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108話 対道化師

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 髭面たちを倒し、最奥の部屋へと続く道を駆け抜ける。数分と狭く薄暗い道を走り抜けたところで目的地に出る。

 前の部屋よりも数倍広い空間。
 部屋の中は録な明かりがなく、夜目が無ければ真っ暗で部屋の全貌が全く見えたものではない。

 しかし今は夜目がある状態。
 目を凝らす必要もなくある程度部屋の様子は把握出来る。

 最初に目に付いたのは剥き出しになった岩肌の壁に床、そこから視線を前に進めると部屋の中央には寂しげに一つ木の丸椅子が佇むのみ。他に机や棚などの家具類は見られない。

 あの道化師は何処だ?

「──」

 部屋にアラドラとリュミールの姿は無く。加えてこの部屋に来るまでは確かに感じ取れたはずの二人の気配が完全に消えている。

「──スキルで姿を消しているのか」

 だが直ぐにその理由は分かる。どうやら道化師は簡単にその姿を表す気は無いらしい、どこまでも人を小馬鹿にするのが好きなようだ。
 幾ら魔力や気配を探っても意味は無い。

 逃げる……はずはない、道化師は俺の慌てふためく姿を見て面白がりたいだけだろう。ここで気配が無くなったことに困惑し、慌てたところで奴の思うつぼだ。

 それは癪だ。とても腹立たしい。

 俺は至って冷静に一旦その道化師のことは無視して、他にめぼしい物がないか部屋の中を再び見渡す。すると奥の壁に鎖が打ち付けられているのを見つける。

「……ん?」

 夜目が効いているはずなのだが、どういう訳かその奥の様子がよく分からず自然と歩みを寄せる。

「───!!」

 中央にある丸椅子の辺りまで行くとその光景に俺は絶句する。

 罪人や捕虜を拘束するための手枷と足枷が付いた鎖。
 鈍く光ってみせるその枷には誰かの手と足が拘束されている。

 肌白くすらっと伸びた綺麗な手足に金糸雀色の艶やかな髪の毛、幼さが抜けきらないが楚々としたその顔立ち。

 その少女を俺は知っている。
 ……知らないはずがない。

 少女はぐったりと疲労した様子で鎖に繋がれている。
 土埃や肌にチラホラと見える軽い切り傷がとても目に付く。

「どォうだァ? 感動の再会はでェきたァか?」

 背後から耳障りな声がする。

「──ッ!」

 咄嗟に声のした背後を振り向くがそこには誰もいない。

「精霊なァんて初めェて見ィたもんだから少ォし遊びすぎちまったァよ。面白ェなァ精霊って、殆ど俺ァ達人間と体の作りィは変ァわらねェんだ」

「ッ……黙れ……」

 またも背後から声がするがその姿は見えない。

「もうちィっと俺ァ好みのイい体つきしィた女だったァらヤッちまうところだったんだァがな? 如何せんガキィみたいな見てくれだァ、俺ァの趣味じゃあねェからよォ──」

 その声が鼓膜を揺らす度に俺の理性は擦り切れる。

「黙れ……」

 歯の軋む音が全身に伝わる。

「ツバァつけとくのォは止ァめといてやったぜェ?」

 ヒタリと張り付いた下手くそな笑顔が視界にチラつく。

  そこで我慢の限界だった。

「黙れッ!!」

 その一声で喉が枯れてしまうのではと思うほどに叫び、身体の内に留めていた魔力を解放する。

 これ以上、怒りを覚えることはもう無いと思っていた。
 さっきまで自分は頂点の怒りを覚えていたはずだ。しかしあんなものはまだ可愛らしい方だった。
 今の物に比べれば段違いにあの怒りは小さすぎる。

「殺す」

「おおォ、随分と物騒じゃァねェか」

 自然と口から吐き出た言葉で意識が切り替わる。
 それにより先程まで気配の見えなかった歪んだ笑顔をやめない道化師を完全に視覚する。

「何が面白いッ!」

 足場の悪い地面を蹴って道化師へと斬り掛かる。

 アラクネの弟とか、この男がどれほど辛い目にあってきたとかはもうどうでもいい。
 何処か頭の片隅にそんな同情、引け目があったがこの瞬間、全て消す。

 ただ今は、俺の大事な少女を痛めつけ汚した目の前の道化師の歪んだ顔面を殴りたくて仕様がない。

 瞬きの間に道化師との間合いを詰め、何の躊躇いもなく上段から胴を真二つに斬る。

「こォれが面白くなァかったら一体ェなァにが面白ェんだァ? 一回テメェの顔を鏡で見ィてみろよ!」

 だがその一振は届かず、道化師はケタケタと笑いながら霧のようにその姿を再び眩ませる。

 だが逃さない。

「ふぅー…………うっせぇ!」

 奴の姿が視界から消えたと判断した瞬間、直ぐに体を反転させて何も居ない空に向かって銃剣を横一閃に振る。

 鋭く振り抜かれた刃はそのまま空を斬らず、途中で硬い何かに当たり、激しく鉄の衝撃音が鳴る。

「おォっとォ、当たりだァ! よォく後ろだァってわかったなァ」

 楽しそうな声と共に何も居なかった場所に短剣で俺の一振を受け止めた道化師の姿が現れる。

「何度も同じ相手に同じ事されてりゃあ嫌でも分かる。お前、気配遮断ソレしかできないのか?」

 髭面の気配遮断と比べればさすが『大盗賊』の天職持ちと言わざるを得ないほど練度が桁違いだ。だが消えたり現れたりちょこまかと……そう何度もスキルによる気配遮断を見せられれば慣れてもくる。それにアラクネの強化によって気配感知も上がっている今の状態ならば奴の気配を見つけることなどさらに容易い。

