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世界のおわり

番外編3 臆病者のプロポーズ 前編

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 ガウルを団長とした、国や種族にとらわれない『自由騎士団』発足後、二ヶ月が経った頃。
 
「ううむ」

 フォーサイスの別邸を間借りして、騎士の採用面談や書類作成に追われているガウルが、人間の王国ソピアから届いた手紙――文字は共通でないので、杏葉が訳したもの――を読んで困惑している。

「わざわざ……?」
「どうしたんですか? 困ってます?」
 
 応接ソファに浅く腰掛ける杏葉が、ローテーブルの上に乱雑に置かれた色々な手紙や書類を仕分けしながら、首を傾げたままのガウルに問う。
 
「困ったというか、困惑しているんだが」

 ガウルは、冒険者ギルドマスターのダンと口約束した『護衛の報酬』を協議しに、国王であるアンディ自らがここへやって来るというのが、よく分からんのだ、と溜息とともに吐き出した。

 世界が復興へ向けて動き出したばかりの、まだまだ忙しい時期だ。王位継承の儀式をできるほどまで回復したとはいえ、ソピアの状況はまだ良くない。激励のため各地を自らの足で慰問し歩いていると聞く。

「なあんだ。来てくれるの、嬉しいじゃないですか」

 くすくすと笑う杏葉の鈴のような声に癒された気分になったガウルは、手紙を机の上に置いてからぐぐっと上に両腕を伸ばす。
 
「うぅん……まあ、な。ダンたちと共に来るなら、大丈夫か……」

 人間と獣人の隔たりは、『じゃあ今から仲良くしましょう』と宣言したからといって、すぐに埋まるものではない。貧困のために物盗りをする者たちも後を絶たない。現実問題、自由騎士団とフォーサイスの財力でもって架けられたいくつかの橋は、許可なく通行できる状況には至っていない。それほど二国間の行き来は危険であるし、それこそが自由騎士団の存在意義にもなっている。

「心配なら、お迎えに行ってはどうです? 机にいるのも、飽きたんでしょ」
「バレてたか」
「バレてまーす!」
 
 とんとん、と天板に紙の端を打ち付けてそろえると、杏葉が立ち上がる。

「ブランカさんに、教えにいきます」
「なぜブランカに?」
「報酬の相談なんて、口実に決まってるもん。あとリリも呼ばないと!」

 あっという間に部屋を出て行ってしまう杏葉を、ガウルは慌てて追いかけた。
 
「まて、アズハ」

 口実? と首をひねりながら。



 ◇



 そうして迎えたある朝のこと。
 浮足立つような空気が漂っているフォーサイス伯爵邸から、杏葉とガウル、そしてリリは馬に乗って出発した。

「リリ、嬉しい?」
「別に~にゃん」
「えぇ~? 久しぶりに会えるのに?」

 ソピアへ戻ったダンやジャスパーたちと、二か月以上会えていないことからの杏葉の発言だったが、リリは

 伯爵邸裏庭の秘密の橋を渡る、久しぶりの遠出。
 この二か月はほぼ部屋にこもりきりで、色々な調整ごとや手紙のやり取りに煩わされていた。背後で手綱を握るガウルの銀色の毛が、朝日の下できらきらと輝いていることに、杏葉の口角が自然と上がる。
 リリも、獣人騎士団の引継や、自由騎士団入団希望者の割り振りなど、幹部として忙しい日々を送っていた。
 
「手紙ひとつ寄越さない奴なんか、知らないにゃ」
「そういえば、ジャスから全然連絡なかったね?」
「そうにゃ。もうあたいのこと、忘れたんにゃ」

 なるほど拗ねているのか、と杏葉は隣で馬を操るリリを横目で見て眉尻を下げる。
 どう声を掛けたものかと迷っている内に、頭上のガウルが呆れ声を出した。

「リリ。ダンたちは本当に大変なんだぞ」
「分かってるにゃ~。大変でも、手紙ぐらい書けるにゃね」
「そういうリリも、書いていなかっただろ」
「ふぐ……」
「見てみろ」

 どんどん広がっていく川幅に沿って南下していくと、大量の流木が流れ着いている個所や、大きな岩でふさがれた道が現れる。
 たった二か月では、魔王の煽動せんどうでもって大暴れした魔獣たちの爪痕を消し去ることはできていない。
 それでも、あちこちで馬車や牛に物を乗せた人々が、どこかへ移動している様子がある。
 
「ようやく少しずつ、商売が再開し始めたそうだ。ダンたち冒険者は、その護衛に駆り出されている。冗談でなく、寝る暇もないと思うぞ」
「……あたいだって!」
「ガウルさん。リリは拗ねてるだけですよ」
「なるほど。子どもの駄々か」
「ちがうにゃんっ」

