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世界のおわり

番外編 幸せの青

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 エルフの里のツリーハウスは、大変居心地が良い。
 水が豊富な泉がすぐ側にあり、食料はエルフたちが弓矢の訓練代わりに定期的に狩猟に出かけていて、困ることがない。
 精霊たちも何かと手助けをしてくれているようで、姿は見えなくとも室内の明かりや温度などで、その力を感じることができる。

「……はあ」

 黒豹の獣人であるセル・ノアが、このゲストハウスに収容されてから、三か月が経っていた。
 黒い炎に焼かれた背中は、『白き魔王』である杏葉の願いによってほぼ治ってはいたものの、歩く力が失われており、その回復に時間がかかっている。
 
 そのセルのベッドの脇で甲斐甲斐しく動いているのが、十歳ぐらいの人間の少年である。
 
「ブラウ、今日は雨が降りそうだ」
 と声を掛けると、素直にニコリと頷いた。
 
 未だ話すことができない彼に『ブラウ』と名付けたのはセルだ。名がないと不便だから、彼の青い瞳に由来する単語で呼ぶことにした。
 ただそれだけのことだったのに――ブラウは大変嬉しそうに頷いたのだ。

 セルの言葉で全てを察し、ブラウはベッド脇のテーブルに本と紙とペンを用意する。
 雨が降るということは、外に出ない方が良い。なら文字の勉強をというのが、この三か月で二人の間にできた、暗黙の了解である。

 
 ――あんなに人間を憎んでいたのに。父がこれを見たらどう思うだろうか。嘆くだろうか。


 不思議なことに、セルの中から人間を憎む気持ちは消えてなくなっていた。
 それよりも、人間王国ソピアを滅ぼさんと色々加担してきた事柄の方が重く、泥のように心の底に沈んでいる。
 
 シャ、シャ、と紙の上を走るブラウの滑らかなペンの音を聞きながら、セルは自身の罪を考え、やがて疲れてそのまま眠った。

 

 ◇ ◇ ◇



「やあやあどうも。元気そうで何より!」
「……何しに来た」
「いやーん。冷たい~それがお見舞いに来た人に対する態度なの?」

 言いながら、ずりずりと木の椅子を引いてベッド脇にどっかりと座るのは――獣人王国リュコスの宰相代理となった、ドーベルマンで男爵のクロッツだ。
 
「レーウ陛下からの伝言、持ってきたんだよ~」
「そうか。なら席を外せ、ブラウ」

 びくりと肩を波立たせる少年に、クロッツは目を細めた。

「いいよん、居て。ブラウにも関係あることだから」
「!」
「なんだと」

 いぶかしげな顔をするセルにクロッツは
「リュコスへ戻れ。以上」
 一言だけ告げた。

「は?」
「あ、ブラウも一緒にね。側近扱いでいいって」
「! (コクコク)」
「何を……」
「三か月も療養したんだから、もう十分でしょ」

 だがセルは、首を縦に振らない。
 
「私は、歩けん」
「だから?」
「それどころか、罪を」
「働いて償え、と陛下は仰せですよ、宰相殿。脳みそは残ってるじゃん?」
 
 
 ――じゃ、里長に言ってくるから。


 有無を言わさずクロッツは言い捨て、ツリーハウスを後にした。

 大きな溜息の後でセルは窓の外を見ながら
「ブラウ……獣人王国には、獣人しかいない」
 と穏やかな声で言う。
「人間が生きていける場所ではない。ここに残れ……っ!?」

 突然左腕に衝撃を受けて振り向くと――ブラウが強い目で腕にしがみついていた。
 セルを見上げながら、ぶんぶん、と頭を振っている。

「ブラウ。獣人の爪や牙は鋭い。お前など一瞬で」

 ぶんぶん。

「食料も住居もここと大違いだ。住みづらいぞ」

 ぶんぶん。

「お前の命を、私は保証できない。それでも良いか」

 コクコク。

「そうか」

 セルは少し躊躇ためらってから、ブラウの頭を撫でた。三か月もの間世話をされていたのに、自らは初めて触れることに、触ってから気づいた。ふわふわと柔らかい赤毛の感触を手のひらで楽しんでいると――

「セル様」

 ブラウが、初めて言葉を発した。その頬に、キラキラと光る涙の道筋がいくつもできている。

「!?」
「どうかずっと、おそばに。どこまでも、ついていきます」
「お前……言葉……」
「最初はショックで話せなかったのです。その後は……触って頂けたので、許して頂けたのかと。……違いましたか」

