の方、です」
沙夜が名前を言った瞬間、彼は顔面蒼白で飛び上がるように立ち上がった。
「っ! 嘘を申すなっ」
「本当です! ここに印が」
「見せてみろ!」
こんなことでは、とても見せられない。手紙を握ったままかぶりを振って拒絶する。
「司所で、お見せします」
「なんだとっ。このうす汚い小娘が! 貴様のような物乞いなど……」
激高した役人が、ズカズカと近寄りながら襟元に手を伸ばしてきた。沙夜はもう、為す術なくぎゅっと目をつぶるしかできない。
「おーい。町役人が、そんなことしていいんかな?」
そんな彼女の頭上に、どこかのんびりとした声が降って来た。
「っ、!」
途端に足を止め、頭を深々と垂れる役人の変わり身の早さに、沙夜は呆気に取られ口をポカンと開ける。
「はいはい。あんたは戻って良いよ。……君、おいで」
いきなり現れた男にそっと背を押され、建物の外に出ながら目だけで振り向くと、役人が忌々しげな態度で席に戻っていくのが見えた。
ざわざわ。ざくざく。
無我夢中で役所まで来たものの、皇都をせわしなく行きかう人々は、こちらを見向きもしない。そのことが余計孤独と不安を掻き立てることに、沙夜は今更気づいた。
「……ねえ。良ければオイラが連れてってあげるよ」
ハッとして見上げると、黒い忍装束の男性が側に立っていた。頭には何も被っていないものの、顔のほとんどを覆面で隠していて、目だけが見えている。
表情や面貌はよく分からないが、声音は柔らか。黒い短髪で、後ろのひと房だけ背中までの長さがあり、そこだけ結っている。腰には大小の刀を帯刀し、ぴったりとした服のところどころには、黒く光る糸で凝った刺繍が入っている。
存在感に圧倒され、思わずあとずさりする沙夜に、彼は続けて明るい声を掛けた。
「後宮司所へ行きたいんでしょ?」
「え、と」
「あ。オイラこんなんだけど、怪しい者じゃないよ。黒雨所属の愚闇っていうんだ」
「くろ、さめ……ぐあん……?」
「うん。皇雅軍のひとつだよ。さ、ついておいで」
先ほどの役人の態度で、彼の身分が確かなものだというのは明らかだ。その上名乗ったため――身分が下の者に対しては、身分や階級のみ告げる――素直に頷くことができた。
「ありがとう。わたしは、沙夜。この子は玖狼」
「おん!」
「はは! 親近感!」
「なぜ?」
「だってオイラは闇、君は夜、この子は黒。でしょ?」
「あは!」
「わんっ」
沙夜は村を出て初めて……笑った。
◇
後宮司所は外堀をぐるりと回って北門から入ったところにある、という愚闇の説明を受けつつ、沙夜と玖狼は素直にてくてく歩いていた。
城区画の一番外側を囲むように立てられた外壁は、どれも白いせいか全てが同じに見える。中の建物も似たり寄ったりのため、現在地が非常に分かりづらい。つまり、はぐれたら迷うのは明白だ。
歩きながら、愚闇は沙夜に皇都の色々なことを教えてくれた。
黒雨というのは、皇都に配備されている軍のうちの一つだそうだ。
紫電など他の隊の名称は、皇都に住んでいれば当たり前に知っていると言われたが、沙夜は当然知らなかった。
「あとね、夕宮のお方のお名前は、簡単に出さない方がいいよ」
「え」
「亡くなられた皇太后さまのお名前だからね」
「こうたいごう?」
「えーっと、皇帝陛下の、お母さん」
「ひ!」
青くなった沙夜が、ぶんぶんと勢いよく頭を縦に振ると、愚闇はそれを見てケラケラ笑う。
「やっぱり、知らなかったかあ~」
「だって! ばあばが持ってただけで、何も聞いてなくて」
「そっか。それも人には話さない方がいいよ」
「う」
「ん~司所のやつらも腹黒いからなぁ。どうしよっかな」
「おん!」
「あと、後宮に玖狼は入れないと思う」
「きゅーん」
「え!」
沙夜は、玖狼にまで考えが及んでいなかったことに気づき愕然とした。確かに犬は中に入れないかもしれない、と絶望感が襲い、肩を落とす。
「オイラを信用してくれるんなら、なんとかするけど」
「あの……なんで初対面なのに、そんなに良くしてくれるの?」
「夕宮のお方様には、御恩があるのさ」
「……そっか」
それでも気が重くなって立ち止まってしまった沙夜に合わせるように、愚闇はしゃがんで玖狼の頭を撫でる。
警戒心の強い黒犬が、嬉しそうに尻尾を振っているのを見ると「この人は大丈夫」という判断はできるが――沙夜は心情を吐露せずにはいられなかった。
「あのね、わたしね。あやかしに村全部、食われたんだ」
「……うん」
「身ひとつで、この手紙だけ持って来たの」
「うん」
「愚闇さん? が嘘ついてたらと思うと、怖いんだ」
「そりゃそうだよね……じゃあさ、こうしない?」
顔を上げた愚闇は、きっと覆面の下で笑っているのだろう。口のあたりの布が少し歪んでいる。
「悪知恵の働く、偉い人に頼る」
「……?」
不安だとしても、選択の余地はなかった。
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