 リリのフーッと逆立った茶色の尻尾が、ぼわりと面積を倍にしている。

「リリッ、話は後だ」

 ところが、ガウルがぐるっと喉を鳴らして会話を止めた。
 前方の分岐路で立ち往生する荷馬車と、それを取り囲む獣人たちがいる。
 慌てた様子の人間たちが、必死で腕や首を振っているのが遠目に見て取れた。

「……行くぞ」
「はいにゃ」

 途端にスイッチが切り替わる二人を目の当たりにした杏葉は、密かに口角を上げる。この二人がいれば大丈夫という変わらない心強さと安心感を、久しぶりに感じることができたからだ。そしてそれによって、リリの苛立ちも何となく分かった気がした。

(そうか、きっとリリは不安なんだ……みんなが変わっちゃったのかもって)

 杏葉はその確信を胸に、ガウルの腕の中で緊張感を高める。獣人と人間の揉め事ならば、人間の自分にも必ず出番があるからだ。

 ――果たして、杏葉の予感は的中する。

「奪おうだなんて、していない!」
「あんたらに俺らの荷物をあらためる権限なんか、ねえだろ!」

 言い争っているのは、徒歩で移動していたと思われる犬の獣人三人と、荷馬車を伴った人間の商隊らしき男性が四人。頭から首にかけて布を巻いて、髭面とマント姿だ。一方の獣人は革鎧の軽装姿だけれど腰にはナイフや剣を提げている。
 
「どうした、何を揉めている」

 馬上から凛とした声を掛ける銀狼の姿を見た全員が、ぴたりと動きを止めた。

「まさ、か」
「銀狼……?」
「嘘だろ」

 口々から発せられる遠慮のない言葉の数々に、ガウルは思わず口吻こうふんから苦笑を漏らす。

「いかにも。自由騎士団団長、ガウル・フォーサイスである。何か問題があると見受けたが」
「ふん! ここはソピアだ! 獣人の出る幕じゃねえ!」
「ほう」

 ぎろりと青い目を光らせながら、ガウルはあっという間にザッと下馬し、近づいていく。
 リリは音もなく地面に着地し、低い姿勢でその背後についた。杏葉は――足でまといにならないよう、馬上で大人しくする。いざとなれば魔法を、と身構えながら。

 人間たちはガウルの迫力に圧倒されたのか、ジリジリ後ずさりしながらも、荷馬車を背に庇うようにして叫ぶ。

「そいつら難癖つけて、俺らの積荷を奪おうとしてるんだ! 銀狼騎士団長ともあろうものが、盗人の味方するのか!?」
「俺らか弱い人間を、脅すのかよ!」

 ところが、犬の獣人たちは必死に首を横に振る。
 
「ガウルさんなら、分かるだろ!」
「絶対、そこに何かっ」
「俺らは奪おうなんてしてない!」

 焦る犬の獣人たちへ右手を挙げて落ち着けと促しつつ、ガウルはあえて無防備に人間たちへ近づいていく。彼らの肩越しに荷馬車を見つめると、ふーっと大きく息を吐き、グルルルルと犬歯を見せつけた。

「なんということを……どこへ連れて行く。バレないとでも思ったのか」
「っ」
「くそ」
「仕方ねぇ……よりにもよって、犬とその親玉に見つかるだなんて、運が悪かった」

 この発言には、リリが総毛立った。

「その発言、今すぐ撤回するのにゃ!」
「リリ、落ち着け!」
「団長を! 侮辱するにゃっ!」
「ああ!?」
「うるせえ、猫!」

 リリの怒りで杏葉には思い出したことがあった。フォーサイス伯爵邸に初めて乗り込んだ時、ガウルの父であるマルセロがエルフのランヴァイリーに向かって「黙れエルフ!」とののしったが、それをランヴァイリーは「種族で呼ぶのは暴言だ」と言っていた。

 今、人間たちはガウルを『犬』と呼び、リリを『猫』と呼んだ。その意味に思い至った時には、既に犬獣人たち全員が――武器を抜いて構えていた。

「待って!」

 焦って馬から飛び降りた杏葉は、両腕を大きく広げながら全員に呼び掛ける。

「お互い、冷静に!」
 
 人間と獣人の溝は深い。
 頭では知識として分かっている。けれども現実問題として直面すると、こうも複雑な要素が絡み合うのか、と杏葉は実感してしまった。

「なんだよ嬢ちゃん」
「人間は引っ込んでろ!」

 人間も獣人も頭に血が上っているものの、杏葉に注意を向けてくれた。
 リリは殺気を発したまま近づくなというジェスチャーをする。ガウルが、リリの暴走にまで気を回してしまっているのを見てとった杏葉は、大きく息を吸い込んだ。
 