 途端に不安そうな顔をするブラウを、セルは
「バカなことを」
 二の腕を思い切り引いて、抱き寄せた。
「ありがとう。ありがとうブラウ」
 黒豹の頬にも、多くの涙の道筋ができ、シーツにたくさんの染みを作る。
 
「ふふふ。セル様の頬の毛って柔らかいんですね」
「……そうか……すまなかった。ブラウは女だったのだな。声を聞いて初めて知った。名を変えなければならぬな」
「いいえ。どうかこのままで」

 ブラウは輝くような笑顔で言った。

「人生で初めていただいた名前なのです。宝物です」
「はじ……めて……名前が、か?」
「はい。私は、人間の山村の果てから貴族へ売られたのです」
「っ!」
「産まれ落ちた時から生きる価値などなく――魔獣に襲われた際に荷馬車から落ち、あそこに潜んでいました」

 ブラウが、セル・ノアの両手を握る。温かな体温が、もたらされた。

「貴方様が、わたしに何もかもをくださったのです。命も、名も、居場所も……」
「ブラウ」
「セル様。貴方様は無意識にわたしを救ってくださった。それだけで、許されて良いのではと思うのです。貴方様のお心は、とても弱くてお優しい。でもそれでも償いたいと仰るのなら、どうか貴方様の罪を、共に背負わせてください。貴方様が、獣人として。わたしが、人として」
「あああ」
「ずっとずっと、一緒に」

 セルは、ブラウを胸に抱いたまま、慟哭どうこくした。
 胸につかえていた何かを押し流すように。

 孤独、罪、そして寂しさ。
 その全てを分かち合う、尊い存在を得られた喜び。

「ブラウ……ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます、セル様」
「ははは。お前は十歳ぐらいかと思っていたが」
「本当は十六なのですよ」
「そうか。女性なら小柄で当たり前だ」
「……胸が小さいので、少年とよく間違えられるんです」
 
 途端に拗ねるブラウにセルは
「胸の大きさに、何か問題があるのか? 人というのは面白いな?」
 と真剣な顔で尋ね――ブラウは真っ赤になって
「セル様が気にされないなら、いいんです!」
 旅の準備をします! と叫んで走って出て行ってしまった。

「おい、待て!」
 
 何か機嫌を損ねてしまったか、と慌てて追いかけようとした途端歩けてしまい――クロッツに散々いじられた。

 
 その後、宰相に返り咲いたセル・ノアは、獣人たちに『善悪は種族によらない』と考えを改めた旨を通達して回った。
 反発も大きかったものの、獣人王国の復興とガウルの立ち上げた自由騎士団、そしてマルセロ・フォーサイス伯爵の経済手腕を強力に後押しし、魔王復活前よりもはるかに上回るリュコスの国力を作ることに貢献した。

 ブラウもまた、人間の女性であるという不利な条件をその実力でもって跳ね除けた。側近としてセルを支えるだけでなく細かな点によく気づき、獣人たちの間でも弱いとないがしろにされてきた草食系獣人たちの支援を、積極的に行ったのだ。

 
 ――やがて、黒豹宰相と人間の側近は心から愛し合い、獣人王国初の種族を超えた夫婦として、レーウ国王が結婚届に署名をしたことでも歴史に名を残す。

 
 そんなふたりの結婚式は、世界中からその幸せを祝おうと様々な人々が訪れたことや、銀狼騎士団長とその妻が『精霊花』と呼ばれる決して枯れることのない希少な青いブーケを送ったことも含めて、伝説のようになっている。
 
 ふたりの間にはその後、黒豹の耳と尾を持つ、青い目の人間の男の子が元気に産まれた。
 セル・ノアは改めて半郷を訪れ、黒豹族の代表となったパンテラとの交流を本格的に開始し、半人半獣が冒険者として堂々と歩けるような支援も続けた。
 

「ブラウ……私の幸せの青。愛している」
「わたしも、愛しています」


 腕の中ですうすうと眠る子供がその胸に抱きしめているのは、杏葉あずはと共に編纂へんさんした『魔王物語』の絵本だ。
 
 
 ――我が父のことも、ありのままにしっかりと語り継いでいく。

 
 セル・ノアの強い想いは、いつまでもいつまでも、後世に繋がっていった。



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お読み頂き、ありがとうございました。
次回はガウルとクロッツの出会いを予定していますm(_ _)m
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