 髭面の時は焦りや気の空回り、怒りの爆発でその真価を発揮できてはいなかったが二の轍は踏まない。今俺はあの時よりも最高に腹が立っているがその裏腹、思考はとても研ぎ澄まされている。

 奴の一挙手一投足を見逃さず、奴の気配を感じ取ることに全神経を集中させる。

「俺ァ自慢の気配遮断をソレェ呼ばわりとォは悲しィいなァ~。生憎俺ァにはこの気配遮断と手癖の悪さ以外は特別何かァできるわけじゃァねェ。だァがなァ──」

 道化師は銃剣を器用に受け流すと後ろに飛んで距離を取り、懲りることなくまたその姿を眼前から眩ませる。

 当然俺はその気配を逃すことは無い。
 瞬時に右を向いて道化師のいる方向へと駆ける。

「──この二つだけで俺ァはここまで来た!」

 あと少しで刃の届く間合い、という所で突如目の前に砂利が飛んでくる。

「なッ!?」

 予想だにしない飛び道具に俺は咄嗟に眼を瞑り、腕で砂利を受け止めようとするが少し遅れた。

 眼を瞑ろうとした時には道化師によって飛ばされた細かい砂利は俺の眼を襲い、完全に視界を奪われる。

 "大丈夫ですかマスター!?"

 アニスの心配する声が聞こえるがそれに反応できるほどの余裕が無くなる。

「チッ……やられた……」

 眼を無理やり開けようとするが上手くいかない。

 気配だけ分かっても眼が見えなければ意味が無い。

 気配感知である程度の位置を把握することは可能だが、そこからの対処が段違いに難しくなった。姿勢や速度、距離感、どのタイミングでの攻撃か、眼から得られるその情報と気配感知による情報が二つ揃った時に道化師の気配遮断を完全に見破ることが出来る。

 眼から得られる情報と気配感知の情報、どちらが大切かと聞かれれば確実に前者だ。結局のところ見えていて成立する事なのだ、大元が潰されれば気配を消していようがいまいが関係が無くなってしまう。

「途端に覚束無い足取りだァなァ!?」

 何とか視界を回復させようと横着していると道化師は水を得た魚の様にこちらに斬りかかってくる。

 "マスターッ!!"

 気合と勘でその攻撃を去なすが完全ではない。

「クッソッ!」

 横っ腹を浅く短剣で突かれる。

 血の吹き出る感覚と突き抜ける様な痛みに自然と腹を手で押えて、道化師と間合いを取る。

 打点が狭く、小回りや速さの効く短剣での攻撃はこの状況だととても厄介だ。
 何とかしなければ……。

「まだまだ行くぜェ? 白馬の王子様ァ!」

 道化師はこちらに休ませる隙を与えず、まともな防御が出来ないほどの素早い身のこなしで攻撃をしてくる。

 致命傷を与える一撃ではなく、じわじわと弱い獲物を甚振るかの様に体の至る所に中途半端に浅い切り傷を蓄積させていく。

「おいおいさァっきまァでの威勢はどォうしたァ? お目目が見えなくなァったくらいで終ォわりなのかなァ?」

 全方向から止めどなく斬り込んでくる道化師の勢いは止まることは無い。

 "マスター! 何とか回避を……!!"

「うッ……グッ……!」

 アニスの声が脳内に響くが上手く思考が纏まらなくなっていく。

 攻撃自体は大したことない、だが手数が多すぎる、傷の回復が間に合わない。意識がどんどん霞んでいく。『陰渡』で逃げようにも意識がかき乱され上手くスキルが使えない。

 ……どうすることも出来ない。

「すまんアニス……」

 何とか声を絞り出して少女に謝る。

 "諦めてはダメですマスター! まだ……まだ何とかなりますッ!!"

 鼓舞する声が聞こえてくるがそれはどんどん遠のいて行く。

 道化師の攻撃は激しさをましていく。

 血を流しすぎたのだろうか?
 時間が経つにつれて意識を保つのが困難になっていく。

「ぐったりだなァ、本当におしまいかァよ。もうちィっとやれると思ったァが所詮はガキの胆力だァったかァ?」

 道化師は攻撃の手を止めると、俺の気力の切れた姿を見て詰まらなさそうに言う。

「なら終いだァ。次はそォの魔剣をいただくとォしよう」

 道化師は力強く地を蹴ると俺の命を摘みに来る。

 "マスター! マスターッ!!"