「リリ! 冷静に状況把握して! 特攻隊長でしょ!」
「っ」
「その人たちに悪意はない! 違う!?」
「うっ……アズハの言う通りにゃん……ものすごく怖がってるから、何か後ろめたいのかと」
「武装した人たちに囲まれたら、怖いの当たり前!」

 その発言に驚いたのは、犬の獣人たちだ。

「そんな、俺らは!」
「だって! 中から泣き声がしたから!」
「そ、そうだよ、確かに聴こえたから俺たちは」
「あなたがたの正義感、素敵です。でも、助けを求めてますか?」
「「「!!」」」

 杏葉は、荷馬車に立ち塞がる男たちに向き直ると、なるべく柔らかく優しい声で話しかけた。

「目的地をお聞きしても良いでしょうか?」
「それ、は……」

 杏葉の働きかけに、答えようとするもやはり躊躇う人間たちへ、ガウルが突然頭を下げた。

「ガウルさんっ!?」
「いきなりのことで恐怖を感じさせてしまったこと、獣人を代表して謝罪する」

 そして顔を上げてからキッパリと告げた。

「何もなければ、いかなる暴力も振るわないし、奪いもしないと約束する」
「はい! ガウルさんは、絶対嘘つかないです!」

 杏葉の力説に、一番年上と思われる髭面の男が眉尻を下げた。
 
「はあ……人間のあんたが言うなら、信じるか。仕方ない……」
「親方」
「おやっさん」

 ぽりぽりと後頭部をかく髭面の男は、周囲の男たちが縋るように見つめているのに頷いてから、再び口を開いた。
 
「俺らの村はな。魔獣に食い荒らされてほぼ全滅したんだ。唯一、鍛治工房の頑丈な鉄扉がついた倉庫だけ無事でな。生き残ったのがここにいるこいつらだ。荷馬車にいるのは、か弱い女と子どもさ。この北に、いい焼き場になりそうな森があるって聞いて移住を試みてるところだ」

 周りの男たちも、それを聞いて堪らないといった様子で次々口を開き始める。
 
「けど、道中で色んな奴らに襲われてっ」
「金目のもんは、全部られた……馬車守って死んだ奴もいるっ」
「次は女と子どもを奪われるって聞いたんだ」

 口々に語られることのあまりの悲惨さに、杏葉はこみ上がってくる涙を止められなかった。

「泣いてくれるのか、嬢ちゃん」
「だっ、て……」
「しょうがねえよ、人間は獣人に比べりゃ弱い。熊や虎のやつに襲われたら、ひとひねりだ」

 そう言いながら親方と呼ばれた男性は、ガウルを厳しい目で見る。

「みんながみんな、あんたみたいに理性的で話ができるとは限らない。俺たちにとっちゃ、そりゃあ恐ろしい存在なんだよ……飢えてるやつらは特に」
「……厳しい意見だが、よく分かった。感謝する」

 それからガウルはリリを振り返った。

「どうだリリ?」

 暗に『嘘をついていたか?』と聞いているのは杏葉にも分かった。リリは、苦しそうな表情で首を横に振る。

「ふむ。君たちはどうだ? 誤解と分かってくれただろうか」
「……なら、先に言えって!」
「そ、そうだよ、だったら俺らだって」

 途端に気まずそうになる犬の獣人たちに、杏葉は両手を腰に当てて怒鳴る。
 
「話、聞いてました!?」
「ひ!」
「怖がってる人たちに最初からグルグル威嚇しながら近づいたら、こうなるでしょ! ちゃんと考えてから行動してください!」
「いやでも」
「でもじゃない!」
「ひいぃ」

 涙目且つ無言で助けを求められたガウルは、そのフサフサで立派な尻尾をひゅっと股の間に入れてから言った。
 
「すまん。我が妻は、俺でも恐ろしい」

 これにポカンとしたのは人間たちだ。
 
「銀狼より、強い?」
「人間の女の子が、嫁?」
「嫁です! でも、強くはないです! 冗談ですよねー、ガウルさん?」
「おっほん、あ、ああ」


 ――これにより、銀狼の妻は銀狼よりも恐ろしい人間の女の子、という噂が瞬く間に全世界に広がっていったのは、言うまでもない。


「あー、さて。貴殿らを北の森へ送りたいところなんだが、実は客人を迎えに行くところで」
「ガウルーッ!」
「!?」
 
 突然呼ばれたガウルが振り向くと、目線の先にある小高い丘の斜面を、馬で駆け降りてくる人間がいる。
 ガウルを呼びながら笑顔で手を振るその男性を見るなり、ガウルと杏葉、そしてリリは一斉に叫んだ。