 駄目だ。来ると分かっていても、太刀筋が分かっても腕が動きそうにない。

 後はアラクネ達に任せるしかない。

 ……なんて無様だ。
 本当に自分の愚かさが嫌になる。

 だってそうだろ?
 アラクネ達に無理を行ってここまで突っ込んで来て、道化師に「殺す」だの「許さない」だのと啖呵を切っといてこの有様だ。

 もう本当に駄目だ。
 意識が完全に途切れ───、

「レイルっ!」

 声が聞こえた。

 それは走馬灯なのか、あの時の彼女の寂しそうな声。

「君は馬鹿なんだから子難しく考えるな」

 声が聞こえた。

 それはこちらを嘲笑ったような彼女の声。

「全く気合いが足りていないぞレイル!!」

「──ッ!!」

 その声で意識が戻る。

 目を見開き、しっかりとこちらを殺しにかかって来る一撃を半身を逸らして躱す。

「なにィ……!?」

 道化師は突然息を吹き返した俺に驚いた声を上げる。

 "ッマスター!!"

「アニス! 魔力をありったけ廻せ!!」

 何とか攻撃を躱すことに成功し、体勢を立て直す。
 魔力で体を活性化させる。

 何を自分は弱気になっていたのか!
 たった少しの戦況の変化で何故負けた気になっていたのだ!
 まだ何も成していない。助けていない。彼女たちは諦めていなかった!
 なのに何故俺は諦めていた!!

「甘ったれんじゃねえ俺!!」

 強く自分の胸を叩き、怒りをぶつける。

 本当に彼女の言う通りだ。

 俺には圧倒的に『気合い』が足りていなかった。

 眼が見えないからなんだ?
 気配が完全に見破れないからなんだ?
 攻撃を防げないからなんだ?

 ……ただそれだけの事だ!
 全部気合で何とかできる!!

 俺には力強い相棒が二人もいるのだから!

「纏え、黒キ外套!──」

「なァにを吹っ切れたか知らねェが悠長に詠唱なんかさせるかよ!」

 虚をつかれ放心していた道化師が気を正して、今度こそ俺の命を取りに来る。

「──我が闇は全てを穿ち貫く──」

「今度こそ終いだ!!」

 再び道化師は俺を殺せる間合いに入る。

 刹那、銃剣を地面に突き刺し魔技を完成させる。

「── アマネツラナル黒針クロバリ也!!」

 地面に銃剣が突き刺さったと同時に地面の塗りつぶされた闇が蠢き、無数の黒い針山が地面から突き出る。

「アッ──ガッ──!!」

 その針山は俺に近づくモノ全てを貫く。
 それは道化師も例外ではない。

 無数の針山によって両腕と両足を器用に貫かれた道化師は悶絶し、絶叫すると意識を失い地面に突っ伏す。

「はあ……はあ……返してもらうぞ……リュミールは俺のだ」

 全力を持って放った魔技、そして無駄に喰らい過ぎた傷によってどっと疲れが襲いかかってくるが何とか道化師の右腕に付けられていた金糸雀色のブレスレットを奪い取る。

 そのまま地面に倒れた道化師を無視して鎖に繋がれた精霊の元へと歩み寄る。
 銃剣を軽く振って手足に付けられた枷を斬って少女を解放する。

「おっと……」

 無抵抗に地面に倒れそうになる精霊を受け止める。

「ん……レイ……ル……?」

 すると精霊は瞼をゆっくりと上げると意識を覚ます。

「悪いリュミール、遅くなった」

「ああ……全くだ。本当に……寂しかったんだぞ……!」

 精霊は目じりを涙を溜め込んで力強く抱きついてくる。

「ごめん」

 全身の傷が痛むが今そんなことを言っては格好が付かなくなる。
 今できる最大の虚勢を張り、小さく震える少女を抱きしめ返す。

 そこで我慢が効かなくなったのだろう、精霊は声を押し殺しながら溜め込んだ涙を一気に零した。

「……」

 初めて見る彼女の姿に何と声を掛けていいのか分からずただ無言で頭を撫でてやることしか出来ない。

 どれくらいそうしていただろうか。
 まだ泣き止む気配のない少女をあやしていると複数の足音が聞こえてくる。

「あ、いた! 相棒!!」

「下っ端を全部倒して大将まで本当に討ち取るとは驚いたよ……」

 それはとても聞きなれた仲間のものだ。

「アラドラッ!!」

 彼らの声で安堵しているとアラクネが針山で突き刺した後、放っておいた道化師を見て駆け寄る。

「あ……やべっ……」

 そこで自分がやり過ぎたことに気づく。

 必死だったとは言え、仲間の弟を串刺しにするのはマズイ。
 ……死ん──ではないと思うが久しぶりに再開した弟が手足に無数の穴を開けてぶっ倒れていたら驚きもする。

 焦って回復薬を使うアラクネの姿を見てどんどん背中に嫌な汗をかいていく。

「ご、ごめんなさい……」

 俺は無意識にそんな謝罪の言葉が口から出てしまっていた。
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