「「「アンディ陛下!?」」」

 なぜ一人で!? と驚いていると、その背後から馬で追いかけてくる三人の男性たちも視界に入る。マントに身を包んでいるものの、ダンとジャスパー、それから側近のネロということはすぐに分かった。

「どうどう、っと。久しぶりだなー!」

 杏葉たちの手前で馬を止め、あっけらかんと笑う国王を見上げて、場の全員が途方に暮れた。



 ◇

 

 結局ガウルが状況説明をし、ソピアの王国騎士たち(さらに後ろから豪華な馬車が追いかけてきた)が荷馬車に居た人々へ、数日分の食料と水を分け与えた。
 北の森へ向かう彼らのことは、犬の獣人たちが「責任もって護衛する」と申し出たものの、ガウルは当然ながら反対する。

「技量も素性も分からない相手に任せられんし、報酬は払えない」
「報酬なんていらねっす!」
「獣人が居るだけでも抑止力になりますよ!」
 
かたくな犬の獣人たちと話をつけたのは、後から追いついた冒険者ギルドマスターである、ダンだ。

「良いじゃないか。自由騎士団に憧れているんだろう?」

 改めて聞いたところによると、なんと犬の獣人たちはまだ十五、六歳なのだと言う。向こう見ずな正義感でもって、自警団の真似事を始めたところだと話してくれた。

「俺ら、銀狼騎士団長に憧れてるんす」
「握手してください!」
「将来、絶対雇ってください!」

 という若いパワーに負けたのと、ダンが親方に向かって『この先の治安は、フォーサイスに近いから、心配無用だ。冒険者ギルドへ彼らの成功報酬を請求してくれ』と言ってくれ、事が収まったのだった。

「心配なのはわかりますけどね、ガウルさん。俺ら人手がとにかく足りないんすよ」

 目の下の隈がクマどころかアライグマ状態のジャスパーが、馬上で力なく笑う。
 本来なら下馬しなければ不敬にあたるが、体力温存のため下りなくて良いと言われたぐらい、消耗している様子だ。

「なっさけないにゃね~!」
「リリ~。三日寝てないんだってば~」
「知らないにゃん」

 それには赤髪の狂犬ネロが、食ってかかった。
 
「銀狼にぬくぬく囲われてる子猫にゃ分からんだろ」
「……シメられたいのかにゃ?」
「あの戦いの時はなかなかやると思ってたのにな。やっぱただの飼い猫か」
「今すぐ降りろにゃ」
「コラー、ネロー!」
「止めないでください、陛下。れ合いは禁物なんですよ」
 
 ガウルと杏葉は顔を見合わせ、これはなかなか大変だぞと感じていた。
 種族が違うということは、価値観も体力もまるで違う。そのことに、今さらながら気づいたのだ。
 相手を種族で呼ぶことを、人間は何とも思っていない。
 獣人はタフで、疲労や傷の治りも早いからか、人間の辛さを理解できない。

「いい加減にしろ、リリ。挑発に乗るな。ネロがわざと煽ってるのぐらい、分かるだろう」
「……」
「ネロも、疲れているのは分かるが。少しやり方が乱暴すぎる」
「……わかってますよ」
「陛下。我らの溝を埋めるのは、非常に困難であるということが分かりました。ご案内しながら、横でお話しても?」
「ガウル……分かったよ」
 
 ところが杏葉の目は、希望でキラキラと輝いていた。今までの価値観にとらわれず相互理解をしようとし、誠実に前を向くガウルがいれば、どんな問題でもどうにかなる、と信じられるからだ。

「ガウルさんっ」
 
 思わずがばりと抱き着いた杏葉を受け止めて、ガウルは優しく問う。

「どうしたアズハ? 疲れたか?」
「いいえ! さすがガウルさんだなって! きっと、大丈夫ですよ!」
「はは。アズハが言うなら、大丈夫だな」
「わ~相変わらず仲が良い。羨ましいな」

 微笑むアンディに、杏葉はにこっと笑った。
 
「へへ。ちゃーんと、ブランカさんも呼びましたからねっ」
「!!」
「それだアズハ。なぜブランカを」
「ひーみーつー。さ、いきましょう! 夕食まで、ゆっくり寝てもらいましょう! ね!」

 輝く杏葉の笑顔を見たジャスパー、ダン、ネロは――
 
「さっすが、あじゅ~~~~~早く着きてぇ~~~~」
「はあ、全く情けないが、ぎりぎりだ」
「おなじく」

 眩しそうに顔を歪めつつも、嬉しそうに微笑んだ。

「……なさけないにゃね……」
 
 悶々とするリリの心を置いてけぼりに、一行はフォーサイス伯爵邸へと、馬首をめぐらせた。



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